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    かとうあんこ

    赤安だいすき

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    かとうあんこ

    ☆quiet follow

    拗れすぎて別れる赤安
    ※ハピエン

    さよならまで8メートル僕の恋人は完璧だった。
    僕を好きにならない一点をのぞいては。

    「風見、僕はどうやら平凡な男だったらしい」
    「えっ……降谷さんに一番似合わない形容詞だと思いますけど」
    「はは、そんなことないさ」
    因縁の組織を壊滅させてから使うようになった鞄を手に立ち上がる。
    現在20時32分。
    ここ一週間、仕事を詰めていた僕が帰り支度を済ませているのを見て風見はちょっと驚いた顔をした。
    「お疲れ様です」
    「ああ、君も切りのいいところで帰れよ」
    「はい……」
    風見は何か言いたそうにしていたが、結局何も言わず、メガネの位置をわずかにずり上げただけだった。
    部下の無言の心配に背中を押されて職場を後にしたものの、僕の足取りは重かった。
    家にはシャワーと睡眠のために帰っているようなもので、冷蔵庫には食材どころか氷さえない有様だ。
    赤井に弁当を作っていたときは野菜や肉を常備していたのに……。
    買い物をして帰らないと明日の朝に食べるものがないが、明日食事をしている自分の姿が全く想像できなかった。
    庁舎から赤坂方面に向かって車を走らせ、コインパーキングに車を停めた。
    ここに駐車するのはこれが最後。
    歩いて3分ほどの距離にあるマンションで、僕は今夜、赤井に別れを告げる。
    告白したのも僕からだった。
    組織が壊滅して半年が経ってようやく、コードネームをもつ幹部たちが全員逮捕された。それを祝して開かれた飲み会で、若手の部下が王様ゲームをしようと言い出した。
    今夜は無礼講だからいいかと誘いに乗った僕はまさかのまさか、王様を引き当てたFBIのひとりによってキスを命じられた。相手はキャメル、だったと思う。
    参ったな、と思った。
    その飲み会には赤井も参加していたから。
    赤井の前で他の誰かとキスなんて冗談でも無理。額にキスして誤魔化すことも考えたけど、体が言うことを聞かなかった。
    それぐらい、僕は赤井のことが好きだった。
    キスを拒むなんてキャメルがかわいそうよ!そうだそうだ、キスできない理由を述べるべきだ!
    やんややんやと言われて、酒が入っていたのもあり「好きなひとがいるからできない」と答えた。
    一瞬にして静まり返った居酒屋の個室。思い出すだけで顔がカッと熱くなる。
    僕の片思いにみんな気付いていたのだ。そして僕を含む赤井以外の参加者はその恋が成就しないとわかっていた。
    「それは俺か?」
    赤井が真顔で尋ねるから僕は反射的に頷いていた。
    「そうか、では二人で抜けよう」
    赤井は徐に立ち上がると、個室を仕切っていた襖を出て行った。
    開けられたままの襖と僕を交互に見る視線を振り切って、僕は赤井の後を追った。
    その足で赤井はここに連れてきてくれた。
    在日米国大使館が借り上げているマンションだ。赤井の部屋は2階で、ドアを入ってすぐの場所で僕と赤井は最初で最後のキスをした。
    まさか付き合えるなんて思っていなかったから急な展開に驚きはしたが、赤井の恋人らしく振る舞おうと努力した。
    翌日から赤井の分の弁当を作り、デートに誘った。
    赤井の反応は芳しくなかったが、あちらも僕と付き合えると思っていなかったから戸惑っているのだろうと自分に都合のいいように考えた。
    元々優秀な男だと知ってはいたが「恋人になった赤井」も完璧だった。
    僕が誘いやすいように大体の予定は前もってメールで送ってくれるし、食べ終わった弁当箱は洗って返してくれる。
    そんな男でも存在しない好意を返すことはできなかった。
    悲しいけれど仕方ない。
    人にはそれぞれ好みがある。
    仕事を優先している分、休みの日は体をきちんとやすめたいと思うのはプロ意識があるからだ。
    僕を好きになれない以外に赤井に一つだけ欠点があるとしたら、来る者を拒めないところだろう。
    そんな恋に僕は疲れ、今夜、彼に別れを告げる。
    「降谷くん……?」
    まだ電気が付いていない部屋を眺めていた僕の前に赤井は女性を連れて現れた。
