呼び方「オーガス、オライオン、英、リーベル、ヴェイル…」
指を折ってその数を数えていく。すると隣から不思議そうな視線を向けられた。
隣にいる男ー、八乙女楽は呼んでいた台本を閉じた。
どうやら大和の発した言葉が気になったようだ。
「如何した?」
「お前と共演した作品の、お前の役名だよ。色々あったなー、って思って。あ、最近だとガイアもか。あと頭領…ってか俺からしたら呼び方は兄貴だったけど。あれは新鮮だった」
実際は俺の方が年上なのにな。そう言えば、数ヶ月だけだろ、と返される。
拗ねたような八乙女の言葉にふふ、と笑いながら大和はふかふかのソファに身体を預ける。八乙女がこだわり抜いて購入したというそれは、大和の身体を優しく受け止めた。
「それが如何したんだ?」
「いやー、結構、いろんな役柄を演じてんだなー、って思って」
「それを言うならお前も同じだろ?ファブラ、シンカイ、重、クウラ、ウィスト、ヤマーソン。ドラマコレクションの時は役名がそのまんま自分の名前だったから、俺的には名前で呼べたのは嬉しかったな」
嬉しそうに緩む表情は俺の好きなコイツの顔の一つだ。
とは言っても、イケメンはどんな顔をしていても違和感がないから狡いよな。
「…、呼ばれるこっちは恥ずかしかったんですけどー」
「何でだよ。いつも呼んでるだろ」
「…だからだよ。カメラとか他の人がいる前じゃ、今も二階堂じゃん」
「まぁ、そうだな」
それは仕方がない。
俺たちは公私をきっちり分けるタイプの人間だ。仕事とプライベートは別物。そうする事に不満なんてないけど。
そう、不満なんてないんだ。
「で?突然どうしたんだ?」
「んー…、なんかさ、お前の事、色々な形で呼んでるなって思って」
「そう言われればそうだな」
「ま、作中で直接やり取りしてない役もあるんだけどさ。でもそれって凄いなー、って思ってさ」
「すごい?」
「だってさ、ふつーに生活してたらこんなの、味わえないじゃん」
「?どう言うことだ?」
大和の抽象的な言葉に八乙女が眉を顰める。
顔が整いすぎているせいか、一見しただけでは冷たい印象を受けがちな八乙女だが、その中身が誰よりも熱く純真でまっすぐな事を大和は知っている。
それゆえに八乙女の表情はころころと変わりやすい。
つまり八乙女は分かりやすく嘘を付けない男であった。
そう言うところも相まって、大和は彼に惹かれたのだけれど。
「好きなやつの事、色んな形で呼べる機会なんて、早々ないじゃん。それがすげー事だなって思って。まぁ、もちろん役だからさ、現実と混同してるってわけじゃねーんだけど。呼び方とか名前もだけど、色んな役の色んな顔とか表情とか見るたびに、すげーな、って思って」
色んな役柄を演じている姿を見る度に、その姿に惹かれる。
あ、そんな表情できたんだ。そんな声出せたんだ。
そう思う度に胸が高鳴る。何度だって、こいつに恋をする。
柄になく、そんな少女漫画みてーな事を思っちまったんだ。
「…、酔ってんのか?」
「んー、お前さんは俺がビール一本で酔う男だと思ってんの?」
「思ってない」
「なら、酔ってないよ」
「…、ならなんで、いきなりそんな事…」
はっきりとしない言い回しが気になって、ちらりと隣を見れば、そこには薄らと赤くなった頬があって。
肌が白いから照れるとすぐにわかるんだよな。
そんなところも大和にとっては愛おしいと感じるところだ。
「なんかさ、お前が台本読んでる姿見てたらつい思っちまった」
「…?そんなの、いつものことだろ」
「そう。いつもの事だ。…、でも、だからさ、今度はどんな楽が見れるのかな、って思ってさ」
持っていたビール缶を机の上にことり、と置く。
中身のないそれは、軽い音をしながらそこに鎮座した。
そして自由になった指で、八乙女が持っている台本へと指さした。
「またかっこいいのかなぁ、とか。逆に今までやった事ないような役なのかなぁとか。…、また、その顔で可愛い女の子を口説くのかなぁ、とか。そう思ったら、つい」
「……」
「ごめんな、台本読んでるのに邪魔しちまって。読むの再開していいぞ」
そう言って大和は新しいビール缶へと手を伸ばした。
あぁ、いけない。
こんな事を言うつもりなんてちっともなかったのに。もしかしたらビール一本で酔っ払ってしまっているのかもしれない。
ならばこのままふかふかのソファに横たわり酔い潰れて眠ってしまおうか。
心の中に芽生えた小さな嫉妬心に、自分が嫌になる。
こんな思いを抱いても仕方がないじゃないか。
自分たちはアイドルだ。そして俳優でもある。与えられた役を出来る力の限り演じ切る必要がある。
それなのに、なんでこんな事、思っちまうんだろう。
本当に情けない。
その気持ちを隠すために今まで八乙女と共演した作品の事を思い返していたって言うのに。逆効果じゃないか。
「そんなの、俺もだぞ」
「…へ?」
「俺もいつも思ってる。いや、俺の方がめっちゃ思ってる。お前が色んな役を演じる度に凄いって思うし、負けらんねぇって思う。…、相手の女優を口説くシーン見るのだって、本当は、キツい」
「…!」
「なんだその顔、俺、知らねーぞって、何度も思った。けど、その度にこうも思うんだ。二階堂大和って言う一人の男が見せる素の表情は俺しか知らねーんだよな、って」
