2人が得たもの【立香の得たもの】
立香はうきうきだった。それはもう誰が見てもわかるほどのご機嫌具合だった。毎日のルーティンなどはこなしているものの、省略できるものは省略して足早に部屋へと帰る日々が続く。
「ふふーん」
今日も早速やることを終わらせ、立香はベッドに寝転んだ。頬杖をついて、にんまりと笑う視線の先にはタブレット端末。そこに写し出されているのはカドックからもらった映像だ。
(あぁ、幸せ)
待ち伏せるドキドキがなくなるのは惜しかったが、それでも好きな時に好きなだけ見れる方がいいに決まっていた。
タブレットに映るカドックの表情は、トラオムの記録ともあって少し冷たい。しかしそれがまた懐かしく立香の心をくすぐった。
(今日は何を見ようかな)
色んなカドックの表情が見たかった。何をして、何をみて、どんな反応をするのか。それを映像から読み取るのは時間を忘れてしまうほど没頭してしまう。
「……あーでもこれは」
まだ見ていない記録に手が伸びるも、内容を察して立香は手を止めた。
(奥の手、だもんね……)
あの時の表情は、映像で見なくとも覚えている。それを今更見たいかと言われれば、なるべく避けたいに決まっていた。
思い出しただけで、胸がヒリつくのだ。悲しいのか、不安なのか、嫉妬なのか、とにかくネガティブなものに変わりはなかった。
(他の、みよ)
現実から目を背けるように、他のログを探した。しかし何日も映像を見漁っていれば、粗方のデータは見終わってしまう。目新しいものなどそこになかった。
「うーん」
迷うように指はタブレットをなぞる。ピンとはじくような操作は、その勢いで画面の一番下まで移動した。
(あれ、こんなページあったんだ)
きちんと並べられ、整理されたデータログ。てっきり22/22で終わると思っていたものが、その先には残されていた。
『未完成データ』
そう書かれたファイルは開けてみても映像は流れない。絵コンテのような紙芝居風のデータ。そしてもっと詳しく見れば、別撮りで記録されている音声データがあった。
「なんだろ……? 」
仮にもレイシフトしたのは立香自身。知らない記録などあるはずもなく、どこかしらで見覚えのあるはず。そう思って開けた。
――しかしその音声データは立香の知らない、記録にのってない、言葉を発する。
『いいや、僕のサーヴァントは後にも先にも一騎だけでね』
「あっ……」
聞きたくない内容を聞いてしまった。それが見知った記録であれば、まだ心構えもできただろう。しかし立香にとってそんな言葉は初めて聞く言葉だ。
(記録が……残るはずがない……)
たった一言。そんなところまで立香の知る、紙の記録媒体にのるはずがなかった。
カドックが単独行動をしていたこと。その行動から得られたもの。記録というのはそういった結果を主軸に残される。
(……これは改竄用データ。原本だもんね)
カドックの言葉を思い出す。立香は冷たくなった自分の指先で、タブレットをなぞった。見たのは自分の意思であって、それにショックを受けたのは仕方のないこと。
そう頭では分かっていても、胸がチクリと痛む。その痛みを晴らすように、手に持ったタブレットに頭をぶつけて下を向く。
「悲しむ必要なんか、ないのにね……」
立香は呟きながら、つい先日のカドックの顔を思い出した。
もしカドックと恋人でなければ、きっと今頃むせび泣いていただろう。しかしそんな涙が出ないのは、あの愛おし気な視線を知っているからだ。
(変なの、あれだけ片思いがいいって思ったのに)
立香はタブレットをサイドテーブルに置いた。そして、気持ちを落ち着かせるために枕を抱きしめる。目を瞑れば、今までの自分の行動を振り返って、愚かだと罵った。
あれほど焦がれた片思いは、片思いのいいところしか見ていなかったのだ。本来の片思いであるなら、こういった苦みが付きまとうもの。
むしろこの苦味が片思いの本質といえるだろう。
そんな中で味わえる甘みなど、コーヒーに砂糖をひとさじ入れた程度のものだ。
(私――)
ポツンと一つの思いが胸の底に落ちて、広がっていく。
(贅沢なことを願っていた)
抱きしめた枕から、視線をタブレットに映す。好きな人の写真を見て、映像を見て、喜ぶなど恋人の自分がするべき行為ではない。
「……消そう」
呟いて伸ばした手は、タブレットの画面をつける。そして、カドックからもらった共有を切った。
