片思いカドックと決めた今後の方針。その元で立香はあれから数日変わらない日々を過ごしていた。
朝起きて、朝の素材集め。昼にはレポート。眠くなったらトレーニングをして、夜の素材集めを終えて眠りにつく。
そんなルーティンともいえる動きは思考の余力を与えるもので、方針を立てたその翌日からずっとカドックのこと考えていた。
(会いたい)
そう思うのは自然なこと。立香はカドックが好きなのだから。
あれだけ本人の前では会いたくないと言っても、いざ会えない日が続くと会いたいと思うのだ。
(今日は、1回も見てない)
食堂で少しだけ見る姿。廊下で遠くに見える姿。そんな小さな背中に視線を注ぐも、それでは少し足りないと思う今日この頃。もう背中を眺めるだけでは満たされないのだ。
そんな欲求を満たすため、立香はふらっと図書室を覗きこむ。しかしそこにカドックの姿はなかった。
今は昼過ぎ、ちょうどレポートの資料を返しに来たところだった。返却の手つきも慣れたもので、ささっと終わらし後は図書室を後にするだけ。
――そのはずだった。
「……」
立香はピタリと足を止める。踵を返して向かうは、いつも自分が読んでいる漫画のコーナー。レポートで使っていた端末にコードを刺し、よさそうな本をダウンロードしていく。
(……ちょっとだけ)
ダウンロード画面が完了を10%ずつ教えてくれる。その様子をじっと見つめた。
――ピピッ
そんな音ともに、端末へのダウンロードが完了する。
本棚で入り組んだ図書室は、棚が整列していても入口から奥は見えづらくなっている。その構造を利用するように、立香は入口がよく見える奥の席を陣取った。
しかし頬図絵をついて眺めたところで、その入り口から思った人が来るわけでもない。
(わかってる、わかってるんだけど……)
淡い期待を持ちながら、タブレットに目を落とす。
そこには同じく淡い恋をする女の子の姿。のめり込むように立香はその漫画を読んだ。
(いいなー甘酸っぱい恋)
端末の画面を遊ぶように立香が指で弾く。
――恋愛というのはこういうもの。教科書のようにその漫画を読んだ。
ドキドキとする胸を抱えながら、徐々に相手に惹かれていく。手探りに相手の表情を伺い、答えを探す日々は、胸がときめくものだった。
(私だって……恋をするなら、こういう恋をしたかった)
コツンと指が端末を叩く。さっきまで片思いをしていた少女が両想いになった瞬間だった。興味を失ったように、立香は漫画を閉じた。そしてまた、他の漫画へと指が動く。
――立香の願望は叶わない。
立香の好意は確かなもので、カドックからの好意も確かなもの。そして二人は恋人という関係が、何よりもその願望を否定した。
普通の乙女なら嬉しいはずのその関係。それでも立香の中で未だその実感が沸かないのだ。まだ片思いの延長線。会いたいとは思っても、話したいとは思わない。
立香のいるその場所がその気持ちを強く表していた。
「……」
ふと思い返す自分の恋路。どこに行っても同じことをしていると思った。
『帰り道が一緒にならないか期待して、下校時刻をずらす』、『最寄りのコンビニで会わないかと思って、用もなく寄ってみる』
全ては『好きな人と、たまたま会う』そんな機会を探すため、に意味のない行動をとってしまう。
――図書室で来ない彼を待つ姿は、その頃とちっとも変わっていない。
ちらっと時計を見ればまだ14時。後1時間は時間はスケジュールに余裕があった。
(もうちょっとだけ)
もうちょっとだけ――彼が来るかもしれないドキドキを味わっていたかった。
***
立香の図書室通いが3日続いた頃。思い人はようやく表れた。入口が開く音にちらっと眼を向ければ、こちらには気づいていないようだった。その姿にドキンっと立香の心臓が脈打つ。
『会いたかった』
恋人であればそういうのだろう。しかし立香は違う。
(やっと見れた)
背中ではなく、顔がどうしても見たかった。手に持った端末を静かに置いて、バレないように物陰に隠れながら、遠くに見えるカドックの様子を伺った。