    「お疲れ様です、赤井」
    僕に気が付くと女性は「ありがとうございました」と言ってマンションへと入って行った。
    僕の前で軽く会釈をした彼女の頬はわずかに赤くなっていた。
    「大使館職員の娘だ。日本の文化に興味があってこちらの大学に通っている。出先で偶然会ったから車で送ったんだ」
    何も聞く前から赤井は彼女との関係を明らかにした。
    僕が勘違いしないように。
    FBIの切り札はこんなところも完璧だ。
    「そうですか」
    綺麗な人ですね、と言うと赤井が変な勘繰りはするなとばかりに眉間に皺を寄せた。
    「俺に用があったんだろう」
    「ええ、まあ」
    「部屋に行こう。ここは話すのに不向きだ」
    「うん、でも」
    僕はもう一度、赤井の部屋のベランダを見上げた。ここから約8メートル。階段で上がればすぐなのに、アスファルトが昼間の熱を放出してるで靴底が溶けてしまったかのように、地面から離れなかった。
    一生に一度のキスをした思い出の部屋で別れ話をしなくてもいいんじゃないか?
    僕の中の悪魔だか天使だかが、そう囁いた。
    「やっぱり今日は帰ります」
    「……そうか」
    「おやすみなさい」
    駐車場に向かう途中で振り返ると赤井はまだこちらを見ていた。

    「お前も案外、平凡な男だったんだな」
    不躾な声に片眉を上げて応えると、同僚は肩をすくめた。
    「まだフルヤと付き合ってるんだろう?」
    「それがどうかしたか」
    降谷くんと付き合い出して三ヶ月が経った。
    まだ一線を越えられていないと話したら、目の前の男はオーバーなリアクションをするだろう。
    なぜ、信じられない!
    俺だって同じ気持ちだ。
    「昨日、バーで見かけた」
    「ホォ」
    昨日ということは、俺の家の前で引き返した後で行ったことになる。
    最初は俺と飲む気だったのかもしれない。
    その気分を変えたのは俺が女を連れていたからだろうか。
    いや、違うな。彼は俺の説明に納得している様子だった。俺が声を掛ける前から思い詰めた顔をしていた。
    何か大事なことを話そうか悩んでいて、やめたというように見えた。
    「男と一緒だったぜ。性欲が服を着て歩いてるようなやつ」
    「お前か」
    「まさか!アカイの恋人に手を出すわけないだろう!」
    それはそうだろう。
    降谷くんが俺への気持ちを明かしたあの夜、周囲は驚いた様子を見せなかった。知っていたのだろう。参加者の関心は俺がどう返事をするかに注がれていた。
    それほど彼は俺に惚れている。
    たった三ヶ月で心変わりするとは思えない。
    「たまたま声を掛けられたんだろう。彼ならあり得る」
    「随分と自信があるようだ」
    「彼を信じているからな」
    恋愛の話は樹液に似ていて、勝手に人が集まってくる。
    気付けば他の同僚たちも話に加わっていた。
    「そういえば、最近はお弁当がないのね?」
    「彼も忙しいんだろう」
    「バーに行く時間はあるのに?」
    「……」
    「私も少し前に街で彼と会ったわよ。不動産屋から出てきたところをばったりとね」
    「ホォ?」
    「新しい部屋を探してるんですって。そろそろ同棲するのかと思ったけど」
    そんな話はまったく聞いていない。仕事だったと思いたいが、バーの話を聞いた後だからか嫌な胸騒ぎがした。
    「前から気になってたんだけど」
    そう言ってジョディが俺のデスクの横に立った。
    「シュウはフルヤに手料理を振る舞ったことはあるの?」
    「ない。彼が作った方が美味いからな」
    俺の発言は水面に落とした水滴のようにオフィスに波紋が広がっていった。
    「じゃあ、彼を食事に誘ったことは?」
    「ここは日本だ。彼の方がいい店を知ってる」
    アメリカに彼が来てくれたなら何軒か連れて行きたい店がある。多忙な彼にそんな時間があるとは思えないが。
    「ま、待ってくれ。アカイ、俺の良心のために応えて欲しいんだが」
    「お前の良心?心底どうでもいいな」
    「前にフルヤからお前をどこにデートに誘ったらいいか相談を受けたんだが、お前だってフルヤをデートに誘ったことぐらいあるよな……?」
    ない、と一言応えると同僚は胸を押さえて呻き声を上げた。大袈裟なやつだ。
    「信じられない……」
    「やっぱりね」
    そう言ったのはジョディだ。
