ブリーフィング2カチカチと秒針が時間を刻む。並ぶ針は午後の八時を指していた。そんな静かな空間で立香はじっとベッドに並べた衣類を見る。
『あんまり派手なのは目立つし、勿体ないからシンプルなのがいいかも。後、急な呼びだしでもすぐ着替えられるよう、脱ぎ着のしやすい服がいいな』
そんな立香の要望通り、部屋着は作られた。デザインはシンプルかつ可愛くて文句のつけようもない。
そして脱ぎ着のしやすさはチャック一つで完結しており、肌にチャックが当たらないよう当て布まで施されていた。
しかしそのついでと渡された下着に、立香は困惑した。部屋着とはうって変わって、あまりにも可愛らしいデザインである。フリルやレース、洗練された刺繍が施されており、もはや勝負下着としかいいようがないものだった。
「……下着はちょっと予想外だったな」
その下着を未だに手に取れず、ベッドの前で仁王立ちする立香。ちらっと自分の下着を見て眉を顰める。
(うーん……ボロ雑巾みたい)
布の毛羽立ち、ほつれ、何度も伸ばされた部分は生地が薄くなっている。
――もしも、もしもの話を想像した。
こんな素敵な部屋着を着ていて、何かしらあったとしたらどうしようか。チャックを下ろされた時見える下着が、ボロ雑巾というのはあまりにも酷い光景な気がした。
「着るのー?んーでもなぁー」
うんうん悩むにも時間は過ぎていく。早く会いたいという気持ちに足ふみしながら、手を伸ばしてはひっこめてを繰り返す。そんなことをしているうちに、ノックが聞こえてきた。
――コンコンコン
「藤丸、迎えにきた」
ピシと硬直する体。あれほど会いたいと願った人の声は、今の立香にはタイミングが悪かった。
「い、今行く! 」
咄嗟に下着をつかむ。もはやヤケクソのようにボロ雑巾の下着と交換した。久しぶりに型の決まった下着をつけると、先ほどよりも胸が盛上がって、その事実に恥ずかしさよりも、あの下着のボロさを自覚する。
そして立香は間髪入れずにショーツも履き替え、被るように部屋着を着た。整えるために姿見に体を映せば、目に入った自分は想像以上に年相応の恰好に見えた。
(うわ、どうしよう。気合いれすぎ?)
手入れした髪も相まって、その恰好はまさしく女の子。今まで自分がいかにおしゃれなどに無頓着だったのかを思い出した。礼装とは違う、ただの部屋着。今だけは、マスターという役目を忘れてしまいそうだった。
「あんまり外で待つのはバレるかもしれないぞ、まだかかるなら入ってもいいか」
ドア越しに聞こえる声に立香は右往左往と体を動かした。そんな恰好でカドックの前に出るのが、今更ながら恥ずかしい。しかしちらっと見えたタブレットによって頭が冷え、背を伸ばす。
(向き合うんでしょ)
その言葉を鏡越しに自分に伝える。この格好は誰のためのものなのか。
立香は踵を返した。腹を括った口はへの字曲がり、眉には皺が寄っている。一歩踏み出す足は震えそうだった。
「お待たせ」
その言葉と共に扉を開ける。パチっと合うカドックの視線から、感情を読み取りたくてじっと見つめた。
「い、いや……大丈夫だ」
その目は明らかに動揺していて、それがいい反応なのか確信はない。しかしきっといいものと願いながら、歩くしかないのだ。感想を強請るほど自分は素直にはなれなかった。
「行こう」
恥ずかしさを紛らわすように立香はカドックの前を通る。後ろから聞こえる足音はつかず離れずで、少し速足になる自分に合わせてくれているようだった。
そんな一定の距離を保って、カドックの部屋に向かうと、扉の前で立香は立ち止まった。流石に部屋主がいるにも関わらず、先に入るのは気が引けたのだ。
後ろを振り返って、開けてと視線を送る立香を一瞥して、遅れてやってきたカドックが部屋を開けた。
「どうぞ」
「うん」
ぎこちない会話に、立香もゆっくり部屋に入る。今度は最初から設置されているローテーブル。椅子の上には相変わらず本がある。しかしその本を見て立香は顔をしかめた。
(あれ……私が読んでる本じゃない? )
近づいて確認すればやはりそうだった。
「ねぇ」
じとっと振り返って視線を送る立香。その様子を見て一瞬動揺の色を見せるカドック。しかしすぐにその顔は開き直るような顔に変わった。
「閲覧履歴の連携をしただろ。それに文句をいうなら、渡した映像ばかり見てるそっちにも言いたいことがある」
