とある特異点にレイシフトした永×斎 斎藤一は黒いコートの裾が汚れることも構わず、黒灰色をした床へ片膝を着いた。
今まで足元から聞こえた寄せては返す波音が、もうすぐそこまで差し迫っていると錯覚するほど傍から聞こえてくる。そのことに落ち着かない心地にはさせられたが、壁や床が音を反響しているだけであることもわかっていたため、斎藤はわざわざ川の方を確かめはしなかった。
指ぬきグローブに包んだ手を床へ当てる。
剥き出しの指が、見た目よりも滑らかな手触りを感じ取る。布に覆われた掌も、水辺の岩らしい冷たい温度を探り当てていた。
「調子、悪いかな?」
背後から声が掛かる。
共にレイシフトしたマスターのものだった。
大きな声ではなかったが、マスターの声もまた、壁にぶつかり辺りに反響する。
「僕は元気いっぱいですよ、マスター」
斎藤はおどけた調子で返した。
その際、僅かに大きめの声を上げたのは、マスターの言葉を聞いて、やや離れた距離にいるお人好しが要らぬ気遣いを回しに来やしないかと考えたからだ。
寄ってくる足音などのないことを確認してから、片手は床に触れたまま、もう片方の手を床と同じく黒灰色をした壁に当てた。
両の掌に伝う同じ感触。
ただし、温もりは異なっていた。
「……川の近くにある石ほど、冷えてるものなのかな」
──多分そうなんじゃねぇの?
斎藤は自分の言葉に対して、胸の内でそう返していた。
本当のところはわからない。
わからないからこそ、冷たい水の近くにあるもの程、やはり冷えているのではないかと思う。
「どうだろう? そんな気はするけれど……」
マスターの返事も同じだ。
斎藤が自身へ向けた言葉と大差ない。
「あ、でも」
まだ膝を着いたままの斎藤の傍へと、マスターがしゃがみ込んだ。
「一ちゃん。この洞窟って、座った方が立ってるときより少し涼しくなるんだね。」
先程より、少しだけ小さな声。
斎藤もまた、同じように声量を落として応えた。
「曖昧な言い方をし過ぎたな、マスターちゃんに膝を折らせちゃった」
「ううん、そんなことないよ」
朗らかな笑顔だ。
さすが古今東西の英霊神霊が集うカルデアにおいて、九割の確率でパーフェクトコミュニケーションを叩き出す我らがマスター。
要領を得ない発言にだって、まず同じ目線で同じものを見ようとするそのフットワークの軽さ。いやらしさのない笑い方。
そして、なによりも──。
「一ちゃんがなにを気にしてるのか、知りたくなっただけだから」
世界よ、信じられるだろうか。
この若者には今、一切の下心がない。
「これがマスターちゃんのやり口かぁ……」
「一ちゃん、その言い方はなんか……」
「邪馬台国で僕と女王様をお持ち帰りしただけじゃ飽き足らず、次は山南先生と二代目女王様。五稜郭じゃ新八と蛍ちゃんに武田の将軍までゲットした手腕……」
「だから言い方がさぁ……!?」
気付かないうちに、二人の話し声は広く響いていたらしい。
どこからともなく、声が返ってくる。
声は二人分。
斎藤の声でなければ、マスターの声でもない。
「あんまりマスターを困らせるなよ!」
ひとつは男の声。
これは斎藤に向けられていた。
「私も好条件でスカウトを受けたんですが! それがマスターくんの手口ということでしょうか!?」
もうひとつは女の声。
これはマスターへのものだ。
「一ちゃんのせいで、他の人にも同じ条件でヘッドハンティングしてるのかって詰められちゃうよ」
「特別なポストを用意したって強調して鳴り物入りで迎え入れたならともかく、ちょっと良い条件で引き抜いただけなら別に良くない?」
「そうかな、そうかも」
さて、と斎藤は立ち上がった。
「しかし、まぁ──洞窟だねぇ」
見上げると目に入るのは、ぼやけた天井。
光源となる蒼白い光は、この空間を完全には照らしきれていない。
それでも目を凝らせば、薄暗闇の中に壁や床と同じ重たい色が見える。目測だが、天井との距離はそう遠くないようだ。
改めて周囲を見回してから、斎藤は視線を前へと戻した。
同じ景色は今しばらく続くらしい。
二人の隣を滔々と流れる川も、まだ先があるようだった。
──いや、滔々と……とは言わないか。
ちゃぷちゃぷと、子供が水遊びに興じるような軽い音がする。
実際に子供がいるわけではない。透き通った水がいたずらに川面を揺らしているだけだ。水深は意外と深く、子供が潜れば辛うじて足がつく程度だろうか。
そこで斎藤は歩みを弛めた。
壁から突き出た白い岩を見つけたのだ。
「マスターちゃん、またボコボコと岩が出てるから気をつけてね」
「はーい」
返事に緊張感はない。
それもそのはずだ。ここまでの道程にも黒灰色の壁や床を突き破るように、所々から白い岩が迫り出していた。いずれも歪ながら丸い曲線を描いているが、進行を妨げる岩を特に入念に削ったという痕跡はない。
斎藤の生きた時代は現代より緑豊かな時代であったが、斎藤自身がジェロニモやロビンフッドのように自然と共生していたわけではない。また、特別になにかを学んだ経験もない。
専門的な知見は一切持ち合わせぬまま、斎藤は口を開いた。
「門外漢の当てずっぽうだけどさ」
「うん」
「いわゆる自然由来の洞窟ってやつなのかな、ここは」
人が洞窟を作るのは何故か。
山中に道を通すためか、資源を掘り出すためだろうか。縦横無尽に岩の突き出た道は、人を通すにも物資を通すにも適しているとは思えない。それ以前に、このような川沿いに洞窟なんて作るものだろうか。仮にここに洞窟を作らねばならない理由があったとして、余程の理由がない限り川は埋められるのではないか?