(……惜しいなんて思っちゃいけない)
消えるデータを立香はじっと見つめた。
100%と画面に表示されれば、タブレットにはもう二度と、あの頃のカドックが映ることはなかった。
「……私は、恋人だもん」
またぎゅっと枕を抱きしめた。胸を針がつつく。チクリチクリとする痛みはその一つ一つが立香の想像する彼女の姿だった。それでも痛みはまだ鈍い方。立香の知る限りの痛みより、遥かにましだった。
「大丈夫、大丈夫……」
そう呟いて、自分に言い聞かせた。そうでもしないと不安で押しつぶされそうで、今にもカドックに会い行ってしまいそうだった。
(後何日だろう)
一週間という取り決めをつけた自分が憎かった。後数日は会えない現実に顔が歪む。
「……無理かも」
押し殺したい不安も焦燥感も、一度出れば堰を切ったように溢れてくる。ただそれをじっと受け入れるほど、立香は大人しい子ではなかった。
(このままじゃダメ。もっとカドックに好きになってもらいたい……)
向き合うと決めたなら、今までのような受け身じゃダメなのだ。自分からの行動を、アピールを、しなければならない。
(何か、ないかな……)
そう考えても、カドックの好みなどわからなかった。
(私、何も知らないんだ)
ふいに思い出すカドックの言葉。
『もっと時間をかけよう。もっと藤丸を知りたい』
(あの時、君はこんな気持ちだったのかな)
目を瞑れば、最初に泣いてしまったことを思い出す。1回目は恥ずかしくて泣いてしまったが、あの時のカドックはどんな気持ちだったのだろう。
逆の立場になって、今想像すれば、答えはすぐに見つかった。
(そりゃあんな顔するよね)
じんわりと立香の心に沁み込む温もり。言葉こそなかったが、カドックの行動は全て好意に満ちていた。
思い返せば返すほど、カドックに触れたいと思った。あの時のように頬を撫でて欲しい。手を握って欲しい。――抱きしめて欲しい。
「あぁ、こんな気持ちだったんだ。君は……」
自分は酷いことをしたのだと自覚した。今更ながら知った彼の気持ち答えたいと思う。少しでも喜んで欲しいと願った。例えそれが面倒な、”女の子”がするようなことでも、今はそれをしたかった。
立香は思い立ったかのように立ち上がる。勢いよく歩いて掴んだのは部屋のクローゼット。
バンッと大きな音で扉を開ける。そして乱暴に服をかき分けて、奥にしまった部屋着を取り出した。
「……可愛くない」
それは大昔の支給品。奥に押し込んだのでしわしわになっていた。サイズだってもう今の立香には合わないだろう。しかしその服を持って、立香は踵を返す。次に取ったのは携帯端末。QPの残高を確認し、必要になりそうな素材に目を通しす。そして脳内で色々と計算した。
(……大丈夫、余分にある)
立香は目を瞑ってまた考える。素直に可愛い部屋着が欲しいとはいえないのだ。
『部屋着が小さいので交換したい。素材もQPも余ってるから、せっかくだし使って欲しい』
(うん、我ながら完璧な口実)
納得するように頷いて、立香は決心したように目を開ける。
「……よし」
訪ね先など決まっている。
(あの二人なら、きっと引き受けてくれる)
未だ胸を騒がせる焦燥感が、立香の足を速くさせた。
【カドックの得たもの】
立香と恋人になって早1週間。カドックは真剣図書室で本を借りていた。もっとも、借りているのはいつもの真面目な本ではなく漫画。先日立香からもらった閲覧履歴の情報を元に、その本を片っ端からダウンロードしていた。
(あの時は、気づかなかったが……)
画面に映る表紙は全て男女が描かれていて、それが恋愛漫画だと一目でわかった。
(そりゃ言いにくいよな)
心情を察するも、カドックは気持ちはソワソワとしていた。立香の母国、日本の漫画。それは日本人としての文化が詰まったものだった。ましてや女性向けを狙っている作品であれば、これを参考にする価値はあると考えた。
――ピピッ
ダウンロード完了と音ともにカドックは端末に刺さったコードを引き抜く。
「よし」
紙媒体でも何か日本についての文化を調べたかったが、流石にそれは諦めて図書室を出る。データの履歴など見られなくても、物理的な本であれば人の目についてしまう。恋人という関係を伏せている以上、それは避けた方がいい。
速足で自室に戻ってベッドの枕を背に端末を開いた。
