「お帰り兄ちゃん!ハンバーグ、オムライス、ミートパスタ、どれが食べたい?」
「食べたい?じゃないだろ、どれにしたって作るのは俺だろうが」
ただいま、を言い切ってすぐこれである。
ニコニコ3本立てた指をへにょ…と曲げて「ちゃんと手伝いするからあ」と、鼻を鳴らしてねだる子犬のような顔をする弟も、れっきとした成人男性…のはず、なのだが。なぜこうも違和感がないのか。それとも感じていないのは自分だけなのか?
とはいえ、別に怒ってはいない。そもそも自分で作れと言うのも今更だ。なにせ放っておくと、毎日コンビニ飯やら茹でるだけのラーメンやら、バランスの偏った食事で済ませてしまうものだから、みかねて年中無休の食事当番を買ってでているのは自分である。本人も言う通り、食後の片付けや買い出しなんかはすすんで協力してくれるので、労働のバランスはとれている。多分。
「お前は何が食いたい」
「!ハンバーグかオムライスっ!」
「1つに絞れよ…」
「やー、今日は家で夕飯食べるって言ってたから、肉食べたいな~って考えてたら候補がたくさん浮かんでさあ。これでもちゃんと考えて、3つまで絞ったんだよ?今2つになったけど」
そこまできたら最後まで決めきれ。むしろ最終選考に残ったはずのミートパスタはどうした。…まあ、両方食べたいと言い出さないだけマシだろう。
少々甘えたでちゃっかりしているが、過度なわがままは言わないのだ。あの2人も、主に灰色の方は「素直で与えがいがある」とか言って度々弟に餌付けしているが、つけあがらずしっかり返しているらしい。世渡り上手で甘え上手な弟だ。
さて、ハンバーグかオムライスか。自分も腹は空いているのでガッツリ食べたい気分ではあるが、今日はあまり手間暇かかるものは作りたくないのが本音だ。多少雑に作業してもできるものがいい。卵はまだあるし、余っていた鶏肉も充分足りるだろう。
「今日はオムライスな。異論は認めない」
「やった!異論なーし!」
「先に手洗えよ」
「はあい」
おむおむオムライス〜♪とてきとうな歌を歌いながらシンクへ向かう弟を横目に荷物を置いて、そういえば料理は久々だな、とふと思う。といっても先週も作っていたが、今週は2人とも予定が詰まっていて、あらかじめ用意していた作り置きか外食か、簡単な弁当で済ませていた。毎日のように何か作っていたわけではない。兄弟揃って多忙な期間も今日で最後なので、今日明日である程度材料を使い切ってから買い物に行こうと考えていたのだ。
弟がいつにも増して上機嫌なのは、ほぼ一週間ぶりに作りたての手料理が食べられるからだろう。何が食べたい、と尋ねた時の返事も食い気味だったし、「ちゃんと考えた」というのも、本人にとっては大袈裟ではなかったのかもしれない。
こちらが手を洗い終える前に冷蔵庫を漁り終えた弟が、どかどかと材料を置く。
「んーたぶん全部ある」
「荒らしてないだろうな」
「しっかり整頓しながら出してましたー」
「ならおまけもつけるか」
「お?」
わざわざドアを開いて見せてくる弟の横から腕を伸ばし、小さめのウインナーが数個入ったタッパーを取り出す。おまけもおまけ、切って乗せるだけの何の捻りもないものだ。あいにく今日はデザートに出せる甘味はない。
学校行事のあった日、今日は頑張ったからオマケだ、と追加で乗せられたのをぼんやり思い出したので、なんとなくそれに倣ってみるかと思っただけだが、タッパーの中身を見た弟は嬉しそうに笑った。
「アハハっ!タコさん乗せてもらえるの?!」
「今日まで頑張ったからな」
「じゃあ兄ちゃんのタコさんはオレが作ってあげる」
「切り方分かるのか?」
