◾️1
サラザール、と声がした。
それが自分を呼ぶものだと気付くまでバーソロミューは数秒の間を要した。
そうだった、ここではそう名乗っていたのだった。複数の偽名を使っているせいかどうにも馴染まなくて困る。
「はい、旦那さま。何でしょう」
バーソロミューが微笑めば男女問わず好意を抱いた。旦那さま——パーシヴァル・ド・ゲールもまたその1人であるとバーソロミューは確信している。
巷では【清き愚か者】と呼ばれているらしい己の主人は、バーソロミューがこうやって微笑んでやる度に分かりやすく喜びの表情を浮かべた。
「先程、茶葉を頂いてね。良かったら貰ってくれないか?君は紅茶が好きだと聞いたから」
パーシヴァルは時折バーソロミューに他愛もない贈り物を施してくる。豪華な装飾が施された缶に入った茶葉は見るからに高級なものであった。
良いんですか、と殊勝な面持ちで問いながらも内心では金持ちの道楽だろうと馬鹿にしていた。
しかして趣味の悪い数多の宝石や金を手渡してきては、見返りに身体を求めてくる性根の腐った成金どもよりかはよっぽど好感が持てた。
「宜しければ、ご一緒にいかがでしょう」
そう言ってやるとパーシヴァルは喜びを隠しきれない様子で、すぐに茶菓子を用意すると息巻いた。
可愛い、とは思う。大型犬が己に懐き尻尾を振るさまを可愛く思わない筈がない。
だが、バーソロミューには目的があった。
その目的の為にわざわざ己を偽ってこの屋敷に執事として潜入したのだ。ここで絆されてしまっては今後の仕事に差し支えが出てくる。
———バーソロミューは世を騒がせる盗賊の一味であった。
今回はこの屋敷の何処かにあると噂の空色の宝石について探りを入れている最中である。
己の仕事を放棄している訳ではない。執事としての仕事をこなしながら、やるべき事はやっている。
だが、何処を探してもその宝石は見つからなかった。それどころか屋敷中の誰もが存在を認識してはいなかった。
(これはガセネタを掴まされたかな)
情報を仕入れてきた黒髭に対し殺意を覚えたが割といつもの事である為、バーソロミューは内心ため息をつき諦めた。
だが、ここ何ヶ月かずっと張り付かせていた作り笑顔のせいで随分と頬の筋肉が発達してきた気さえしていると言うのに、それが無駄骨に終わると言うのはいかんせん許しがたかった。
唯一良かった事と言えば、有難い事にこの屋敷に入ってから身体を求められた事はなかった事だ。城主にも、己が仕えるこの清き愚か者にも。
彼らはきっと《いい人》達なのだろう。己が身を置いてきた汚く澱んだ世界の事など知らぬ澄んだ心を持った人達なのだろう。
自分がもう忘れてしまった世界——いや、知る事すらなかった世界を当たり前の様に享受している彼らを酷く憎らしく思った。
湯を沸かしながら、手際よくポットとカップを用意する。隣ではパーシヴァルが楽しげに茶菓子の準備をしていた。
どうにも嗜虐心が湧いてしまう。
虐めてやりたい。困らせてやりたい。
「旦那さま、」
「なんだい、サラザール」
「私の事をどうお思いですか」
「うん?気が利いて、何でも卒なくこなす、とても素敵な私の執事だと思ってるよ?」
「抱きたいと思った事は?」
抱きたいと言われると嫌悪感を抱く事は己自身理解している。それでも聞かずにはいられなかった。
パーシヴァルは大きく目を見開いてバーソロミューを見やった。
耳まで真っ赤に染め、逡巡している様であった。
「その、君はとても美しいと思う。大事にしたいと思う。でも、サラザールと私の間にその様な行為は必要ない、と思ってる」
抱きたくない、とは言わないのか。
それでもバーソロミューにとって満足のいく答えであった。ここまで誠実に己の事を鑑みてくれる主人はそうは居まい。
「いや、そうでしたか。ありがとう、もしかしたら貴方も、と勘繰ってしまった。どうかお許しを」
これは本心だ。
もう今まで幾度も仕事を円滑に進める為に身体を差し出す行為を繰り返してきた。嫌悪感は抱くが、手段の一つだと思えば耐える事が出来た。
己を抱こうとも疑おうともしないゲール家の人々には感謝している。
何せ、心を繋ぐよりも身体を繋ぐ方が何倍も楽だ。仕事が捗る。即物的で、俗物的で、何より人は本能には抗えない。誘えば大抵の人間はバーソロミューを抱き、己のものになったと勘違いした。そうなった人間は随分と扱いやすかった。
——バーソロミューの抗えない本能と言えば、掠奪であった。欲しいものがあれば奪う。そうやって生きてきた。そうやって生きるしかなかった。
欲しいと言えば、パーシヴァルの瞳もそうだ。とても美しい、空色をした瞳——、
そこまで考え、バーソロミューはふと気付いた。気付いてしまった。
【空色の宝石】、——空色の、瞳?