「あ、でも……岩はともかく、川だけなら人が作って使わなくなった洞窟に水が漏れて来た可能性はあるのか」
水は罅割れた壁面から溢れていた。
レイシフト地点のすぐ側であったから、マスターを含めこの特異点にレイシフトした全員がそのことを確認している。
そのことを思い返した一瞬の間だった。
「おっとぉ……っ」
靴底越しに踏み締めていた硬い感触が一転した。
踏み出した一歩が、毛の長い絨毯のような厚みを捉える。それとほぼ同時、地面からじゅわじゅわと水が滲み出て革靴を濡らしたのだ。
「一ちゃん?」
「……あれまぁ。この辺は苔まで生えちゃって……マスターちゃん、ここの地面は滑りやすくなってるよ」
「わかった、ありがとう、」
片手を差し伸べれば、マスターは素直にその手を取った。
ただでさえ白岩により行く手を阻まれているのだから、これ以上の悪路は勘弁願いたいものだ。突き出た白岩の上にすら生えた水苔には苦労したが、繁茂している地帯が限られていたのは幸いだった。
「さっきの話だけど」
「ん?」
悪路を抜けたとき、マスターは額の汗を手で拭った。
息が整うまで、斎藤も足を止めて待つ。
「ここが自然由来の洞窟かどうかって話。同じく門外漢だけど、同じ意見」
「だよねぇ」
マスターがもう大丈夫だと言うので、二人はまた川沿いの道を進む。
「カルデアと通信ができたら、ダ・ヴィンチちゃんに聞けたのにね」
その辺、いつも通りといえばいつも通りであった。
レイシフト前に集められた管制室。奔走するダ・ヴィンチをリーダーとしたカルデアの職員たち。彼等が特異点の観測に四苦八苦しているのを見れば、通信途絶は予想できたことだ。
──まさか、出口の見つからない洞窟内にレイシフトさせられるとは予想外だったが……。
「息苦しくはないから、どこかしら外に通じる穴はあるんだろうけどねぇ」
そこで斎藤が足を止めた。
「言った直後で悪いが、マスターちゃん。残念ながら行き止まりだ」
斎藤とマスターは辺りをぐるりと確かめたが、これより先に道らしき道はない。それでは川はどうだろう? 罅割れた壁面から水が漏れ出ているならば、水の逃げる先もあるはずだ。そうでなければ、この洞窟はとっくに浸水している。
しかし、川へと目を向けて二人はどちらからともなく肩を落とした。
「元々はこの先にも道があったのかな」
川は壁に向かって真っ直ぐに伸びていた。
澄んだ水が壁にぶつかり、跳ね返っては白く波打っている。
「どうだろうね」
がっかりしているマスターには申し訳ないが、斎藤にはある程度の予想がついていた。
最初から気に入らなかったのだ。水は壁面の罅から滴るように溢れているだけだというのに、随分と立派な川が伸びている。それも川は一方向に進むばかりでなく、寄せては返す波の音がずっと聞こえていたのだから。
「自然にできた洞窟だってんなら、人間様の理屈なんて通らんだろうね」
斎藤は肩を竦めた。
マスターが言う通り、かつてあった道が埋まった可能性はある。
だが、洞窟には絶対に出入り口があるなんていうのは人工的に造られた場合に限る考えだ。自然にできた空洞ならば、人の出入りを考慮する必要がどこにあろう。
そういうことはわざわざ口にせず、斎藤はマスターと二人でしばらく黒灰色の壁を調べた。
「でも、ここが水没してないってことは水の通り道があるってことだよね!」
「それか水没しかけてる途中の洞窟にレイシフトしちゃったかもねー」
「一ちゃん、意地悪なことは言わないでよ!」
ころころと変わる表情に笑い声を上げながら、斎藤はまた川を見た。
水は壁にぶつかって跳ね返されているが、それでもめげず壁へ向かい続けている。となれば、水の通り道は確かにあるのだろう。だが、澄んだ水の中へと目を凝らしても、人が一人通れる程の穴は見られない。水の通り道は、蟻の巣ほども小さな穴である可能性が高かった。
そのうち、にわかに周囲が明るくなってくる。
光源となる蒼白い光が強さを増していた。
「XXちゃんたちも追い付いてきたみたいだ」
重厚な機械音を響かせ、現れたのは青と白の衣装に身を包んだ男女……といえば、揃いの格好をしていると誤解させるだろうか。
男は永倉新八。白いジャンパーとブルージーンズのラフな格好をした男で、生前は斎藤と同じ組織に身を置いていた同僚だ。
女は謎のヒロインXX。青と白のヘルメットと近未来的なスーツに身を包む少女は、今はいないもう一人の同僚が奇縁を持った謎のカラクリ騎士である。
ちなみに、斎藤たちが探索の頼りにした光源はヒロインXXが放つエーテルだ。光源が近付いてきたのだから、周囲が明るくなるのも当然のこと。
「ここに来るまでにあった横道は、私と永倉くんで隈なく見て回りましたよ!」
元気いっぱいの報告が今は喜べない。
こちらの状況を伝えるまでもなく察するものがあったのか、ヒロインXXの後ろに続く永倉は頭を掻いた。
「XXの嬢ちゃんが言った通りだ。俺たちはここまでにいくつかあった横穴を見て回ったが、どれも少し進んだら行き止まりだったぜ。で、そっちも……」
「ご覧の通り行き止まりです」
