世界木3 自ギルド 耳かき 手当をしてもらうとき、むず痒くなる。
例えば、気功師のリュウスイさんの手は細くてひんやりとしていて柔らかい。痛くて仕方がない時ならともかく、なんともない時にこの人に手当てされると身体中が落ち抜かなくなる。苦手だ。でも本当は結構好きだ。
エガスミというバリスタ使いの女も粗野なりに柔らかい触り方をする。うっかり粟立つとなかなかに屈辱的である。胸もでかいからたまに当たる。これは少し関係ない話だ。
自分は今まさに頭を撫でられて、落ち着かない気持ちよさが背骨を通っている。耳も触られているからかもしれない。
オレは人の膝を枕にして横寝の姿勢をとっている。左耳が上を向いている。宿の一室、ベッドの上でだ。常夏の島は午後でもまだ明るい。全開の窓から風が入ってくるから、我慢できないほどの暑さではない。
こんな無防備な体勢をとるようにこちらに指示し、無駄に頭まで撫でているのは、あてなるご身分のオウミナミという人だ。正しくは“みやびなる”ご身分らしい。男の人である。
オレは耳かきの練習台にされている。今日は3日目である。耳を見やすくするために、髪の毛は前髪も一緒に結いっぱなしだ。オウミナミさんが頭を撫でる理由はない。
この耳かきの本番の相手はみつうろこさんだ。みつうろこさんは刀の扱いが上手くて強い人である。この人も男だった。恋愛は必ずしも繁殖と結びつくわけではないらしい。
オウミさんに触られるのもなかなか嫌いじゃない。手つきはどちらかといえば不器用な方だろう。例の女性陣みたいに柔らかいわけでもないのに不思議だと思う。
この人たちと知り合いはじめの頃はこんなに無警戒に体を寄せるとこなどありえなかった。共に寝ることもしなかった。オレが歩み寄りをするようになってからも、精々疲れた日に部屋の隅を使わせてもらう程度であった。
状況が変わったのは雇い主に見限られてからだ。
この雇い主というのはオウミさん達のことではなく、オレに世界樹の調査を頼んだ人のことだ。冒険者として適当なギルドに潜り込み、世界樹がもたらすという叡智をこっそりと独り占めして持ち帰るのがオレの任務だった。
しかしまじめに仕事をしていたのに、なぜかオレは切られることになったらしい。知らない人たちから付け狙われるようになった。
探索には時間がかかるのだか、あいつらは辛抱強く世界樹の伝説を信じ切ることができなくなってしまったのだろう。他にも理由はあるが、今となってはもうどうでもいいことだ。
特に容赦がなかった日を、オウミさんとみつうろこさんが泊まる部屋でやりすごした。
それから寝る時は必ず2人の部屋に行くようになった。恥ずかしい話ではあるが、そうでないと寝られなくなってしまったのだ。
みつうろこさんはオレが部屋にいることを嫌がっている。怒ったり蹴ったりしてくるが、でもオウミさんにくっついて寝ることを妨害してくることは少ない。
逆にオウミさんはやたらとオレに構いたがる。こうして撫でることもしてくる。
毛の流れに沿っているのか外れているのかよく分からない軌道を、温かいものがゆっくりと移動する。米神、耳の上、後頭部、何度も優しげな重みが通る。
耳の方も、最初は耳の外側の縁を指先でなぞられていた。こそばゆくてしかたない。でも頭も一緒に撫でられているから肩をすくめることでしか抗議ができない。
チリチリとした気持ちよさを味合わなくてはならないのは少し辛い。指先が少し内側を掠めたり、そういう内側を爪で本当に軽く弾かれたりと、変化をつけられるもの嫌である。変な声が出てしまいそうだ。こんなことをあのみつうろこさんにもするつもりなのだろうか。
オレがこそばゆさに慣れきる前に、つぎは耳の上部の平たい所を摘まれる。ここには溝がたくさんあるが、その窪みに指が這わされる。ゆっくりと指が撫でる時、しゅるしゅる、という音がする。くすぐったさはない。でもこの少し強引に指を突っ込まれる感じとか割と好きだ。
縁のひだを指先で摘まれ、少しずつ移動しながら揉まれる。ゆっくりと指で優しく揉まれる。これはちょっとくせになりそうだ。
そして下って耳たぶに到達する。耳たぶの裏に指をさしこまれて固定され、その状態で親指で優しく撫でられる。その他の指が首や顎骨に当たるとくすぐったい。耳たぶは優しくじっくりと揉まれている。なぞるような軽さだ。親指は耳たぶの縁も軽い力で撫でたりする。これもまあまあくすぐったくてクセになる。