そういえば、世の中では子は宝なのだとか。
そういう事か。
なんだ、そういう事だったのか。
「ふふ…っ、」
思わず笑いが漏れ出る。
もう、笑うしかないではないか。
空色の宝石など存在しなかった。あったのは空色の瞳だけだ。
屋敷の人間が【空色の宝石】の在処を知らない訳だ。何せ、宝とは思えど実際には宝石などではなく、彼の美しい瞳であったのだから。
「サラザール?」
「私の名前はサラザールではないよ。突然だが、さよならの時間が来てしまった様だ、パーシヴァル」
もう少し、この夢の様な時間を楽しみたかったのだけれど。夢の様だった。ほんの少しばかり愛しいと感じてしまう程度には。
残念ながら、そろそろ夢から覚める時間だ。
バーソロミューは湯を沸かしていた火を消し、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……では、本当の名を呼べば貴方は私の側に居てくれるのかい?……居てください、バーソロミュー・ロバーツ」
バーソロミューの両手首をいとも簡単に片手で掴み、パーシヴァルは愛おしげに囁いた。
その表情とは裏腹にどれだけバーソロミューが力を込めようと振り解ける気配はなかった。
何故その名を知っているのか。この屋敷でその名を名乗った事はない。
何処で失敗した、何処から間違えていたのか——バーソロミューは驚きの余り、言葉を発する事も出来なくなっていた。
「……やはり、それが貴方の真名のようだ。彼が言った通りだ。バーソロミュー・ロバーツ。それともジョン・ロバートかな?………ああ、どちらにしても《サラザール》のままで、本心を隠したままで居てくれた方がよっぽど良かった、貴方を失いなくはなかった」
「なぜ、」
「私はね、バーソロミュー。自分でも気付いていなかったのだが粘着質でね、」
私はずっと貴方を探していたのです。パーシヴァルは口端だけを吊り上げ微笑んだ。
その様な表情は今まで一度足りとも見た事がなかった!
恐ろしい、と思った。今すぐにでもこの場を離れなければならない。
作戦は失敗であった。どの道、同じ組織に属する黒髭やドレイクには宝などなかったと報告せざるを得ない。
彼とは誰なのか。
それよりも目の前のこの男は誰だ。
こんな男は知らない。私が知っているパーシヴァルはもっと可愛くて、清くて、こんなにも恐ろしい男ではなかった!