マスターは手の甲で壁を叩いた。
それが運良く壁に隠されたスイッチへ当たり、凄まじい音を立てて壁が左右に分かれ奥へと通じる道が──!? なんて都合の良い話はなく、コツコツと硬い音が鳴るだけだ。
「……ふむ」
ヒロインXXは親指と人差し指を顎に当て、静かに瞼を伏せた。
「XX?」
「わかりました、エーテル宇宙の剣技をお見せしましょう」
あまりにも唐突だった。
その一言で、洞窟内を照らす蒼白い光が輝度を増す。魔術とは程遠い近代の英霊であっても、強大な魔力が渦を巻くのがわかった。
「おい、なに考えてんだ!」
「蒼輝銀河すなわちコスモ」
「XXちゃん、僕たちと一旦お話しよう!?」
永倉と斎藤の言葉をどこまでも無視して、詠唱は止まらない。
大きく動揺しながらも二人が口を挟むことができたのは、平然とした表情で唐突に「じゃあ、斬りますか」と刀を構える女剣士を知っていたからだ。更に言うと、その女剣士こそヒロインXXと奇縁を持つ今は不在の同僚だった。彼女経由でヒロインXXが如何に破天荒であるかを聞く機会はあったが、実際に目の当たりにしてみると彼女等の突拍子のなさは同レベルならしい。
「エーテル宇宙、然るに──」
「マスター!」
呼びかけは斎藤と永倉、どちらのものだったろうか。あるいは、共に叫んだのかもしれない。
勢いについていけず、目も口も大きく開いたままの表情で固まっていたマスターは、弾かれたように声を上げた。
「XX、ストーップ!」
そのまま蒼白い光の中へと飛び込んでいくものだから、肝を冷やしたのは斎藤たちばかりではない。
「うわぁっ! マスターくん!?」
詠唱は中断される。
真名は開放されることなく、光は収束を始めた。
「宝具を展開中のサーヴァントに身一つで飛び込むなんて、君は命知らずが過ぎます!」
尤もな言い分だ。
斎藤は大きく頷いたが、永倉はいやいやと首を横に振る。
「急になにも言わず宝具を放としたおまえさんが言うかよ」
「? 言いましたよ」
「エーテル宇宙の剣技をお見せするってやつ? でもXXちゃん、それって槍だよね」
「斎藤、そこじゃねぇだろ! そうじゃなくて、なんだってそうしようとしたかを説明してくれねぇと」
ヒロインXXは苦い表情をした。
なにか言いたくない事情でもあるのだろうか。
「たしかにロンゴミニアドは槍ですが、私こそセイバー界切ってのセイバー。そして、いつかはセイバーばかり増やす神を……」
「すまねぇ、斎藤の質問は無視して俺の質問に答えてくれ」
「なーんだ、そっちですか!」
曇り顔は一転。梅雨晴れの空の如くからりとした笑顔へ。
察するに主武装を槍扱いされたことがセイバークラスとしての沽券に関わると感じたのだろう。
──でも、XXちゃんってフォーリナークラスだよね。
当たり前に沸き上がる疑問は空気を読んで胸の内に留め、斎藤はヒロインXXの回答を待った。
「……皆さん、気づいていましたか? 川辺なのに魚の一匹もいないことに」
「そりゃあ、あんな罅割れ程度の穴を通って洞窟に住み着く生き物なんて滅多にいねぇだろう」
「それにしたって小魚や稚魚の一匹もいないとは不自然ではありませんか?」
ヒロインXXの問い掛けは洞窟内を反響し、祝詞のように神秘的な響きで三人の耳を打つ。
邪馬台国の女王卑弥呼が、少女性をひた隠して己の役割に徹し、民に予言を与えるときのような凛として澄んだ声。
「魚以外でも川辺に棲息する生き物……淡水で生きる貝や蟹も、死骸すらない……」
最も有名な聖剣の使い手として名を残すアーサー王。その同一体である彼女は、元々そのような素質を持ち合わせていた。人々の頂点に立ち、大群を率いるカリスマ性。
──しかして、彼女はその素質を養いはしなかった。
「これじゃあ、私の今日の夕飯はどうなるんですかぁッ!?」
絶叫が洞窟内を反響する。
咄嗟に両耳を塞いだ永倉は事なきを得た。
反応は遅れたが、代わりに耳を塞がれたマスターも無事だった。
マスターの鼓膜を守る代わり、幾重にも反響する声の直撃を受けた斎藤は悶絶した。
「ァ……」
ぐらりと傾く身体を永倉が受け止める。
「アタマ、が……ガクッ」
「斎藤さん……っ」
「今、自分でガクッて声出してたしよぉ、割と余裕なんじゃねぇか?」
「サーヴァントの皆、最後の力を振り絞ってそれ言って倒れるパターンも多いから」
「……振り絞ってすることはもっと他にあるだろ」
実際のところはといえば、永倉の言う通り。脳が多少揺れた気はしたが、大したダメージはない。
「失礼、少し熱が入ってしまいましたね。とにかく、そういうわけですから私たちは一刻も早く、ここから脱出しなければいけません」
そのために宝具を解放しようとしたと話すヒロインXXは、ついでのように付け足した。
「ところで熱といえば、ここ水辺のくせに暑くありません? 水着になっていいですか?」
「ばっ、俺たちもいるんだぞっ!?」
歳頃の少女が無防備に柔肌を晒そうとしている。そのことに永倉が慌てて声を上げた。なにも、男連中もいる中で生着替えをしようとしているわけではなかろうに……永倉の肩にいまだ凭れかかったままで、斎藤は溜息をつく。
