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    marukaiteX

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    marukaiteX

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    ドラコレ冬書きかけ

    ✒️ 冬に見る朝焼けはあまり気分のいいものではない。空気が澄み、橙色に染まる空は幾万の絵画に劣らない美しさだが、朝焼けは天気が崩れる予兆でもある。限りあるものこそが美しいと言うものの、足を悴む寒さが待っていると分かれば、美しさを称賛する余裕は消えてしまう。
     庭へ目線をやれば降り出した雨は知らぬ間に雪へと変わる。空は薄灰色の厚い雲。寒さに手を擦り合わそうとも、お天道様はこちらのことを知らないと言うように姿を見せることはない。今日の朝、空にはため息ができるほどに美しい朝焼けが広がっていた。きっと今日一日は、庭一面の雪化粧を眺める時間になるのだろう。
     廊下を渡り、たどり着いた部屋の前で足を止める。はーっと手に息をかけてから床に手をつき、冷え切った廊下に正座をした。
    「失礼いたします。いま、よろしいでしょうか」
     この時間なら居るはずだと確認せずに来たが、予想通り。中から「ああ」と声が返ってきた。両手を添え、戸を引く。腰を上げて部屋に入れば、中は昼前だと言うのに薄暗く、空気は僅かに重いように思えた。相手はといえば定位置に一人腰を下ろし、何かを考えていたのか目線を下げ、畳の目を見つめている。こちらが障子を閉めれば、ゆっくりと視線を上げた。
    「失礼します。現状の報告に参りました」
     いったいぼんやりとした顔で何を考えていたのやら。こちらを見る瞳は晴れていない。
    「負傷者は3名。こちらが1名、向こうが2名。うち2人は意識がありますが深手です。残りの1人は向こうの人間ですが意識がありません」
    「今はどうしてる」
    「3人ともこちらで治療してます。ただ時間がかかるかと」
    「いい。治療を優先させろ。騒いだところで怪我人は怪我人だ」
     味方だろうと敵だろうと同じ扱いをしろ。想像していた通りの回答に承知したと言わんばかりに頭を下げる。怪我を負わされた本人からすればたまったもんじゃないだろうが、これがこの人のやり方なのだ。抗争が起きていたとしても、一旦は全員が所属も立場も関係なく、分け隔てなく一人の人間として相手を見る。人によっては狂気とすら思えることでも、この人にとっても正しさであり、少なからず、ここにいる人間は彼の”正義”を信じてる。
     漏れることなく、俺自身も。
    「状況が変わり次第、追って連絡に上がります」
    「頼む。大方の判断はお前に任せる」
    「ありがとうございます」
     深々と頭を下げ、ゆっくりと2秒を数えてから顔をあげる。低い位置から目線をあげれば、くつろぐ姿勢の頭領は何かを問いかけるようにじっと俺を見つめていた。こちらに向く眼は、夜空が残る朝の藍色に近く、色素の薄さからか時たま光が入れば銀色のようにも見える。綺麗さの中にも鋭さがある瞳に自分が映る。
    「……なにか」
     見つめ返してもなかなか口を開こうとしない様子にせかすように言葉をかける。話の内容なんておおかた分かっている。分かっているからこそ、心の奥から苛立ちが生まれて言葉が出た。
     どうしてこの人はアイツらの話題になった途端、分かりやすくなってしまうんだろう。そういうところが、心底嫌いだ。
    「先に言っておきますが、御堂からは何もないですよ。滅多なことがない限りあいつと直接会うこともないですし」
    「……そうか」
    「百さんのことも知りません」
     きっぱりと言ってしまえば、相手の口は何も言うことがないというように閉じられた。口ごもる様子もなく、何かを訴えかける素振りもない。聞きたかったことを聞けてしまったから、何も言うことがないんだろう。
    (いい加減にしてくんねえかな)
     心の中で悪態をつく。考えを当ててしまったのは自分なのに、何の捻りもなく想定範囲内のことを想像通りに考えていた相手に救えないなと心の中で吐き捨てた。