バーソロミューは困惑を隠せなかった。
こんな筈ではなかった。
今までは肉体以外のものを執着された事もなかった。
必死に抵抗しても筋力の差は歴然としており、パーシヴァルの大きな掌はバーソロミューの手首を包み込んだままであった。
「どうか、私の側にいてください。貴方が何を望んでこの屋敷に来たのかは知りませんが、どうか、」
「な、ぜ……私を知っているんだ、表舞台に立った事など一度も、」
「一度だけ、幼い日に貴方をお見受けした事が」
パーシヴァルはバーソロミューの両手を己が片手で拘束しながら過去を話始めた。
額からは脂汗が流れ落ちていた。
国内有数の資産家の三男と、盗賊である自分。
何もかもが釣り合わない。傍にいて欲しいなどと宣うより先に罪を裁くべきだ。
欲しい物は奪う。そんな人生であった為、奪われる事に関して忌避感はない。なるべくしてなったのだと納得するだけである。
一刻も早く解放されたいとバーソロミューは機会を窺うが、話しながらもパーシヴァルは一切の隙を見せなかった。
この様な恐ろしい表情を見るくらいなら、乱暴に抱かれた方がマシだ。
バーソロミューはパーシヴァルの顔を直視する事も出来ずただ掴まれた両手を見つめるばかりだった。
◾️2
パーシヴァル・ド・ゲールが夢を見る時は決まって幼い頃出会った美しい男の夢であった。
父に連れられ赴いた美術館で一瞬だけ目が合った——まるで海の色を模した様な瞳の男だった。
父に頼み込み、その男の素性を調べた。その男は所謂窃盗団に所属している破落戸だった為、それ以上の事を父は教えてはくれなかった。
寝返りを打ち、彼の人を想う。
盗賊と言うからには他人の物を盗み取る悪人であるがパーシヴァルにはそうは見えなかった。いや、それだけではない様な気がしていた。
勿論、窃盗は犯罪である。
それでもパーシヴァルはあの美しい瞳に心を奪われてしまっていた。
幼き頃は日々の教育からくる自由を求めるあまりの一種の憧れの様なものであると感じていたが、青年期に差し掛かり夢を見る度に己の一物が張り詰めているのを見て考えを改めざるを得なかった。
私は、あの人を性的な目で見ていたのか。
初めて夢精した日は悲しくなった。己の中で大事にしてきた宝物を汚してしまった気分だった。
ゲール家は国内でも有数の資産家であった。
その中でパーシヴァルは何不自由ない暮らしを送っていた。学問も芸術も充分学べたし、食糧に困る事もない。パーシヴァルが望めば欲しい物は全て手に入った。
パーシヴァルは進んで他人の物を盗んでいる事が理解出来なかった。だが彼の事は理解したいと思った。
持たざる者に何故持っていないのかと聞く程傲慢なつもりはないが、あの時彼は微笑んでいた。心から楽しんでいた。
もう一度会いたい。窃盗を咎めるつもりは微塵もない。ただ、もう一度あの美しい瞳を見たい。
出来ればどの様な声色をしているのか知りたい。
あの瞳を手に入れたい——
ふと考えが至ってしまった。彼が何故盗みを働いているのか。
そんな事は分かりきっている。欲しいから奪う。ただ、それだけなのだ。誰しもが脳裏に過ぎる欲望にただただ忠実なだけなのだ。
清き愚か者、と呼ばれるパーシヴァルでさえ思い至ってしまうのである。彼の人がどの様な人物であれ、選択肢の一つとなるだろう。
それからというもの、パーシヴァルは暇を縫っては彼について調べた。ただ闇雲に探した。
パーシヴァルが知っている事と言えば、彼が盗賊である事と海色をした瞳である事だけだった。
探し始めて10年程過ぎた。
情報屋と言うには余りにも悪人じみた顔つきをした男から《探している男はバーソロミュー・ロバーツ。しがない盗人野郎でつよ。なんでつかぁ、その疑いの目は。別に疑うなら好きにしてくだちい。……何で、って。盗人家業もここらで潮時。アンタならアイツをどうにかしてくれんでしょオイ聞いてんのかコラ、アンタならアイツを五体満足のまま死なせられんだろ、別に情が湧いたとかそんなんじゃねぇ、ついでだ、ついで。
ただ……俺らの末っ子にくらい夢見せてやってもバチは当たらねえだろ、アイツにとっちゃ地獄かもしれねーがそん時ゃそん時だ》そう言って顎髭を蓄えた男は笑った。
男の言葉の意味を半分も理解出来てはいなかったパーシヴァルであったが、再び出会った暁には必ず幸せにしてみせます、と考えるよりも先に言葉を発していた。