「はぁ……再臨段階を変えるだけでしょ、一々騒ぐなよ。それと、僕を支えてる間は中身がこぼれる寸前のコップを手に持ってるくらい丁寧に動いてほしい」
「こいつ、人に支えられておきながら……! というかよ、暑いっても、今の格好も水着と大差なく見えるんだが」
青と白のスーツは肌を完全に覆い隠してはいない。肩周りや胸元は、少女の柔らかな肌が剥き出しになっている。最も無防備に晒されているのは腹部周辺で、一応は戦闘用スーツだと思われるが、なぜ率先して急所を晒す造りをしているのかは気になるところだ。
「XX、最初に着ていた鎧は? メカっぽくて格好良かったよね!」
「えー。あんな窮屈なのが好きだなんて、君は変わってますね。……ま、まぁ、マスターくんがあちらの方が好みだと言うなら、たまには着てもいいですけ、ど」
「……XX」
「これは……参りましたね」
なるほど、これが青春か。
「あー、なんだ。こういうのを見せ付けられると反応に困っちまうな! 見てるこっちが火照ってきたぜ!」
永倉と同じようなリアクションを取るのは癪だが、斎藤も同意見だ。
熱を覚えてシャツのボタンを外そうと手を伸ばす。しかし、黒コートに身を包んだ今の状態ではボタンはすでに弛めてあった。仕方なく掌で扇いでなけなしの風を作ってみるが、見るに見かねたのかマスターが気まずそうな声を上げた。
「その、二人とも?」
「どうしたの、マスターちゃん」
「斎藤くんも永倉くんも、準備運動は済んでいますか? 深呼吸はバッチリですか? 平常心、平常心ですよ。じゃあ、どうぞ。振り返ってください」
永倉に凭れていた斎藤は姿勢を整え、永倉はいつでも抜刀できるよう刀の柄へと手を伸ばす。
さすがは共に新撰組隊長として活躍した者同士。一秒のずれもなく、二人は身を翻した。
「そりゃあ、こんなの見たら言葉も途切れるわけだぜ!」
「確かにこいつは参ったね! 道理で急に熱くなったと思ったんだよ!」
振り返った先、待ち受けたるは炎。
ただただ、炎としか形容できないものが、四人の背後に立ち塞がっていた。
いつの間にやら洞窟は赤く染まり、冷涼な水面すら今は溶岩と見間違いそうな有様だ。
「誰ですか!! ここに来るまでの間に、こんな派手なエネミーを見落としていたのは!?」
「そりゃ皆で探索してたんだから、僕だし新八だしXXちゃんだねぇ!?」
「それよりマスター! これはさすがに敵だよなぁ!」
如何に姿が人間と異なっていようとも、意思の疎通が可能ならば話し合いを第一とするマスターの意向に従い永倉は問う。
「ど、どうだろう!? こんにちは、カルデアから来た者なんですか!」
「──────」
敵は物言わぬ炎。
しかし斎藤は、不可思議なものを見た。
「?」
マスターが首を傾げたのだ。
無防備に顔を傾けて、片耳を炎に差し出す仕草を見せた。
「危ねっ!」
途端に吹き上がる炎。
それがマスターの耳を黒く焦がす前に、斎藤は炎とマスターの間に身を滑り込ませた。
「それは無防備が過ぎんでしょ!」
「ごめんっ!」
更に槍を構えたヒロインXXが炎へと突撃する。
「はろーはーわーゆー! あいむふぁいんせんきゅー! 返事がありませんから、言葉の通じない敵生体と判断して良いかと!」
「XXちゃん、その見た目で英語は流暢じゃないんだ」
「生まれも育ちもコスモなので! というわけで、コスモ流の小手調べです!」
これもまた近未来的な白槍を振り翳し、ヒロインXXは声高に叫んだ。
「行くぞ、ファイヤーマン! そりゃあ!」
──え、だっさ。
喉元まで迫り上がる率直な感想を必死で堪えようとして、
「ファイヤーマン……だと!? 呼ぶだけで気合いが入ってくる良い名前じゃねえか!」
「気が抜ける名前の間違いでしょ」
堪えきれなかった。
「さすが永倉くん。センスの合う同僚に恵まれて、私は幸せ者ですね、カルデアに就職して良かったです! 斎藤くんは後でじっくり話し合いましょう。大丈夫、もとより隙を見て亡き者にする算段でした。だって君、セイバーだし!」
「大丈夫な、要素が、ない……!!」
慟哭は反響する。
揺らめく炎が斎藤の声に反応する様子はない。
聴覚が備わっていないのか──あるいは、反応する余裕もないのか。
「すごい! XXがファイヤーマンを押してるよ」
「あ、マスターちゃん的にも呼び方はファイヤーマンで良いんだ」
「昔よく遊んだゲームを思い出す良い呼び名だと思うよ……その、最終的な決定はダ・ヴィンチちゃんにお願いしようと思うけど」
果たしてイタリアはフィレンツェの高名な芸術家が、ファイヤーマンなる名前をどう受け止めるか。すぐさま改名の措置を取る可能性の高いことが斎藤にとって幸いであった。
「俺は気に入ったぜ、ファイヤーマン。それで、ファイヤーマンは物理的な攻撃が通ると思っていいのか?」
ヒロインXXが槍を振ると、一度は赤く染まった洞窟が、また蒼白く塗り潰されていく。
槍で炎に斬り掛かるなんてふざけた話だが、ヒロインXXの槍がファイヤーマンを掠める度に、炎の揺らめきが弱まっているようだ。
