野球少年?の幻影 土曜日の昼下がり。つい最近だったらグラウンドで同年代と共に野球をして砂埃まみれになっているところだった。ケガでまともに野球が出来なくなってからは、俺の土日は所謂休日らしい休日になってしまった。持ち出せば野球ができる道具だけはあるのに。
両親は招待された親戚の結婚式に行って留守で、家にいるのは留守番を頼まれた俺一人だけだ。
模試の勉強をしている最中。ドアホンが鳴る。出なくてもいいとは言われているが、誰が来たぐらいは確認したほうがいいとは思った。
自室から出てドアホンの画面を見ようとした時、こんにちはー!と若い男性の声が二つ隔てたドア越しから聞こえる。大きな声はセールスか配達員を彷彿させたが、モニターに映っているのは野球のユニフォームを着ている人だった。しかも久良岐リトルシニアの。
風貌からして監督やコーチではなく選手だろう。かつて自分がその一員として活動していたのもあって、途中で抜け出したりなんかしていいのだろうかと心配になった。しかし、ユニフォーム姿のまま駆けつけるほどの用事とは何なのだろうか?
再びドアホンが鳴る。こんにちはー!とまた呼ぶ声が聞こえる。こんな所にいないで早く戻ったほうがいいと伝えよう。なんだか変だし…。
「あの…戻らなくていいのか?」
ドアホンが鳴る。桐山さーん!とさらに大きい声で呼んでくる。通話モードにはしているから聞こえているはずだ。大声を出すのも近所迷惑だから早く帰って欲しい。
「こんなことをしていたら、怒られるぞ」
遮るようにドアホンが鳴る。
「桐山くーん!」
遠回しに戻れと伝えても球児はずっと突っ立ったままドアホンに手を伸ばして……違和感の正体に気づいた。
大声を出す時の口の動かし方や姿勢ではない。でも隣接している家に同じ苗字の人はいないからうちのことだろう。それに呼ぶ声だってだんだんはっきりと聞こえてくる。両親に用がある大人が同行しているだけかもしれない。
「あの、父も母も留守で…」
「いなくていい」
「!」
同じ声がリビングのドア近くまで来た。思わずその方向を見てしまったが、当然誰もいない。
再びモニターを見ると、ずっと立っているユニフォームの何者かはいつのまにかキャップを外していた。
寝癖みたいな癖毛、肩まで伸ばした黒髪。色が薄いせいで出身地を疑われた瞳……。自分がいる。それがドアホンを鳴らしている。ありえない状況に息が詰まる。
「だって、父さんにも母さんにも、どうしようもできないから」
ずっと、玄関ドアの前で無言で立っているのに、俺の隣で喋っている。
「グローブやバット…なんで持ってるんだ?」
「それは、野球をしたいから」
「もう野球ができないのに?」
声も俺に似たそれが耳元で囁く。通話ボタンを押して大声を出した。
「うるさい! お前も野球ができないくせに! 帰れ!」
それは一瞬で消えた。