ゆっくりとカドックの足が立香に近づいた。それに危機感を持って、後ずされば机に腰が当たる。
「で、何か映像を見て得られるものはあったのか」
カドックの腕が机に伸びた。立香の左には漫画の乗った椅子、その右にはカドックの腕。そんな包囲網を先週までの立香なら、すぐに抜け出していただろう。簡単な話で、椅子を動かして逃げてしまえばいい。しかしそれをしなかったのは立香の意思。カドックとの近い距離にも関わらず、立香はじっとカドックの顔を見た。
(不思議、こんなにドキドキするのに顔を見てられる)
向き合うと決めた心が立香の瞳に力を込めた。
「あったよ、今こうやって目を合わせられるのは、あの映像のおかげ。ちょっとだけ慣れた」
挑むような立香の姿勢にカドックも、少し黙る。それもそのはず、先週見た立香と今の立香はあまりにも雰囲気が違うのだ。
「それに……もう映像も見てない。アクセス権を放棄したから」
「へぇ、なんで」
問うカドックに立香は黙った。いえるはずがなかった。貴方のサーヴァントに対する想いを見てしまったと。少し視線を下に向ける。流石に後ろめたい思いを胸に抱いたまま、カドックの目を見ることはできなかった。それでも長い沈黙とカドックとの近い距離に答えを絞りだすように思考する。
「なんて、いうか……。映像より、本物に向き合うべきって、思った……から? 」
立香の目がカドックの様子を伺うようにちらっと動く。すると意外にもカドックの顔は間抜けにぽかんと口を開けていた。
「えぇっ……」
立香からすればそれなりに緊張しながら本心を口にしたのだ。それをそんな顔で受け取られると、不服だった。
「いや悪い」
そんな立香の顔を見て、カドックがこぼすように笑った。
「てっきりずっと映像ばっかで、僕のことなんて気にしてないと思ったから」
拗ねるような声に立香も罰が悪そうに目を反らした。立香の中の好きという気持ちが、必死にカドックの気持ちを考える。逆ならばというありきたりな思考は、簡単に相手の気持ちを汲み取れた。
(悪いことしちゃった)
その罪悪感から償いをしたかった。
「ねぇ、今は君を見てるよ。映像じゃない、君を」
ポツンと呟く言葉。再び合う視線は驚きが混じっている。立香は右側にあるカドックの手に自分の手を重ねた。
そしてゆっくりとカドックの手に自身の手を絡める。
手から伝わる熱は血をめぐって体に回り、胸に落ちた時、底の方から生暖かい欲が湧き出てきた。
(カドックには悪いけど、映像は見ていてよかった。今は自分の気持ちがわかるかも)
視界から入る刺激に慣れたおかげで、心臓は触れる熱だけに反応する。その心地いいと、苦しいの狭間にいるような緊張感は、立香に思考する余裕を与えてくれた。
(――私、君に触れたい。もっと触れて欲しい。あの日の君と同じ気持ちだから)
立香の強い視線にカドックは未だ困惑しているようだった。ぐらぐらと揺れる目は躊躇い交じりで、それがもどかしくてまた思考する。
先週のあの日、キスされると思ったその時だ。
『泣かないでくれよ』といった顔が今の顔に似ている気がした。
「あのね、私が泣いちゃうのは癖みたいなものなの。恥ずかしくて、ドキドキして、どんな顔していいかわからなくて……」
じっと見つめ合う視線にカドックは黙って立香の言葉を待った。
「だから……その……。泣いてもいいから君の好きにされたいな、って」
目が大きく見開いた。何かが出そうになった顔に、今度は立香が黙って返事を待つ。
「……なら抱きしめても」
「ど、どうぞ」
空いた手でぎこちなく腕を広げれば、ゆっくりとカドックは立香を抱きしめる。腰に回る腕は太くて、密着する胸はどっちの心音かもわからない音がする。
そんなぎゅっという音通りのハグがずっと続くと思っていた。しかし、たった数秒でカドックは離れた。
「ごめん、後ろ向いて欲しい」
照れたような焦ったような顔でカドックは呟いた。なぜという疑問も思い浮かぶ中、急かすように繋いだ手が離れて肩に手が置かれる。くるっと回すように誘導されれば、立香もされるがまま後ろを向いた。
そして仕切り直すように、カドックがぎゅっと後ろから抱きしめる。
(……バックハグが好きなの?羽交い絞めしてきた時もそうだったし)
そんな疑問を抱えたまま、背を覆う温もりに身を任せた。首に当たる癖毛に頬を寄せれば、あの日と違ってカドックは黙って抱きしめてくれる。
「あったかいな」
