幽世からの誘いそれは特別何かがあった訳では無い。使用人としての雑務を終えてフェイスの部屋の前を通った時の事だった。誰もいないはずの部屋から笑い声が聞こえてくるのだ。何かと思い開かれた扉の隙間から中を覗けば、フェイスが1人で絵探しの本を開きながらも何かと会話をしているのだ。誰も居ないはずなのに何故とよくよく目を凝らしてみると、フェイスの傍らに揺らめく黒い影が見えて思わず目を擦る。一瞬の後に消えてしまったそれは気の所為だったのだろうか。なんであったのか、未だオスカーには分からないでいる。
…………………………
「…はっ!ふっ…」
パチン、ドス、重たい音が響いて飛んできた椅子が床に叩きつけられる。サブスタンスの反応が見られた廃墟の工場では時折家具が飛び交うという現象が発生していた。
派遣された先にイクリプスの姿は見られず、早々にサブスタンスを見つけ出すことを優先して廃墟の中をフェイスとオスカーは駆けずり回っていた。
「っ!あっぶな……どこから飛んでくるのこれ」
「予備動作があるので避けたりすることは可能ですが…妨害されているみたいで厄介ですね」
フェイス目掛けて飛んできた何かの機械を弾きながらオスカーが汗を拭う。
「なんか、ポルターガイストみたい」
「ポルターガイスト…というと…」
「誰も触ってないのに音がしたりものが移動する心霊現象のこと。まあ前例はあるみたいだからサブスタンスが起こしてることには間違いないと思うけ、どっ」
足元を移動してきた瓦礫を避けたフェイスの上から新たな瓦礫が落ちて鈍い音を立てる。
「なんか、俺ばっかり狙われてる気がするんだけど」
フェイスが感じているように、飛んでくる無機物の数々はフェイスの方へとよく向かっているように見える。
「俺の傍から離れないでください」
体のバランスをほんの少し崩したフェイスの腕を引き寄せて言えば、フェイスはオスカーの腕から抜け出して片手をひらりと振って距離を取った。
「自分で避けられるから大丈夫だよ。広いし手分けして探した方がいいんじゃない?」
廃墟の中は確かに広く2人で行動するよりも早く見つけられるだろう。フェイスはこの程度の現象であれば避けたり対策も取れるだろう。けれどオスカーはどうしてもそれだけはやめた方が良いと感じていた。
「……い、いえ、いけません。確かに範囲は広いですが、全体的に脆くなっているので1人でいる方が危険です」
オスカーの視線の先でふわりと黒い影が漂った。フェイスの背後に時折現れる黒い靄はオスカーにしか見えておらず、フェイスの目の前には現れず、上手く視界から外れるようにしてフェイスの体を舐めるように撫で上げていくのだ。手を伸ばして払おうとしても霧散するそれをオスカーは掴むことが出来ない。
そして、昔に見た記憶が浮かび焦燥感が募って行く。そのまま靄の撫でる方向へフェイスが歩み始めた。
「フェイスさんそちらは」
「まだ見てないよね?」
先に進むフェイスの歩みを止めようと一歩踏み出そうとした先で飛んできた机に視界が遮られる。
「ぐっ…!」
拳で払い除けようとしたところで次々に飛んでくる瓦礫達によってフェイスとの間に壁が出来てしまう。
「フェ…」
名前を叫ぼうとして耳元でくすくすと鈴の鳴るような声が聞こえ、耳を抑えて飛び退いた。
ちょうだい、ちょうだい
囁くような声が笑いながらオスカーの周りを回っている。黒い影が女の腕を形作りするりと宙を滑りながら、ざわざわと、何かを囁いている
ちょうだい、ちょうだい、きれいなあのこ
欲しいの、あのこがほしい。
生への執着が少ないあのこは私たちを受け入れてくれる
かえって、ここからかえって、あのこを置いて
黒い靄が大きな顔を形作ってオスカーに飛びかかる。
立ち去れ!
「ふざけるな、お前たちにフェイスさんは渡さない…!」
オスカーの頭の中で、体が消えかかってもなお、消えてしまうのは仕方ないとさしたる動揺もなく言ってしまえるフェイスの姿が蘇る。
例えフェイス自身がそこまで生きることに執着がなかったとしても、形なきものにその体を攫われることに抵抗を見せなかったとしても、それがフェイスの意思だとしても、耐えられる自身がオスカーにはない。連れてなどいかせるものかと勢い良く顔面に拳を叩きつけると黒い靄が飛散した。
「フェイスさん…!」
瓦礫の山を破壊するように打ち付ければ、脆くなっていたそれらは粉々に砕け散る。そのまま急いで先に迎えば、フェイスが廃墟の端の部分で足元を眺めている。1歩踏み出せばそこから落ちてしまいそうな程ギリギリの場所に立っているのが見えて加速した勢いのままフェイスの体を今度はきつく抱きしめた。
「行かないでください…!」
「…ちょっ、な、なに…!?」
いきなり全身を抱きとめられたフェイスの体がびくりと跳ねて強ばるのを感じてほっと息を吐く。飛んできた瓦礫がかなり大きな音を立てていたというのにこちらへと向かって来なかったフェイスが黒い何者かに体を操られていたのではないかと心配して居たが、どうやら杞憂のようだ。
「す、すみません。フェイスさんが飛び降りるのではないかと思って…!」
抱きしめた先でじわりと体に移ったフェイスの熱で自分がしてしまったことに気付き慌てて両手を顔の横にあげる。
「は?飛び降りるわけないでしょ」
変なオスカー、顔を背けて深くため息をついたフェイスが崩れた建物の先を指している。何があるのかとしゃがみこんで覗き込めば崩れた壁が積もるバルコニーらしき場所にきらめく石が埋もれているのが見えた。
「サブスタンスでしょうか?」
「多分ね、計測器が反応してたし」
見上げるオスカーから顔を逸らしたフェイスの耳がほんのり赤らんでいる。
「フェイスさん、体の調子はどうですか?何かしんどいとか苦しいとか暑いとか…」
「そんなことよりサブスタンスだよ。オスカーは取れそう?」
「そうですね…あれくらいですと報告してドローンに回収させた方が安全かと思いますが」
「まあ俺とオスカーの能力じゃさすがに無理か、降りて足場崩れても危ないしね。俺が連絡いれるからオスカーはサブスタンスを見張ってて」
「わ、分かりました」
フェイスから投げられたサブスタンスの力を抑えるための装置を受け取って近くに配置しながらも、目線を合わてくれなかったフェイスの態度に、強く抱きしめすぎて体を痛めたのだろうか、何か機嫌を損ねることをしてしまっただろうかとオスカーは悩んでいた。
羨ましいわ、羨ましいわね
悲しいわ、私たちと一緒にはきてはくれないのね、
愛されてるのね、愛されてるんだわ
愛の力は無限大とはよく言ったものだわ
ほんの少し頬を染めて唇を引き結び、インカムを操作するフェイスの傍では、サブスタンスの力を無くし生者に届かなくなった女性たちが辺りを漂いながら、楽しそうに恋話に花を咲かせていた。