好きなものの探り合い翌朝、立香は6時起きた。そして髪の手入れをして、礼装の並んだクローゼットを仁王立ちしながら考える。
(今日から毎日試してみよう)
手にとったのはしばらく着ていない初期礼装。早速袖を通してみれば、思った以上に自分は成長しているようだった。
「き、きつい……」
アンダーのベルトはなんとかなったが、トップのベルトがかなりきつくて閉まらない。苦肉の策でボロ雑巾のような下着に変えて着替えなおすと、なんとかベルト内に胸が収まった。
(雑巾も役に立つ、と……)
捨てようかと思ったが、こういった用途に使えるならまだ残しておいてもいいのかもしれない。
「よし、次! 」
礼装というのはおしゃれ目的で着ているわけではない。今日の素材集めでオーダーチェンジが使えないのだ。そこまで難しい周回に行くわけではないが、いつもと同じメンバーでは回れない。
立香はタブレットとにらめっこをしながら、周回編成を考える。
(うーん、これなら多分大丈夫)
ようやく納得する編成を組め、時計を確認すると、そろそろ出る時間だと告げている。急いで立香は鏡の前に立った。
そしていつもらったかも忘れたリップを唇につける。
「んー」
唇を擦り合わせれば、めくれた皮が気になった。きっと今まできちんとしてきていなかったつけなのだろう。
(ちゃんと、こまめに塗ろう)
その反省の元、立香の数少ない手荷物の一部にリップが加わった。
*
食堂に行くと、約束通りカドックがいた。隅の方でコーヒーを飲んでタブレットとにらめっこをしている。
(一か月前なら、躊躇なく話しかけてたんだよね)
あの頃のように接すれば、周りにばれることもない。そう思うと過去の自分の行動を思い返した。
「おはよう! カドック」
明るく、元気に朝の挨拶をする。それは当たり前の行動で、カドックも今までと同じように返してくれると思っていたのだ。
「……」
しかし立香の予想は大きく外れ、立香の浮いた挨拶にカドックの顔は硬直していた。
(なんで? いつも通りだよね? )
返事が来ない挨拶ほど気まずいものはない。だんだんと上がった口角が下がってきたところで、カドックはようやく口を開いた。
「あぁ、おはよう。……一緒に食べるか」
「あっ……うん、そうだね。食べようかな。ご飯とってくる」
一体なんだったのか。
(もしかして私の挨拶に問題があった? )
しかし一か月前ならあれくらいの挨拶をしていたはずなのだ。晴れない疑問を抱きなら、立香は食堂のサーヴァント達の所へと向かう。
いつも通りの挨拶に、いつも通りの会話。カドックとの関係が変わっただけで、サーヴァント達との会話は変わらない。その変わらない日常の中に、恋人という変ってしまった関係のカドックがいるのは、少しだけ居心地が悪かった。
(会えるのは嬉しいけど、皆にばれないようにって意外と難しいかも)
いつもならもう少し早い時間に食堂に来る立香。カドックに合わせてこの時間になったのだ。そこを突っ込まれたらどうしようと思ったが、何もいわれなかったのが幸いだった。
「お待たせ」
盆を持った立香がカドックの前に腰を下ろした。
「カドックはコーヒーだけでいいの」
立香の朝食プレートと比べて、カドックはマグカップ一つ。昼や夜一緒にご飯を食べる機会はあったが、その時は普通に食事をしていたので、余計に気になった。
「……あぁ。今日はこれでいい」
「ふーん」
小さくいただきますという立香。今日の朝食は和食で構成されており、茶碗と箸を持ったところで視線を感じた。
ちらっと見ればカドックがじっと立香の方を見ているのだ。
「なに」
さすがに気になって聞いてみると、カドックは視線をずらした。
「その礼装珍しいな」
待っていたその反応に立香の顔は嬉々とする。
「うん、どうかな」
「バランスが取れてるスキルだし、いいんじゃないか。早めにレベルを上げるべきだ」
コーヒーに口をつけるカドック。その様子を見て立香は顔をしかめた。そういうこと聞きたいわけではない。しかししれっといい感じに聞くにはどうすればいいのか分からない。
「他には」
そんなふわっとした聞き方にカドックは黙る。黙ってマグカップに口をつけている。
じっと立香がカドックの顔を観察していると、その喉は動いていなかった。
「……使うなら、仕立て直してもらった方がいいんじゃないか」
「あ……そうだね、そうする」
聞きたいことはそうではなかったが、もうこれ以上はないような気がした。
(初期礼装はあんまり、と)
脳内でそうメモをするように、呟いた。
***
翌日、立香はまた挑戦する。今度はアトラス院の制服である。タイツではなく、靴下なのは面倒くさがりの自分にとってありがたかった。