「オレのこと何だと思ってんの」
拗ねたような言葉とは裏腹に楽しそうな笑顔に、つられて笑みを浮かべる。
「ちゃっちゃと作るぞ」
「お〜!」
弟が野菜を洗い、俺がきざむ。
米をレンチンする間に、もうちょっと大きく、いいや一口より小さめだと言いながら鶏肉を切る。
オリーブオイルを広げて熱したフライパンに肉と玉ねぎを入れ、弟が炒めるのを見ながら卵をといて。
「あっ、そーだ!旗立てようよ!」
「旗?実家ならともかくウチには」
「あるよ」
「なんでだよ」
「おやつと一緒にもらった」
十中八九灰色のアイツだ。
ちょっと変わってー、とパスされたフライパンを混ぜていると、ほどなくして小さな袋を手にして戻ってきた。
「兄ちゃんはどれがいい?」
「いや…俺はいらない」
「えー。じゃお揃いにしよ、白ね!あ〜あ、なんで緑の旗ってないんだろう」
問答無用らしい。…断る理由もないのでもう好きにさせよう。
一旦旗は置かせて、ケチャップを加えたフライパンを渡す。米とピーマンを入れるのは少し炒めた後。
必要な食器を出したら選手交代。塩こしょうを加えて味を整え、ウインナーをつまみ食いする弟に呆れつつチキンライスは完成。
ボウルに出したら今度は1人分の卵を焼く。ふくらみを菜箸で潰していると、スっと目の前にウインナーが出てきた。
「見てっ。ちゃんと8本足」
「足どうしたんだ」
「ちっちゃいんだもん」
いくつか足先がちぎれたタコを皿の端に寄せてあった欠片のそばに置くと、やたら真剣な表情で2本目と向き合い始める。ガタイのよさに比例して手が大きい弟が持てば、ただでさえ小さいウインナーはもはや極小サイズだ。
指を切ってしまわないか不安だが、大雑把な弟にしては珍しく慎重になっているのでおそらく問題ないだろう。
火を止めてチキンライスを半分投下し、空いてる皿を寄せて卵で包んだライスをひっくり返して乗せる。まずは1つ、完成だ。
隣を見ると、できたてのオムライスを目を輝かせて見つめていた弟と目が合った。
「キレイに焼けてる〜!」
「お前の分だ。うまく切れたか?」
「ん!けっこう上手にできてない?」
ほら、と見せられたタコは、確かに先程のように細切れにならず8本足が揃っていた。心做しか得意げな顔をしている弟に一つ頷いてやる。
「そうだな。よくできてる」
「でしょ。もっと作っちゃおうかな」
「んなたくさん食わねえよ」
「そっかあ…兄ちゃん、これ足閉じちゃうんだけど」
「後で焼いてやるから置いとけ」
弟に冷蔵庫のサラダと飲み物を出させて2つめを焼く。
まだかまだかと周りをうろつく弟の頬をつまんで大人しくさせ、さっさとライスを包んで皿に出し、ウインナーを2本手に取る。手早く1本をタコの形にすると、すぐ隣から小さな歓声があがった。
2本めは別の形に切ってやる。
「あっカニだ!」
「ゴマ刺すか?」
「いいや。そのままでも可愛い」
タコは切れ込みを広げてフライパンに押し付けるように、カニは軽く転がして焼き、形を安定させる。オムライスの後ろにちょんと乗せてやって、おまけウインナーの処置も完了だ。あとは…
「よーし、旗!の前にケチャップかけてあげる!」
「書きたいだけだろ」
「てへっ。そぉれ、美味しくな~れ〜」
お つ か れ
…を、デカいハートで囲って満足そうにケチャップを置くと、えいっ、と文字を避けて旗が立てられる。
こうして主張の強い俺のオムライスは完全形態に至った。
「はい、兄ちゃんも書いて」
差し出されたケチャップを半ば反射で受け取り戸惑う。一体何を書けと…
「だーいーすーき、って書けばいいんだよ」
「願望じゃねえか」
「事実だよ」
