あなただけの、アドベントカレンダー「兄ちゃん、荷物が届いてたよ」
父と共にパンの配達から帰ってきた炭治郎に、弟の竹雄が気だるそうに声を掛けてきた。竹雄は昼前だというのに今だにパジャマ姿で、なかなかに休日を楽しんでいる様子だ。
「竹雄、いくらなんでもだらだらし過ぎじゃないか」
「いいんだよ、兄ちゃんだって少し前まで学生だったんだから、この日曜日がいかに貴重かわかるだろ」
「それでも兄ちゃんは毎朝きちんと早起きをしていたぞ」
「はいはい、それより玄関から荷物持って行っておいてくれよ、デカくて邪魔なんだよね」
「人の荷物に邪魔も何も、ないだろ」
とか何とか言い合いをしつつも、炭治郎は弟に甘い。お小言はそこそこに、今日の最重要事項であるお昼ご飯のリクエストをきちんと聞いてから、玄関へと荷物を取りに行った。
腰を悪くした母親に代わって、炭治郎がほとんどの家事をこなしている。もちろん、父が経営するパン屋の仕事も請け負っているから、日々は目まぐるしい。つい数カ月前まで学生だったことすら、うっかり忘れてしまうほどだ。
薄暗い玄関にぽつねんと置かれたダンボールに手を伸ばし、炭治郎はハッと息を呑んだ。
「煉獄先生からだ……」
丁寧な筆跡で書かれた差出人の名前に目を白黒させながら、炭治郎は一人だけの部屋にそのダンボールを迎え入れた。
そこそこに重量のある荷物だ。ポケットに捩じ込んでいたスマートフォンに目を通したが、差出人からのメッセージはひとつもない。
「こういう時に連絡を送らない人では、ないはずだけど……」
ブツブツ独り言を零しながら、訝しむよりも鼓動は弾みをみせる。だって、あの煉獄先生からの荷物だ。いそいそとガムテープを剥がし、蓋を開ける。
みっしりと詰められた緩衝材を除けると、そこには洋風の家を模した四角いミニチュアが入っていた。
赤い屋根と、レンガ調の壁の家。壁には均等に小さな引き出しがいくつも並んでおり、そのひとつひとつに数字が描かれている。
ダンボールには、白い上品な封筒も入っていた。
「『竈門少年、せっかく君から連絡先を教えてもらっていたのに、なかなか連絡できなくてすまない』」
と、文面を少しだけ読み上げてから、何だか勿体無いような気がして、彼からの言葉を宝物のように大切に、胸の中に仕舞い込んだ。
竈門少年、せっかく君から連絡先を教えてもらっていたのに、なかなか連絡ができなくてすまない。忙しさを理由にして、自分の気持ちに正直になることが怖かったんだ。寂しい思いばかりさせてすまない。
これから年末にかけて、こちらも、君の仕事も忙しくなっていくだろう。
電話の一本でもできたらと、いつも思うよ。
勇気を出せない自分が、とても恥ずかしい。
さて、こんな大きな荷物を受け取ってびっくりしているだろう君に、言い訳ばかり連ねていても仕方がないだろう。
君に、アドベントカレンダーを贈る。
クリスマスまで、一日一つだけ引き出しを開けて楽しんで欲しい。
一足早い、メリークリスマスを君へ。
煉獄杏寿郎
日付指定で送られた荷物は、きっかり十二月一日に届いていた。
ダンボールと緩衝材を片付け、宛名が書かれた紙は丁寧に剥いで机の引き出しに入れた。
そして家型のアドベントカレンダーを、机上に置こうとして、炭治郎は眉を顰めた。学生時代は教科書やノートでいっぱいだったそこは、気がつけばうっすらと埃がつもっていた。軽くティッシュで埃を拭き取ってから、そっと木製の箱を置く。
小さなクリスマスが、そこにやって来たようで、明るい気持ちがふんわりと降ってきた。聞き慣れたクリスマスソングが聴こえてくるようだ。
こんなかわいい仕掛けを寄越してくる人だなんて、知らなかった。
学校で見ていた元気溌剌な煉獄先生とは違う、静かに目を伏せ、そっと微笑む人の美しさを瞼の裏に思い浮かべる。「竈門少年」と、形の良い唇が自分の名を呼んだ日のことが鮮明に思い浮かんでは、ふわりと消え去って行く。