サイズも初期礼装と違って、ぴったりだ。鏡の前で眼鏡をクイっと上げれば、少しだけ自分が知的に見えた。
そして昨日と同じくリップを塗れば、少しだけ乾燥がましになっていてほっとした。
「よーし」
その意気込みのまま立香は部屋を出て食堂へと向かう。
今日は先にサーヴァント達から朝食をもらうことにした。どうもカドックと会ってからだと、いつもの自分がでないれない気がして難しいのだ。
「おはようー皆! 」
立香のその声かけに、少し慌ただしい厨房はおのおの返事をしてくれた。
「あれ、今日も違う恰好なんだね」
今日のプレートはブーティカ担当だったらしい。お盆にプレートをのせる時、立香の姿を見てそういった。
「うん、今色々と試してるの」
「ふーん、そっかそっか」
にこにこと笑うブーティカ。そんな顔は見透かされているのではないかと、内心ドギマギとしながら立香はお盆を受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして! 」
最後の方はブーティカの顔すら見れなかった。怪しい動きをした自覚はあったが、何も触れなかったのはブーティカなりの優しさだったのかもしれない。
立香はお盆を持って、昨日と同じく端に座るカドック元へと足を向けた。
「おはよう、カドック」
昨日のような反応をされれば流石に気まずいので、控え目にそう挨拶した。
「……おはよう」
また一瞬カドックは固まるのだ。一体なぜかと思ってもこればっかりはわからない。二人きりであればこれも問いただすところだが、ここは公共の場所。不自然に聞くのも気が引けて、疑問を飲み込んだ。
「一緒に食べよ」
「好きにしろ」
建前のようなそんな会話をして、立香は席につく。今日の食事は洋食プレート。カドックも昨日と違ってコーヒーと一緒にスープとパンをもらっていた。
「いただきます」
小さく呟いて立香は箸を取る。フォークとナイフは使えと言われれば使えたが、箸があるなら箸の方が楽なのだ。それを配慮してくれたブーティカに感謝した。
「その礼装……今日は高難易度の周回でも行くのか」
食事も半分取り終わったくらいで、カドックがそういった。
(きた……!)
そう内心ガッツポーズをする立香、しかし顔には出さないように必死だった。
「ううん、なんとなく着てみた。どうかな、結構可愛くて気に入ってるんだよね。メガネも似合ってない? 」
ほらっと眼鏡をクイっと持ち上げたところで、持っていた箸をおっことす。
「あっ」
「あーあ」
カランっと転がった箸はカドックの前で止まった。それに気づいたカドックが机の下を覗く。
「ごめんとって」
その立香の言葉に返事もなく、カドックは机の下から一向に出てこない。
(そんな遠くまで転がってないと思うんだけど……)
「どこいった? 」
落としたのは自分なので、立香も一緒に探すように机の下に顔をいれようとした。しかし、身動きした直後に机が大きな音を立てて揺れる。
――ガンッ!
「痛っ」
「わっ、大丈夫?」
机の下から頭を出そうとしたカドックが、見誤って机にぶつけたらしい。頭をさすりながら、恥ずかしそうにぶつけたところを押さえていた。
「……ほら、早く代わりの箸貰って来い」
乱暴に渡される箸の片割れ。しかめっ面のその表情に立香も困惑しながら席を後にした。
(氷嚢とかもらってきた方がいいのかな)
かなりの音でぶつけたのだ、たんこぶになっていてもおかしくない。ちらっとカドックの方を振り返れば頭を抱えていた。
(あ、やっぱりもらった方がいいな。すっごく険しい顔してる)
スタスタと厨房のサーヴァント達に声をかけた。事情を説明すれば、気前よく用意してくれた氷嚢と新しい箸。
それを持って足早にカドックの方へと向かった。
「大丈夫? ほら、これもらってきたよ」
はいと渡した氷嚢に、カドックは少し困惑したような顔で受け取った。
「別にそこまでじゃ」
「でも頭抱えてたから、かなり痛かったんでしょ」
「……そうだな」
大人しく頭に氷嚢を当てるカドック。それを見ながら、立香は食事を続けた。色々あって冷めてしまったが、美味しいことには変わりない。それでも少し急いで口に運んだのはカドックが心配だったからだ。
(音的にたんこぶで済みそうだけど、頭だしな……。一応医務室に行ってもらった方がいいよね)
そうぼんやりと思いなら、立香は自分のお盆に空になったカドックの皿ものせる。
「なんで下げるんだ。自分で下げる」
返せと出る手をひょいと避けて立香はお盆を持って立ち上がる。
「いいよ、このくらい。それより医務室行ってきたら」
「大げさな、別に平気だって」