     幹部であり、現頭領の補佐であった百さんが組を裏切ったのは約2年半ほど前になる。現頭領の実の祖父にあたる先代の死後、組は考え方の違いで真っ二つに分かれた。敵、味方関係なく組に反抗した人間を徹底的に粛清することを正義とした先代派と敵であろうと恩情をかける現頭領派。正反対とまで言える体制の違いに先代のやり方に賛同していた奴らは現頭領を批判した。対して、先代のやり方は過剰としていた穏健派は現頭領を支持し、現頭領の名のもとに先代派の人間を糾弾。組織内の揉め事というには過激な争いに発展し、見限るように先代派の人間を連れて百さんは組織を離れた。
     最初の1年は、いたるところで闘いが起こり、どこで何が起こったのかを把握することで手一杯だった。何しろ、頭領の右腕が敵に回ったのだ。組織について誰よりも分かっているからこそ、いくら先を読んで向こうは一枚上手で手を回し、それ以上先を読んで行動される。当たり前だが、上手くいかなければ頭領派もフラストレーションが溜まり、全ては参謀である自分に向く。必然的ではあるが、こちらに残ったのはどちらかといえば真面目で大人しい奴ばかり。血の気の多い奴はあまり残らなかった。だからこそ、腕っぷしと肝が試される場面になればことごとく負けた。
     それでも、何事も収まりがつくとこに落ち着く。一時的に燃え上がった昂りが収まったのか、それとも百さんの手によるものか。どことなく後者だとは思うが、2年経つ頃には争いごとも程々に減った。もとから先代や百さんとの繋がりが強い土地は奪われたものの、権威が傾くほどの領地は奪われず、組としての体裁は保たれている。『いい落としどころを見つけた』といえば聞こえは言いが、多分あの人の計算に収まったと言う方が正しいと思う。
     両手を着物の袖に入れ、寒さにぶるりと体を震わせる。縁側を歩いているというのに、まるで氷に触れているかのように足が冷えた。
    「さっむいな……」
     はらはらと舞っていた雪はいつの間に庭を白く染めている。この調子だと明日の朝まで降り続けるだろう。空をのぞけば灰色の鈍色の雲が広がり、色が映るかのようにこちらの心を暗くなる。今日がさっさと終わってしまえばいい。心の底から願う。
    「大和さん」
     重いため息を吐いたとき、廊下の先でこちらを呼ぶ声がした。顔を上げれば部下である岸上が頭を下げていた。
    「お疲れ様です」
    「おつかれさん」
     声をかければゆっくりと上半身を上げ、まっすぐとこちらも見つめる。揺るぎのない瞳を向け、こちらに近づき、あと一歩のところで足を止めた。
    「頭領のところへは」
    「さっき行った。とりあえず、面倒見ろってさ」
    「承知いたしました。……いまは弱ってるからいいんですが、気力が戻ってきたら面倒そうですがね」
     苦笑いを含んだ言葉に同情するように笑いがこぼれる。
    「まあ、なんとか頼む」
    「もちろんですよ。こうやって分かれてみれば、本当に同じ組にいたと思えないですよね。大和さんもよくまとめてましたよ」
     褒めてるつもりで言ったであろう言葉に胸の奥がちくりと痛む。足先の痺れが体全体に巡ったかのようだ。
    「そうは言うけど分裂したのは、先代が亡くなってそこまで時間が経ってない時期だぞ。むしろ先代がまとめてきたものがバラバラにしたって考える方が自然だろ」
     誤魔化すように笑って見せても胸の奥にポッカリと空いた虚しさは埋まらない。穴をのぞき込んでしまえば、自分の足元を見失う。
     まとめてたなんて、肯定なんてできるものか。この体は色々なところからの批判でボロボロに傷ついているというのに。自分の不甲斐なさなんて、ここに来た時から知っている。
     意識してあの人の名前を出していないのかもしれないけど、大袈裟に称えられてるように思えて心には影がかかった。
    「それより、他のことはどうなってる」
     心の靄を振り払うように話題を変えれば、相手はハッとしたように佇まいを正した。
    「はい。話に上がっていた七丁目の件ですが、噂通り向こうのチームはみかじめ料を求めできたそうです。すでに手は打っていますが、状況はあまり良くはありません」
    「あの辺りの店はどっちつかずな所があるからな。それでも何とかして抑えろ。脅しで金を取る輩が増えたんじゃ街も荒れる」
    「はい。それと出回ってる薬物の件ですが、仲介人と接触できる見込みが立ちました。ただヤク中なんで話ができるとは思えないですが」
    「なら、話ができるまで何とかしてやれ。そいつも苦しんでるだろうし」