    「私と付き合っていたころもそうだったわよね!こっちが誘えばデートするけどっていう、あんたのその優しさは相手を傷付けるのよ」
    「古い話を蒸し返すな」
    確かにそうだったが、今さら指摘されたところで謝ることさえ憚られる。それにそういう男に惚れたのはお前のほうだろ。
    「わかってるわよ。あなたが傷つける気はなかったことも、優しいことも。でもね……あぁ、こんなことにことになる前に伝えればよかった」
    ジョディの嘆きようは、まるで俺と降谷くんの関係が過去のものとなったかのようだった。
    昨日の彼の様子に違和感を覚えたのは事実だが、そこまで思い詰めた様子には見えなかった。
    考えすぎだ、どいつもこいつも。
    そう結論づけたのと同時に、俺の私用の端末が震えた。ディスプレイには恋人の名前とメールを着信したと表示されていた。
    「……あ」
    「どうしたの?口が開きっぱなしよ?」
    「おいおい、俺たちを揶揄ってるのか?」
    「シュウ?ねぇ、どうしたの」
    「…………別れたらしい」
    「「「は?」」」
    降谷くんからのメールにはこう書かれていた。
    『もう終わりにしましょう。今まで付き合ってくれてありがとうございました。さようなら』
    なんだ、付き合ってくれて、って。
    告白したのは君かもしれないが、俺だって君を……。
    「何をボーっとしてるの!別れたくないって返信しなさいよ!」
    「いや、しかし」
    「本気で別れるのか!?」
    「ちがう。だが…………どうやって引き止めたらいい?」
    俺の問いかけには応えず、同僚たちは目を手で覆い天井を見上げた。
    静まり返ったオフィスでは空調の音がやけに大きく聞こえた。
    「赤井くん」
    「ジェイムズ……」
    「まずは君の考えを送ってみたらどうかね?」
    「俺の……考え……」
    「このまま終わらせたくないんだろう?」
    ジェイムズの声はクラスメイトと喧嘩した子どもを宥めるように優しかった。
    「…………できません」
    「赤井くん、意地を張りたくなる気持ちはわからなくもないが」
    「違います……宛先エラーで送信できません」
    「オウ……」
    ジェイムズに釣られて窓を見ると、大きな入道雲と真っ青な空が見えた。
    降谷くんと恋人同士になってから一つ季節がかわり、しかし、俺は彼と季節の変わりゆく様について語り合ったこともないまま他人になっていた。
    「メールが何よ!彼のオフィスに行って直接会って来ればいいじゃない!」
    「会ってくれるだろうか……」
    「それは本人に聞きなさい!!!」
    もっともだ。
    俺はフラつく足を叱咤して警察庁の彼のオフィスを訪ねた。
    「降谷さんはもういません」
    「……どういうことかな?」
    「あなたに教える必要はないと思いますが?」
    眼鏡の奥の眼光は普段より鋭く、絶対に教えてなるものかという気迫さえ感じた。
    職場にいないとなれば自宅で待ち伏せするしかない。
    しかし、そこにも降谷くんはいなかった。彼だけではなく、家財道具の一切がなかった。
    カーテンが外された窓からはもぬけの殻になった部屋がはっきり見えた。
    降谷くんは俺を捨てただけではなく、俺の世界から消えてしまっていた。


    「ただごとじゃないわね……」
    俺の周りに集まる同僚は前日より増え、彼らの表情の深刻さも増していた。
    「あの……これ、黙ってて欲しいと言われてたんだけど」
    おずおずと手を挙げたのは俺と同じマンションに住んでいる同僚だった。
    「一ヶ月ぐらい前にマンションでレイ・フルヤを見掛けたの」
    「それで?」
    平静を装ったが内心では動揺していた。合鍵を預けてはいたものの、彼がそれを使ってたことは一度もないと思っていたからだ。
    「アカイの部屋の隣に大使館職員の娘が住んでるでしょう?その彼女に指輪を見せられてて」
    指輪と聞いて思い当たることがひとつあった。
    例の娘から「男性に言い寄られて困っている」と相談された。どうやら俺にその男を追い払って欲しいようだったが、子どもの恋愛問題にかかわりたくなかった。だから「左手の薬指に指輪でもしておけば諦めるだろう」と古典的な方法を伝授した。指輪を選ぶのに付き合ってほしいと言われて面倒になった俺はたまたま持っていたキーリングを「自分でサイズを調整しろ」と言って渡した。
    「隣の部屋の彼がくれたの、って」
    同僚たちの冷たい視線が集まる。おいおい、俺が本当にそんなことをすると思ってるのか?