「どうかな。ヒロインXXの装甲は、結構色んなサーヴァントが驚くようなものだから」
そんな一等品の割には、随分と容赦なくガツガツと壁や天井にぶつけまくっている。
「むぅ、狭くて武器が振りづらいですねっ!」
豪快に獲物を振り回していると見えたが、彼女も洞窟の狭さは考慮しているらしい。よくよく見遣れば、両方向に穂先のある長槍を始終二槍にして戦っていた。
それでもぶつかり削れる音が頻繁に聞こえてくるのだが、これもよく観察すれば傷つき欠けていくのは洞窟の方だ。白槍の鋒は掠れた後すら見受けられない。
リーチに劣る代わり、手数に優る二槍の攻撃を受けて、ファイヤーマンは随分と萎んでいた。
「これなら……マスターちゃん、抜けるよ」
「え」
斎藤は今が好機とばかりにマスターの身体を抱き上げる。
そのまま黒いコートでマスターを覆い隠して走り出した。
揺らぐ炎。その僅かに開いた隙間へと飛び込み身を潜らせる様は、さながらサーカスで見られる火の輪くぐり。
永倉もまた、斎藤に続いて炎を潜り抜けると、マスターを抱えた斎藤とファイヤーマンの間に壁となるように立ち塞がる。
「さて、XXの嬢ちゃんだけに任せるわけにも行かねぇが……」
炎といえばイフリータのような敵とは何度か戦ったが、これは炎が生き物を象っていた。
ところがこのファイヤーマン、目もなければ口もない。適当に名付けたのだから仕方がないことだが、マンとは付くが雌雄の判断もつかない。というか、性別がある風には見えない。
自然現象が僅かにも擬人化、擬獣化されぬまま敵として現れた。果たして刀で斬ってどうにかなる相手なのか。ヒロインXXは槍で十分に応戦できているが、マスターの言葉を参考にするなら、彼女の槍は斎藤たちの刀と同列に考えない方がいいだろう。
「もっと開けた場所に出たいところですが……マスター、やはり宝具を使いましょう! この邪魔な洞窟を木っ端にしてやりますよ!」
洞窟ではなくファイヤーマンの方をどうにかしてほしいのだが……呼ばれたマスターが斎藤のコートから顔を出す。
「天井を壊して脱出できるならいいんだけど……」
永倉が呟いた。
「崩落した天井に俺たちが潰されるだけじゃねぇか?」
「駄目でーす!」
マスターが両手の人差し指を重ねてバツ印を作る。
「そんなぁ……」
見るからに落ち込むヒロインXXだが、彼女には彼女の言い分があるらしい。
「川が通ってるってことは近くに水源があるかもしれないんですよ? 私の冴え渡る刑事の直感Aで水源の位置を当てて壁を壊す! そしたら流れ込んだ水でファイヤーマンなんて一網打尽!」
「嬢ちゃんなりに、敵の対処も考えちゃいたのか」
「でも、川の水って反対側の壁から流れてたよね?」
マスターの疑問に、斎藤が天井へと人差し指を向けた。
「……そうだねぇ、極端な例になるけど」
天井は突き出た白岩を除き、塗り潰したような黒灰色だ。
「もしもここが地下で、真上に湖が広がってるとしたら。湖の水は、土の柔らかい部分を伝って地下に流れてきてるってことになるから、それなら、どこを壊しても水は流れ込んでくるかもよ」
「それじゃあ、嬢ちゃんの指摘は点で的外れでもねえってか。どの道、壁を壊した後は押し入ってきた水に俺たちが巻き込まれるのは確実だが」
この密閉空間で、それだけはどんなに運が向いていても避けようがないだろう。
「駄目でーす!!」
今度のバツ印は腕を上げて大きく作られた。
一度目は見逃されたかもしれないが、二度目はさすがにイエローカード。あと一枚で強制退場というやつだ。さすがのヒロインXXも、これ以上は食い下がれまい。
「……これだけは……すごく、使いたかったのに」
いや、まだまだ余力の残る限りは食い下がるかもしれない。
「──だが、嬢ちゃんの言う通り、なにか大きな決定打は必要だ」
不意に緩んだ会話へ終止符が打たれた。
「嬢ちゃんが攻撃する度に勢いは衰えているが、弱ってるようには見えねぇ。それに、逃げる素振りもない」
永倉はその青い瞳で、赤い炎を見据える。
「そもそもこいつはなんだって急に現れた。姿を見せたのは嬢ちゃんが宝具を使おうとしてからすぐだ。となると、こいつは嬢ちゃんの魔力に反応して引き寄せられたんじゃねぇのか?」
永倉の言葉に三人は表情を変えた。
この敵がサーヴァントや幻想種と同様に、魔力により成り立つことは疑いようもない。そして、サーヴァントにも幻想種にも、他者から魔力を奪い糧とすることに秀でた者はいる。
もし、ヒロインXXが宝具を展開しようとした際に生じた魔力に引き寄せられたというのならば。もしかすると、この敵は……。
「攻撃は効いている。だけど、同時に私の攻撃を通して私からエーテルを吸収している。ふむ……来い、アーヴァロン!」
どこからか現れた甲冑をサーフボードのように乗りこなし、ヒロインXXがファイヤーマンから距離をとる。
「ここは撤退だ!」
マスターが指示と共に、禍々しいなにかを放った。
それは北欧の魔女が用いた呪い──ガンド。