    「分かってます。自分の意志で薬に手を染めたであろうに薬に呑まれるなんて思ってなかったでしょうしね。あと、別件ですが……」
     その後も続く報告を聞いては返しを繰り返す。ただ、声は耳に届いているのに、頭の中はぼんやりと違うことを考え出していた。
    (うちだけの問題も増えてきたな)
     喧騒の中ではなかなか気がつけなかった組織の内側の問題たち。2年半前は、それぞれが必死で下手をする輩はいなかったのか、聞く話の殆どは百さんとことのことだった。むしろ、それ以外のことを扱う余裕なんてなかった。たった今、受ける報告は数件以外、組の中での問題で、放っておいたせいか山のように積み上がっている。
     今じゃそちらに神経をすり減らすことも多い。2年半、終わりの見えないトンネルに迷い込んだ気分だったのに、抜けてしまえばあっという間に色が濃く残る過去になる。あんなに辛かったのに、周りはまるで何十年も前のことのように扱い出す。まだ俺は渦中から抜け出せていないというのに、それなのに置いていく。
    「なあ、そろそろ過去にする頃合いだと思うか」
     すべての報告が終わったと同時くらいに、葛藤は口から溢れた。
     突拍子のない言葉に、相手は驚いたように目を見開き、聞き返す。その様を一瞥し、薄灰色の空を見上げた。
    「百さんちとこのチームとの抗争に終止符を打つ頃合いだと思うかってこと」
     きっと先ほどのように目を見開いたのだろう。僅かに息を呑むような音が聞こえた。
    「うちの根幹は自警団だ。これ以上、世間様に迷惑をかけるわけにもいかない。街の人間を巻き込み続けるのは信念に反する」
    「でも、カタギに危害を加えてるのは向こうじゃないですか。俺達はそれを守ってるんですよ。むしろ真っ向から対立できなくなる方が危険です。それにウチの人間だってケガをしてるっていうのに」
    「わーってるよ。なに、今日明日の話じゃない。それでも、形だけでも終わらせることは大切だろ。うちと対立してるから争いごとは激しくなる。いくら袂を分けたとはいえ、百さんがうちの人間だったことは周知の事実だ。どう足掻こうとも終わらせなきゃいけないことなんだよ」
     感情的な声に頬を緩ます。バカにしてるわけじゃなく、怒りが分かるからこそ真っ向から感情をぶつけられたことが嬉しく思えた。
    「……頭領はなんと言ってるんですか」
     不服そうながらも探るような言葉。聞かれると思ったけど、実際に耳にすれば胸の置くで重たいものが沈んでゆく。
    「相談すらしてない。時期を見極めてる」
    「大変失礼と承知で伺いますが、よろしいんですか」
     はっきりとした声は、冬の寒さのように凛としていた。正論だ、疑う余地もない正しさだ。空を見上げていた目線を下げ、廊下の冷たさが刺すように痛む足元に目をやる。
    「まあ、そうだな。でも、向こうの出方を見て考えないと混乱を招くだけだろう」
     逃げた言葉は弱さだと、自分でちゃんとわかってる。わかってるからこそ、痛かった。

     実際には数日前にあちら側から接触があった。それも、御堂からだ。百さんがどれほど関与しているか読めないものの、同じように考えていると見るのが妥当だろう。
     けれど、兄貴には言えなかった。百さんのチームとの抗争に区切りをつけることはつまり、二度と百さんがこちらに戻らないと決めることにもつながる。兄貴が百さんを諦めることになる。
     もちろん、今後あの人がこちらに戻ることが不可能だと言うわけではないが、百さんがホイホイとチームを捨てる人だとは思わない。あの日、組には戻らないと決めて袂を分けたはずだ。それは兄貴もわかってる。分かっていながら、あの人のことに諦めがついていないからたちが悪いんだ。
    (百さんを諦めろって言えって言うのかよ)
     本音を言えば、自分の感情だけ見れば、さっさと終いにしたい。あの人が戻らないことも分かっているし、過去の劣等感や惨めさに区切りがつくのならそうしてしまいたい。それでもできないのは、あの人の中にはまだ百さんが巣食っていて、一番大事で柔いところを離してくれていないから。
     人気のない廊下を渡り、あまり日当たりの良くない一室の戸を開ける。この戸を開く時に息が詰まるような感覚を覚えるのは昔の名残が抜けないからだろう。埃っぽさとかび臭さを感じる、冷え切った室内は夜と間違うほどに薄暗い。
    「相変わらず、さっむいな」
     手をこすり合わせ、はーっと息を吐く。それでも温まることはなく、指先はすぐに冷たさに晒された。