長らく彼と会っていないどころか、連絡さえ取れていないせいだろう。
面差しは幻のようだ。
そっと息を吐いて、アドベントカレンダーに向き合う。
クリスマスカラーに染められた引き出しの、『1』と書かれた小さな小さなツマミを指で引いてみた。引き出しには薄桃色のキャンディーがひとつと、小さく折り畳まれた紙が入っていた。ちょうどマッチ箱を半分に折ったくらいの、小さな小さな紙。
『君のまっすぐな気持ちが好き』
たったそれだけのメッセージなのに、熱烈なラブレターでも受け取ったみたいに、炭治郎は真っ赤な顔でへなへなとその場に座り込んでしまった。
十二月は忙しなく時間が過ぎていくようで、炭治郎も漏れなくクリスマスまでの日々を駆け抜けていった。
去年までの学生気分はすっかり消えて、家事に仕事にと、奔走した。寒さのせいもあって、母親の腰は思うように治らない。申し訳なさそうに椅子に腰掛ける彼女の傍らで、炭治郎は家族みんなの食事を作り、掃除に洗濯にと精を出した。下の弟や妹たちにお弁当を作ることだって忘れない。一番下の弟の宿題の面倒だって朝飯前だ。
いずれ父の店を継ぐため、パン職人としての修行も欠かさない。父の持つ技術全てを吸収しようと、父のそばで身を持って勉強していく。
パン生地を思うように捏ねられないような、そんな情けなさを何度も何度も味わったけれど。
そんな日々でも炭治郎を鼓舞してくれたのは、毎朝ドキドキしながら開くアドベントカレンダーの引き出しだった。
中にはチョコや、マシュマロといった何でもないお菓子が入っている。
子供だったらそれだけで大喜びだ。
けれど炭治郎は社会人だ。そんなお菓子で一喜一憂するお年頃は過ぎている。炭治郎の頬を紅潮させるのは、お菓子と一緒に詰められた、手書きのメッセージに他ならない。
『瞳の色が好き』
その言葉に、思わずまじまじと鏡を見つめてしまったし、
『声が好き』
という言葉には、相手の都合も考えずに電話をかけてしまいそうになった程だ。
けれど、気軽に電話していいものなのか、電子的なメッセージを送っていいのか、炭治郎にはわからなかった。
そもそも、まず何と言葉をかけたらいいのか。その糸口すら見い出せないのだ。
煉獄先生に告白をしたのは、今年の卒業式のことだ。
真っ赤な顔で「煉獄先生が好きです」と宣った馬鹿者に、彼は実に嬉しそうな顔で「ありがとう」と受け取ってくれたのだ。頬を赤らめて俯く彼は、誰よりも一番素敵な人に他ならなかった。
返事の代わりに連絡先を貰い、いつだって連絡してきてくれて構わないと言ってくれたのに、炭治郎が送れたメッセージは「こんにちは」と「桜がきれいですね」くらいで、その後はどんなに気持ちが昂ぶっても文章にならないまま、ずるずると時が過ぎて、冬になってしまった。
実は、春頃に「花見でもしようか」という彼からのメッセージがやって来ていた。けれど、炭治郎の心は飛び跳ねて飛び跳ねて、跳躍し過ぎたのだろう、高熱を出して倒れてしまった。
それから一度も連絡を交わすことが出来なかったのだ。
約束を守れなくてごめんなさい、そんな一言すら言い出せない自分が不甲斐なくてたまらなかった。
いつだって、どんな時だって、この文明の利器さえあれば言葉を送れるというのに。臆病風に吹かれてしまった炭治郎は、夏が来ても、秋が来ても、些細な挨拶すらためらってきた。
それなのに、煉獄先生がアドベントカレンダーに詰めたメッセージは、そんな時の流れを知らないみたいに、流暢に炭治郎のことが好きだと訴え続けてくる。
『実はちょっと怖がりなところも好き』
『君の作るパンが好き』
社会科準備室にお手製のパンを持ち込んで、無理矢理に煉獄先生に食べさせたことすらも、彼にとっては嬉しい思い出となっているのだろうか。
そうだといい。
