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    はちがつ

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    はちがつ

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    フライくんの回想
    口移しでキッス

    剣を突き刺した瞬間、相手は俺を睨みつけたまま崩れ落ちた。
    その目に映っていたのは苛烈なほどの嫌悪。異様なまでに強く輝いていた。
    お前は必要な犠牲だ、とそいつを見下ろす。
    何者でもないお前が、その死を持って神の為に意義ある存在になる。悪くない取引だろ、むしろ光栄に思え。

    背後で、鋭く緊迫した声がする。

    「フライ君、避けろ……!」

    振り向くより先に、腹に衝撃を感じた。鋭い刃に肉を裂かれた感触。呼吸ができずに膝をついた。
    脳の処理が追いつかない、何が起きた? 
    マントが赤く染まっていく。どうやら俺の血らしい。
    頭上から追撃の剣が振り降ろされる。避けきれず俺は息を呑む。
    その瞬間、視界の端で影が動いた。
    次の瞬間にはもう、敵兵の首に短剣を突き立てた彼がいる。
    思わず吐き出した息は、刺すような笑いになった。惚れ惚れする。
    腹の痛みで狂いそうだ、なのに目で追わずにはいられない。美しいよ。洗練されてる。まるで訓練された獣だな。人を殺す時のあんたは美しい。
    そう遠くない未来、その剣は俺に向けられる。その時も彼は、正確に迷いなく俺の喉に剣を突き立てるんだろう。刺された腹の奥がどくりと疼いて、俺は地面に倒れ込む。

    倒れた先には、顔があった、俺が殺したやつの。
    地面に広がる赤い染みの中に転がって、まだ俺を睨みつけている。
    目を開いて、死の間際に何を見ようと言うんだ? 
    俺の罪なら、あいにく俺が一番よく知っている。穢れてるよ俺は。
    いずれ審判の時、俺は焼印を押される。神の為にしたことでも、罪は罪だ。神に召されるお前とは違う。異端への憎悪は俺が引き受けてやるから。
    まだ、終われない、まだ、俺は……
    何もかも暗く遠ざかっていく……途切れ途切れにしか分からない。

    誰かが俺を強い力で引きずった。
    腹の痛みに俺は無様な声を上げた。
    我慢しろ、と耳元で低い声が聞こえた。その声だけがはっきりと俺に届いていた。隊長、と口を動かした途端、血が溢れ出す。

    「喋るな。傷は私が抑えている」

    呼吸が乱れたまま、俺は引きずられた。強い力で俺を引きずる隊長の手がやけに熱い。どこかでうめき声と怒号がしていた。
    神よ、俺はまだ……
    歩くたびに、内臓がえぐられる感覚。痛みは、俺の思考を奪う。

    「私にしっかり捕まるんだ。大丈夫だ」

    意識を手放す前に、耳の奥に残ったのは、聞き慣れた低い声。

    「死ぬな。いいか、死ぬな、死ぬなよ」

    いつもより切迫したその声だけが、俺を世界の端に繋ぎ止めていた。


    それからどれくらい経ったか分からない。何時間か、何日間か。
    最初に感覚を取り戻したのは、聴覚だった。
    木が軋み、布が擦れる音……
    目を開けようとしても瞼が重い。
    鬱陶しいうめき声が聞こえる。潰される家畜みたいに醜い声。
    その醜い声が自分のものだと知るのに、時間はかからなかった。
    何度か意識を取り戻しては、朦朧としてまた眠り、目を開けては眠る、というのを繰り返した。
    誰かが俺の名前を呼んだが、答えようとしても、浅い呼吸にしかならなかった。
    喉が渇いていた。
    唾液を飲み込むだけでも痛みが走る。舌が張り付いたようだ。
    喉が渇く。
    渇きが、俺を苦しめていた。


    俺のひりついた口内に、ためらいがちに滑り込む。
    湿っていて少し甘かった。
    彼の唇が俺の口に触れて運んできたのは、ぬるいエールだ。
    求めていた水分に、俺の身体は貪るように反応した。でもすぐに離れていった。

    「エールは薄めてあるからな」

    全然足りない。俺の手は求めるように宙をさまよって。布を掴む。

    「そう、がっつくな」

    再び口内が塞がれたことに、心の底から安堵した。
    逃したくなくて、無意識に口が開く。
    喉の奥に流し込まれた液体を、嚥下する。
    飲み込む動作は苦しくて、涙が流れた。