しみじみという声に立香も頷いた。
「立香」
ぼそっと聞こえた自分の名。それに立香は驚くように肩で反応する。
「そう呼んだ方が嬉しいか」
自分の肩になだれる頭。その顔までは見えなかったが、身動き一つしない体は立香の反応を伺っているようだった。
「嬉しいよ。だって下の名前って特別じゃない」
ふっと笑う立香。その声だけでカドックも納得するように頷いた。
「なるほど、やっぱりそういう傾向があるんだな」
「傾向?」
「なんでもない」
その言葉を最後に、カドックは堪能するように頭を擦りつけた。
(なんだろ、ワンちゃんみたい)
甘えているような姿は愛おしさを感じた。
「……はぁ」
しばらくして、カドックがため息ついて体を離す。その反応を追いかけるように、立香は後ろにいるカドックの顔を見た。
「やめよう。これ以上はだめだ」
「だめって何が」
立香からすれば悪いことをした記憶はなかった。むしろ心地いい人肌は、ずっとこうしていたいと思うほどだった。そんな純粋な疑問を抱いた視線は、カドックの視線と交わって、すぐに暗くなる。一瞬何かと思ったが、カドックが立香の目を手で押さえたのだ。
「ダメなもんはダメなんだ」
「だからなにが? 何この手」
視界を奪われると入ってくる情報が耳から入る声と肌から伝わるぬくもりしかない。相手を読み取れない状況は不満も湧き出る。
「なんでもない」
ぱっ離される手。暗さで慣れた目が、眩しい部屋の光でチカチカする。何度か瞬きをしていると、背中にあった温もりが離れた。
「ねぇ、カドック! 今のなに」
ようやく慣れた視界に振り返れば、カドックはローテーブルの横に座っていた。そしていつもと変わらぬ顔で立香を見るのだ。
「なんでもないっていっただろ。ほらこっちこい」
ぽんぽんと床を叩く手に立香も渋々近づいた。肩をくっつけるその距離は、先週ほどドキドキはしない。
カドックはコップに口をつけた。その頬はほんのりと赤くて、そんな顔が気になって立香はじっと見つめた。
「随分変わったな」
コップを置く音と同時にカドックがそう聞いた。
「まぁ……」
誤魔化すように下を向く。カドックもそれ以上は追及しなかったのでよかった。
(だって、好きなんだもん。あの子と過ごした日に負けないくらい、私を見て欲しいんだもん)
もしも、今このカルデアにアナスタシアが来たとしたら酷く動揺するだろう。それでも自分はマスターで、来てくれたアナスタシアは紛れもなく大切な仲間だ。その気持ちに嘘はなく、分け隔てなく接する自信もある。
――しかしカドックと過ごす今この瞬間だけは、女の子でありたい。
髪の手入れをするのも、服を新しくするのも、見せるかもわからない下着を着ているのも、その全てが乙女心からくるものだ。その心が綺麗なものだけであればよかったが、醜い気持ちが付きまとうのはしょうがないことなのだ。
その気持ちだけを透明なんてできない。醜い気持ちだけを否定するような、そんな器用な真似ができるなら、今こんなにも焦りを感じることなんてなかっただろう。
「ねぇ、お願い聞いて欲しいな。この前償うっていってたやつ」
先週別れ際にカドックがいった言葉を掘り返す。
「なんでも聞くさ。あれは僕が悪い」
少し気まずそうにカドックが頭を掻いた。
「……これから、もう少しだけ一緒にいる時間を増やして欲しい。ご飯とか、周回の手伝いでも、カドックの手伝いでも、なんでもいいからさ」
立香は甘えるようにカドックの肩に頭をよせた。自分は最初2週間に1回会いたいといった手前、カドックの償いを利用しなければ言いづらかった。
「ふっ、最初の頃は一緒にいたくないっていってたのにな」
皮肉っぽくいうカドックに立香何も言い返せない。
(あの時は、本当にそう思ったんだもん……)
申し訳ないとは思っていた。
言い返しもなく押し黙る立香に、カドックの手が頭に乗る。
「なら一緒に食事をとろう。朝なら人も少ないし、いいんじゃないか」
安堵するように立香は小さく息を吐いた。
「わかった」
笑みを浮かべて呟く。ようやく恋人というラインに自分たちが立てた気がした。
(明日から、毎日会える)
その現実は願えば、恋人になったあの日から叶ったことなのかもしれない。きっとカドックは周回遅れのような自分の気持ちに合わせてくれたのだと、改めて自覚する。その優しさを想うと胸が熱くなって、その優しさに甘える自分を律したかった。だからなのか、次は私からという気持ちがせいでるように口をつく。