そうであるのなら、なんて嬉しい言葉だろう。
日を追うごとに、引き出しのツマミに指をかける瞬間の心の弾みは、顕著なものになっていった。
『爪の色が好き』
『髪の色が好き』
『君の匂いが好き』
『ご飯を食べる君が好き』
『背伸びする君も愛おしい』
『優しい君が好き』
『君はどんな風にキスをするのだろうか』
恋を知らない子供みたいに、キスの二文字から目が離せない。あなたが好きですと、たったそれだけしか伝えていない愚か者には、勿体無いくらいの愛のメッセージだ。
『どうしてだろうな、君に会いたくなってくる』
長らく文字を打たなかった指先が、その返事を打とうとして何度も何度も画面をタップする。けれど、あと一歩のところで、全ての文面を消してしまうから、彼にはひとつだってメッセージを送ることができない。
こんなに長らく会っていないのに、どうして煉獄先生は真っ直ぐな気持ちを自分に贈ってくれるのだろうか。
ただ一言好きだとしか言えていないのに、それ以上の言葉をこんな形で返されて、どうしたらいいというのだろうか。
日々は巡り、彼の言葉が雪のように降り積もっていく。
『一生懸命な君が好き』
『正直者な君が好き』
『一度決めたことを、きちんと守って道を進む君が好き』
『寝顔が好き』
『怒った顔も好き』
『泣いている顔は悲しいけれど、誰かのために涙を流せる君が好き』
『君と一緒に住めたらいいなと思っている』
美しい筆跡に、何度口づけただろうか。
紙の繊維ひとつひとつの奥に、煉獄先生の匂いを見出そうとして、深く吐息を零す。クリスマスへと近づく度に、一層深まる冬の気配が、焦燥感を駆り立てる。
彼に、どのような返事を送ったらいいというのだろう。
『年老いた俺でも、君は愛してくれるだろうか』
あまりにも熱いこのメッセージに相応しい言葉とは、何だろうか。
『君を生涯愛し続けると誓うよ』
何を返せば、この熱量に応えられるだろうか。
『君とふたり生きていきたい』
ありきたりな言葉で返せるような気がしない。煉獄先生から贈られた言葉の数々を、自分はどんな顔をして返せばいいというのだろう。
机上に鎮座したアドベントカレンダーも、もうすっかり部屋の景色のひとつと化した。日々クリスマスカラーに染められていく街に感化されたみたいにして、炭治郎の部屋も緑と赤の小物で彩られていく。物置から引っ張り出してきたツリーには、兄弟たちで目一杯に飾り付けをした。
禰豆子や花子は、突然の兄の奇行に何かを勘付いているようだったけれど、二人は微笑むばかりだった。恋心に詳しそうな彼女らから名案を得られたら、などと思うけれど、何だか気恥ずかしくて、聞くこともできなかった。
そうして、いつの間にかカレンダーは進み、いよいよクリスマスが迫ってきた。
煉獄先生、煉獄先生。
ひやりとした布団に入りながら、愛おしい人の顔を思い浮かべる。
好きになったきっかけは何だっただろう。
テストの点を褒められた時だろうか、社会科係としての働きぶりを褒められたからだろうか。
どれも違って、どれも当たっている。
社会科準備室のデスクに腰掛けて、静かにパソコンに向かっていたあの人の横顔。金糸の髪が、黄金色の夕陽の中に溶け込むように煌めいて、眩しくて。ふとした時にこちらに気が付いて、照れたようにはにかむ顔が、愛おしいと思ったのだ。
教室では、太陽のように熱く輝く人が、自分の前でだけ一番星のように静かに瞬く姿に、胸を掴まれたのだ。暗闇を照らし、導くような美しさに、惚れたのだ。
好きですと、子供でしかない男の、たった一言の言葉だけで、彼は自分と交際することを決めたのだろうか。
琥珀色の双眸の中に映した炭治郎のことを、炭治郎自身が想うよりもずっと前から、想ってくれていたのではないか。
思い上がりだろうか。
煉獄先生、煉獄先生。
答えが、聞きたい。
残された引き出しは、あとひとつだけ。