    それは何度か繰り返して行われた。
    エール。そのわずかな潤い、俺に必要なもの。
    俺に潤いを与えているのは彼の舌だ。
    吐息と混ざり合ったエールを求める時、喉を締め付けているのは、狂おしいほどの衝動だ。渇きへの。
    俺は、舌を浅ましく舐めて吸いあげた。
    俺が思っていたのは、舌という器官のことだ。
    こんなにも柔らかに動くのかと。驚いていたほどだ。こんなにも滑らかに伸縮し形を変えるのかと。
    口髭を蓄えたあの男、鋭い表情を崩さないシュミットの舌と、このなまめかしい動きが一致しなくて、不思議だった。
    喉の奥が震える。唇を合わせて同じ動きをするーー大きく開いて絡みついて吸い上げる。
    まるで愛撫だ。愛撫を受けてる。俺は愛撫を受けて、貪った。
    渇きはまだ癒えない。
    シュミットの手が俺の額に触れていた。
    涙が止まらないのは、きっと生理現象だ。



    ゆっくりと少しずつ、目を開ける。
    視界も思考も靄がかかったようにはっきりしない。
    まだ脇腹が痛む。熱はない。
    次第に焦点を取り戻して、俺は一つ一つ確認していく。ここは……小屋だ、板を打ち付けただけの粗末な小屋。背中に干し草の感触があった。

    「目が覚めたかね、フライ君」

    シュミットが、すぐそばで俺を見下ろしていた。俺は身体を起こそうとしたが、そのままでいい、と彼の手が制す。
    シュミットは、状況について説明し始めた。

    「まだ腹の傷が痛むだろうが安心したまえ、君の腹部を縫合したのは医者だ。しかも正真正銘の、れっきとした医者だ、素晴らしいだろ? いざとなれば私が縫うつもりだったんだが、ここに辿り着く途中で、レヴァンドロフスキ君が縫合できる医者を見つけてくれてね。彼に感謝を伝えるように。ああ、レヴァンドロフスキ君は今いないよ、街に食料や衣服を調達しに行ったんだ。二、三日もすれば戻るだろう。街までの道のりが遠いのは仕方がない。なにしろ我々は追われている身ではあるが、危険思想をもつ異端者だ。血まみれのマントに身を包んだ危険人物を匿ってやろうという奇特で親切な人に巡り合うはずもなく、こうして街からも村からも遠く離れた人目につかない場所に隠れ、君の回復を待ったわけだよ」

    こんな時だというのに、相変わらず長々と話す。
    感傷がないのが実にあんたらしい。
    大丈夫かと気遣うような素振りも、死ななくて良かったなんていう滑稽なやり取りも、俺たちには必要ない。

    「と、まあこれが今の状況だ。……何か質問は?」
    「……隊長……俺のせいで……すみません」

    何とか口を開いて答えた。渇いた口内は、また水分を求めていた。

    「君のせいじゃないさ。君の負傷は上官である私の責任だ。上官として不甲斐なさを感じている」
    「……そんな風に言わないでください……隊長がいなければ俺は……」
    「しかし運が良かったな、フライ君。君が生き延びたのは、神の意思、神の選択だ。運命が君を生かした」

    ……運命……?
    いつもなら、受け流していたはずだった。異端の言うことなんて、意味がない。
    この男が勝手に責任を感じようがどうでもいい。
    だが、俺はこの時、どうしても納得できなかった、運命という言葉に。
    あの時血溜まりの中から俺を引きずりだしたのは、この男だ。
    死ぬなと言ったのも、渇きを癒したのも。
    下手な気遣いも、滑稽な感傷もいらない……だが、運命なんて言葉で、あった事をかき消すのか?
    俺を生かしたのは、あんただろ。
    運命、という、言葉が俺を苛立たせていた。
    目の下が薄く黒ずんだシュミットを、睨みつけた。シュミットは髪も髭も整えていなかった。

    「腹の傷が痛むか? そろそろ休みたまえ」
    「……喉が渇きました」
    「ああ、そうか。そうだよな…まだ少しだけエールがあるぞ。少し飲むといい」

    シュミットは目線だけでエールの入った瓶を指す。俺は下を向いて言った。

    「隊長、俺、喉が渇いて……助けてください、もう一度。あの時のように」

    下を向いていても、シュミットが俺に、強く睨みつけるような視線を向けたのがわかった。俺を非難するような眼差しだ。わかるよ。あんたはあれを、なかった事にしたいんだろ?