     ガランとした部屋。ここの主は戻ってこないのに2年経とうが誰のものにもならなかった。捨てろと言うように残していった着物も僅かな生活品も、あの人は捨て去ることが出来ていない。
    「失礼します」
     一言呟き、部屋に入る。廊下から空気が変わったように針のような寒さに包まれる。冷え切った畳は一歩、また一歩と歩みを進めるたびに熱を奪う。この場に縫いつけるように染み付く冷たさに思わず眉間にしわが寄った。
     目的の箪笥の前で足を止め、3つ並ぶ小さい引き出しの一つを引く。中に物は詰まっていないため、引く勢いとともに中のものが滑るようにして手前側に来た。
     カサリと小さな音を立てた物を手に取る。黒に近い藍色のパッケージに金色のマークが目を引く、紙巻きタバコのケースだった。中には5本ほどタバコが残っているが、暫くの時間が経っているからか湿気ている。日当たりの悪い部屋にあったからというのもあるだろう。しかし、何より吸う人間がいないのが一番の原因のように思えた。
    「先代のタバコか」
     クシャリとくたびれたタバコの外装。百さんが手にしていたのを何度も見てきたが、それは先代に差し出すために持っていたものだ。百さん本人も、兄貴も、この銘柄は吸わない。
     引き出しに先代が吸っていたタバコがあることに気がついたのは百さんが去ったあと、この部屋の片付けをした時だった。引き出しから藍色が見えたとき、心に変な汗をかいたように感じたことをよく覚えている。どうしてこれを持っていかなかったのか。分かりやすく先代の存在を思い出す物であるのに、何故この屋敷に置いていってしまったのか。百さんは先代の意志を継いだとばかり思っていたからこそ、他の着物や道具と同じように『捨てていいもの』に含めると判断した事実をどう受け取ればいいか分からなかった。もしかしたら忘れたのかもしれない。現実から目を逸らそうとしたが、あの百さんがそんなことをするはずがないと甘い考えはすぐに消え去った。
     あの人の考えていることが分からない。あの全てを見透かしたような瞳には何が映っているのか、俺たちがどう見えるのか。それが分からないまま再会するのは、どうしようにも怖い。
    「御堂はよく着いていこうと思ったな」
     御堂とは似た者同士だと思っていた。理解者とまでは言わないが、ああ見えて真面目で義理堅い性格はむしろこちら側と感じていたのだ。
     それでも、御堂は百さんについて行った。どんな流れかは知らないが、百さんの味方になってこちらへ背を向けた。俺は百さんのことを理解できないのに、まるでアイツは何かを知ったかのような顔をして。
     御堂なら、百さんが引き出しに先代のタバコを残していった理由も分かるのだろう。それならどうして、何も言わずにここを去ったのか。胸の中には虚しさだけが湧き続ける。





     視界の端でムクリと動いた影に視線を向ける。遮光カーテンを閉め切ったこの部屋は朝も夜も存在せず、社会から切り離された空間だけが存在する。
    「……いま何時」
     掠れた声は寝起きらしく、今にも消えそうだ。
    「昼の3時です」
     手元にあるスマホで確認して答えれば「うわ」とこれまた掠れた声で呟き、肩をぶるりと震わせた。いったい何に対しての「うわ」なのか、聞きたい気持ちもあるが、おおかた早く起きすぎたという意味だろう。
     暖房のついていない部屋は縮こまりたいほどに寒く、百さんも体育座りをするように身を小さくするとこちらの体とソファの隙間に入り込むかのように身を寄せて瞳を閉じた。ぐりぐりと頭を擦り付けられるたびに体は傾く。寒いのなら暖房をつけるなり、ベッドで寝るなりすればいい。そう思うが、提案をしたところで「寒い部屋は慣れてる」と聞く耳を持たないことは目に見えて分かる。だから自分は置物か何かだと思い込み、傾いた体のまま手にしたスマホを黙って弄る。
     暗い部屋には放たれるようにして広がる画面の光。見えないほど暗かった部屋の角を照らす。
    「なに見てんの」
     不意に聞こえてきた声に目線を向ければ、寝ていると思った百さんは瞳を開け、こちらを見ていた。角度からして画面を見ることはできなさそうだが、疑うような瞳に心臓がドクンと大きく鼓動する。
    「集金のノルマを確認してただけです」
