【練習】カニ【従兄弟組】昔から窓を眺めるのが好きだった。
遠くに見える青々とした風景、鳥の囀り、穏やかな風、差し込む光。晴れ渡る空。
私の暗く狭い世界。
机と椅子と山積みの本。多くの期待。
小さな虫かごの窓。
窓を眺めるのが好きだった。
私を誘う、自由で気ままな青空が好きだった。
「……」
ワグナスは複雑な顔をしつつ王城の廊下を歩いていた。
先程、重臣の一人から娘との見合い話を持ち掛けられたのだ。
ワグナスは若いながらも城へと上がり、その優秀さから王も名前を知る事となった有体に言えば数千年に一人の有望株である。更に代々国王に仕える由緒正しい家柄だ。
そんな彼と由縁が出来れば相手の一族も国が滅びない限り安泰であろう。
だからワグナスの元には多くの見合い話が持ち込まれてくる。
「…はぁ」
大きな溜息を吐きつつ自身の執務室の椅子へ腰かける。
机の上には山積みの書類。今後の仕事に使う書籍が柱のようになっている。
昼間だが逆光故、部屋は少々薄暗い。
ワグナスは癖のように窓へ目線を移すが、すぐに逸らし小さく息を吐く。
幼いころから家の跡取りとして相応の教育を施されてきた。故に"婚姻"というものは"一族の為"と割り切って交わす契約だと"理解"はしている。
だが、いざその状況になると…
「…駄目だな。集中できない」
ワグナスは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。
──幼少期暮らしていた家は近くに海があった。
潮風の香りが心地よく、そして…
「ワグナス、少しいいか今度の……ワグナス」
執務室のドアを返事も聞かずに開けたノエルだが、そこに主はいなかった。
穏やかな風と波が砂浜を撫でる。カニがよちよちと歩き、海鳥が鳴く…
ワグナスは無意識に執務室の窓から出て、辺境の海辺まで来てしまっていた。
仕事を投げ出し外出など…そんな"勝手な行動"今まで一度もした事が無かった。
否…昔は──
「ワグナス」
ぼんやりと波間を眺めていたワグナスの背後からずっと聞きたかった声がかけられた。
「スービエ」
「お前カニが肩に登ってきているぞ。待て、髪に絡まってるのか取ってやる」
スービエはワグナスの髪に絡んだカニを取る為、顔を近付け、二人の額は触れ合った。
お互いに会話はない。無言のままだ。穏やかな時間が過ぎる。
「…よし、取れたな。今夜はカニ揚げだ。食べていくだろう」
「相変わらずな奴だ」
ワグナスは笑う。久々に会ったというのにそんな感覚も感じさせない気軽さ。そして唐突に会いに来た事情も聞かない。
「私はそんな君の事が、…気ままな所に焦がれていた」
窓を眺めるのが好きだった、わけじゃないと心の奥では分かっていた。
窓から遠慮なく入ってきて、狭い部屋に閉じ籠る自分を広い世界へと連れ出してくれるスービエを待つのが好きだったのだ。
「なんだ今日のお前は随分としおらしい。カニに絡まれてショックだったのか。ハハハッそういえば子供の頃、お前カニと喧嘩して負けて泣いていたな」
「そ…それはお前がカニを投げてきたから」
「俺も昔も今も変わらず好きだ、そんな……面白いワグナスがな」
スービエがワハハと高らかに笑う。それは青空のように晴れ晴れとしといて、
「眩しいな、私の空は」
ワグナスは改めて自分の想いを噛み締めた。
後日、ワグナスは全ての縁談を断った。
「カニに勝てない男ですので」
という理由で。
おしまい