カルデア技術部により、敵の行動を阻害する一点に絞って特化させたガンドは、攻撃性を持たない代わりにほとんどあらゆる対象の動きを止める。
「脱出口を探そう!」
洞窟の外に出れば、カルデアと通信が繋がる可能性はある。
そうすれば、ファイヤーマンの正体を探れるかもしれない。
マスターの提案に異論の声はなかった。
「ダブルチェックは社会人の常識ですね、承りました!」
洞窟の最奥にいたため、改めて洞窟内を確認するとなると、来た道を戻ることになる。そうすると立ち塞がるのが、行きにも苦労した繁茂する水苔だ。
「マスターくんは私が運びますよ。あ、でも永倉くんみたいに暴れないでくださいね。彼、私が気を利かせて運ぼうとしたらすごく暴れ出しまして」
「別行動中も女の子の肌ひとつで騒いでたのかよ、懲りねぇ奴」
「うっせぇぞ、斎藤!」
とはいえ、生き物の一匹も見当たらないというのに水苔だけが繁茂してるなんて変わった洞窟だ。
そのようにヒロインXXの言葉を思い返したところで、斎藤はひとつ引っ掛かりを覚えた。
「でも、ここ以外には植物だって生えてなかったんだよな」
何度だって言うが、斎藤はジェロニモやロビンフッドのように自然というものへの知見を持ち合わせてはいない。
それでも、いや。それだからこそ、小さな違和感を取り逃さぬように頭を動かし、初歩中の初歩へと立ち返る。
すなわち、植物の生育に必要なのは水と太陽。
水は言わずもがな、斎藤たちの隣を絶えず流れゆく川。
そして、太陽は。
「上だ」
洞窟内は隈なく探索した。そうと思っていた。しかし、水苔による足場の悪さ故に、ここだけは上へ目がいっていなかったのだ。
斎藤の声に、三人もまた視線を上へと向けた。
「上、天井がない……?」
目を凝らすと、そこだけは岩ではない。
真夜中にレイシフトしていたということを、誰もがその時に初めて気付いた。
なにやら遮るように覆い被さる影が見えるが、その向こうには微かに星々の輝く空が見える。
「これは見逃せないヒロインチャンス! マスターくんの身柄は私に任せてください!」
「待って、斎藤さんと永倉さんがっ──……」
ジェット機の音が響き、そして瞬く間に遠のいていく。
斎藤と永倉は、しばし無言で目を合わせた。
穴の地点まではサーヴァントの身体能力を以ってしても単純な跳躍ではあと少しが届かなさそうだ。
「まずは僕がおまえを踏み台に脱出するから、おまえは自力で上がって来い。はい、完璧な作戦」
「ふざけんな!」
そんな気の抜けたやり取りは、長くは続かなかった。
襲い来る強大な敵意。
マスターのガンドが解けたことは、瞬時に理解できた。
「斎藤!」
意思の疎通はそれだけで十分。
永倉は斎藤に飛び乗り、そのまま高く跳躍した。
穴の縁に身体全体を使ってしがみつきながら斎藤を強く呼ぶ。
「飛べ!」
「応!」
足元に魔力を溜めて、斎藤も跳び上がる。
踏み台がないだけに高度は永倉に劣るが、代わりに垂らされたロープ代わりに永倉へとしがみついた。
「一応言うけど、落とさないでね」
「今言うのかよ」
跳ぶ前に言えと言われたら、まぁ、その通りだ。
意外にも、ここから二人が地上に上がるのは容易かった。というのも一足先に上で待っていたヒロインXXが「ダイナミーーック!」と謎の掛け声を上げて手伝ってくれたためだ。
「二人とも、大丈夫?」
汗みずくになって肩を激しく上下させる男二人をマスターが気まずそうに眺めやった。
「こ、こんぐれぇ……なんてことねぇよなぁ? 斎藤」
「だいじょう、ぶ……」
冷えた空気とそよぐ風が汗に濡れた肌を冷ます。
状況のせいだろうか。どうしても、その風を心地良いものと享受する気が起きなかった。
肩を激しく上下させながら、斎藤は辺りを見渡した。
まず目に入ったのは、穴のすぐ側に聳え立つ黒い塊。
洞窟から見上げたときに穴に覆い被さるように見えた影の正体は、幹の一部が黒く変色した巨木だった。
さらに周囲を見遣れば、夜中ゆえ鮮明には見えないが、同じように枝を大きく広げた木々。そして、その合間に歪な形をした黒い塊が確認できた。
「ファイヤーマンもこれくらいで諦めてくれたらいいのですが…………あぁ、駄目ですね」
燃え盛る炎の音はヒロインXX以外の耳にも届いていた。
マスターにより放たれたガンドの威力が残っているのか、スピードはやや緩慢であったが音は確実に地上へと昇って来ようとしている。
「マスター、カルデアとの通信は」
「まだ駄目みたい」
となれば、今は引き続き逃げるしかない。
「私が殿を引き受けます。お礼は結構、先程置いてけぼりにしたお詫びですので」
「あー……まぁ、うん」
なんだか有難みの薄れる話だ。
「お、おぉ……頼むぜ……」
女子供に弱い永倉も、これには苦い顔を浮かべて煮え切らない返事をするに留めた。
マスターを抱えた永倉を先頭に、四人は障害物となる黒い塊の少なく見える方向へ向かって走り出した。それでも塊は完全にないわけではなく、道すがら、それらを眺めるうちに斎藤は黒い塊の正体を理解した。
「火事の跡地みたいだ」
声はマスターのものだった。
