泣き虫ドロップ休暇中、襲撃したイクリプスが持っていたサブスタンスの影響を受けたビリーが現在個別の部屋へと隔離されている。その報せを受け、部屋に向かっているのはアッシュだ。
応援が来るまで1人でイクリプスと戦い抜く、それはルーキーとしての成長を感じられるところではあるが、あと1歩の所で隠し持っていたサブスタンスに不意をつかれた、それは油断の証だ。アッシュの教えはヒーローとして常に正しい。それを受けておいてなんという体たらく。
個室の前にたどり着いたアッシュがノック無しに扉を開くとベットの上で上半身を起こしていたビリーが驚きに肩を揺らし振り向いた。
ゴーグル越しではないビリー瞳とアッシュの視線が交わり、ビリーの紺碧色の瞳がゆらりと潤み蕩けた。
「わぉ!アッシュパイセン!どしたの?オイラのこと心配で逢いに来ちゃったノ〜!?」
嬉しそうな声をあげるビリーはその明るさとは対照的に慌てたように手を動かし、傍に置いてあるゴーグルを取ったところで蕩けた色がぽたりと頬を伝った。
とろ、ぽた、ころん
瞳が潤み溢れこぼれ落ちた雫がコロコロと布団の上に転がり落ちる。
「あー…」
降ろしたゴーグルが布団の上にぽすんと落ちた。
「もー!アッシュパイセンがいきなりくるからビックリしちゃって涙出ちゃったヨ〜」
唇を尖らせて態とらしく頬を膨らましていてもビリーの目から溢れる涙は止まらない。布団の上に落ちた涙の塊が床に落ちて立てるカツカツとした音は明らかに水滴ではない。固形のそれは、アッシュの目から見ても明らかにうっすらとした色味を帯びている。
「なんだ、それ」
胸ぐらを掴みあげて相手を詰るというアッシュ自身に染み付いた行動は目の前の光景の衝撃に頓挫するが、思い通りにいかないことでふつふつと胸に沸いた怒りをぶつけるように怒鳴る。
「ヒーローがぐだぐだ泣いてんじゃねェ!」
ぱち、とビリーが瞬きすれば大粒の涙がぼたりと落ちそれを皮切りに涙の勢いが増す。
「オイラ悪くないよぅ!これはサブスタンスの影響だから止めろって言われても無ー理。こればっかりはお金積まれてもネ」
「サブスタンスだァ?」
曰く、感情が少しでも揺れ動くと本人の意思は関係なく涙が溢れ、何故かその涙は飴玉になるのだという。
「研究部が解析を終えるまで俺っちしばらくこのままなんだよネ、でもアッシュパイセンが心配してくれるなんてオイラ嬉しい!」
「、心配なんざしてねぇよ、テメェがヒーローの癖に油断してるからその性根を叩き直そうと来てやったんだ。ま、その様子じゃ今から訓練行っても面倒なことになるからな、治ったら覚ごっング」
嬉しい、その言葉と共に細められた瞳の中に涙が溢れ、部屋の光が反射してきらきらと輝き、ぼたりと大きめの塊となってこぼれ落ち、見下すようなアッシュの目線が僅かにビリーから逸れる。からかう様な笑みを浮かべたビリーは落ちた大きな涙の飴玉を手に取って説教は聞きたくないとアッシュの口へ押し込んだ。
「テメ、…、ァ?」
青筋を浮かべたアッシュがビリーの肩に手を伸ばして空中で止まる。口の中で飴玉の塊が溶けた瞬間、アッシュの胸の内に喜びに似た興奮が込み上げてくる。
嬉しい、嬉しい、…愛おしい。きゅうと胸を甘く引き絞られるような、程遠い昔に忘れてしまったそれは蕩けてぐずぐずになってしまいそうな程の切なさだ。
「どう?美味しい?俺っちにはよくわかんなかったけど、このドロップは流した人の感情がちょびっと反映されるみたいで、好奇心で食べた研究部の人が〝 もしかして今、面白いなって思ったり、緊張とかしてたりする?なんだかこの飴面白い味がするけど後味が少しジンジャー系の辛さもある〟って言ってたて、こう何となく飴の味で感情が分かるみたいなんだ〜。だーかーら、ぴりぴりしたアッシュパイセンに俺っちの来てくれて嬉しー!って感情を食べてもらったんだケド」
「……………は…」
すぐに舌の上で溶けきった飴玉は舌先が痺れるように甘く、上顎に触れるだけでぞわりと肌が粟立つような感覚をアッシュに覚えさせる。
確かにその口に突っ込まれたのはビリーが心配してくれて嬉しいと目を細めた時に落ちた塊だった。
当たり前のように厳しくしている自覚はある、必要なことでもあるし、ヒーローとしての覚悟の薄いものに解らせてやっていることで、アッシュは何一つ間違ったことはしていないが、それが他人に恐れられ、良い感情を抱かれていないことは理解している。本当にこの飴玉にビリーの感情が乗っていたのだとしたら、何故アッシュに向けられている感情がこんなに甘く切ない喜びに満ちているのか、理解が追いつかない。
「エート、アッシュパイセンどうしたノ?本気で怒ってる?ちょっとしたお茶目だったんだヨ〜!」
困ったように眉を下げるビリーの顔が近い。ごめんなさいと手のひらを合わせ、首を傾げる。瞳に溜まり潤んだ水分が揺れて溶けてビリーを濡らす。涙を流しすぎてうっすらと充血した白目と年齢にしては幼くまろい頬に残ったいく筋もの涙の跡が間近でくっきりと映る。
「っ、」
がばりと口を開いたアッシュがビリーの方へ顔を寄せ、ばしん、と自らの手のひらでビリーの顔面を抑えぐっと遠ざけるように押し込んだ。
「イッッッタイ!オイラの鼻もげてナイ!?」
「うっせぇウゼェ興が醒めた、治ったら倍厳しく指導してやる」
「わー!それはヤダ!ごめんごめんなさいってば〜……って行っちゃった。グレイにとばっちり行っちゃったらどうしよ〜。わーん、涙も止まんないしこのままだと部屋が飴玉で溢れちゃう!むー…明日はサブスタンスの力を抑えるゴーグルが出来るみたいだし、オイラこのまま寝ちゃうもんネ」
バタンと扉を閉じ憤りながら早足で廊下を歩く。痺れるように脳を揺り動かす甘さを生み出すあの紺碧の瞳を舐めたくなっただなんて。
「クソが…っ!」
一般的に同性相手に抱くべきではない衝動を覚えてしまったことを振り払うようにアッシュは悪態を吐いて廊下の壁を殴った。
おわり!