小箱いっぱいの愛を彰人に、ずっと内緒にしている物がある。
このことを話せば、彰人のことだから「なんでまたそんなもんを……」と呆れてしまうのだろう。そうだろうとわかっているから、話すことはしないでいる。
それは冬弥の自室にこっそりと置かれていた。彰人と生活を共にするようになってからは、冬弥が自分で持ち帰ったゲームセンターの戦利品の中にこっそりと隠してある。
それこそ小学生の女の子が持っている交換日記についているようなオモチャの鍵を、冬弥は肌身離さず持ち歩いていた。これを知っているのは、偶然その鍵を見てしまったこはねだけだったりする。そのこはねも、冬弥の意思を汲み取って、誰にもそのことを話さないでいたから、他には本当に誰にも知られていないことだ。
彰人が家にいないことを確認して、冬弥はこっそりと財布の中に入れていた鍵を取りだした。小さなぬいぐるみ達の中に埋もれている小さな木箱を取り出して、鍵を回す。すると、カチャリと小さな音を立てて、僅かに閉じ込めていた蓋が浮いた。
冬弥は慎重な手つきでそっと蓋を開ける。
それだけ。たったそれだけのこと。
この木箱はオルゴールだとか、からくりだとか、そんな気の利いた機能はなにひとつとしてもっていない。ただ、ものを入れるためにある。けれど、この木箱は、少なくとも引越しの際に真っ先に家から持ち出すことにしたくらいには、冬弥が大切にしているものだった。
中に入っているものは、一見するとただの紙切れだったり、データカードだったり。
それから、つい先日もうひとつこのコレクションに加えるものができた。紐が切れて使い物にならなくなってしまったネックレスだ。かつてお気に入りだったそれは、冬弥がまだ中学生だった頃に彰人から譲られたもの。役目を終えたそれをそっと箱の中に入れて。
「とーや、何してんだ?」
「……っう、わ、あ、彰人……っ?!」
「なんだよ、幽霊でも見たみたいな声だして……」
突然背後から声をかけられて、冬弥の心臓は飛び出るんじゃないかというくらいに跳ねた。振り返れば、つい先程不在を確認したはずの彰人がそこに立っている。
「な、いつから……」
「今さっきだけど……で、オレに内緒で何してたんだ?」
お前がそんなに驚くってことは、オレがいないのを見計らってたんだろ。
そう言われてしまうと返す言葉がない。全くその通りだった。その上、慌てて後ろ手に隠した小さな木箱をちらりと見ると、彰人もそちらに視線を向けてきた。バレている。これは完全にバレている。
「いやその……っ、疚しいことじゃないんだ……」
「ふんふん……で?」
「……笑わない、か?」
「見てからじゃねぇとなんとも言えねーけど……でも、極力努力はする」
彰人の正直すぎる返答に、とうとう冬弥は言葉に詰まった。
「なぁ、見せて?」
一歩、二歩、と近寄ってきて、いつもより低く、甘い声でそう耳元で囁いてくる。冬弥は彰人のその声に滅法弱かったし、彰人は冬弥がこの声に弱いことをよく知っていた。いつの間にやら、悪い顔だけじゃなく、こんな駆け引きまで覚えてきていたのだから厄介なことこの上ない。ぶわぁっと、条件反射のように顔が熱くなる。
「……意地が、悪い」
少し腕を掴めば、冬弥の手にあるものを奪い取ることだって彰人にはできた。けれどそうはしない。あくまで冬弥から差し出させたいのだ。そういうところが彰人らしい。ずるくて、優しくて、意地悪だ。
「……笑っても、いい……けど、からかわないでくれ……」
「さすがにしねぇよ、そんなこと」
観念したようにおずおずと隠していたものを差し出した。
差し出された木箱には彰人は見覚えがなかった。けれど、木箱の中身には関しては真逆で。
「これ……オレが昔渡した音楽リスト……か? こっちは音楽データ……これは、めちゃくちゃ折りたたまれてるけど、初めて参加したイベントのチケットか。……で、こっちは日付的に多分、遊園地行った時の写真のデータ、こはねから貰ったやつ、だよな……?」
彰人が渡したおすすめの曲目を書いたリスト。
いつかの音源と思われるメモや、いつの日だかに出かけた日付と場所を小さな文字で丁寧に記したシールが貼られたケースに入っているデータカード。
小さく折りたたまれたチケット類。中にはBAD DOGSとして初めて参加したイベントのものもある。
それから、つい先日運悪く壊してしまったと言っていた、あのネックレス。
二人の思い出のものが多くを占めているが、中には四人の思い出と思われるものもあって、その全てに朧気ながらも覚えがある。