芯まで凍えるような寒さに震えながら起きてきて、ひんやりとした自室に向かっていく自分の心は、今まで以上に落ち着いていた。
当然のように、ひとつもメッセージを送れていないスマートフォンは、机上に置きっぱなしだ。昨晩までは、そこに気の利いた言葉を打ち込もうと躍起になっていたけれど、今はもう、やるべきことは決まっていた。
何だかとても、清々しい気持ちでいっぱいだった。
彼が繰り返し繰り返し、この胸に吹き込んでくれた愛情があるから、寒さに震えることもない。
冷たい水で顔を洗って、身支度を整えてから、最後の引き出しに指をかけた。そこから転がり出てきたメッセージに、どうして今日、応えないわけがあるだろうか──。
「父さん、ちょっと出かけてくる」
開店の支度に勤しむ父は、眩しそうに目を細めてくれた。きっと、炭治郎の決意をこめた顔に、気が付いてくれたのだろう。
「行ってらっしゃい」
父の言葉に頷いて押し開けた扉の向こうは、ほんのりと白く色付いていた。夜明け前の、仄暗い道々に向かって足を踏出していく。
雪国でもないから、単に凍りついただけの路面に何度か転んでしまいながら、炭治郎は目指すべき場所へと走っていった。冷たい空気に耳が千切れそうになっても、肺が破れそうなほど全速力で道を駆け抜けても。
それでも、伝えたい言葉があったから。
指先一本で送れてしまう言葉じゃなくて、声にのせて彼に届けたいから。
「煉獄さん!」
一度しかメモ出来なかった彼の住む家の前で、今が何時かなんて気にもとめずに声を張り上げた。
「俺も、俺も煉獄さんのことを愛しています!」
臆面もなく飛び出た言葉に、近所の人たちが窓から怪訝な顔を次々に出してくる。お騒がせしてすみませんと頭を下げつつ、炭治郎はもう一度声を上げた。
「煉獄さん! 俺と、結婚して下さい!」
そうして、家の奥から転がり出てきた、今だパジャマ姿の愛おしい人を、炭治郎はようやくその腕に抱きとめた。
ちょうど頭ひとつぶん小さい炭治郎の身体では、ひっつき虫のように彼に抱きつく様な格好になってしまう。けれど、煉獄先生は頭の回転の早い人だから、はにかみながら、そんな炭治郎を抱き締め返してくれた。
たくさんの言葉が浮かんでは消えて、浮かんでは消えて。
降り積もっていく雪のように、おり重なっていく愛の形を、自分は漸く気付けたのかもしれない。
クリスマスの日の、最後を飾るメッセージは『君を愛している』。
冬を纏った空気と一緒に、不格好なキスをひとつ。
触れ合うだけで、この世界は春へと綻ぶ気がした。
お互いに言葉を紡ぐ。
あなただけにと、迷いながら、彷徨いながらも、それでも、あなただけにと。連なっていく言葉たちは、小さな引き出しに詰め込むだけではきっと、足りなくなるのだろう。
煉獄の胸に耳を当てながら、炭治郎は深く、深く息を吸い込んだ。一番に伝えたかった言葉を、唇にのせて空気を震わせた、聖なる日。
1. 君のまっすぐな気持ちが好き
2. 瞳の色が好き
3. 声が好き
4. 実はちょっと怖がりなところも好き
5. 君の作るパンが好き
6. 爪の色が好き
7. 髪の色が好き
8. 君の匂いが好き
9. ご飯を食べる君が好き
10. 背伸びする君も愛おしい
11. 優しい君が好き
12. 君はどんな風にキスをするのだろうか
13. どうしてだろうな、君に会いたくなってくる
14. 一生懸命な君が好き
15. 正直者な君が好き
16. 一度決めたことを、きちんと守って道を進む君が好き
17. 寝顔が好き
18. 怒った顔も好き
19. 泣いている顔は悲しいけれど、誰かのために涙を流せる君が好き
20. 君と一緒に住めたらいいなと思っている
21. 年老いた俺でも、君は愛してくれるだろうか
22. 君を生涯愛し続けると誓うよ
23. 君とふたり生きていきたい
24.君を愛している
Merry Xmas!