椿と紫炎 古めかしい日本家屋ならではの広い庭の玉砂利を踏みしめて、石灯籠の先、椿が綺麗に咲き乱れる木陰に虎於はいた。
「百さんも、ですか?」
花ごと落ちた赤い絨毯の上で紫炎を燻らせながら、少し上から視線を落とされる。たかだか十数センチ。……とはいえ、がっちりした体格も合わせて、百からしたら小憎たらしさは否めない。
「楽が部屋ん中で吸うなってうるせえんだよ」
見回りの報告をしに私室を訪ねたというのに、煙草を出した瞬間に『禁煙』だと説教混じりに言われ、早々に抜け出して来たのだ。
「最近じゃ、大和も目を光らせてやがる」
ポケットから出した煙草を一本咥えると、『愛煙家は肩身が狭いな』と言いながら、何かを探してあちこちポケットをまさぐり始めた。そのうちに、何かを思い出したのか、舌打ちをして、緩く垂れ下がった虎於のタイを人差し指でくいっと引き寄せた。
「……火」
ライターを楽の部屋に置き忘れたらしい百は、虎於の吸っている煙草に自分のそれをくっつけた。触れ合わせたそこは、先程引かれた反動で先端の灰が落ち、燃焼部分が顕になっていた。
引かれたことで近づいた顔の近さに一瞬驚いたものの、虎於は意図に気づいてすぅっと息を吸い込んだ。じりじりとオレンジ色の赤が勢いを増す。それに合わせて百も息を吸い込むと、火が点るのと同時に二人の煙草の味が混じり、何とも言えない絶妙な不味さが口内と鼻先をくすぐった。
「……同じの吸えよ」
外気の寒さに、煙と共に吐き出す息も白い。
「百さんの強すぎて、無理ですよ」
「お子様が」
ようやく味わえたとばかりに、百は深く吸い込んではゆっくりと吐き出す。寒さに染まる白い息と、上がっていく煙が混じる。玉砂利の上の花は、首ごと落とされたかのように花の形を保ったまま、綺麗だったり枯れかけていたりで白い地面を赤く染めている。まるで血が広がっているかのような錯覚さえ覚えさせられる。
「百さん、一緒に煙草やめません?」
煙草が短くなる間の沈黙を破ったのは虎於だった。携帯灰皿に吸い殻を収めながら、控えめに百に問う。
「はぁ? なんでだよ。やめたきゃ、お前だけでやめればいいだろ」
持て余した時間を潰すときや、ストレスが溜まった時の相棒として数年付き合ってきた煙草を手放す気は今のところ百にはなかった。むすっとしながら見上げた虎於は少しだけ頬を染め言いづらそうにしながら、百の吸いかけの煙草を取り上げる。
「キスする時、苦いんですよ」
ふっと影が落ちてきた時には、軽く唇が重なっていた。それは苦味を感じるほど、深いものではなく啄むだけのキス。椿が目隠しになってくれているおかげで、二人の姿は見られることもない秘密の行為。
らしくないことをしたと照れる虎於は、恥ずかしげに視線をそらし、百から奪ったそれを灰皿に突っ込んだ。
百はその様子に口角を上げた後、火をもらった時のようにタイを引っ張り、そのままお返しのように虎於に甘っちょろくないキスをした。口内で舌が絡むたびに、吸い終えたばかりの煙草の残り香が混じり、独特の苦味が広がる。
百は、この苦味も愛煙家の醍醐味に感じていたが、目の前の『恋人』が外での激しいキスに耳まで染めているのを見て、少しだけ禁煙してもいいかと思った。
「……お子様が」
二人の間を椿の花が落ちていくなか、百は満足げに微笑んだ。