    「ちがう、断じて俺は十代のガキに指輪を贈ったりしない」
    「フルヤもそう言ってたわ。でも……ショックは受けてたと思う。なぜって、彼女に悪意があるようには見えなかったからよ。フルヤを赤井の恋人だと思ってなかったんでしょうね。彼女の目にアカイの友だちだと見えていたから彼は……」
    同僚たちの言う通りなのだろう。
    恋人から食事に誘わなければ、デートにも誘わない。第三者から友達だと思われている。愛されていないのだと思うに十分すぎる状況だ。
    違うんだ、降谷くん。俺は本当に君を……。
    「あかいしゃん、捕まえました!」
    「卑怯だぞ、キャメル!」
    キャメルに背中を押されFBIのオフィスに入ってきたのは降谷くんの右腕だった。
    「俺は何も話しませんからね!」
    そう言う彼を椅子に座らせ、同僚たちは彼の前にコーヒーとドーナツを運んだ。
    キャメルは横に座って風見くんを宥めている。なんでも書類の不備があったと行って呼び出したらしい。
    「君が忠実なのはわかってる。しかし、情けないことに君の他に降谷くんと繋がる糸がないんだ」
    風見くんの前に腰を下ろすと、彼はふんと俺から顔を背けた。
    「降谷さんのことは何も話しませんよ!キャメル、書類はどこだ?」
    「まあまあ、そう慌てるなよ」
    早く帰りたいと苛立つ風見くんをキャメルが宥める。
    「わかった。降谷くんのことは聞かない。君のことを教えてくれないか?」
    「……一体何が知りたい」
    「君の目から降谷くんはどう見えた?」
    「どうって……寂しそうでしたよ」
    「寂しい」
    「当然でしょう。恋人から帰国について一言も知らされなかったんですから」
    風見くんの言葉を聞いた同僚たちが一斉にため息をつく。ジョディは首を横に振るばかりで、言葉も出ない様子だった。
    「……その件については、彼が出席していた会議で報告した」
    正確に言えば報告したのは俺ではなく、ジェイムズだが。
    「このひと本気で言ってるのか?これから遠距離になるんだぞ、普通、恋人には前もって知らせるだろう?」
    「そ、それは……」
    板挟みになったキャメルは俺と風見くんを交互に見て、最後にはジョディに助けを求めた。
    「ええ、ミスター風見の言いたいことはわかるわ。そんな状況になったら私も寂しいと感じるもの」
    そうでしょうと、風見くんは大きく頷いた。
    はっ、遠距離がなんだ。別々の国に暮らしながら愛し合う恋人たちはごまんといる。ましてや俺と降谷くんなら、距離なんて瑣末な問題だと思った。
    しかし、オフィスの中に俺の反論できる余地はなかった。
    降谷くんが俺から離れた理由が積み上げられていくたびに、最後に見た彼の後ろ姿がどんどん小さくなっていく気がした。
    「もしかして赤井さん、降谷さんのことを……?」
    「今も愛してるさ、当たり前だろ」
    俺の発言に今度は風見くんのほうが息を呑んだ。一体俺は彼の目にどう見えていたのだろう。
    「降谷さんは緻密にかなり前から準備していたと思います……」
    「準備?雲隠れするためのか?」
    「違います、あなたと別れるためのです」
    一緒に過ごしたことのある部屋を解約し、私用の端末を新しくし、誰にも居場所を掴まれないように旅に出る。彼の上司に行き先は提出されているが、きっとそこに彼はいないだろうと風見くんは言った。
    降谷くんが本気で隠れたら誰にも見つけることはできない。
    俺以外の誰にも。
    「絶対に見つけ出してみせる」