斎藤としては、一歩踏み込んで建物が燃えた跡と断定してしまって良いと思えた。
あまりに木々が茂っているため、人里であったかまでは定かでない。しかし、人の手が入った場所ではあったはずだ。
至るところに燃え滓であろう黒い塊が多く転がっていることを除けば、自然にできたと思われる地下の洞窟と異なり、ここは非常に走りやすい。洞窟では無造作に突き出た白岩に苦労させられたが、地上は邪魔な岩が取り除かれているようだった。
しかし、散らばる燃え滓や周囲の景色を見ると、斎藤の胸はざわついた。
無造作に立ち並ぶ木々。
その幹は太く、枝は伸び放題で、茂る葉が空を塞いでいた。
たとえ朝であっても、この道は薄暗いだろうとすぐに想像がついた。なんとも陰気な道だ。だが、その陰気さが胸を騒がせているわけではない。
「ここら一帯がファイヤーマンの縄張りだったってことか。そうなると、俺たちがレイシフトした時点では地上にいて」
「XXが宝具を使おうとした魔力を感知して洞窟に降りてきた、と」
永倉とマスターの会話にも入る気になれず辺りを見ていた斎藤だが、ヒロインXXが見せた行動により、景色への思考を打ち切った。
「……ふっ」
ヒロインXXは吐息ほどの小さな微笑を落とした。
かと思えば、彼女は頻りに物知り顔で頷く。
この辺りは、なにかと胡乱な行動の多いヒロインXXゆえ大きく気にすることではないだろう。
ところが、彼女はさらに白槍を構えていた。
「ごめんなさい、凄く反省しています! なので皆さんは私のおかげで事態が動いて助かったとフォローお願いします!」
熱波を感じたのはその直後であった。
謝罪と同時にフォローを要求しながら、マスターが言うところの色んなサーヴァントが驚くような槍が迫り来る猛火を薙ぎ払う。
「ガンドの効果、完全に切れましたね」
洞窟から昇り来る際の緩慢さが嘘のように、ファイヤーマンは四人のすぐ後ろへと迫っていた。
「洞窟で見たときより大きくなってない!?」
驚愕の声に促されるまま、永倉と斎藤も視線だけを後ろに向ける。
「うっわ、本当だ」
少なくとも二回り以上。
仮にヒロインXXの槍で弱った分が、この短時間で回復したのだとしても十分に脅威だった。
だが、ファイヤーマンは初めて遭遇したときよりも一層巨大化している。
そこで真っ先に思いついたのは、洞窟内で窮屈そうに槍を振っていたヒロインXXだ。不定形のファイヤーマンも洞窟内では戦い難い理由があったのだろうか。
この辺りもダ・ヴィンチがいなければ明確な答えは出せそうになかった。
気になる点といえば他にもあって、これもやはりつぶさに観察できる余裕はないが、巨大化したことで炎の形の奇妙なことに気づいた。ただの炎の塊と見えていたファイヤーマンは、特定の形をした炎がいくつも重なってひとつの巨大な炎を形成している。
一帯の景色とファイヤーマンの形状と、気になることはいくつもあった。
散漫とした意識を呼び戻したのは、永倉の声だ。
「斎藤、マスターを頼む!」
「!」
斎藤の返事も待たずにマスターの身体を斎藤に預けると、永倉は鞘から刀を抜いた。
斬りかかる先は後方の敵……ではなく、前方の障害物。
ファイヤーマンに意識を向けていた斎藤は気づくのが遅れたが、行く手を遮るように、これもまた焦げ付いた黒い固まりが横たわっていた。元は何だったのかわからないほど入念に燃やし尽くされた塊に、永倉が刀を振る。
サーヴァントになってからは、どういうわけか刀から火を噴くようになった永倉は、その特性を利用した大きな爆発による衝撃で障害物を吹き飛ばした。
爆発音も然ることながら、数秒遅れて響く重いなにかが落ちる音。
「なんだ。熱で熔けた鉄かと思ったが、ありゃ岩だな」
それすらも、おかしな話だ。
だが、悠長に考えに耽ける時間は与えられていない。
事態は刻一刻と変わる。
「永倉くん、避けて!」
ヒロインXXの鋭い声が飛んだ。
炎がヒロインXXも捌き切れぬ無数の火球を永倉へと飛ばす。
「うぉっ、と!」
永倉はなんとか身体を捻って避けた。
だが、避けた先の足元が赤く光ったと思うと、そこから火柱が立ち上がる。それもまたギリギリで避けた永倉は、端の焦げたスカジャンに顔色を変えた。
「こいつ!」
急に動きが変わったのは誰が見ても明らかだった。
ただこちらを執拗に追い掛けていただけだったファイヤーマンは今、永倉一人をターゲットに定めたのだ。
「なんだってんだ!?」
ヒロインXXもまた、震える声で同じようなことを口にした。
「なんですか、それ……」
次に上がる声は叫声というより怒声。
「私は会社員ですよ、堅実な社会人! そんな私より永倉くんの方が良いと!?」
怒りを込めて飛ばされる蒼白い光球が、火球を相殺する。
「でも永倉さんたちって、今で言う公務員ってやつじゃないの?」
ヒロインXXの主張に誘発されて、うっかり零れてしまったと思われるマスターの素朴な問い。
聞かなかった振りをすれば良いものを、マスターからの質問であったし、なにより新撰組の話であったから、斎藤もつい答えてしまった。