そう思ったら、胸の中に湧き出したどうしようもない気持ちがちょっと落ち着くんだよな。
持っていた台本を机の上に置いて、大和を抱き寄せながら八乙女はなんて事ないかの様に言う。
途端、嗅ぎ慣れた八乙女の匂いが鼻腔を擽った。
同時に服越しに感じる八乙女の体温が暖かくて心地よくて、思わず、自分の醜い気持ちから逃げる様にその身体にぎゅっと抱き付いた。
それに応えるように八乙女もまた、大和を抱きしめ返してくれる。
八乙女は何も言ってないのに、そんな事思わなくても大丈夫だって言ってくれている様だった。
「今だって、大和がヤキモチ妬く姿見れて、すげー嬉しいし」
「…、んだよ。別に、妬いてねぇし」
「ははっ、良く言うよ。…、でもま、悪かった。大和と一緒にいるのに台本読むなんてさ」
「…別に。だって、急遽内容、変わったんだろ。それなら仕方ないって思うし…、俺が同じ立場だったら、同じこと、する、だろうし…」
八乙女の肩口に顔を埋めながらモゴモゴと話す。
そうなのだ。別に八乙女だって好きで読んでるわけじゃないってことは分かってる。でもどうしても感情が追いつかなくて。
元々、今日は二人で会う約束をしており、約二週間ぶりの逢瀬に、大和は今日の日を楽しみにしていた。
けれど何の因果か、その直前に今撮影しているドラマの台本が変わったと連絡を受けたそうで。
久しぶりに顔合わせたた直後、八乙女は申し訳なさそうにその台本だけ読んでおきたいと、願い出た。
それを拒絶する権利なんて大和には無かったし、読んでおきたいと思う八乙女の気持ちもわかっていたから、承諾した。
けれどせっかく隣にいるのに自分の事をちっとも見てくれない八乙女を見ていたら、無性に悲しくなって。台本の内容が恋愛ものだって事も知っていたから、余計に苦しくなって。
だからせめてもと、八乙女と共演している時の事を考えたのだ。
共演している時はこんな風に不安になんてならなかった。むしろお互い本の読み合いをしたり、演技について話し合ったりして、楽しかった。
だからその時の気持ちで、自分の醜い心を誤魔化そうとした。
なのに、こんなにも簡単にボロが出てしまった。
あぁもう、本当に演技派だなんてどの口が言うのだろうか。
「うん。そうだよな。大和ならそう言ってくれるよな。それがわかってて甘えてた。だからごめん」
「…も、もう良いって。ほら、台本…」
「もう全部読めたから大丈夫だ」
そんなの嘘に決まってる。
それに謝ってほしいわけじゃ無い。
むしろこんな気持ち、知られたく無かった。
八乙女は優しいから。だから、大和の事を気遣ってくれる事もわかっていたから。
でももう大丈夫だ、と八乙女は言う。
その言葉に罪悪感を抱くと共に、心が疼くのが分かって。
「…、本当に?」
「あぁ。だからさ、顔、見せてくれよ」
そう言って、肩に顔を埋めていた大和の顔を上げさせる。
アイスグレーの瞳がじっと大和を見つめる。
眼鏡越しに見ても美しいその瞳には、自分しかー、大和しか映っていなくて。こんな事を思っちゃダメだって分かってるのに、その事が嬉しくて堪らない。
「…大和」
「…、んだよ」
「大和」
「ッ、だからなんだよ!」
「うん、やっぱりこっちの方が良いな」
「…?何言ってんの?」
じっと大和の事を見つめながら、何度も名前を呼ばれる。
その意図が分からなくて、大和は八乙女に抱きしめられながらも眉を顰めた。
「さっき話てた、呼び方の事だ。ドラマコレクションの時にも大和って呼べて嬉しかったけど、やっぱ、今の方が嬉しい」
「…ッ、何、言って…!」
「あの時のお前は、頭領としての俺しか見てなかっただろ。今のお前はただの八乙女楽を見てくれてる。そんなお前の名前を呼べる。それがすげー嬉しい」
そう言って八乙女は笑う。
少年のように無邪気でいて、大和のことが大好きだと言わんばかりの笑みで笑う。
恥ずかしげもなくそんな事を言うなと思わず怒鳴りそうになったけれど、そんな事をしてこれ以上、八乙女を困らせたくなくて。
ぐっと唇を噛み締めてその衝動を耐えていれば、そこに、触れるだけの軽い感触を感じて。
「…、いま、何…」
「そんなに唇、噛み締めんな。傷付くだろ」
「…いや、そう言うことじゃなくて…」
「あと、言いたい事があるなら、ちゃんと言ってくれ。お前には我慢してほしく無い」
「いやだか…、んっ」
何をされたか分からないままだった大和は尚も抗議をしようとしたが、再び八乙女の唇によって塞がれてしまっては、もう何も言えなくなって。
キスされている事を理解した大和は、暫く抵抗を続けていた大和だが、そのキスが次第に深くなっていくとうまく抵抗もできなくなって。
なんだか丸め込まれてしまっている気もしたが、正直なところ、八乙女とのキスが嫌いな訳でも無い。
むしろ心地良いと感じるそれに、仕方ないから今回は流されてやるか、なんて勝手な事を思った大和は、そっと自分の腕を八乙女の首へと回した。
そんな大和の意図を理解したのか、八乙女のも自身の手を大和の腰と頭に添えると、キスをさらに深くしていく。
「…ッ、ん…、がく…」
「やまと…」
絡み合う舌の心地良さを感じながら、時折溢れるのは、熱の籠った吐息と、お互いの名前。
そんな二人の身体をふわふわのソファがしっかりと受け止めていた。