そうして男はにやりと笑い、その場を去った。
パーシヴァルが男に会ったのはそれが最初で最後だった。
それから数日後、パーシヴァルは自分付きの執事だと言って父から1人の男を紹介された。
彼はサラザールと名乗った。美しい男であった。長いまつ毛。象牙色をした肌に海色の瞳——
彼だ。パーシヴァルは直感的にそう思った。
バーソロミュー・ロバーツではないのか。
それでもパーシヴァルはサラザールをあの時出会った海色の瞳の彼だと理解してしまった。
二つ返事で己の執事を取る事を決めた。
——そんな中、パーシヴァルは新聞で顎髭の男が捕らえられ絞首刑になった事を知った。巷では黒髭を名乗る大悪党、エドワード・ティーチであった。
今まで組織を組んで窃盗を行っていたと見せかけて実は単独犯だったとの記事であった。
パーシヴァルはその記事が真実ではない事を知っていた。仲間の1人を己に匿う様、画策してきたからだ。新聞に載る様な大悪党が己の命を賭してまで守ろうとした彼を、己も守ろうと思った。
パーシヴァルはサラザールがその記事を目にする事がない様努めた。いつも通りのパーシヴァル・ド・ゲールはどの様な人物であっただろうか。普段通りを装えているだろうか。
世間がエドワード・ティーチを忘れるまでパーシヴァルは毎日そんな事を考え過ごした。
サラザールがバーソロミュー・ロバーツだと言う確たる証拠はなかったがそれでも彼に顎髭の男——黒髭エドワード・ティーチの死を知らせたくはなかった。
ただ証拠など一つとしてなかったが、パーシヴァルはサラザールと日々を過ごす内に、彼があの時出会ったバーソロミュー・ロバーツだと確信していた。
バーソロミューに仲間の死を知られてしまえば、彼はこの館から跡形もなく姿を消してしまうだろう。パーシヴァルはそう考え、バーソロミューよりも己の欲望を取った。真実や本心を隠し通してでもバーソロミューに側にいて欲しかった。
頼まれたから、守り通す。そう言い訳をしていた。
その実、心の奥底ではそれを隠れ蓑にして欲しい物を手に入れようとしていた。
欲望のままにバーソロミューを蹂躙してしまいたい、と思わないでもない。だが、ひと時の欲望よりも穏やかな日々を失う方がよっぽど恐ろしい。
パーシヴァルは彼の海色の瞳を失いたくなかった。
真相を教えずバーソロミューから選択肢を奪い、自由になる権利を奪っている。それは盗賊よりも盗賊じみた行為であるとパーシヴァルは自嘲した。
◾️3
「——さよならの時が来てしまった様だ」
バーソロミューは言った。
別れは唐突に来るものではあるが、余りに唐突すぎる。パーシヴァルは思わずバーソロミューの両手首を拘束し、逃がさない様努めた。
逃がさない。手放したくない。私の宝。
過去から今に至るまでを一通り話し終える頃にはバーソロミューはすっかり逃げる気力をなくしていた。
床に座り込み、ぐったりと項垂れるバーソロミューに両手首の拘束を外し、椅子に座る様促し手を差し出したが、叩かれた。
「エドワードの件に関しては、申し訳ないと、」
「違う、私の正体を分かった上で君は日々を過ごしていたのか、私は君に踊らされていたのか、嘲笑いたいなら嘲笑いたまえ!無様だっただろう、おまけに目的の物など最初から存在もしていなかった!……黒髭が私を君の元に行かせる為に偽の情報を流した事は分かった、情夫にでもするつもりだったか?それならとっととそうするがいい!黒髭にも君にも裏切られた気分だ、最初から信用されていなかったのだから裏切るもクソもないか、はは、」
バーソロミューは一息で言い切ると咽せながら、一筋涙を流した。その涙はひどく美しかった。
情夫にしようなどという考えは思いつきもしなかった。ただ、愛でたいと思っていた。結果的には情夫と同じ扱いをしようとしていたのかもしれない。
パーシヴァルは己の心に困惑した。
この様に醜い部分をバーソロミューに曝け出したくはなかった。また微笑んで欲しかった。
乱暴を働き、足の骨でも折って監禁する事は容易い。だがそれは海色の彼の瞳が泥濘に沈んでしまう事を意味していた。
羽根をもがれた海鳥の様になるバーソロミューは見たくない。
けれど、逃したくもない。
背叛し、暴走する心を止められない。
「バーソロミュー、違う、違うのです、」