カドックは借りた本を返却しつつ、立香同様、何かをダウンロードしているようだ。
そして棚を見回ってお目当ての本をいくつか手に取っていく。その量はあまりにも多い。
読むだけでも数日かかりそうな量を軽々と持っている。
(そりゃずっと待っててもこないわけだ)
広い図書室の中で、的確に自分の欲しい本を見つけられるのは、その大量の本を常習的に借りているからなのだろう。
追加で難しそうな、貸出禁止の記録本を手に取った。それ数冊を持ってカドックはようやく広間の席につく。
図書室の広い机を存分に利用して、それぞれの本を漁る姿は真剣そのもの。下を向く視線はしばらく見ても、一向に上を向くことはない。
(もうちょっとだけ)
少しだけ立香の足が動いた。棚8つ距離から棚6つの距離へと近づけば、顔がさっきりよりもよく見えた。
(あれが……私の彼氏……)
例え今までどんな美形のサーヴァント達をみてきたとしても、立香は彼をカッコイイとと思うだろう。なぜなら立香は今になってようやくカドックの顔を真剣に見たからだ。
ずっとずっと一緒に過ごしてきた時間。馬鹿みたいなこともした、怒られたり、笑ったり、驚いたり。そんな時間に意識したこともなかった顔。それを今やっと意識して見る。
立香がぼんやりと浮かべていた妄想の顔は、現実の顔とは似ていても、違っていた。
鋭く、真剣に本を見る眼差しから目を離すことができない。しかし体は見てられないと、悶えるような緊張感を張り付けてくる。
(あぁ……私、やっぱりカドックが好きなんだ)
どれだけ無理な火つけでも、それが恋ということは変わりない。胸の高鳴りは正直な気持ちを突き付けてくる。
そんな熱い視線を送り続けてしばらくすると、カドックがパタンっと本を閉じた。その動きに見つかるかと思い、立香も咄嗟に身を引いた。
――バサッ!
(あっ……!)
大きな音と共に、立香の肘に当たった本は落下する。慌てて身をかがめて本を拾えば、心臓はバクバクと鳴った。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。バレないようにしないと! )
急いで本を直して、立香は自分の端末を手に持った。幸いカドックのように、紙媒体で本を借りてはいない。本を戻す作業は生まれず、後は図書室を出るだけ。
(あっ、あっ、どうしよう! )
走り出そうとしたところで、立香は足踏みする。図書室の入り口は出口でもある。その出口を目指すには、どうしてもカドックのいる机のある広間を経由する必要があったのだ。
考える逃走経路。なるべく迂回して、カドックの座っていた席から1番遠い通路に入り、広間に出て出口へと向かう。
(走ったらすぐ! 走ったらすぐ! )
言い聞かせるように心の中で呟き、駆け出す足は棚を1つ、また1つと超えていく。そのまま3つ目の棚を超えようとした時に視界の隅で白い髪を捉えた。
「っ……!」
じっと見つめてくる視線に、思わずその方向を見てしまい、足が鉛のように重くなる。
(なんで、もういるのっ……!)
絶対絶命ともいえる顔になるも、カドックはゆっくりこちらに向かって歩くだけだった。
――なぜ話しかけないのか。その疑問は考えればすぐにわかること。立香の位置とカドックの位置が遠く、離れているからだ。静かな図書室で会話をするには、もう少し距離を詰める必要がある。
(やだ、やだ、絶対話したくない! 気づかれたくない……! )
――ずっと図書室で待っていたこと。カドックの顔を遠くから眺めていたこと。
そんな自身の恥部でしかない部分を、当の本人へ晒すなど耐えがたい恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
歯を食いしばり、目をぎゅっとつぶる。カドックの存在を視界から消し去れば、鉛のような足も少しは動くようになる。
不自然な走りに肩を棚にぶつけながら走る。うっすら目を開けて前を向けば、広間を越えて出口はすぐそこ。
――ガガッ!