カルデアの閲覧履歴は優秀だ。一度連携すれば、調べようと思えば何の本をどこまで読んだかわかる。
ひとまず立香が読んでるであろう漫画の一番古いものから読んでみることにした。
「……なんだこれは」
しばらく読んで、カドックは困惑するように声を漏らす。念のための確認と言わんばかりに表紙に戻るも、そこには健全な漫画とあらわされており、規制の表記はなかった。
「これは、日本では全年齢なのか……」
開けているページは、男女がなまめかしく足を絡めて、服を脱いでいる描写があった。隠れてはいるものの、そういう描写だとは誰でもわかる。
(これを……藤丸が……? )
あのウブな立香がこんな過激な漫画を読んでいるのが、にわかに信じがたかった。
「……」
何かの間違いかと思い、閲覧履歴を何度も確認する。しかしその本は立香が読んだ本ということで間違いはなさそうだった。
そうなるとカドックの頭は推理に回る。漫画など好んで読むものだ。それは少なからず自分の願望だってあるのかもしれない。
(いや、でもな……)
カドックが思い浮かべる立香はいつだってうぶだった。そんな彼女に、この漫画のような行動をとれば、本気で泣かれる気がした。
そうなると自分がされるのと、読むのはまた別なのかもしれない。単純な好みや興味だってあるだろう。
(きっと、そうだ)
半ば強引に思考をやめる。カドックは漫画を読むことに集中した。活字の塊と違って、漫画の文章など取るに足らない。早速読み終え、次の作品を探す。すると閲覧履歴から複数回読まれただろうものをみつけた。
(これなら普通だろう)
そんな思いは、表紙をめくってすぐに打ち砕かれる。目に入るのはまた過激な漫画。今度は喘ぎ声まで入っていて、急いで表紙を確かめた。
(嘘だろ……。これも全年齢なのか……? )
驚きながらも、読み進める。しかし雲行きが怪しいものだった。
「……はぁ」
明らかにその本は普通の恋愛漫画にしては過激だ。
そしてこんな漫画を何度も読んでいる。その事実からは淫らな憶測を立ててしまうのも無理はない。
「僕は……悪くない、とはいえないか……」
立香が閲覧履歴の連携で、どこまでのことができるのか、知っているはずがない。暇つぶし程度に漫画を読んでいる立香と、日ごろから大量に本を読むカドックでは端末の理解度が違うのだ。
(藤丸は知らないんだろうな……)
知っていれば連携はしなかっただろう。今読んでいる本はかなり前に借りられた本。恐らく付き合う前の本だった。
(これ以上読むのは……)
良心が漫画を閉じろといってくる。しかしカドックは自分の心を無視してページをめくった。
(いや、それとこれは別。文化の違いを把握するんだ)
内容にはほどほどに目を通して、片っ端から立香の読んだ漫画を読み漁るカドック。それはどれもこれも甘く、胸焼けしそうだった。
「ふーん……」
時々見つける何度か読まれた履歴を頼りに、立香の好みを考える。
「なるほど」
今までの自分であれば、生きていく上で絶対に読まない漫画だ。自分でもおかしなことをしていると思った。それでも何か手がかりが欲しかった。
そんな日が数日続いたところで、カドックはまた図書室と自室を往復した。いくら優秀な端末とはいえ、入る容量には限度があるからだ。取り込めなかった直近一か月のデータを取り込みたかった。
(……にしても、不思議だな。視線を感じない)
あれほど先週までは感じていた視線。食堂でも、廊下でもふいに感じるものだった。最初こそ誰かからの悪意かと思うも、振り返ればその視線の主が立香だと気が付いた。普通に声をかければいいものを、近づけば逃げるのだから困ったものだった。それがピタリと止まったのは、なぜなのか。考えなくともすぐに浮かぶ。
カドックは憶測の答え合わせをするようにタブレットを開いた。目的は先週立香に渡した記録。閲覧回数を確認すれば、その憶測は正解だと教えてくれた。
「はぁ……」
恋人である自分には目もくれず、データの自分に没頭しているようだった。思わず出たため息は呆れも交じりつつ、苛立ちも混ざった。
(人の気持ちも知らないで……)
立香が嫌がらなければ、もっと会っていたし、もっと二人の時間を過ごしていた。それをデータごときに奪われれば、当然のように嫉妬する。しかし相手も自分というのがまた複雑だった。ちらっとカレンダーを見ればまだ会うまで日は何日か猶予がある。
