安赤 ケーキバース不意に鼻腔を擽る甘い匂い。嗚呼、またあの男が近くに居るのかと理解する。
滅多に起きない食事をしたいという欲求が僅かに顔を出す。あの男が目の前を通る度に、自分が羨んだ黒艶の長い髪が風に靡かれる度に、何故か食欲がちくりと刺激されて苛立つ。
あの男__ライ__は「ケーキ」なんじゃないか、そう疑った僕は彼の吸殻や使用済みのストロー、スプーンなど唾液が付着しているであろうものを収集し検証した。決してストーカーではない。しかし、甘い甘い匂いとは裏腹に、全く味がしなかった。
つまりライは「ケーキ」ではないということだ。ただ、僅かに食欲を唆られる匂いを漂わせているのが不思議で、同時に腹が立って仕方がなかったがライが「ケーキ」ではないことに心底、安堵した。
僕は「フォーク」が嫌いだから。
甘い蜜はアナタだけ
この世界には男と女という性別の他に、「ケーキ」、「フォーク」、「その他」の人間が存在している。構成される多くは「その他」である一般人が半数以上の割合を占めている。
「フォーク」とは「ケーキ」を美味しいと感じてしまう人間のこと。味覚が存在しない。そんな味覚がない世界で生きる彼らが「ケーキ」という存在と出会ってしまった時、本能的に『ケーキを食べたい』という欲求を覚えてしまう。味覚がない、「ケーキ」を捕食する以外の点では普通の一般人と目立った差異はないものの、「ケーキ」の全てが「フォーク」の人間にとって甘い、甘い誘惑で頭からつま先まで飲み込んでしまいたいという衝動に駆られてしまう。その為、一般で平凡な「ケーキ」を捕食する猟奇的殺人を起こす可能性がある「フォーク」だと判明すると、『予備殺人者』として忌避される傾向がある。
そして、フォークの特徴を踏まえその「ケーキ」とはなんぞやと察しの良い人も居るだろうが、先天的に『美味しい』と感じる人間のことを「ケーキ」と呼ぶ。フォークにとっては極上でケーキのように甘露な存在であり、彼らの血肉はもちろん、涙、唾液、皮膚など全てが対象となる。
降谷零は「フォーク」である。
組織壊滅後、大きな爆発音をバックに、降谷零と赤井秀一は和解した。その詳細は省かせて貰うがそれに伴い、なあなあで協力関係だった公安警察とFBIは改めて日米協定を結び、協力体制となって散らばってしまったコードネーム持ちでない残党狩りや組織壊滅に至ったことでの膨大な処理を行うこととなった。
組織の大きな被害を受け、また組織を崩壊へ追いやった日本を拠点としているのはいいが、どうもやり方が古風なのである。右を見ても書類、左を見ても書類、仕方ないからパソコンに向かっても書類にするために印刷。また紙だ。
先程から作業が進んでいる訳でもなければ、紙とデスクを行ったり来たりしているせいか、眼が痛い。
とうとう、赤井は嫌になってしまった。
これではあまりに効率が悪過ぎるという建前で、嫌にってしまった赤井はFBIから来た捜査官が箱詰めになっている持ち場から、ふらふらと離れる。
雪が降りそうな程、外は冷たい空気で覆われているせいか暖房の入っていない廊下は、白い息が吐けそうなほど寒い。体温を上げようとしてぶるっと小さく身体が震え、ジャケットの下でぽつぽつ鳥肌が立つ。
行くあてもなく、ふらりと歩いていれば不意にピカピカと眩しい程に光る自販機を見付けた。虫の本能みたいに、その光へ吸い寄せられ足が進んでいく。目の前に立てば眩しさ故にか、反射的に眉間に皺が寄せられるも、自販機を上から下まで満遍なく見下ろす。幸いなことに、冷たいものは少なく温かい飲み物で埋め尽くされており、脳みそにない糖分を補給するため、滅多に選ばないココアを選択。ピッと音が鳴ったあと、すぐにガコンッ大きな音を立ててココアが落ちてきた。
数分部屋から出ていただけで、指の先まで身体は冷えきってしまった赤井の手のひらでは、小さくて温かな缶をカイロ代わりにきゅっと握る。
傍にある簡易的なソファに腰をかければ、ひんやりとお尻が冷たくなり、臀骨が当たって痛い。体温をこれ以上奪われないために大きな身体を縮こませていれば、足音もなく影を作って目の前に見慣れた革靴が現れた。見なくても分かる。でも、わざわざ足音を消さなくてもいいのに、という気持ちがあるので、赤井はわざとその影の持ち主をスルーすることにした。
「僕に気付いてるのに無視ですか?酷いですねえ」
「おっと、降谷くんか、驚いたよ。お疲れ様。はて…一体何のことかな?」
「相変わらず、とぼけるのは下手くそなんですね。お疲れ様です。何飲んでるんですか?」
「ココアだよ。糖分が欲しくてな」
「ふーん……」
赤井の頭上から声が降ってくれば、わざとらしく、しかし少しも驚いていなさそうに言葉を返す。ぽんぽん、と温まった手のひらで赤井の隣を叩き、目の前に立ち塞がって不満そうにする降谷へ座るように促して見る。すると、仕方ないと言わんばかりに降谷は赤井と隣へ大人しく腰を下ろした。
赤井の大きな手の中に収まっている缶を見れば
味覚を持たない降谷は糖分補給と言われてもピンと来ない。確かに糖分が補給されることで脳の働きに繋がるのかもしれないが、甘味を感じることのできないので想像すらできない。
自分から聞いておいて興味なさげな降谷の態度に赤井は慣れているので、気にした様子はなく、購入したての温かく甘いココア缶を傾けて。ずずっと啜れば柔らかい甘味が口いっぱいに広がる。身体の内側から温かくなる感覚に赤井はホッと息をつく。
「そういえば僕、あなたのことケーキだと思ってた時期があったんですよ」
「君はいつもいきなりだな。なぜだい?」
「あなたがライの時、甘くていい匂いがしてまから」
「……待て、君フォークだったのか?」
「あれ、言ってませんでしたっけ?そうですよ」