この辺でオウミさんは頭を撫でるのをやめた。耳の方も力加減は変わらないものの、触る場所が適当になった。変なところに当たってくすぐったいので、動かさないでほしい。
「タカラブネよ、これから中の方もやっていく。痛かったらまたすぐに言ってくれ」
「いっす」
そう言ってオウミさんはまた俺の頭をひと撫でした。タカラブネというのがオレの名前だ。成績優秀者に贈られる、誉高い名前だった気がする。
耳の穴の縁くらいのところに、指以外の何かが当てられる。耳かき棒だろう。入り口のところをさらりさらりとなぞられる。バサバサと音も大きい。
2周くらいして、棒は奥に進む。これまたごく浅いところを慎重に動く。力加減が弱いのでくすぐったい。嫌いではないが、ちょうど良いかと言われるとそこまでではない。
「オウミさん、弱いです。もっと強く」
「痛くならないか?」
「それはもっと奥の方です」
ちょうど良いくらいになった。程よく肌をおされて気持ちよい。3日目ともなれば流石に覚えてくれるらしい。
多分匙の側面が耳の中を撫でている。変に外れもせず、ゆっくりと皮膚を触る。音が落ち着く。窪みみたいなところを擦られるのが特に好きだと思う。
「奥行ってくださいよ」
「待て、急かすな」
言えば一応は応えてもらえる。また触られる場所が深くなる。まだ浅い。
匙の側面を広くこそげ取られる感覚は心地よい。耳かきは連日ではないが、前回は5日前とかなので中には何も残ってないと思う。でもこうしてくいくいと掻かれるのはなんでか気持ちよい。オウミさんは何を見ながら棒を動かしているのだろう。
今掻いている部分はしつこめだ。ぐにぐにと揉まれ、何かをこそぎ取るように棒が出ていった。棒をちり紙で拭う音がする。
棒はまた入ってきた。動きからして、もう少し奥に行くらしい。この辺りから少し怖くなる。力は弱く掻いてくれてはいる。ちょり、ちょり、と今の場所は良かったかも。この辺の気持ちよさは変な力が入る。でも力が少しでもかかると結構痛くなる。移動した先もちょっといい。欲を言うならもっと奥だ。
「奥が痒いです」
「あやつも同じことを言っていたな……。正直やりたくはないが、練習だ」
練習でも練習だと言わないでほしいものである。本当に奥の方まで棒は入ってきた。皮膚に当たると、痛い。痛いと訴えれば短い謝罪が返ってくる。それからはとても慎重に棒は動き、皮膚に当てられ、それでも痛い。
何度かこのやりとりを経て、やっと痛くないところまで来た。位置もあっちだこっちだと散々指示して、目当てのところに棒が届いた。自分でやった方が絶対早い。
だけど痒い所を刺激してもらうのは気持ちがいいものである。すぐに痛くなる。多分この耳の奥とはそういう弱いところなんだろう。オウミさんも分かっているみたいで、すぐに棒を離し、そのまま引き出してしまった。
「次は反対すか?」
「いや、もうしばらくそのままでいろ」
手が耳から離れ、棒を再びちり紙で拭う音と動きがある。それから何かの蓋を開ける音、容器と何かが触れる音、蓋を閉める音。耳に手が添えられる。耳の穴の外に、ペチャと湿ったものが当てられた。
「な、なんすか」
「こっちの方がいいと言われた」
「誰にですか」
「リュウスイだ」
「ああ」
ならば安心だ。湿ったものは穴の淵を周る。さっき使われていた匙のついた棒よりも鋭さがない。触れる面も大きい。しゅるり、と少し摩擦があるけれどとても弱いもので、これがなんか心地よい。そうか、これは綿を巻きつけた棒だ。
綿はするすると滑り、縁から少し奥に進んだ。同じように皮膚の上をくるくると滑る。棒の時よりも動きが速い気がするが、柔らかい質感のせいか不安はない。むしろよりスッキリする心地だ。湿っているからなのだろうか。
窪んで入り組んだところにも綿は当てられる。その場でスルスルと回転をかけられた。よだれが垂れそうになるのを飲んで防ぐ。回転しながら窪まりの奥をくりり、と拭き取られる感覚が妙に気持ちよい。またしゅるり、と通っていく。よだれが落ちかけた。危ない。
綿はまた他のところへ移動する。物足りないと思いつつも、奥の方へ進む感覚に期待が膨らむ。
皮膚を押して揉むように綿が何周かする。それから特定の場所をまた突かれる。するする、回転しながら綿は引き上げられ、また同じ所に戻ってくる。そしてまたくりくりと回って皮膚を撫でる。
