恋人宣言 カドック視点僕は藤丸のことが好きだった。認めるのに時間はかかったが、自覚してからは不思議と腑に落ちた。あんな気難しい英霊どもをことごとく落としていくのだ、自分が惹かれることに疑問は浮かばない。
ただ、それで手に入れようなどとは思わなかった。身の丈に合わない距離を望むこと。それがどれだけ不毛な事かよくわかっているから。
そんな気持ちで接していたら、いつの日か藤丸から提案された。
『休みの日さ、カドックの部屋に遊びに行ってもいい?』
1回切りの気まぐれかと思った。しかしそれは何回も続いた。2回、3回と続いた時に、思い切って聞いてみれば『一人でいるのが寂しいから』という。
そんな言葉に内心もしかして、と期待した。
――けれど藤丸はその淡い期待をことごとく潰していく。
陽だまりのような笑顔は、自分だけに向けられているわけではない。男女にしては近い距離も、彼女からすれば自然な行動。
彼女が僕の名前を呼ぶ時、みせる顔は眩しい笑顔だった。その顔になんの意味なんてないんだ。
『眠くなったからベッドを貸してほしい』そういって礼装から惜しげもなく足を出して、無防備に毎回寝られれば、夜はなかなか寝付けなかった。
たまったもんじゃない。やめろと注意しても、けろっとしてる姿に言って無駄だと分かってる。それでも注意してしまうのは、自分以外の男の前で、そんな行動をして欲しくなかったからだ。
「告白する文化って、アジア圏だけって本当?」
そんな言葉を聞いた時、思わず藤丸を見つめてしまった。持っていたクッキーを落としそうになるくらいには動揺した。
「……少なくとも僕の周りじゃ聞かないな」
何かの資料で見た、告白という文化。少なくとも立香の故郷である日本では、メジャーなものらしい。
好きだと思った相手に交際を申し込み、そこから関係が進んでいくのだ。流石、武士道の文化。決闘のようで勇ましいと思う。
ただ、それは異文化に変わりない。まだ相手のことを深く知らないのに、好きと無責任に言えるのは自分にはわからない感覚だった。
藤丸の会話に少し意識して、脈が早くなる。あの藤丸がそんな話題を出してきたことに胸がざわついた。
わかってる、特に深い意味はないんだ。それでもこんな色恋沙汰の話を彼女から振ってくるのは初めてで、落ち着かない。
「でもさ、告白しないならどうやって恋人になるの」
こちらに向けられる興味津々と輝く目。ほらやっぱり、そんなことだろうと思った。感じ慣れた落胆がまた胸をつく。
そんな色恋沙汰なんて、僕だって詳しくない。恋愛経験なんて毛が生えた程度だ。恋人なんて今までいなかったのに、説明を求められても困る。
「どうっていわれてもな……。一緒に過ごしてて、心地よければ、そのうちもっと一緒にいたいって思うだろ。好きな相手なら、相手のことをもっと知りたいって思うし……そうやって誘いあって二人の時間をかけるな。会う頻度が高くなっていけば、そのうちお互いの大切な相手だと思えてくるだろ。それが恋人ってもんじゃないのか」
なんとなくの流れ。周りの人間がそんな恋多き奴らではなかったが、ぼんやりとそんな意識があった。それがオーソドックスな形だと思ってる。日本人の誰もが、告白から交際スタートと思っているのと同じ感覚だ。共通認識で知っている程度の知識。
納得のいかなさそうな立香の声に、そりゃそうだよなと思った。そういった面では日本とは文化があまりにも違う。
どうせ僕には関係ないことだ。わかってはいても、その気持ちは名残惜しく未練がましい想いになり、顔に出そうだった。
――馬鹿だな、僕は。
自嘲気味でる笑みを誤魔化すようにぬるくなったコーヒーに口を付ける。
「私はカドックとこうやって過ごすのが好きだし、もっと一緒にいたいって思うけど……。これってカドックの文化圏からすると、恋人みたいな意識をしてるってこと?」
「っ……!ゲホッ、ゴホッ」
ぬるいコーヒーが気管の中に入り込む。反射で出る咳に、吐き出すように口の中にコーヒー戻った。こんなに酷くむせたのは久しぶりだ。胸を叩いて、少しでも早く異物を取り出したい。肋骨に圧を感じながら思いっきり咳をすれば涙が出る。藤丸が差し出したティッシュがありがたかった。
しばらくそんな咳を続けて、ようやく落ち着いた頃。藤丸の発言を考えて、ため息が出る。