「いやぁ、僕は国に仕えてるっていうより、副長たちについて行ってる認識だったから……」
心持ちとしては役所の下請けの民間企業、あるいは補助金を貰ってる民間の自治体辺りか。
──沖田ちゃんだって僕と同じ認識だったと思うがね。とはいえ、副長たちからはもっと違うものが見えていたのかも。
ぼんやりした思考で出した答えが男の逆鱗に触れた。
「馬鹿言え! 俺たちは家臣じゃねぇぞ!」
「やべぇ、地雷踏んだ」
体制を立て直した永倉が、じろりと斎藤を見やる。
その目に怯えるほど繊細な神経は持ち合わせていないが、後できちんと機嫌を取っておいた方がいいだろう。
だが、呑気な考えはそこまでだった。
永倉が青年の姿をしていることで、斎藤はすっかり油断していたのだ。
元々は老爺の霊基で召喚に応じた永倉は、自身も悩み多き身でありながら若者の世話を焼こうとする。端的に言って、若者に甘い。
その甘さが再臨を経て、若かりし日の姿となっても中々抜け切らないでいることは、斎藤だってわかっていたというのに……。
同行者は若者ばかり。そこに対処の仕様がわからない敵がいて、それが己に狙いを定めている。
ならば、彼の次の行動は決まった。
「この永倉新八を選ぶとは、見る目があるじゃねぇか」
永倉は厳しい目付きをそのまま敵へと向ける。
不利な状況であるというのに、浮かぶ笑顔の凄絶なこと。
稲妻を思わせる傷跡は、今となっては龍の顎を描いたようにすら見えた。
「訳のわからねぇ炎相手にもしっかり叩き込んでやる、新撰組二番隊ってやつをなぁ!」
「新八、今は戦うときじゃ……」
斎藤の言葉を遮り、永倉が声をかけたのはヒロインXXだった。
「殿は交代だ、俺が引き受ける」
言葉と共に永倉は強く踏み込んだ。ブーツの爪先を飾る尖ったリベットが土を抉り、永倉が身体を宙に踊らせる。
地面に残された歪な跡は、さながら龍の爪痕。
「このまま追い掛けっこを続けていても埒があかねぇ」
赤い灼熱を反射して、白刃は輝く。
「──────!」
炎に向かって惑いなく垂直に落とされる刃。
美しい太刀筋を覆い隠すように生じる爆炎。
果たしてそれらはファイヤーマンに届いているのか。
然れど見ている側、ヒロインXXはしかと受け止めた。
斬り合っても引き摺って連れて行くべきか──そんな斎藤の逡巡より早く、ファイヤーマンと共に闇夜を照らしてきた蒼白い光が、その輝度を上げた。
気付いたときには遅く、襟首を強い力で引っ張られる。
「アンタ──っ!?」
ヒロインXXは斎藤を捕らえ、反対の腕にマスターを抱え込んでいた。
「マスターくんと斎藤くんを連れて離脱します。それでいいですね?」
「その利かん坊より話が早くて助かるぜ」
「まだなんも言ってねぇけど!?」
「目は口ほどに物を言うってなぁ、視線が不満たらたらだったんだよ!」
なにか言おうと口を開き、しかし観念したように斎藤は静かな声で言った。
「あんなの相手にくたばってみろ、殺してやるからな」
「へっ、熱烈じゃねぇか!」
二人の会話はこれでお終い。
それきり、斎藤は口を閉じた。
本来ならば永倉との話し合いが終わっても、次にヒロインXXの細腕でマスターだけでなく斎藤まで連れて逃げることか可能なのかと聞くべきだろう。だが、それこそヒロインXXが同行者と伝えられた時点で、彼女に関する閲覧の許された基礎的な情報だけは頭に入れていた。
データ化されたヒロインXXの筋力は、斎藤と同等のBランク。
この筋力が曲者で、名前と異なり単純な筋肉量を指す言葉ではない。それでも彼女はその華奢な身体で、斎藤と同等の攻撃性能を発揮できる。
発揮するための方法を持っているはずなのだ。
斎藤は彼女の様子から、マスターと自分を連れて戦線離脱する方法を有していると信じた。
「ふたりを頼んだぜ、XX」
「お任せを」
ジェット機は、今までの中で一際眩く輝いた。
斎藤が知る由もないこと。
アーサー王の魔術回路は、回路と呼べる代物ですらない。彼女が身の内に持つのは、動力源さえ枯渇せぬ限り動き続ける魔力の生成工場。それがあってこそ、彼女はその巨躯に相応しき剛腕を発揮するギリシャの大英雄とすら正面から打ち合える。
アーサー王と同等の性能を有するヒロインXXは、今はその膨大な魔力を撤退のために使った。
「永倉さん、また……!」
マスターの言葉が最後。
永倉を執拗に追跡する炎も、その魔力量に魅せられたかヒロインXXが飛び立つことを妨害しようとする動きを見せたが、永倉はそれを許さない。
かくして、辺り一帯の音を掻き消す爆発音にも近い轟音を響かせて、謎のヒロインXXは地上を離れた。
斎藤は瞬く間に、火球と火柱に追われながら刀を振る永倉の姿を見失ったのだった。
***
斎藤さん
ファイヤーマンって名前はダサいと思う。
永倉さん
ファイヤーマンはイカした名前だと思う。
ヒロインXX
ファイヤーマンの命名に自信がある。
マスター
ロッ〇マンにそういう名前のキャラがいた気がする。
黒灰色の床と壁
泥岩くん。柔らかい。
白岩
砂岩ちゃん。硬い。
お邪魔キャラ扱いされた苔
水苔ちゃん。水をいっぱい蓄える。