自動ドアの開閉すら待てず、立香はドアを無理やり開けた。
そして廊下に出て、走る。
走って走って、無我夢中に走った。途中で何度か転びかけても、すぐに体勢を整え走り続ける。
――誰も、追いかけて来るわけじゃない。図書室を出たところで、そんなことは本人も気づいていた。それでも走り続けるのは、自分の行動からくる羞恥心から逃げ出したかったからだ。
――ピピッ
素早く打つパスコード。あの日と同じように乱暴に端末をベッドに投げ、自分の身もベッドに投げ込んだ。その勢いにベッドは軋んだ音を立てる。そのまま立香は枕を顔に押し当て、息を深く吸った。
――スゥゥゥ
「うわぁあぁん!! 」
枕に押し当てた大声は、どれだけ叫んでも小さなものになった。足をバタつかせて、思うままにベッドを殴っても気持ちは落ち着かない。
(やだ、やだ、もう何もかもやだ)
カドックの姿を見ると、胸が温かくなって心地いい高揚感がある。
しかしその目がひとたび、こちらに向けられれば、それは胸を刺すような刺激となる。
(あんな……あんな私っ、あんな姿っ、見られたくなかった……!)
またバンっと立香がベッドに拳を下ろす。思いっきり振りかざした手は少し痛かった。
カドックの視線に耐えられない。あの日は確かに耐えられたはずが、数日たった今はもう無理なのだ。
「好きなのに……っ」
整えられたシーツが暴れたことで皺を寄せる。さらに立香がそのシーツを憎たらしく握りしめた。
これがただの片思いだけであれば、ここまで取り乱すことはなかっただろう。
しかしカドックから送られてくる視線は熱を帯びたもので、愛おしげに目を細めて笑われれば、向こうの気持ちも伝わってくる。少し前は両想い安心したはずの視線。それが今では耐えられない。
(やっぱり、片思いがよかった……!私だけが見てればよかったのに)
好きで好きでたまらないという気持ちが、立香の心をくすぐった。
それを知られるのが恥ずかしくて嫌だった。醜い自分を見られるのが何よりも耐えがくて、恥ずかしい。
いつから自分はここまでウブだったのだろうと思い返しても、答えは見つからない。まだ気持ちの整理もつかないのだ。
――気持ちのままに散々暴れた体は疲労感を呼んでくる。その疲労で掻き立てられた羞恥心も、落ち着いていった。
立香が叫ぶことはもうない。枕から顔を離して抱き枕のようにして抱えた。ぎゅっと全身で抱きしめれば、柔らかい枕が形を変える。その感触に少しだけ立香は想像した。
(こんな感じで、抱き着くこともあるのかな)
脳裏によぎる妄想。それが嫌だった。あり得ない話なのだ。顔すら見えない相手に抱き着けるはずなどない。しかし、立香の中にはほんの少しずつ、積もるような欲が重なっていた。
ぎゅっとまた枕を抱きしめる。
思い返すように、あの時感じた罪悪感が胸に広がった。
『折り合いをつけよう』、『時間をかけよう』そう言ってくれた優しさが辛いくらいに胸を締め付ける。
カドックの方が立香が思うよりもずっと欲を重ねているはずだ。それを合わせてくれている。
(自分は我慢しないでっていうくせに)
胸の辛さを紛らわせるため、そう心の中で呟いた。
しかしそれは立香が泣くことに対しての話。お門違いの恨み言。
自分がカドックの欲のまま触れられればどうなるか。そんなことは立香だってわかっていた。それでも我慢されるのは嫌なのだ。
(きっと、あの時……カドックも同じこと思ってたのかな)
涙の跡を拭いた手を思い出した。あの瞬間は確かにもっと触れて欲しいと思ったのだ。
立香はごそっと右手を枕から出す。それは令呪の光る手は特別な手。カドックが何度も握った手。
その手を大事に立香は胸に当てた。
(――私は……いつかカドックとキスをするのかな)
熱くなった頬を枕に擦りつける。あの顔面が顔に近づく。その想像だけで無理だった。
しかし、それではいつまでたっても先には進めない。吐き出せない欲に飽きられて、そのまま関係が終わってしまうのかと思えば、不安にで押しつぶされそうだった。
あの時は出せなかった答えが、今となってはハッキリとした答えとして出てくる。
(別れたく、ない……)
心地よかったあの時間に思いれを感じても、戻りたいとはもう思わない。
どっちつかずの気持ちが、今では一途にカドックとの関係を望んでいる。
ちらっとカレンダーを見れば、約束した日は明後日だった。
(何か、しないと。少しでも、カドックの喜んでくれることをしてあげたい)
それが一体何なのか。思考を巡らせていくうちに立香の瞼は閉じていった。