    「あかいしゃん!」
    俺の決意表明に表情を明るくしたのはキャメルだけで、他は諦めと呆れを色濃く滲ませていた。
    「その気概を付き合ってる時に見せてたらこんなことにならなかったんじゃないか?」
    同僚の正論を無視して、俺は降谷くんを見つけるための作業に取り掛かった。


    一週間ぶりの東都空港は鹿児島よりも暑かった。
    「ふう……みんな夏バテしてないだろうな?」
    上司と部下に勧められて、一足先に取った夏季休暇。
    こんなことでもないと挑戦できないと思い、北は青森から南は鹿児島まで、自転車で走破した。
    雨のせいで予定通りの距離を走れない日が多く、最後は飛行機で帰ることになってしまったが、風を切るように走り続けたおかげで休暇前の鬱々とした気分は消え去っていた。
    風見たちに買った土産の他に、各地の美味しいものを配送済みだ。もう空っぽの冷蔵庫を眺めて虚しい気持ちになることもない。
    「降谷くん」
    「……赤井?」
    空港から外に出てタクシーを捕まえようと思ったのに、真っ赤な車の横に立つ真っ黒な男に呼び止められた。
    「待っていたよ」
    「えっと……どうして?」
    「君に話したいことがあってね」
    腕時計をちらりと見た。
    どうやら赤井は休みのようだが、僕の方はあまり時間がない。
    「すみません、別日ではダメですか?」
    「何か用事があるのか」
    「ええ、あと一時間以内に家に帰らないといけないんです」
    「……わかった。送るよ」
    「え、いや、タクシーで帰ります」
    「……乗ってくれ、頼む」
    「はあ」
    赤井は運転手を買って出たというのになぜか僕に「ありがとう」と言ってわざわざ助手席のドアを開けてくれた。
    車内は相変わらず煙草の臭いが染み付いていたが、運転席に座った男は今までとどこか違って見えた。
    「もしかして、別れ方が気に入りませんでした?」
    「…………随分と率直に聞くんだな」
    否定しないんだ。
    「だって時間ないですし。あなた好みにしたつもりなんですけど、どこか間違っていましたか?」
    一方的な別れ方ではあったが、あの状況で面と向かって「別れましょう」「今までありがとう」なんてやり取りをする必要はなかっただろう。
    僕たちの関係は付き合ってると言い難かったし、最後の一ヶ月はプライベートで会う約束すらしていなかった。
    「君は俺を誤解してる」
    なんだって……?
    こちとら、ライの頃からお前のことが気になって気になって仕方なかったんだぞ?
    ヒロの件があって、殺したいほど憎んだともあったけど、死んだと聞かされた時は驚くより先に「絶対に生きてる」と確信した。
    その僕が、お前を誤解してる、だと?
    「悪かった」
    「なにが?」
    「君が誤解するような態度を取った俺が悪かった。ドアから手を離してくれ……」
    赤井の運転する車は高速を走行している。今、飛び出したらさすがの僕でも無傷では済まないだろう。一週間の休暇をもらったあとで怪我をしたら上司に合わせる顔がない。
    「……もしかして謝るためにわざわざ空港まで来たんですか?」
    「それもある」
    「ふうん……他には?仕事の話なら聞きます」
    「俺たち、やり直せないか?」
    仕事の話って言っただろうが……!
    しかも、やり直す???
    あの空虚な時間を?好きな人と付き合えたはずなのに、付き合う前より振り向いてもらえない、地獄のような時間をやり直すことに何の意味がある?