喉がイガついて気持ち悪い。飲み物が欲しかった。今度はむせないように、慎重に喉を潤せば横からの強い視線を感じる。
ちらっとみれば心配と謝罪を瞳に映す藤丸がいた。きっとその顔はむせた理由まではわからないのだろう。
「いいか、それを聞くってことは、それこそ日本人でいう告白みたいなもんじゃないのか。それとも僕はそう受け取っていいのか」
苛つく気持ちを押さえて、諭すように口を開く。
――そんなわけないんだろう。ほら、否定しろよ。
そんな気持ちで藤丸を見れば、頬を染めてポツポツと言い訳まがいな事を言いだした。
イライラする。期待させないでくれ。振り回されるこっちの身にもなって欲しい。そういう勘違いさせる行動が一番心臓に悪かった。
「自覚したならよく考えろ。さんざん注意してきたよな?似たようなもんだが、その服だってそうだぞ!」
どうせ今日も眠くなったら寝るんだろう。あれだけ毎回注意しても、平気で着てくるのだ。頼むからせめて、ズボンだけは履いて欲しいかった。
「わかんない!だって下履いてるもん」
煮え切らない口論に藤丸は暴挙に出る。露わになる白い太ももが、スローモーションのようにゆっくり見えた。
咄嗟に枕を掴んで押し付ける。自分でもよく体が動いたと思った。見たくないわけじゃない。でも、こんな状況で見せられてラッキーと思うほど、不純な気持ちは湧き出なかった。
――ここで当たり前のように自分が見れば、藤丸は大丈夫だと思って、どこか知らないところで同じことをするかもしれない。
そんなことさせるもんか。そう思えば見なくて正解だ。
「この馬鹿!そういう軽率な行動をやめろ、勘違いされるぞ」
キツく言いつければ藤丸は口をつぐんだ。じっと考えるような姿は反省しているのかとも思うも、口から出た言葉は謝罪ではない。
「……つまりカドックの中で、私は勝手恋人に勘違いされるような行動をとってて迷惑だったってこと?一緒にいて居心地が悪い思いをさせたなら謝るけど」
半分正解。半分不正解。
迷惑とは思っていた。無邪気に心を弄ばれ、いい思いは当然していない。それでも、好きな子と過ごせる時間は心地いいものだった。
だだその気持ちを、そのまま伝えるわけにもいかない。この月に一度の楽しみを続けるためにも、本心を伝えようとは思わない。
「……話がずれたな。少なくとも異性として行動は改めて欲しいと思ってる」
「それは答えじゃなくない?今誤魔化したでしょ」
追い詰めるように近づいてくる藤丸。慌てて距離を取るも、ローテーブルとベッドの隙間に座ってるのだ。後ろに下がったところですぐにベッドが背中を押す。
「そ、れは……」
ムッとした藤丸の顔に、こっちだってムッとしたい。前には藤丸、後ろにはベッド。これは何かしら答えを出さないとダメだ。じゃなんて言おうかと考えたところで、自分の思いをそのまま伝えるのは癪だった。
「なら聞くが、アンタは僕がここで居心地がよかったから恋人になれっていったら、なるのか!?」
やけくそに聞いてやった。
「えぇっ」
困惑する藤丸に苛立ちを隠しきれない。
やっぱり無自覚なんだ。好きだからこそ、そこが許せない。自分の行動がどれだけ勘違いを生むのか、分かって欲しかった。
「好意を勘違いするような行動をしながら、一緒にいると居心地がいい、もっと一緒にいたいと思ってる。それでも恋人にはなりませんってか?とんだ男たらしだな!」
――認めれば――謝れば――わかってくれれば。それだけでいい。そう切に願っても、それをどう伝えればいいかわからなかった。厭味ったらしくいうのは苛立ちだけじゃない。その感情の中には僕以外にそんな素振りをして欲しくないという、情けない独占欲だってあった。
「なっ!ちがっ、そんなんじゃない!」
「ふん。どうだかな」
逃げる藤丸を追い詰める。『ごめん。気を付けるから』そう言って欲しかった。しかし、その気持ちを裏切るがごとく藤丸はキツく睨む。
「わかったよ!恋人になるよ、なればいいんでしょ。私の全ての勘違いの責任を取ります!」
どうだと言わんばかりの顔に一瞬声が出なかった。今なんて?と耳を疑った。
「なっ」
動揺を抑え込む。なんでそうなるんだと考えたって分からない。好意を振りまいてるだけで、そのつもりはなかったんじゃないのか。責任ってなんだよ。そんな責任感覚で恋人になるのか?