「何が違うんだ!貴族様は薄汚い盗賊を手のひらで転がし嘲笑っていたんだろう!」
「違う!私は!ずっと貴方を探していた、貴方がずっと欲しかった!それこそ幼い時からずっと!それが、突然手の中に落ちてきたんだ、……手放す道理もないでしょう、どうか、どうか貴方の海を1番近くで見つめる権利を私にください」
バーソロミューの手を取り、その甲に口付けた。
自由までもを奪うつもりはない。バーソロミュー自身の意思で自分の側にいて欲しい。
パーシヴァルの記憶する限り、我儘を言った事は一度だけだ。バーソロミューの事を調べて欲しいと父に頼み込んだ、その一度だけだ。
バーソロミューへの懇願は二度目の我儘だった。
「莫迦じゃないのか、きみ!分かっているのか私は盗賊、しがない盗人だぞ!そんな輩に愛を囁くなんて!きみの全てを奪い取られても文句は言えない様な台詞を吐いてる自覚はあるのか!…………私がきみの傍に居られる筈がない、君のその美しい空では飛べない、眩しくて羽が溶けてしまう」
だから、すまない。優しく包み込まれた手を離し、バーソロミューは言った。
我儘だとは分かっている。だが、どうしても欲しい。彼を手に入れたい。パーシヴァルはバーソロミューを強く抱きしめた。
拒絶はされなかった。腕を回されまるで子供をあやすかの様に何度もパーシヴァルの背を軽く叩いた。
「抱きしめてみて、ガタイのいい男だと理解出来ただろう。私はきみの可愛い人にはなれない。なに、今なら君は何もなかったかの様に人生を過ごせる。三男とは言えど、身分の高い女性と結婚して世継ぎを産まねばならない。ほら、私の事など忘れたまえ。どうだい、気持ちは変わったかな?」
「……っ愛しい……!貴方が欲しい、気持ちは変わりません、世継ぎは兄たちがどうにかするでしょう。私が人生を共にしたいと思ったのは貴方が最初で最後です」
「あんな恐ろしい顔をした後に可愛い事を言わないでくれ、……君は《サラザール》としての私しか知らない。人が良い風を装っていたんだ。君を騙していたんだ。君のその気持ちは勘違いだよ」
なんとか諦めさせようと言葉を織りなすバーソロミューをさらに強く抱きしめる。
勘違いなどではない。この気持ちが愛でないのなら、この世に愛など存在しないだろう。パーシヴァルは思う。こんなにも愛しいと感じているのに。勘違いである筈がないのだ。
「それでも、紅茶を楽しんだり窓から海を眺めて慈しんでいる様までは嘘ではないはずだ。私の事を可愛いと思ってくれているのならばどうか、」
「でも君は抱かなかった。私を抱こうともしなかった」
「貴方が本心から一度でもそれを望んだ事はなかった」
「はは、……そうだよ。では君の本心は?ただの素敵な執事だと思っていた?抱きたいと思わないと言ったけれど、どうなのかな」
「本心から許可を頂けるのならば、貴方の全てを余す所なく愛したいと思っていた。けれど貴方が望まないのならば、肉体の交わりなど不要だ」
「あははは!きみ、君本当に私の事しか考えてないじゃないか!」
「はい」
「でも正体がバレてるんだ、ここにはいられない」
盗みは重罪だ。
ゲール家に咎人を匿う道理もない。
「私しか知りません。父でさえも。ここに居られないと言うのであれば、……もし、私がこの家を出たら貴方は共に来てくれるのでしょうか、だとしたら私は今のこの恵まれた環境をすべて投げ捨てましょう、私自身が手に入れたもので貴方を幸せにしてみせます」
「大層な自信じゃないか。……あー、もう!きみ、深海に沈む覚悟はあるのかな?私は空に溺れる覚悟は出来たよ」
「それは、どういう……」
「察しが悪いな。……君となら何処へでも、って意味だよ。私が逃げ出したくなる前に私を君の空に溺れさせたまえ」
バーソロミューはそう言って微笑った。
パーシヴァルからその表情は見えなかったが、愛おしいものであった。
折角許しを得たのだ、私の心が奪われた様に貴方の心も奪ってみせる。そうして最後に残るものは互いが互いの所有物であるという事実だけだ。
「お任せください。誰も見たことのない空へとお連れしましょう」
その日を以て、2人の行方は杳として知れなくなった。
パーシヴァルの父は息子を探す事はなかった。ただ一言、《あの日から盗賊に心を奪われたままだったのか》、とため息を吐くばかりであった。