sweet magic time時は夕方。
部活帰りの俺は、保温ケースと水筒片手にいつもの帰路とは別の道を足早に歩いている。
目的地はむーちゃん家の弓道場。幼い頃から通い慣れた場所。
むーちゃんの家族に「お邪魔します。」と軽く挨拶をして、道場に向かう廊下を進んでいく。
夕方の西日が差す冬場の道場は日が差してるのにひっそりとしていて、空気がなんだか冷たく感じる。
そんな静寂の中、むーちゃんは一人で的に向かっていた。
袴をきっちりと着たむーちゃんは、俺しか知らない姿のひとつだ。
凛とした佇まいで行われる所作。少しずつ引かれる弓。
狙いを定めている最中、キリキリと軋む音が微かに聞こえてくる。
後ろからこっそり見ている俺も、緊張感で無意識に息が詰まる。
パッと弓が放たれて数秒後、しんと静まっていた道場に矢が的に中る音が響く。
やっぱりこの音はかっこよくて好きだなって思う。
「よーし」
「!」
昔は弓道の事、そこまで詳しくなかったけど。
矢が的に中った時はこうして声出しもするらしいって知ってたから、なんとなく。
不意に聞こえた俺の声にびっくりするむーちゃんは、こちら側を見て表情が緩む。
「…うーちゃん。来ていたのか。」
「お邪魔してます。持ってきたよ、チョコ。」
「すぐ道具を片してくる、中で少し待っていてくれ。」
「ん、わかった。」
さて、むーちゃんが戻って来るまでに魔法の準備だ。
保温が効くケースから出したのは、新作のチョコレートまんじゅう。
寮で神名さんが作る焼売や餃子、夜半さんの怪しい創作肉まんみたいに、チョコを包んだ暖かいスイーツを作ってみたくなったから。
水筒に入れていたホットチョコレートをゆっくりとカップに注いでいたら、むーちゃんは足早に弓道具一式を片付けて戻ってきて俺の隣に座る。
「さ、ボナペティ」といつもの呪文を唱えれば、ふたりだけの特別な時間の始まりはじまり。
「いただきます。」
そう言って、むーちゃんは淡く湯気が立つ大きめのチョコレートまんじゅうを口いっぱいに頬張った。
中のチョコの甘さは勿論、むーちゃん好みの甘さにしている。
さっきまでの凛としたむーちゃんの表情も好きだけど、俺の作ったスイーツを食べた後の柔らかな表情は昔からずっと変わらない。大好きだ。
「うむ、暖かく甘さも丁度いい。稽古で冷えた身体にもってこいだ。」
「よかった。それに併せたホットチョコレートもあるよ、こっちは甘さ控えめ。」
「ありがとう。うーちゃんの細かな気遣いには、いつも感謝している。」
いやいや、感謝を言いたいのは俺の方だし…って言葉は心の内に秘める。
こんな事を言わなくても伝わってるって、表情を見たらわかるから。
道場の空気は冷たいままだけど、少しでもむーちゃんを暖められたならよかったって思う。
騒がしい学校と寮生活の合間の、短かいけど特別なふたりだけの時間。
夕焼けは俺が"大すき"を無くした日の事を思い出しそうになるけど、小学校の屋上でのむーちゃんとの思い出が上書きしてくれて、今は嫌いじゃない。
お互い昔から変わってしまった事だらけで、いつかこの魔法の時間もチョコレートの様にとけてしまうかもしれないけど。
むーちゃんも、この時間を特別だって思っててくれたらいいな…なんて、柄にもなく思いながらゆっくりしていたら道場が暗くなり始めていた。
急いで母屋に戻り、姫の元にもチョコレートまんじゅうをお裾分けして。
「では。戻ろうか、うーちゃん。」
「だね。」
パタパタと玄関先まで見送りに来た姫に手を振ったら、魔法の時間はもうすぐおしまい。
昔みたいに「またね」じゃなくて、ふたりで一緒に帰る場所がある喜びを感じながら、隣り合わせで寮への帰途に着く。
「そうだ。うーちゃん、あのチョコまんじゅうに隠し味は入っていたか?いつものうーちゃんのチョコとは少し違う味がしていた。」
「流石むーちゃん、チョコに白あんを混ぜてみたんだよね。むーちゃん好みの味になるかなって。」
「ああ、とても美味だった。きっと姫も今頃喜んでいる。」
「当たり前でしょ。」