     心臓のあたりからスーッと血の気が引いていく感覚に息をするのを一瞬忘れる。見えていないと分かりながらも、咄嗟に画面を変えようと指先が揺れた。それでも、下手にページを変えることも恐ろしくて、揺れた指先は画面に触れることはなかった。
     そんなこちらの様子をわかってるのか分かってないのか。百さんは少しを目を細めてから、ため息を吐きつつ瞳を閉じる。
    「厳しいやついるの」
     咄嗟に何を言われたのか分からなくなり、一拍の間があく。ハッと自分の言ったことを思い出し「ああ」と軽く返事をした。
    「何人か今月分足りなくなるだろうな」
    「なら、叩いといて。何でもお金は必要になるからねえ」
     そう言うと、再び身を縮こませ深く息を吐いた。しばらくすれば、隣からは規則正しい寝息が聞こえてくる。首を動かして様子を伺うと、どこからどう見ても寝ている百さんが隣にいて、僅かに動く肩や口をもごっと動かす様は冗談でも緊張感を与えてくる相手とは思えない。
    (本当に寝たのか)
     どこからどう見ても寝ている。それでも、確証は得られなくてバレるのを恐れながらも首を動かし様子を伺った。本音を言えば声をかけて確認したい。しかし、本当に寝ているのなら起こしてしまうかもしれないのが忍びないし、嘘寝をしているのなら気まずさがある。
     どちらにしろ確認する術はないため、せめてもの思いで床に置いていた毛布をかけた。

     しばらく隣にいたが百さんは起きる様子はなかった。上手いこと抜け出して、眩しい太陽が照らす外付け階段に腰を下ろす。冬の閉め切った部屋の中にいたからだろうか、風が吹いているもののこちらのほうが心なしか温かい。やはりあの部屋は寒すぎる。平然と寝ていることが理解できない
     上着のポケットから煙草を取り出し、手にしたライターで先端を炙る。火がついた部分をぼんやりと見ながらゆっくりと吸った。
    (これからどうするか……)
     二階堂大和から返事が来た。2週間ほど前にアプローチをかけたが、思いのほか早くに相手はコチラへ反応を返した。先ほどみていたスマホの画面には二階堂からの反応が共有されており、隣にいる百さんに見られていないか今でも心臓がバクバクとする。
    「もっと時間をかけてくれてもよかったんだがな」
     この早さは計算違いだ。百さんの様子を伺うのにもう少し時間が欲しかった。隠しているわけではないし、あの人にバレたところで「話進めてくれたんだ」と簡単に返されることは分かっている。口約束だとしても抗争を終結させるのには意味がある。タイミングとしても今が丁度いい。むしろ、百さんが考えないわけがない。
     見透かされていることも含めて、話に上げるのには何の躊躇いもないはずだ。そうは分かっている。それなのに、あの人の生き様を思うと怖くて口に出せない。
    (本当に八乙女との抗争を終わらせてもいいのか)
     掴みどころのない、根拠もないような恐怖は頭の中から消えることはない。完全に組織がが分かれ、正式に頭となった時、百さんが、百さんの中に残ったあの人だけの感情が、消え去ってしまうんじゃないかって。先代の変わりとして生きることを押し付けてしまうんじゃないかって、不安になる。
     自分の感情に折り合いがつけられないまま、先ほどから返信を迷うように画面を見つめるだけ。自分から二階堂へ接触しておいて戸惑うなど半端だと分かりながらも、百さんよりも先に動いておきたい一心での行動なのだ。あの人に先手を打たれたら、自分は従うまま何も出来ないだろう。
     とは言ったものの、組同士の争い事を収めたことなんて一度もない。いつも前に立って動く人がいて、その背中を見ていた。いざ自分で先導する立場にたってみても、手順書も経験もないからどうすればいいのかなんて分からない。でも、そうしてもいられない。
     深く息を吐く。目の前でゆらりと揺れる煙をぼんやりと見つめて、再び煙草を口にする。ぼんやりとした頭の中で、直ぐ側で聞こえたドアの開く音はひどく明瞭なものだった。
    「外で吸うなんて偉いじゃん」
     大欠伸をしながら外に出る百さんは眠そうに目元を手のつけねで擦る。
    「起きるのが早くないか」
    「でしょー、意外と早起きなんだよね」
     だんだんと傾いていく太陽を眩しそうに眺め、大きく伸びをしてから隣に腰を下ろす。煙草を探すようにポケットを探っていたが見当たらなかったのか、スッと俺の前に手を出した。
    「1本ちょうだい」