――わからない。わからないのに、問う勇気が出ない。
「あぁ、そうかよ」
必死に出した声だった。
「なに、嫌なら断ったら」
「別に、嫌とは言ってないだろ。恋人でいい」
ここで嫌というほど、できた人間ではなかった。
なれるのか?僕が彼女の恋人に?いや、なったんだ。たった今。
変なものだと思う。せっかく好きな子とそういう枠組みに入ったのに、不思議と喜べやしない。そんな感覚が沸いてこない。地に足がついていない感覚だ。
隣を見れば果実水を飲み干して、じっと漫画を読んでる藤丸がいる。顔の赤みが引いて、のめり込むように画面を見ていた。それはまるでさっきの問答がなかったかのよう。
なんでだよと腹が立つ。人の気持ちも露知らずな顔。そんな顔にムカついた。その苛立ちをぶつけるように、空っぽのコップに果実水を注いで、わざと音が鳴るように瓶を置く。すると藤丸がハっと気が付いたように顔を上げた。
「どうしたんだよ」
礼も言わずにコップを見つめる目は、不思議なことにさっきよりも赤かった。慌てたように落とす端末を拾ってやれば、後ろめたいものでもあるかのように『返して』と声を上げる。そんな藤丸の反応に好奇心が沸き立った。
一体何をそんな真剣に読んでいたのか。画面を覗けば、健全ながらも不健全な描写が載っていた。
――こんなもの真剣に見てたのか。
顔を赤らめて、あまりにも必死な顔をする藤丸を見れば、心の中で悪い自分が唆してくる。
責任とって恋人になります。そういったのは藤丸だ。ならその責任に甘えることくらい、今までの苦悩を考えればいいんじゃないか。
気づけば藤丸の腕を掴んでいた。
「僕らも恋人ならこのくらいしてもいいよな」
やめておけと、止めるような声が聞こえてくる。
やってしまえと、手を動かす自分がいる。
目の前には頬を染めて、拒否するくせに手が目を離せない藤丸がいた。か弱い抵抗を握って拘束すれば、互いの手から伝わる熱に惹かれていった。手を握るだけ。それがあの漫画の現す通り、健全で不健全なことだとよくわる。
漫画を思い返しながら指を動かせば、藤丸は顔を真っ赤にして声にならない声を出していた。
「どう?」
今、何を思っているのか知りたかった。
「どうっていわれてもっ……」
自分のせいで困り果てた姿に、自然と笑みが溢れる。
「柔らかいな」
こんなにもじっくり女の子の手を握ったのは初めてだった。それが好きな子なのだから、嬉しいと思うのは極々自然なこと。責任感で恋人となったことは気になるが、触る建前としては十分だろう。忘れないように、指が拾う感触を覚えた。
「魔術師が、こんなことして、いいのっ」
藤丸がずっと前に言った握手のことを、引き合いに出してくる。ちゃんと覚えてたんだなと笑ってしまった。
確かに今握っているのは令呪のある右手。でもそれはあくまで一般的な魔術師同士の話だ。目の前の恋人に適用なんかされるものじゃない。
「僕は恋人に乱暴なことをする趣味はない」
もうちょっとだけ。その欲に引っ張られて指を添わせた。
すると藤丸の肩が震えた。気になって顔を覗き込めば、目を瞑って顔を真っ赤にしながら、何かに耐えているようだった。添わせる指を強くすれば、その顔はもっと険しくなる。
――何か、悪いことをしてる。止まらなくてはいけない。
その耐える顔が耐えられなくなったらどうなるのか。気になったが、自分の良心がその下心を呵責する。
するっと手を離せば藤丸は目を開けた。明らかにホッとする表情に、胸がチクリと痛む。
「そんなあからさまにホッとするなよ」
本気で嫌がってくれれば、こんなことはしなかった。泣いて嫌がればそれこそ離れただろう。それなのに藤丸の顔からは、そんな表情が汲み取れないのだ。放してと最初はいったものの、自分の手から目が離せない。
されるがままで耐えるだけ。抵抗できないようにしたのは自分だが、それでも本気で振り解こうとしなかったのは藤丸だ。
「ごめん、なんかうまくいえないけど……なんか恥ずかしいっていうか」
真っ赤な顔が下を向く。じっと見つめても藤丸がこちらに視線を合わせることはなかった。その姿からして発言通り、本当に恥ずかしいんだろう。ただその顔に疑問が湧き出る。
――こんなことで、どうして藤丸が照れるんだ。
今までどれだけ距離が近くても、藤丸は藤丸だった。アンプルを打つために腕を掴んでも。走るために小脇に抱えても。そんな接触をしたところで、藤丸は頬の一つ染めやしない。それが皆のマスター。それが藤丸立香という人間だった。
――それが今はどうだ。恥ずかしくて、目すら合わせず照れている。その姿は誰が見たって純粋無垢な少女の顔だ。
自分の胸がドッと鳴る。これまで逃げてきた自分の好意を押し上げるように、熱が顔にまで上がった。
「……藤丸もそんな顔するんだな」
その言葉に少女の顔が一瞬不服そうにムッとする。どうせ変に言葉を捉えたんだろう、気にせず自分の疑問をぶつけることにした。
「もしかして……意識してるのか」
確信が欲しくて、そっと頬を撫でれば、藤丸がハッとするように息を飲む。
一瞬で離れる指先は、藤丸の熱が酷く残った。
髪の間から見えた顔はどう見たって僕を意識してる。
「その反応は無理があるだろ」
もしかして、本当に僕のことが好きなのか。本当の本当に?勘違いしていたのは僕の方なのか?
