短編 だからちゃんと大事にして 自室を遠慮がちにノックする音にフールズは文字を追っていた視線を上げた。
此処を訪れる物好きはイタカしかいない上に、彼はノックもなしに我が物で入ってくるのが常だ。
だから、すぐに扉は開くものだと、フールズは考えていた。
しかし、待てど暮らせど扉が開かれることはない。
フールズは逡巡したあと、「どうぞ」と呟いた。
すると、律儀に待っていたお淑やかさとは一変し、随分と乱暴に扉が開かれる。
扉の向こう側には予想に反して、泣き虫──ロビーが立っていた。
「ゴールドさん!ごめんなさい!イタカお兄ちゃんに怪我させちゃった」
泣きそうな声で告げられた事態に、フールズはぐっと眉間に皺を寄せた。
ぐすぐずと泣くロビーを宥める術を持たないフールズは、こっちと服の端を引かれて館の裏側に位置する山小屋まで連れて行かれる。
その道中で、たどたどしい説明をロビーから聞き、事情は把握することができた。
木登りで遊んでいたロビーがうっかり足を滑らせて落ちそうになったところを、イタカが咄嗟に助けたまではいいが、太い枝に足を引っ掛けて切ってしまったそうだ。
それくらいなら、止血をして歩いて帰ってこれるのではないかと考えていたフールズは、ベインがロビーを走らせて迎えに来させた理由が嫌でも解ってしまった。
ソファーに脚を上げて座るイタカは、フールズを見たあと、居心地の悪さから視線を明後日のほうへ流す。太腿を押さえる布は赤い血に染まっていた。
おそらく服ごと大きく切り裂き、布の下は素肌が見えているのだろう。
フールズは黙っていたが、目に見えて顔が険しくなる。
「ああ、そういうこと。ありがとう、ベイン」
ははっとから笑いするベインは、早々にフールズの横を通り過ぎ、ロビーの手を引いて部屋から出ていった。
「イタカお兄ちゃんは?いいの?」
ロビーの言葉に対し、断罪狩人が何と答えたのか──。
静かに閉じられた扉に遮られ、部屋に残った二人の耳に届くことなかった。
フールズは険しい顔のまま、イタカの手に触れ、僅かな抵抗をものともせず布を剥ぎ取った。
露わになった白い肌の上に赤い傷が一直線に長く引かれている。血はすでに止まっていて、乾いた血が皮膚にこびりついていた。
「大した事はないから部屋に帰ろうしたんだけど、止められた」
思っていた以上に大ごとになってしまい、不本意なイタカが不満の籠もった声でそう言った。
一方でフールズは適当な相槌を打ちながら、指先で傷に触れ、太腿から膝の手前まで、なぞっていく。
「このまま出歩かなくてよかったよ」
フールズの声はどこまでま平静だが、温度のない瞳でイタカを仮面越しに覗き込んだ。
氷点下の温度とは裏腹に燃え滾る嫉妬の炎が揺らめいている。
フールズは浅い傷に爪を立てた。柔い傷が開き、真っ赤な血が溢れ出る。
イタカが喉の奥でくっと呻くのと、フールズが口を近付けて血を舐めとるのは同時だった。
「僕をそんな目で見るのは君くらいだよ」
「自覚があるなら、もういいよ。部屋に帰ろうか」
そう言ったフールズは、イタカの小さな身体をひょいっと横抱きに抱え上げた。
「フールズ!」
「大切なものを傷物にされたんだ。これくらいはしないとね」
腕の中でバタバタと暴れ始めるイタカを他所に、フールズは鼻歌を歌いながら上機嫌にその場でくるくると踊るように回った。