手のひらサイズの小さな木箱の中にあったのは、冬弥の思い出だった。
「……家と、今より折り合いが悪かった頃、見つかったら捨てられると思ったんだ」
木箱の大きさに対して、あまりにも充実した中身に彰人は驚きを隠せない。彰人が一体何なのかと問えば、冬弥は少し切り出し方に悩んだあと、ぽつりと話を始めた。
「それで、こっそり持っておくために、この木箱の中に大切なものを持っておくことにしたら、習慣化してしまって……」
「……うん」
「その、昔から……いや、今でも、これがあれば大丈夫と思えると、いうか……心が、安らぐというか……上手く言えないが、そんなふうに感じるんだ」
彰人が何も言わないから、冬弥はもしや怒らせてしまったのではないかと焦る。
「……秘密にしていて、すまない……」
しどろもどろになりながら謝って、けれど彰人の方を見れない。今どんな顔をしているのか、自分は許されたのか、それは気になるのに。
しばらくの沈黙の後、はぁ、とため息をつく音が聞こえて、冬弥は肩を震わせた。それはいたずらを叱られる前の子供の様子に似ている。それもそうだろう、冬弥が最も恐れていることは、彰人の落胆だったから。
「とーや、ほら、こっち向けって」
けれど、冬弥の恐れに反して、彰人がかけた声はひどく優しく、愛おしむような色をしていた。
「……怒って、ない……のか?」
「なんで怒らなきゃなんねぇんだよ、こんな嬉しいことされて」
恐る恐る彰人の顔を覗き込もうとする冬弥の背に彰人は腕を回して抱き寄せた。少しバランスを崩してしまい、冬弥は驚いたように彰人を見る。
「嬉しい?」
嬉しい、とはなぜだろうか。冬弥には考えが及ばない。てっきり隠し事をしていたことについて怒られるか、箱の中身を呆れられるか、そんなところだろうと思っていたのに。
冬弥が聞き返すと、彰人は困ったように眉を寄せて、何をどう言うべきか探しているようだった。冬弥が言葉を待っていると、冬弥を抱き寄せている腕に力が入る。より密着して近くなる距離に、どくん、と心臓がうるさく音を立てた。
「あー……クソ、好きだ……」
「え、え……? な、急にどうしたんだ……?」
見れば彰人は耳まで真っ赤で。ぷしゅう、と音を立てて湯気でもでそうなほどだったものだから、冬弥までつられてしまいそうになる。
「だってそれ、お前の宝物ってことだろ? それで、オレだって忘れてるようなものをそんだけ大事にしてくれてて……オレ、すげぇ大切にされてんだな、って……」
「そんなの……当然だ。彰人がいたから、俺はここにいる……彰人がくれた全部で、今の俺になったんだ」
「大袈裟だな」
「そんなことはない」
彰人はこんな話をするといつでも大袈裟だとか、大したことはしてないだとか、頑張ったのはお前だろ、とかそんなことを言ってくる。けれど、冬弥にとってはそうではなかった。
この宝箱だってそう。冬弥にとっては、本当に嬉しかったものばかりだ。その全てが大したものだったし、暗く沈みそうな心を何度救ってくれたかしれない。その彰人の眩しさが、優しさが、痛いと感じたこともあったけれど。
「……彰人、すきだ」
ことん、とサイドテーブルに木箱を置いて、冬弥もまた、彰人の背に腕を回した。
自分よりも少し高い体温も、冬弥の知らないメーカーの制汗剤がまじったにおいも、よく晴れた夕焼けを切り取った色をした癖のある髪だって、そのぜんぶがすき。
ずっと一緒にいるというのに、その想いは萎むことはなく、いつまでだって膨らむばかり。いつか風船みたいに弾けてしまうんじゃないかと、たまに不安になったりもするけれど。
「すき、すきだ……あきと、すき……」
それしか言葉をしらない子供のように、何度も繰り返す。いくら言葉を重ねても言い足りない気がした。
「おま、今のどこでスイッチ入ったんだよ……」
「……あきと」
彰人の服をくい、と引いてキスをせがむ。もっと、もっと彰人がほしい。それから、この好きをぜんぶ彰人に伝えたい。
そうして、後ろにあった買ってまもないベッドへと二人で縺れるように倒れこむ。
頭のすぐ横あたりに掴まれた手首を押し付けられて、目の前が人影で少しだけ暗くなって、視界のほとんどが彰人でいっぱいになって。
「あとで文句言うなよ?」
「……ん、」
彰人越しに見える白い天井。押し付けられたシーツに広がる乾いた髪の音。獲物をとらえたような、ギラギラとした彰人の瞳。部屋中に響いているんじゃないかと錯覚しそうになる心臓の早鐘。
愛されているのだという実感と、これからたっぷり満たされることへの予感。
――そのあとのことはもう、言うまでもないだろう。