気障 き‐ざ【気▽障】
[名・形動]《「きざわ(気障)り」の略》
1 服装や言動などが気どっていて嫌な感じをもたせること。また、そのさま。
2 気にかかること。心配なこと。また、そのさま。
3 不快な感じを起こさせること。また、そのさま。
引用元 デジタル大辞泉
「見せてください」
布団の中、右隣に転がる狂児に向かって聡実は訴えた。毛布をかき分け、狂児の腕を引っ張り上げる。右手首から前腕の真ん中あたりまで、まっすぐに伸びる傷跡。気付いたのは、ほんの一時間前だった。袖を捲ったときに偶然見えたのだ。もう何か月も前の話だと狂児は言う。少しも気が付かなかった。
「ちゃんと塞がってるし、心配せんでも」
「自分に腹が立つんです。何も知らんかった自分に。ええから、見せて」
袖をゆっくりと捲りあげる。完全には治っていないようで、他の皮膚よりも赤みが強い。けれど、狂児の言う通り綺麗に塞がっていた。
「跡、残りますよね」
「まぁ、最近治り遅いし、年やからしゃぁないわ」
「痛かったんちゃいますか?」
「覚えてへんなぁ……痛みより怒りが先に来るし」
「正気に戻ったら分かるやろ」
「こんなん日常茶飯事やからね、いちいち覚えてたら、神経やられてまうよ」
少し盛り上がっている傷跡を、指先で優しく撫でる。一体どうやってできたのだろうか。傷口を見たところで、聡実には想像もつかない。しかし、痛覚というのはどんな人間にも平等に与えられる。きっと痛かったはずだ。
「ずっと、そうなん?」
「こういう怪我? そりゃ、聡実くんよりはよっぽど」
「ちゃうくて、痛いの覚えてへんってほう。いつから?」
聡実が顔を上げると、狂児は思い出すように天井を見た。
「二十代?」
「若……」
「環境がちゃうからね」
「プリントで指先切っても痛いのに」
「それとこれとは、もっとちゃう」
視線を落とす聡実に、狂児はわざと明るい声で言う。
「ここはちゃんと綺麗やで」
袖を肘まで上げ、前腕の少し外側を見せた。そこに居座る名前は、初めて見たときと変わらず、忌々しい表情を見せている。しかし、その周りに浮かび上がる傷のどれもが、名前には届かぬ位置で途切れていた。
「一番大事やからね、ちゃんと守ってるんよ」
狂児は愛おしそうに名前を撫でる。聡実は眉間にしわを寄せた。
「いざというときは、捨ててください」
「何を?」
「その名前」
「なんで?」
「僕の名前のせいで、狂児さんが傷つくのはあかん」
「えー? 聡実くん、俺のこと心配してくれてるん?」
「それ守ろうとして、死んでもうたら意味ないやろ。狂児さんなら、やりかねん」
「命、差し出しそうに見える? 刺青一つに? アホやなぁ、俺」
狂児はくつくつと笑う。聡実の言葉は、確かに狂児への心配から出たものだ。けれど、それと同じくらいの嫉妬心も孕んでいた。いつでもそばでぬくもりを感じているくせに、狂児を助けてやることはない。ただ腕の上で傍観する、黒々としたインクの集まり。常にはそばにいられない「本物の聡実」のことを、嘲笑っている気がするのだ。
「もしまた怪我したら、教えてください」
「やめとくわ」
「何でですか?」
「そうやって不安そうに見つめられたら、治るもんも治らへん」
袖がさっと元に戻される。そうして右腕は中に浮き、聡実をやさしく引き寄せた。
「会ってるときくらい、気楽におって」
「……ならもっと、会いに来てください」
「お、珍しい。我儘ですか?」
「小さい傷にも気づけるくらい、狂児さんのこと見ときたいだけです」
「ほー? なかなか気障なこと言うやん」
狂児は笑ったが、聡実の表情は硬いままだ。命を脅かすような出来事は、常に狂児のそばを歩き回っている。頭ではわかっているはずなのに、こうして目の前に差し出されると、古傷が痛んだ。
「明日」
「ん」
「帰ったらラインしてください」
「覚えとくわ」
これ以上、傷つくのは嫌だ。開きかけた傷口を縫い合わせるように、聡実は目の前の体をしっかりと抱きしめた。