(そっちがその気なら、こっちだって好きにさせてもらう)
腹いせのように立香の履歴から得た漫画を開く。少し前まであった罪悪感も、仕返しのような気持ちで上書きされた。そして読み進めたところで、感じた違和感。
「……まともだ」
あれほど過激なものばかり読んでいたわりに、最近のものはいたって平凡な漫画になっている。それでも恋愛漫画に変わりなかったが、どちらかというと恋人より以前の関係を表した作品が多かった。
ペラペラとまた速読して、何冊が手にとったところでふと気づく。
(なんでここで続きを読まないんだ)
何巻かある漫画、その全てが中途半端で止まっていた。これは何かの法則でもあるのかと、カドックは読み返した。すると共通する内容は決まってくるものだった。――全て恋人になった次の巻から止まっている。
「なんでだ……」
また浮かぶ疑問にカドックは漫画を読み返す。すると出てくるシーンが妙に既視感を覚えさせた。
好きな人に少し接触するだけで頬を盛大に染める。遠くから眺めてうっとりとほほ笑む。手に入れた写真をずっと眺める。
その行動は全て今の立香と一致する。
「――片思いが、好きってか」
カドックの顔は引きった苦笑いを浮かべる。こんなことがあるとは思いもしなかった。立香との関係はその漫画のように辛い気持ちも何もなく、恋人という絶対的な枠組みが作られているのだ。溺れてしまえばいい関係に、未だに抗おうとする姿は理解しがたかった。
「はぁ……」
盛大なため息をついて、顔を仰げば脳裏にぼんやりとしたあの子が浮かんだ。
『カドック、貴方っていつもそう。女心をわかってないわ』
むっとするその顔に、いつも戸惑わされた。
(そうだよ、未だにわからない)
『貴方を振り回すのも楽しいけど、たまには自分の気持ちも伝えなさいな。じゃないと本当に好きになった子にも、振り回され続けるわよ』
あの時はなぜそんなことをと思ったが、今思えば彼女は全てお見通しだったのだろう。
(藤丸と、アナスタシアは似ていても違う)
好意と信頼はまた別で、依存という歪な気持ちは、脳が恋へと錯覚させた。きっとそれを彼女はわかっていったのだ。だからあの場で仮初の恋愛ごっこに付き合ってくれたのだろう。それがあの時の自分にとって、心のよりどころになると、聡い彼女は考えたんだ。
「君がいたら相談しただろうな」
ぺらっとめくった漫画を見て、なんとなく昔いわれた言葉を思い出す。
『そうやって調べてばかり。たまにはフィールドワークも大事よ。記されたものは、過去のもの。目で見て、肌で感じたものは今のもの。そうじゃなくって? 』
「……なるほどな」
ふっと自嘲気味にカドックは笑う。まさかあの時いわれた言葉が今になって役に立つなど思いもしなかった。
(目で見て、肌で感じてか。思えば僕も随分、藤丸に譲歩してたのかもな)
パタンと本を閉じ、目もつぶる。すぐに思い浮かぶ立香の顔は可愛くて、脆い。自分の気持ちや欲を伝えればきっとまた泣いてしまうだろう。
(この前だって危なかった……)
しかしこのままでは立香の片思いに付き合わされるのは目に見えている。そんな生ぬるい関係でいるために、恋人になったわけではない。
すっと目を開け、閉じた本を見る。ここ数日の労力をかけた読書は、得られるものがあった。それは立香の好みだけでなく、日本の漫画という概念から傾向というものがわかった。
どうやら日本人は言葉というものを自分が思ってる以上に、大切にしているようだった。その証拠に『愛している』こそいわないが、『好き』という表現はよく発していた。
しかしカドックからすると、その言葉のニュアンスに違和感しかない。恋人を好きと表現するには愛しているが適切だ。そうなると、もう少しだけ時間が欲しかった。
(他にはないのか……)
パラパラとめくるページ。断片的に見える絵から内容を思い返す。
(……そういえば、名前は特別か)
あまり気にしていなかったが、下の名前というのは特別感があるようだった。
(立香、か……。藤丸って呼ぶ奴の方が少ないから、こっちのほうが特別感がありそうだけど……やっぱり呼び方を変えてみるか)
ふと立香の顔を思い浮かべる。名前を呼べばどんな反応が返ってくるか、それを想像すると少しだけ口元が緩んだ。
「悪くない、か……」
その反応を期待するだけで、得られるものはあったのかもしれない。