藤丸の行動一つ一つで、期待がまた一つ、重なって積もる。
頼むからもう、崩さないでくれと願った。恋人という枠組みを付けて、意識してくれるなら。
――僕でも届く距離にいてくれるなら。僕はどんなに遠くても手を伸ばす。その一心で藤丸との距離を詰めようとした。
しかし近づいた瞬間に藤丸が走る。今日はもうお開きでと、さっき来たばかりのくせにドアへと逃げた。
そんなものは許さない。逃がすものかと咄嗟に体が動く。このまま有耶無耶にされては、たまったもんじゃない。
確証が欲しい。この気持ちがもし裏切られるなら、早めに知りたい。そうでもしないと行き場を失った熱でどうにかなりそうだ。
走った勢いのまま腕を掴むも、藤丸がこちらを見ることはない。それでもいいから縋り付く思いを背中にぶつけた。
「――僕ら、本当に恋人になるでいいんだな?さっきのは勢いで無理しなくてもいい。藤丸が嫌なら……」
――嫌なら
その続きを口にする勇気がでなくて、歯切れの悪い間ができる。
僕は――卑怯な男だ。自分が確信を持ちたいがために聞いた言葉は、あたかも彼女を想うような言い方をする。どう転んでも藤丸からは嫌われたくないのだ。
それは何度も何度も、期待を打ち砕かれたが故の行動。臆病な恋心の集大成だ。
間違いが起きても、藤丸が変わらない関係を築きやすいよう保険をかける。
「カドックが嫌じゃないならこのままがいいっ!」
そういって勢いよく飛び出る藤丸に、掴んだ手は悲しくも空を切る。バタンと閉じるドアの音が酷く耳に残った。
――自分一人になった部屋で、しばらく動くことができなかった。ただ見えるのは目の前のドアだけ、しかし脳裏で見るのは藤丸の姿。
僕はあえて言ったんだ。藤丸が逃げたいなら逃げられるよう。そういった意味で伝えたんだ。それなのに藤丸は僕が嫌じゃないならこのままがいいという。
「……そんなの、どうしたらいんだよっ」
しゃがみ込んで、頭を抱えるように髪をぐしゃぐしゃに掻いた。保険が欲しかったのは僕だったのかもしれない。
今日の出来事を一言で表すなら、僕は藤丸と恋人になった。
もっとも、それは藤丸の日本的な考えだが、そうだとしても特別な恋愛関係の一歩ではある。――それが責任感からくるものだとしても、恋人という枠組みに僕らは入った。
嬉しいか、わからない。また裏切られそうで怖いと思う自分もいる。そう思えば自嘲気味な笑いが出た。こんなにも自分が恋愛に臆病だとは思わなかった。それも全部、今までさんざん期待を崩してきた藤丸のせいだ。
フラフラとおぼつかない足でベッドに身を投げる。体重のかかったベッドはギシリと音と埃を立てた。
――確証が欲しい。今日だけじゃ参考資料が少なすぎる。
「しっかりしろ、カドック」
自分を奮い立たせるように呟いた。
諦めるな、スタートラインに立てたんだ。この道がすぐ途切れるものだとしても、恋愛というコースに入っただけでも幸運だと思え。
明日から藤丸との関係を改めよう。僕らは恋人なんだ、時間をかけて知ればいい。相手の気持ちがわからないからこうも不安になるんだ。
藤丸にいった自分の言葉を思い出す。――恋人とはどうなってなるのか。
知っているふりをして並べた言葉が、自分に返ってきた気がした。