「あのさ、他にしたいこととかないの」
カドックの顔を覗き込むように立香はいう。
「他って」
そういわれて立香も押し黙る。詳しくいうには羞恥心が言葉をかき消した。しかし何かいわなければ曖昧な意味は解釈に誤解を生む。ぎゅっと胸のチャックを手で握った。その下のレースを晒すにはまだ勇気がでなかった。
「き、キスとか……」
蚊の鳴くような声で絞り出す。顔は見れなかったが、顎を掴んだ手に思わず体を縮こめた。視界に銀色の髪が映った時、構えるように目を瞑った。
「――」
しかし柔らかい感覚がきたのは唇ではなくおでこだった。
「これでいいか」
立香は目を開ける。離れた体温に顔を上げれば、しかめっ面のカドックがそこにいた。
(なんでおでこ? )
その感覚を思い出すように立香は自身のでこに手を当てた。
「ほら、明日も朝から会えるだろ。そろそろ戻れ、部屋まで送る」
ぱっと立ち上がるカドック見て、立香はすぐに立ち上がれなかった。何かを避けているようなそんな態度はよくない不安を生み出してしまう。
(どうして唇じゃないの? )
その気持ちのまま自分の唇をなぞれば、乾燥してカサついた感触に、胸の奥がひんやりとした。
(まだ、私足りてないんだ)
当たり前のことをしてこなかった。する暇がないと見ないふりをした癖は、必要になった時に見ようとしても、見落としてしまうものなのだ。
「立香? 」
動かない立香を気遣うようにカドックが手を伸ばす。
「ううん、なんでもない」
その手をとって立香は足に力を入れた。
(次は……次こそは唇にもらうんだ……! )
その気持ちが目に現れ、何も知らないカドックは困惑するように瞬きを繰り返した。
「どうしたんだよ」
「なんでもないって。……明日、何時に待ち合わせ? 」
誤魔化すようにそう聞けば、カドックは立香の質問に気が向いたようだった。
「7時に食堂。先に食堂に行ってるから、立香は後から合流で。それなら自然だろ」
「わかった」
カドックが誘導するようにドアへと歩いた。その背中を見てふと思う。今ここで腕を引いたらどうなるのか。ずっと帰る時は彼に腕を引かれたのだ。逆だったらどんな反応をするのか気になった。
(もうちょっとだけ)
その欲に従うように立香はカドックの腕を引っ張る。ピタッと止まった足、振り返る前に抱き着けば、驚くようにカドックの肩が揺れた。
「……この前の仕返し」
大きな背中の割に腰が細くて、立香の腕は簡単にカドックの腹に回った。心地いい温もりに顔をつけば、背からは早い鼓動が聞こえてくる。
(ドキドキしてる。カドックも同じなんだ)
にんまりと笑う顔はカドックから見られないことをいいことに、緩み切っていた。しかしその幸せに浸っているところで、腹に巻き付けた腕をはがされる。
「満足したか。ほら帰るぞ」
どうもカドックは早く部屋を出て欲しいらしい。立香の腕をとってドアの外へと誘導する。
「なんで、恋人なのに……」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる」
うっと返す言葉もなく立香は押し黙った。今日は部屋まで送ってくれるらしい。行きと違ってカドックが立香の部屋へと、先頭切って歩いた。
その背を見てまた抱き着きたいという衝動が出るものだから困ったものだった。
(私ってこんなに甘えただったんだ。恥ずかしい)
見られていないことをいいことに、立香は頬を手で覆った。自分の手よりのやはり頬の方が熱かった。
「立香」
その声を聞いて、はっとするように手を後ろに組んだ。振り返ったカドックに、なんでもないような笑みを浮かべて首を傾げれば、不思議そうにカドックも首を傾げた。
「ついたぞ」
「あっ……」
ほら入れと言わんばかりにドアを指している。名残惜しいと思う気持ちが一歩踏み出す力をくれなかった。
「そんな顔するな」
「な、なにが。してないよ」
「そうかよ」
意地を張った自分の言葉は寂しさを想ってもいないような声を出した。その声と伴わせるよう嫌々足を踏み出し、ドアを開ける。ちらっと振り返ったカドックの顔は寂しさの表情が一つも見えず、悔しささえ覚えた。
「おやすみ」
「おやすみ」
シュンっと閉まるドアをしばらく見る。離れていく足音が聞こえなくなるまで、その場を離れることができなかった。