痒くなりがちな下の部分も、心地よい摩擦で掻かれる。凝り固まった気分になる上の方も、程よい圧で押され、解される。なんでこんなに気持ち良いのだろう。耳かき棒よりも好きだ。
だけど綿は耳から出て行ってしまった。もう一度入れてもらえるのだろうか。もう少し触ってほしい。
動かずにいると声をかけられた。
「さらに奥の方もやってみようかと思うのだが、大丈夫そうか?」
「はい」
「そうか」
頭に手のひらが置かれ、指でとんとんと軽く叩かれる。これはまた撫でられたのである。オレの頭を撫でてご利益でもあるのだろうか。
両手は離れて、頭上の方で容器と道具が触れ合う音がする。そして耳に手がやってくる。
綿が触れる。なんだかさっきの綿よりも細い。綿は入口の縁を数周し、その周回の動きを緩めて奥に進み出した。1番最後に触られていたところよりも奥に到達する。もう少し進んでちょっと怖いところまで来た。
耳たぶが強めに引っ張られる。首側の痒みを覚えやすいところに綿は当てられ、くるくると回る。少し弱く感じる力加減で、自分の指先に力が入ってしまった。
全く痛みはない。一押し超えない生やさしい刺激にうっとりする。痒かったのだろうか。そうではなかったはずだ。ちりちり、しゅるしゅる。綿が回るたびに、気持ち良さで体が怠くなる。
場所が移動して他の所もすりすりと撫でられる。横の方、顔面側というのか。このあたりもちりちりといじられる。なんだかよく分からない不思議な感じだ。触られている感覚はあるのだが、ぼんやりしている気がする。ただの気のせいか。
上の方も、頭の後ろ側も満遍なく撫でてもらった。だが1番最初にいじってもらったところが1番良かった。
「オウミさん、さっきのところがいいです」
「さっきのだと?」
「1番最初の、なんかこっち側のところです」
「分かった」
指で指し示す。場所に覚えがあるのか、すぐに綿はやってきた。やっぱりここが1番好きだ。
「なんで分かるんですか」
「綿棒に取り替える前もここを掻けと言っておっただろう」
そうですか、をしっかり言えたかは自分のことなのに分からなかった。するすると撫でられる気持ちよさに、体がうまく動いてくれない。
「だがいじり過ぎても良くないそうだ」
そう言われると、綿は皮膚を周回して撫で、そろそろと出て行った。
名残惜しく思っていると、乾いた綿が入ってきた。入口の方からくるりくるりと肌を撫でて、拭き取っているようだ。あの窪みのところもくるっと擦っていく。奥の方もささっと拭っていった。
耳の外も、穴入り口付近の突起の溝の間をスリスリと押すように拭く。溝だらけの入り組んだべろのところも、裏に指を差し込んで支えて、綿でぐいぐいと拭かれていく。無理矢理引っ張られる感覚はやっぱりなんだか気持ち良い。
仕上げに耳全体をちり紙で拭かれた。耳の裏もぐっ、と伸ばされる。ちり紙を巻きつけた指で耳の中もざっくりと拭われ、その動きで耳が揉まれる。これも悪くない。
「終わったぞ。ご苦労であったな」
「や、別にオレは寝てただけですし」
ここで起き上がるのが正解なのだが、あまりその気になれない。なので仰向けになることにした。オウミさんと目が合う。この人の普段はおろしている長めの髪の毛は、今は後ろで一本に結われている。
「どうした、タカラブネ」
「別に何もないです。今日はずいぶん痛くなかったので驚きました」
「綿棒が主だったからかもしれんな。あやつは耳かき棒の方が良いのだろうが。なにしろ垢の質がまるで違う。これで練習になっているのだろうか」
「オレは今日みたいなようにしてくださるんであれば、練習台にしていただいて構わないです」
「それはありがたい」
微笑まれると、こちらも口角が上がりそうになる。堪えているとまた頭を撫でられた。
「このまま腹の方に倒れて、反対の耳も見せてもらえるか」
「分かりました」
寝返りを打って反対側の耳を晒す。顔面の目の前にはオウミさんの腹がある。これだけのことで眠たくなってくる。この光景はみつうろこさんを不機嫌にさせるだろうが、これも全て耳かきの練習のためだからオレは悪くない。
目を閉じる。耳を触られる。そっと指先を滑らせる触れ方に肩が竦む。また頭を撫でられる。
寝られるのは耳掃除の練習が終わってからになりそうだ。ならせめて落ち着けるまで耳をいじられるのを楽しんでおこうと思う。
そしてオレは予想通り耳掃除が終わった後に寝落ちて、みつうろこさんに叩き起こされたのだった。右脇腹が痛い。
終わり!!