     ポケットから1本出して手渡せば嬉しそうに咥え、火を付けろと言うように顎を上げる。黙ってライターで先端に火をつければゆっくりと肺に煙を送り、そして吐き出した。
    「百さんの方が重いの吸ってるのに、俺ので足りるのか」
     日々、疑問に思っていることを聞けば、ふーっと煙を吐き出し口角を上げる。頬杖をつき、覗き込むようにして目線を合わせる。手のひらにのった柔らかそうな頬とかサングラスを外したことで直接見ることができる赤みがかった瞳に視線は百さんから逸らせなくなった。やらしいとか艶やかとか、それらしい言葉はあるけど、真っ先に思い浮かんだのは「狡い人だな」なんて一言。
    「虎於から貰ったのだから」
     ほら、狡い人だ。いいや、恐ろしい人なのかもしれない。思わず空いた口からは言葉なんて出やしない。ただ、目の前のこの人から逃げることなんてできないだけ。ずっとずっと、囚われている。
    「なんてね、今度ちゃんと返すから」
    「いや、別に大丈夫です……」
    「酷いなあ、せっかくなのに。そういう時は嬉しそうに頷いておかないと」
     ケラケラと笑う横顔を眺めると、百さんはチラリとコチラを見てから目を細めた。煙草を持つ手元で口とは隠され、広がる煙が輪郭をぼやかす。表情から感情を汲み取れない。
    「いま、虎於の中でグルグルしてるそれ。虎於の好きにしていいよ」
     脈絡もなく投げつけられた言葉は、簡単に俺の言葉を奪ってしまった。目を見開き、息を呑み、目の前にいる百さんを見る。吐いた紫煙が消えていき、はっきりと見えた顔は全てを見透かしているような笑みだった。
    「虎ちゃん、分かり易すぎるよ」
     何がとかどれがとか、具体的な言葉なんて一つもないのに全てを見透かされていると理解するのには、百さんの瞳で十分すぎる。すべてが見好かれている。
     あまりにも呆気なく、悩みすらも馬鹿らしく思わせるほど簡単に言われてしまった言葉に思わず情けなさと屈服で鼻で笑ってしまった。
    「これでも考えてることが分かりづらいって言われたことがあるんだがな」
    「なにそれ。そんなの虎於をちゃんと見てないだけでしょ」
    「そうかもな」
     バレているなんて分かりきっていたことなのに、トンッと胸の奥を突かれれば反論する言葉も誤魔化す言葉も出てきやしない。すごく大切なことのはずなのに、取るに足らないことのように扱う百さんが、尊敬できるけど、今は危うくも思えた。任せてくれるなんて、今までだったら両手を挙げて喜んだ言葉だろう。
     でも、本当にいいのか。この人がこの件を、八乙女楽とのことを俺に預けてわだかまりが成仏することができるのか。再び湧き出る不安は少し前とは違う方向で膨張していく。
    「まあ大変だと思うけどさ、ちゃんとリーダーとしての仕事はするからさ。やることはちゃんとやるから虎於の好きにしなよ」
    「ああ」
    「面倒なのは大和かな。誰に似たんだか、やり口が質悪いときあるし。でも楽は「いいのか」」
     思わず被せるように吐いた言葉に、百さんはスッと目線を上げた。先ほどまで笑っていた顔に感情という感情はなく、強いて言うなら険しく見えるような真っ直ぐさがある。
    「なにが」
    「あんたは本当にいいのかって」
    「だからなにが」
     僅かな苛立ちが声に滲む。怒っているわけではないだろうが、百さんの纏う空気に柔らかさは消えている。それが、話を遮られたことによるものではないのは容易に想像ができた。
     恐れとともに生唾を飲み込む。胸の奥からわき出た緊張やら醜さが喉に纏わりつく。
    「楽さんとのことを俺なんかに任せていいのかってことだ」
     最初、声は震えた。恐ろしさに顔を上げることすら躊躇った。それでも出た言葉を引っ込めることはできないから、喉につっかえていたもやもやが緩やかに溢れていく。
    「二階堂となら話をつけることができると思う。でもこの件はアンタと楽さんが最終的に折り合いをつけなきゃ終わらないだろ。そこまでの過程を本当に俺がやってもいいのかって聞いているんだ」
    「…………」
    「百さんの中で楽さんに区切りをつけることになる。アンタが楽さんに会ってもいいって思える時期は、悪いが俺には分からない。なら、百さんが舵を切るべきじゃないか」
     百さんに主導権を渡したくなかったから自分で動いた。今話していることは過去の自分の行動と矛盾しているように思えるが、元はと言えば想像以上に早く、百さんがこちらに舵取りを投げたからだ。本当ならもっと考えていいことだろうに、早すぎるから不安になる。