    「無理です」
    「……そうか」
    やっぱり赤井は僕を引き留めなかった。
    表情を変えない男を二人乗せた車は走り続け、窓の外の景色だけが変わっていく。
    赤井と付き合っていた頃もそうだった。
    季節だけは春から夏に変わっていったのに、僕たちは同業者から恋人になっても何も変わらなかった。
    初めての恋人だったから、期待値が高すぎたのかもしれない。
    赤井にとっては数ある恋の一つでも、僕にとってはそうじゃなかった。
    「運転ありがとうございました。どうぞお気を付けて」
    僕のマンションに到着したのは約束の時間の十分前だった。
    二人きりで話すのは、これで最後になる。
    赤井たちFBIは来月から順次帰国。その後は顔を合わせることさえないだろう。
    「降谷くん」
    赤井は煙草に火をつけると、紫煙とともに僕の名前を呼んだ。
    「君が淹れたコーヒーが飲みたい」
    「は?無理です、これから新しい恋人が来るんで」
    「なんだって?」
    「えっと、そういうわけなんで、じゃ!お元気で!」
    赤井の視線に背を向けてマンションの中へ駆け込んだ。
    あまりの言い草に腹が立って、ついあんな言い方をしてしまったけど、日本列島を縦断しながら恋人探しをしてたわけじゃない。
    鹿児島で砂風呂を堪能する前に、今回の旅を共にした自転車を自宅に送っておいたのが今日届く手筈になっているのだ。
    RX-7と同様に愛車としてこれからの人生を共にする予定なのだから、恋人にたとえたっていいだろう。
    部屋の中は予想していた通り、むわっと暑く、クーラーをつけるよりも先に換気が必要だった。
    それでも出発前に引っ越してきたばかりなこともあって、埃っぽさは感じなかった。
    せっかく引っ越したのに赤井に部屋を知られてしまったのは予想外だったが、あの男のことだ、訪ねて来ることはないだろう。
    僕から誘わなければ食事にさえ誘って来ないのだから。
    部屋の呼び鈴が鳴り、インターフォンを確認するとチーター便の配達員が見えた。
    「お荷物をお届けに来ました!自転車と、あと冷蔵品もあります」
    「すぐあけます」
    小さなマンションなので部屋の鍵を開けて待っていると帽子を被った男性が汗だくになりながらやってきた。
    「ご苦労様です」
    「いえ、自転車もこちらで宜しかったですか?」
    「はい」
    「では、こちらにサインか判子をお願いします……はい、では失礼します」
    荷物を受け取り鍵を閉めて振り返ると
    「ホォ?それが新しい恋人か」
    「えっ」
    なぜか僕の部屋に赤井が立っていた。
    「な、な、なんで?」
    「簡単な推理さ。長く部屋を開けていたなら換気のために窓を開けるだろう。その隙に忍び込ませてもらったよ」
    「いや、それはわかるけど、どうして」
    わざわざ別れた恋人の部屋に、壁を上って侵入してきたんだ?
    赤井は、さっきの配達員同じぐらい汗だくになっている。
    どこかに車を停め、走ってマンションまで戻り、壁を上って、足音を忍ばせながら部屋に入ったのだろう。
    「そんな労力を僕相手に割けるなら、一度でいいからデートに誘えよ、馬鹿!!」
    「まったくだ」
    赤井はニット帽を脱ぎながら笑った。僕の見間違いでなければ、自分自身に呆れているように見えた。
    「とにかく、飲み物を持ってきますから」
    冷蔵庫にミネラルウォーターを入れておいてよかった。
    それ以外まだ何も入っていない冷蔵庫はブーンというモーター音がした。
    「はい、どうぞ」
    「ありがとう……なあ」
    「なんです、僕忙しいんですけど」
    自転車と共に届いたのは旅先で買った冷蔵の食品。干物に果物に漬物、佃煮。冷蔵庫に詰めていくとモーター音は小さくなった気がした。
    「この一週間、どこにいたんだ?」
    「……いろいろです」
    「探してもまったく見つからないから焦ったよ」
    探す?赤井が、僕を?