ねっ、と小首を傾げて期待の笑みを浮かべる。……本当に、仕方のない弟だ。
今日はよほどご機嫌らしい。最近あまり構ってやらなかったので、一層甘えたな気分なのだろう。しばらくはたくさんわがままを聞くことになりそうだ。
「ったく……ほら。こうでいいか」
だ い す き
思い切ってデカデカと、堂々と書いてやる。最後に真ん中に旗を刺せば、これまた主張の激しい弟のオムライスのできあがりだ。
伊達にうん十年コイツの兄をやっていない、このくらいのサービスは慣れたものだ。少しもヤケになってなどいない。
「アハハハハ!!最高〜!ありがとーっオレも大好き!!」
「う"わ、っぶねぇ!自分の体格考えろバカ!」
勢いよく腕を回され、ぎゅうぎゅう抱き締めながら頬擦りをされる。ばしっと背中を叩いて叱るも、腕の力が少し緩むだけで、大はしゃぎしている弟はあまり聞いていない。正直ここまで大喜びするとは想定外だった…そんなに嬉しかったか。
すっかり叱る気が失せてしまい、しかしせっかくできた食事が冷めてしまっては勿体ないので、もう一度背中を叩いてどうにか引き剥がす。
「冷めるぞ、早く運べ」
「んふふ、りょうかーい。あ、でも待って。写真撮りたい!」
「あ?いいけど……待て、誰に見せるつもりだ」
「2人に自慢しようかなって」
「絶対にやめろ…!」
久しく本気の拒否をした。
今日あったこと、昨日見たもの、誰とどんな話をしたとか、他愛のない会話を交わしていると、かなり腹は空いていたはずなのに存外飯は減らないもので、テレビを見ていたわけでもないのに気付けば普段の倍近く時間が経っていた。
兄ちゃんはゆっくりしてなよ、という弟の言葉に甘えて、片付けを任せてぼうっとテレビの画面を見つめる。最近は快晴が続いていたが、しばらく雨が降るそうだ。洗濯物が乾きにくくなるな、とぼんやり考えて、そういえば昨日分も溜まっていたのだったと思い出したところで
「雨かー。洗濯物、明日回してランドリー持って行こうか?」
と弟が声をかけてくる。急ぐ用事もない、弟も疲れているだろうし、やるべきことは寝て起きてからでいいだろうと考えて
「そうだな、頼むよ」
と答える。答えてから、あいつはどうして飯は全く作らないのだろう、と本当に今更な疑問が浮かんだ。
弟は自他ともに認める大雑把な性分だ。しかし極度な不器用でもないし、責任感がないわけでもない。意外と気が利くし、適度な気遣いもできる。現にすすんで手伝いを申し出てくれるし、こちらの手が回らない時の頼み事は快く請け負ってくれる。明るい性格で物怖じしない、よくできた弟を持っていると思うのだ。
あとはそう、自炊さえしてくれれば、こちらが心配することは特に……いやある。大アリだった。
「はい、片付けおーわり。兄ちゃんっ」
「何だ?」
しかしこれは俺だけ悩んでもどうこうなるものではない。故にほんの少し忘れただけだ。
「今日も美味しかった、ありがと!」
「そうか、よかったよ」
そう、俺は決して現状を良しとしている訳ではなく…
「んへへ。明日も楽しみにしてる」
「ああ」
「風呂は入る?」
「…ああ」
「…眠い?」
「ああ……」
「セックスしようよ」
「ああ………… あ?」
何かとんでもない要求を聞いた気がする。
いつの間にかテレビは消されていた。背後から伸びる腕がリモコンから離れて戻っていく動きに合わせ、自然と頭上に目を向ける。
背もたれに手をかけてこちらを見下ろし、物欲しそうな気配を隠そうともせず、緩く眉を下げてにこりと微笑む弟。
「ずぅっと構ってもらえなくて、オレけっこう寂しかったんだよ。甘やかしてよ。兄ちゃん」
しまった!!