足早に歩く立香に並んでカドックが声をかけた。そういっているうちに医務室に行けばいいものを、結局食器を下げる最後までカドックはついてくる。
(人が心配してるのに)
こうなれば自分が連れて行かないといけないだろう。元はといえば箸を落としたのは立香自身。そのせいで、できたたんこぶと思うとあまり強くはいえなかった。
「あらあら、仲良しですね」
そんな言葉をマルタから受け取りながら、交換のようにお盆を渡した。
(もう、全部カドックのせいじゃんか)
別に冷やかしているわけでもなく、ただ注がれる温かい視線が面映ゆい。
「そうかな? 」
照れ隠しで思わずそういってしまった。
「ふふっ、マスターが否定するなんて珍しいこともあるんですね」
お見通しのようなそんな言葉に立香は焦る。なんて返そうかと迷ったところで、隣のカドックが口を開いた。
「仲良しっていうより、世話焼きに近い感覚だな。ほら行くぞ」
踵を返すカドックに立香は慌ててマルタに手を振った。今度はカドックについていくような形で食堂を出ると、歩く先は医務室は違う方向だと気づく。
「ねぇなんでこっち? 」
そう聞く立香にカドックは黙って前を歩く。そしてひと気のいなさそうな部屋に入っていった。
(なんか言いたいことがあると)
察して立香も追いかけるように部屋に入れば、そこは古い資料室だった。なんとなくカドックの行動を察して自分で鍵をかけると、奥にいるカドックの方へと向かった。
「どうしたの?」
そう首をかしげる立香にカドックは黙って上着のコートを脱ぎ、そして立香の腰に巻き付ける。
「えっ、ちょっと、何」
一体何かと思って身動きするも、有無も言わずにカドックがスカートの上からコートを結んだ。
「着替えてこい」
苛立ちの混じったような声。そんな心当たりもないその苛立ちに、疑問も不安も込みあがる。
「なんで? これ、可愛いと思うんだけどダメだった? 」
自分ではそれなりに気に入っていた礼装なのだ。理由を知りたかった。
「だめとはいってないだろ」
「なら、可愛い……? 」
会話の勢いで聞いてみる。伺うような視線は可愛いと言って欲しいという願望をのせた。しかし、カドックはそんな立香の顔をじっと見て頷くのだ。
「……なるほど」
一体なんの納得なのか立香にはわからない。
「なに」
立香の顔はムッとした。しかしそんな立香にカドックは平気そうな顔でいうのだ。
「可愛いっていって欲しかったんだな」
「えっ」
直球的ないい方に狼狽える。開けた口が言葉にならない動揺を抱えて、カドックから一歩下がった。
(そうだけどそうじゃない。君の好みが知りたかっただけ。それでいいのがあったら可愛いっていってもらいたかっただけで……)
自分の心に言い訳するように考えても、要約すればはカドックのいう通りだった。その事実が恥ずかしさを沸き立たせた。
「あの本的に、可愛いは好意も含むような日本語とも考えられるし、そうなると言葉が欲しいっていう文化からして……」
頬を染める立香を、カドックは何も気にしていないようだった。
それよりも自身の考察をブツブツと呟いており、その姿は一緒にレポートを書いていた時に近い。
(なんでそうなるの! )
思わず口にしたいツッコミ。しかしすっかり自分の世界に入ったカドックをわざわざ戻そうとは思わなかった。
「考え事なら一人でしてよ。周回もあるし、そろそろ行かなきゃ」
一緒にいる時間は好きだったが、限られた時間でもあるのだ。マイルームに寄って着替えるとなると、時間にそこまで猶予がない。付き合いきれず、離れる立香。
後数歩でドアというところで腕を引かれた。
「わっ」
いつものように抱きしめられるのかと身構えた。しかし立香の背にはカドックではなく資料室の壁。そこに体を押し付けられる。いわゆるこれは――
(壁ドンってやつだ)
そのシチュエーションも相まって、近い距離に慣れた自分の心臓が反応した。
「可愛い。この場合は英語でいうスイートな。日本語は意味の多い言葉が多すぎるからややこしい」
「あ、うん……?」
解説するように付け加えられても、そのスイートがどういう意味なのかピンこない。立香の英語能力は一般教養に少し劣るくらいのレベルだ。必死に自分の記憶を漁っても、スイートの意味がどういうものなのか、甘い以外出てこなかった。そんな曖昧な顔をする立香を察して、カドックが付け加える。
「内面的に可愛らしいって意味。漫画ではこういう恰好でそういってた」
「漫画……? 」
カドックから出るそのワードは違和感しかない。思い浮かぶのは先日カドックの部屋で見た自分の漫画。あの時はなぜと思ったが、今この立場になって気づく。
(え、あの漫画の真似してるってこと……? )