    「自転車で移動してたから……潜入中の癖で無意識に防犯カメラを避けてたかもしれません」
    「なるほど……だから恋人か」
    赤井の指が自転車のサドルをなぞる。もう諦めたとはいえ好きな男に自分が何日も腰を下ろしてたところを触られると、やっぱり恥ずかしい。
    「あの、用件は?」
    「ん?」
    「何かあるんでしょう?さっき言いましたよね、仕事の話なら聞くって」
    「仕事ではないよ」
    「……じゃあ何ですか」
    「聞いてくれるのか?」
    「部屋まで押しかけられたら聞くしかないでしょう」
    「君が好きだ」
    「は……?」
    「愛してる」
    「それを信じるとでも?」
    「信じるまで言うさ、何度でも」
    「どうして、今さら……」
    「君が言ったんだ」
    赤井の目が僕を捉える。動くな、そこにいろ、どこにも行くな。そう、命じられた気がした。
    「『ゆっくりして』と。キスをした夜に」
    確かに言った。部屋に入ってすぐにキスされて、その先を予感したから。恋愛経験が乏しいからゆっくり進めて欲しいと。
    赤井は一言「わかった」と言って僕を抱きしめた。
    「え、じゃあ赤井が誘って来なかったのは……?」
    「君が俺と一緒にいることに慣れるまで待っていた」
    「手を出して来なかったのも!?」
    「キスで真っ赤になってる君にそれ以上のことはできないだろ」
    「う……」
    それにしたって、気が長すぎやしないか?付き合って三ヶ月だぞ?僕はてっきり、みんなの前で告白してしまった僕が可哀想になって付き合ったものの、やっぱり好きになれなかったのだと思っていた。
    「しかし、君にフラれた後で周囲から指摘されて気付いたよ。俺はどうやら恋愛に関しては受け身になりがちのようだ。君が慣れるのを待つばかりで、慣れてくれるよう促すことをしなかった」
    赤井が一歩、僕の方へと歩み寄る。
    「悪かった」
    「……うん」
    「念のため言っておくが隣の部屋の女とは何もない」
    「それはわかってる……赤井はそういことをする男じゃない」
    「そうか」
    赤井はさらに歩みを進めた。僕が一歩踏み出せば彼との距離はゼロになる。
    「帰国のこと、教えてくれなくて悲しかった……」
    「すまん。帰国しても君と俺の関係に影響が出るとは思わなかった。……いや、違うな。離れても俺の君への愛は変わらないと確信していたんだ」
    「……寂しくなるだろ、普通」
    「そうだな、この一週間君がいなくて寂しかったよ」
    「本当?」
    「ああ」
    この一歩を踏み出したら、また傷付くかもしれない。報連相のできない男と遠距離恋愛なんて上手くいく気がしない。
    それなのに、どうしてこんなに好きなんだろう。
    「おかえり、降谷くん」
    「…………零って呼べ」
    「そうだな。俺もずっと呼びたいと思っていたよ」
    あんなにも遠く感じた赤井が近くにいる。僕を抱きしめている。
    涙が出そうになって目を閉じた。
    二度目のキスはちょっとだけ汗の味がした。

    一週間ぶりに登庁すると各所からいたく感謝された。
    赤井は本気で僕を探し回っていたようで、僕の上司は何度も行き先を教えろと詰め寄られ、部下たちは連絡先を教えろと凄まれたらしい。
    FBIの面々も、日本での仕事はほとんど終わらせたはずなのに疲れた顔をしていた。なんでも赤井から監視カメラの映像を洗いざらい確認して僕を探させられていたそうだ。
    「見つからなかったらFBIを辞めるとまで言われたら協力するしかなかったよ」
    ジェイムズさんは苦笑しながら肩をすくめた。
    当の赤井はというと……。
    「零くん、紅茶がはいったよ」
    「ど、どうも」
    「ミルク?レモン?」
    「えっと……レモン」
    なぜか僕の部屋で僕の世話を焼いている。
    これまでの穴埋めをしたいと言うので部屋に転がりこむことを許したが、僕はすでに後悔していた。
    「一緒に住むんじゃなかった……」
    「俺はまた何か間違えたか?」
    「……こんな風に一緒にいたら離れがたくなるだろ」
    赤井の帰国は三日後に迫っている。
    「零……今夜は離さないよ……」
    「ちが、そういう意味じゃない、アッ」
    でもきっと、赤井のことだから、僕が寂しいから別れると言っても別れてはくれないのだろう。
    それに関してだけは、赤井を好きになってよかったなと思っている。
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