    「俺はアンタを信じてる。アンタがいいって言うならやるだけだ。でも、百さんはそれで後悔しないのか」
     どんな言葉を使えば、この人は振り向いてくれるのだろう。どれほど手を伸ばせば、この人を庇うことができるのだろうか。俺に任せるなと言いたいわけじゃない。ただ、もう少し真っ当に考えてほしいん。この人にとっては微塵も興味がないであろう『自分自身の人生』ってやつに。
     懇願するかのように投げかけた言葉に、百さんは暫く宙を見てからスッとこちらに目線を向けた。そして、薄く笑い、惚けるように首を傾げると立ち上がって階段を降りていく。
     何も言わない。怒ることも否定することもしない。ただ、受け取ったかも分からない態度で誤魔化し、トントンと音を立てながらゆっくりと降りていくだけ。揶揄われたわけじゃない。怒られたわけでもない。水槽で泳ぐ熱帯魚のように、ゆらりゆらりと消えていく。その様子に怒りも呆れ起きない。
     ただ、彼の後ろ姿を見えなくなるまで見つめること、それしかできなかった。

     百さんは、出会った時から圧倒的な人だった。言い換えれば、『特別』をすべて持っているような人間だった。
     もう7年、8年くらい前のことになる。八乙女の組から金を借りていた親が蒸発した。中学校から帰ってきたとき、アパートはもぬけの殻で、代わりに立派なスーツを身に纏う大人と明らかに彼らよりかは若そうな百さんが家にいた。
    『お父さんとお母さん、どこ行ったのかな』
     口調は柔らかないのに得も言われぬ圧があり、目線を逸らせないように屈んで話しかけてくる奴らに言葉なんてまともに出ない。それに親の居場所なんて知らなかったから、首を左右に振った。むしろ、親が蒸発したことすら彼らの問いで初めて察したくらいだ。
     本当に知らないと必死に訴えた。それでも彼奴等は信じる素振りは見せず、何度も同じ質問を投げかける。今朝、布団を片付けた部屋。昨晩、当たり前に母親と言葉を交わした台所。数時間前までは当たり前だと思っていたところを見ず知らずの男が土足で踏み荒らす。まともに答えられない子どもに苛ついてか、言葉尻も行動も雑になっていく視界はだんだんと暗くなり、目の前すらも見えなくなった。
    『どうします。ガキ、口割りませんよ』
    『ったく、めんどくせえな』
     それでも、声は耳に届き、そのまま心を刺し殺す。貶す言葉に楯突くほどの力はない。頭の中は苛立っているはずなのに、ひどく現実味のない空間にいるせいで血の気が引くように体の中は冷たくて、頭の中に感情という感情は生まれない。これからどうしようだとか人生終わったとか、親への恨みとか。そんなものは些細なことで、強いて言うのなら死ぬことしか考えられない。それがいま一番、これから先の未来のことを含めても楽な方法だと思っていたからだ。
    『何もないならもういいでしょ』
     そんな中で言葉で場を刺すような声が聞こえた。男たちが向けてくる苛立ちや威圧感のない、無機質で何にも染まらない平坦な声。ただただ冷たい、百さんの言葉が空気を割いた。
    『そうは言っても何の手柄もないじゃないですか』
     いやいやと、馬鹿にするようにスーツの男の一人が口にするも、百さんは表情を崩さず相手を睨む。よくこんなに冷たそうな人に口答えできるなと思ったが、それは百さんが若く、幼さも見えるからか。それともこの人がバカだからか。変わらず自分が危機的状況にいると言うのに妙に冷静に考えられる。それは、全くそういうことはないけど、百さんの言葉が無意味な悪意に晒される自分の盾になり追い返してくれたように思えたからだ。
    『じゃあこのまま詰めたところでなんか出ると思ってるのかよ』
    『コイツが黙ってるかもしないでしょ』
    『どう見ても知らなさそうだろ。詰めても情報出なかったらどうする。このガキの腹でも掻っ捌くか。脳天打って中身でも見るのか。偽の情報吐かれたり時間の無駄ならどうする。そらならさっさと戻って他の道を潰すほうが合理的だろ』
    ーーガキ殺したところで徳なんてねぇよ
     幻覚か、都合のいい解釈だろうか。百さんの態度も言葉も自分を庇ってくれているように思えた。百さんからしたら俺は時間の無駄でしかなかったのだろう。それでもあの時の自分は間違えなく百さんに救われている。