想像してしまった。カドックがあんな漫画を真剣な眼差しで読んでいる姿。もうそれだけで面白い。そして今それを実践しようとしているのがおかしくて仕方なかった。
「ぷっ、ふふっ、ふふふっ、あははっ」
零れるような笑みはどんどん抑えられなくなっていく。
「なんだよ」
「いや、だって! 」
笑うなという方が難しい話なのだ。
しかしなぜそんなことを?と思うと、その笑いも少しずつ収まっていく。ちらっとカドックの顔を見れば、照れたような居心地の悪い顔をしていた。
(私たち、似た者同士なんだね)
片や漫画を読んで人の好みを割り出す人、片や礼装を着て相手の好みを探る人。
そんな手探りな恋人同士という姿は愛おしいという気持ちが溢れてくる。
その柔らかい感情が、自分の意地や恥ずかしさを溶かしてくれる気がした。
「あのね……。私、カドックの好みが知りたかったの。あわよくば可愛いって言ってもらいたいなって。だから昨日から色々着てみてた」
素直に出る自分の言葉。全く恥ずかしさがないとはいえないが、カドックにも知って欲しいという気持ちが後押しした。
(君にも、似た者同士って知ってもらいたい)
このなんともいえない温かさを共有したかった。
「わかりにくい。察してってやつか」
「うーん、違うかも。単純に君の好みの女の子になりかたった」
「もうなってるだろ」
食い気味のカドックに立香はムッとする。ならばどうしてという疑問が残るのだ。食後でリップのとれた唇を擦り合わせた。皮こそはがれていなかったが、油っけのない乾燥した感覚がある。
(ねだるなら、今だ)
ごそごそとリップクリームを取り出した。上から注がれるカドックの視線を感じながら、立香はゆっくり、丁寧にリップを塗る。そして唇を擦り合わせてカドックを見上げた。
「なら、おでこじゃなくてこっちがいい。好みの子ならできるでしょ」
唇を上に向け、催促するように立香の手がカドックの胸の服を掴んだ。じっと見上げる顔はまた揺れている。
(多分、この顔はしたくないわけじゃないはず)
何度も見てきたその表情。その推察が立香の背を押した。
「お、女の子に恥かかせるつもりっ」
「……わかってる」
ゆっくりと近づく顔。立香は目を閉じなかった。厳密にいえばうっすらと目を開けたようにして、カドックを待った。また以前のようにおでこに逃げられたら嫌だったからだ。ちゃんと唇に欲しいという気持ちが恥ずかしさよりも強かった。
「目、ちゃんとつぶれ」
鼻が当たりそうになったところで、カドックがいう。
「やだ」
小さなその声に、しょうがないという視線が注がれる。
(息、できない)
近すぎるその距離。まだかと思ったところで、唇に柔らかい感触が伝う。
(――あ)
目を瞑った。やっともらえたキスだった。ぬるっとしたリップクリームに唇が摩擦なく押し当てられ、その感覚に胸が苦しいくらいドキドキした。
(こんなにも、嬉しいことなんだ)
触れる唇から伝う熱が愛おしい、好きという気持ちが溢れて胸の中に落ちていく。それでも生理現象のように、瞳からうっすらと涙がでた。
「んっ」
思わず零れた声に、離れる熱。はぁっとようやく息のできる距離。カドックの胸に添えた自分の手には早い鼓動が打ち付けられていた。
(ねぇ、今どんな顔してるの)
そんな気持ちで見上げようとしたら、目を手でふさがれた。
「見るな」
焦ったようなそんな声だった。
「卑怯じゃない」
「うるさい」
きっと今照れている顔をしているんじゃないかと思うと、見たい気持ちが胸をくすぶる。しかし空いた手でカドックの手を引っ張ろうとしても離れなかった。
「もう一回キスするぞ」
そんな脅しのような声は立香からすれば脅しでもなんでもない。
「すればいいじゃん」
ほらといわんばかりに口を閉じた。
(私だってもう一回キスしたい)
あの熱が欲しいと思う。触れ合った瞬間、好きという気持ちが溢れて止まらない。その多幸感あふれる感覚を欲しいと思うのはしょうがないことなのだ。
しかし待っていても一向にキスされることはなかった。代わりに顔についていた手が外れる。
「えっ」
「また今度。……氷嚢返してくる」
さっと離れる体。待ってと声をかけようとしたところで、カドックが振り返る。
「……礼装じゃなくて、立香が可愛いと思ってる。だから好きな礼装着ればいい。じゃあな」
バタンと閉じる扉。立香は壁にもたれた。唇をなぞると、胸が鳴る。
(何それ……)
目元を擦ると、うっすらと出た涙が手についた。しかしこれはもう関係ない。先日はっきりといったのだ、これは無視して欲しいと。そうなるとカドックの意思で、立香を避けているような気がした。
「いじくなし」
ぼそっと立香は恨めしそうに呟くしか今はできなかった