    「俺が意識を失っている間、そうしてくれたじゃないですか……」

    フライ君、とシュミットは俺の言葉を遮って言った。

    「必要な措置だからしたことだ。あの時君は動けなかった。もう自分で飲めるだろ」
    「すみません……まだ、身体が思うように動きません。頼みます……俺は……喉が、痛くて」

    殺害は迷わないくせに、俺の要望にどう応えるかでシュミットは迷った。
    何かを噛み殺すような、苦しげな横顔。彼の逡巡の間、俺はじっと待つ。俺は考えていた。この状況はある意味絶好の機会なのかもしれない、と。シュミットにもっと近づく為の……
    まだ眉を寄せたまま、俺の目を避けるように、シュミットは瓶に手を伸ばす。
    観念したらしい。目を閉じてくれないか、と小さく呟かれた声に俺は素直に従った。

    唇が触れた瞬間、舌先でエールを吸い上げる。
    押し当てられた唇も髭も、すでにしっとりと濡れていた。
    俺はそれさえ欲しかった。
    シュミットの舌の上で俺は渇きを癒す。

    シュミットは、唾液とエールで濡れて光る唇を、手の甲で拭った。髭の下で、赤みをまして濡れる唇は、奇妙な官能がある。
    俺たちの息は……どちらも湿って熱かった。俺はまだ足りない。
    これで最後だぞ、と彼は再びエールを口に含む。俺はゆっくりと上体を起こして、彼の口移しを待つ。
    唇が合わさった時、俺は彼の頬に触れ、その手を首へと回し引き寄せた。
    端からエールが筋になってこぼれ落ちる。息継ぎまでも飲み込んで俺たちは口移しを続けた。
    前よりずっと長く、肺が空気を求めるほど。
    胸の奥が疼いてしょうがないよシュミット。じわじわと痺れが身体を駆け上っていく。この甘い痺れが身体を巡っていくのが、たまらなく好きだ。あんたもそうだろ……? 彼の舌先に残ったわずかなエールを舐めとった後、俺は言った。多分、シュミットが聞きたい言葉だ。

    「俺は生きたい……生きたいんです、隊長」

    俺を生かそうとした隊長のための言葉。俺はどんな嘘でもつく。しがみついたシュミットの首は、まだ浅く呼吸を続けて震えている。俺はその首筋に顔を寄せて言った。

    「生きてるってことを感じたいーーだから……だから、どうか拒まないでください」

    シュミットが息を呑んだのがわかった。

    「何のことか分かりますよね……」

    フライ君、と俺の名前を呼ぶ声に、彼の目の鋭さの奥に、俺はわずかな怯えを探し出す。

    「……君は怪我人だぞ」
    「今、今じゃないと俺、どうにかなりそうで……」
    「待て……私が許すと思うのか?」
    「ええ、あんたは許す。俺は……あんたじゃないと。隊長じゃないと、意味がないです」
    「……意味など持たせるな」
    「そうですね……意味なんかないです」
    「……感情もだ、感情は破綻する……」

    その言葉に、俺はシュミットの肩をきつく抱きしめた。
    感情も何もかも、とっくに破綻してるよ。
    肩を抱きしめたまま、シュミットの首筋から耳まで唇でなぞった。
    シュミットが抵抗しようとして、すぐ辞めたのは、俺が怪我をしていたからだ。そういうあんたの優しさを粉々にしたい。シュミットの頬を撫でると、この期に及んで彼は言った。

    「フライ君……やはり駄目だ、傷口が開く」
    「医者が縫ったんでしょ? なら問題ない。それに……痛みなど今の俺には、喜悦ですよ」

    痛みは生きてる実感そのものだ。
    彼の耳に吹き込む――今にわかります、あなたにも。痛みが欲しくなるくらい、愛しますから。

    皮膚の下で、彼の心臓が乱れて脈打つのが分かった。肩に浮き出た血管も、喘ぎの度に上下する喉仏も、その全てが俺の胸を打つ。彼の肌に唇をつけるたび、俺の熱は込み上げた。あんたの疼いた熱い吐息で、俺は焼き尽くされそうだよ、あんたも生身の人間なんだな。意味がない? 教えてやる。目が眩むほどの生の実感を。あんたを壊して、あんたを砕いて、教えてやる。
    ……フライ君、俺の名前を言いかけた彼の唇を塞ぐ。彼はもう抵抗しなかった。彼は俺の髪を掴み、肩を掴む。拒絶ではなく、縋りつくために。
    彼の口内を貪った。渇きを癒す目的じゃない唾液の交換は、びちゃびちゃと卑猥な音を立てて俺たちを煽った。
    言葉など一切いらない。求めたのは痛みにも似た快楽、生きている実感。ただそれだけに没入するために俺たちは身体を使った。
    自我を手放す前、シュミットは喘ぎの合間に言った。君は……なぜ、壊れたいんだ?
    ……壊れるのは、あんただろ?
    彼の言うことは全部、組み敷いて口で塞いで飲み込んだ。熱も葛藤も、罪も全部。



    今も俺は、あの時を思い出して自問することがある。
    あの時、俺は神に祈っただろうか?
    穢れた行為に耽った魂の救済を、神に求めることをしただろうか
    どうしてもそれが、思い出せない。
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