     百さんの言葉に納得したのか、スーツの男たちは顔を見合わせた後「はい」と声を揃えて頭を下げる。うち数人はちらりと俺の方を見たが、その表情は情報を吐かなかった悔しさや碌でもない親を持ったことへの同情など人によって違っていたが、先ほどの威圧的な雰囲気は消えていた。用事が済んだようにぞろぞろと部屋から出ていく奴の背中を見つめていく中で、どうしてか、いいやどうしようもなく百さんの背中に目を逸らせなくなった。こちらを振り返ることなく、光で白っぽく見える外へと消えてゆく。口から吐いていた言葉に見合わない幼さがあり、一回り小柄な背丈からは見合わない恐ろしさが見える。冷たくて、無機質で、それでも優しさに見える態度に憧れと言うには眩しすぎる光が胸の中に灯る。死にたいと思っていた先程までの自分が違う生き物に見えるほど、百さんの優しさが俺の心を掴んでいた。
    『ま、待て……っ』
     ピンチを救ってくれたからいい人に見えたんだろうか。そうかも知れない。でも、確かに百さんの強さに惹かれた。
     咄嗟に出た言葉に百さんは足を止めた。周りの奴らも何だと言う様に振り返り、面倒くさそうにこちらを見つめる。
    『なんでもする、俺にできることはなんだってする。だから』
     だから、連れて行ってくれと懇願する言葉は自分のくだらないプライドからか最後まで口からでなかった。どうせ両親が蒸発し、頼れる親戚だってたかが知れる。ここから大人になる5年近く、ただ腐ったように生きるなら怨嗟に苦しむ泥の中で生きる方がマシだと思えた。考えが子供だと言われたっていい、ただこの人に近づけるなら、それがいい。
    『親父達の場所は分からないが、何か手助けになることもできると思う』
     当時、精一杯の交渉術をもってして、自分は有益だと訴える。大人から見ればひどく惨めなものだっただろう。子供一人拾うリスクなんて計り知れない。当時ですら、ひと一人動かすよりもパソコン一つでハッキングなりなんなりをしたほうが情報が得られる状況で、ただの子供である俺を救う利益なんてほとんどなかった。
     憐れんだ目を向けられたのは、俺の一言で本当に親から捨てられたのだとスーツの奴らは察し、この先『捨てられた子供』として行きなければならないオレに同情をしたように思う。
    『百さん、どうします』
     帰り際も俺に苛ついた視線を向けていた人が眉を下げ、迷うように百さんに問いかける。連れて行くかどうか判断を委ねるように視線の先が一人に集中するが、当の本人は冷めた瞳のまま俺を一瞥すると何もなかったように歩みを進めた。
    『ガキの面倒なんて見るわけないでしょ』
     変わらない平坦で冷たい声。頭の上から水をぶっかけられたような感覚に陥る。その一言に、明らかにスーツの奴らの顔に戸惑いが浮かぶ。しかし百さんは興味がないというようにさっさとその場を離れてしまったため、皆、同情するようにこちらを見てから何も言わずにその場を立ち去った。
     百さんは俺を助けてくれたが、手を差し伸べることはしなかった。それが百さんとの出会い。
     そこから、遠い親戚に預けられたものの忘れられることができずに一人で八乙女組の門を叩いた。あの時の奴らは分かりやすく安心するような、どこか複雑そうな顔をしたものの追い返すようなことはせず、周りを説得までしてくれた。最初こそ借金で飛んだ奴の子供なんてという扱いを受けたが、楽さんの助けもあって組に入ることが許された。
     ただ一人、百さんだけは心底納得がいかないように冷たい視線をこちらに向けて、無視とまでは言わないが、あからさまな壁を作り関わることを極端に避けてきた。その理由は知らない。しかし、百さんは裏切りに厳しいから例え子供でも排除をしたいのだろう。
    (それも変わったのがあの晩か……)
     百さんの姿が消えた先を見つめる。今の自分の選択を間違っているとは思わない。最後まで側にいると決めている。
     それでもあの日に感じたあの人の肩の震えや冷え切った指先を思い出すたびに思うんだ。あの時に何かできたんじゃないかって。もっと勇気を出して動く事ができれば、今は変わっていたのかもしれないと。それこそ、百さんと楽さんが一緒にいる未来があったかもしれない。
    「……それはそれで、地獄か」
     答えなんて出ない。そうは分かっていても考えることはやめられない。
     どうしたって人間は過去に対して「もしかしたら」と可能性を探そうとするんだから。

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