そんなものがなくたって「あんなものを塗らんでもお前は綺麗だ」
***
俺が起きるとすでに仙蔵は着替え終わっていた。といっても見慣れた忍装束ではなかった。
「仙蔵、任務か?」
「あぁ。一週間は帰ってこれない」
「お前、この前も女装での任務してなかったか?」
「今回もだ」
そう言いながら、仙蔵は最後に仕上げの紅を引く。
「では行ってくる」
「お前、大丈夫なのか?」
今日の仙蔵はどこか疲れている様子だった。確かに部屋では疲れた様子を見せることは多いが、今日は少し様子が違う気がして思わず声をかけてしまう。
「大丈夫に決まっているだろう」
それだけ言うと仙蔵は行ってしまった。
***
「仙蔵」
一週間後、仙蔵が帰ってきた。部屋で帳簿を計算していた俺が思わず凝視するほど疲れた顔で。しかしそれには気づく様子もない。
「文次郎か。私は寝る」
それだけ言うと白粉も落とさずに寝てしまう。いつもなら風呂に必ず入って白粉を落とすがそれもせずに自分の布団を乱雑に出して寝てしまった。どうにも様子がおかしい。こんな仙蔵は見たことがない。念のため伊作に声をかけた方がいいかもしれないと判断して伊作の部屋に向かう。
「何してんだ文次郎?」
声をかけようと思ったところで気に食わないやつから声をかけられた。
「てめぇに用はねぇよ。伊作は?」
「風呂だ。もうすぐ戻ってくると思うぞ」
いつもなら売り言葉に買い言葉になるのに今日はならなかった。というよりも留三郎が買わなかった。
「あれ?文次郎どうしたの?」
伊作が部屋に戻ってきた。
「ちょっとお前に用があってな」
「僕に?こんなとこで話してたら風邪引くから中に入りなよ」
伊作は戸を開けて中へと入って行く。俺もその後に続き、最後に入った留三郎が戸を閉めた。
「で?話って何?」
留三郎に髪を乾かしてもらいながら伊作が聞いてくる。
「いつもやってもらっているのか?」
「留三郎がいるときはね。で?」
いつもの光景らしく伊作はされるがまま。留三郎もこちらに気にした様子はなく伊作の髪をせっせと乾かしている。
「仙蔵がおかしい」
「仙蔵が?」
「またお前がなんかしたんじゃないのか?」
「何もしとらん!」
「どうだかな」
「この野郎っ!」
「留三郎はちょっと黙ってて。どんな風におかしいの?」
伊作がすぐに仲裁に入ると、留三郎はまた黙って髪を乾かし始めた。完全に尻にひかれている。
「いつもより疲れた様子だった」
「任務が忙しかったの?」
「いや、任務の数自体はあんまり変わった様子はなかった」
「倦怠感……」
留三郎に髪を乾かされながら伊作は考え込む。
「任務の内容聞いても?」
「詳しくは知らんがほとんどが女の格好でやるものだったらしい。いつも女装して任務に行っていた」
「他に何か言ってたかい?」
「何も言ってはいなかったが時折、眉間に皺を寄せて、こめかみに手を当てていた」
「ってことは頭痛か……」
「そういや、あいつ飯食ってるのか?」
伊作の髪をいじっていた留三郎が突然聞いてくる。
「留三郎、なんでそう思ったの?|
「俺は最近、委員会の仕事でお前らよりも遅く飯を食ってただろう。ほら、この前の台風でいろんなとこの屋根が壊れたから。そのとき、仙蔵が飯の時間に歩いていたのを何回か見たからさ。俺はてっきりお前らと一緒に飯を食って先に出てきたのかと思ってたんだが……」
「俺は食べていない。というよりもやることがあるから先に食べろと言われた」
「僕も。最近は留三郎と食べないから小平太たちと食べることも多かったんだけど、そのときも全然見てない」
どうやら仙蔵の異変は疲れ以外にもあったらしい。
「倦怠感、頭痛、ご飯を食べていない……!!」
そこまで言って伊作は気づいたらしい。俺の方をバッと見てきた。その拍子に後頭部が伊作の髪を乾かしていた留三郎の顎に激突した。
「すまない、留三郎!」
「大丈夫だ。それよりも何か気づいたんじゃないのか?」
顎をさすりながら留三郎が伊作を促す。
「文次郎、部屋に行ってもいいかい?」
「あぁ……」
***
部屋に戻ると仙蔵は寝ていた。伊作は灯りを頼りに仙蔵のそばに行き、顔色を伺う。といっても白粉でよく分からないが。
「文次郎、仙蔵がこんな風に白粉も落とさないで寝たことある?」
「俺がいるときは一度も」
「そう……。とりあえずこの白粉落とすから」
「お湯だな伊作」
「うん」
留三郎はそのまま部屋を出ていく。
「伊作、仙蔵は……」
「おそらく鉛中毒だよ」
「鉛中毒?」
「白粉にはね、鉛が入っているんだ。これが肌を白く見せてくれる。けど鉛って体にいいものじゃないんだ。使えば使うほど体に残って害を及ぼすし、体から毒素が抜けにくい」
「治るのか?」
「治るというよりも毒素を出すことが先かな。明日からしばらく女装任務は禁止」
「分かった。先生方にもそう伝えておく」
「文次郎、しばらくは仙蔵のそばにいてやって。本当は保健室がいいと思うけど、後輩には見られたくないと思うし」
「分かった」
「留三郎にも少し手伝ってもらうからね。喧嘩はしないでよ」
「……努力する」
「伊作、これでいいか?」
そんな話をしていると留三郎が桶に湯を張って戻ってきた。手拭いもついている。
「ありがとう留三郎」
伊作は留三郎から桶を受け取ると手拭いを濡らして白粉を取っていく。
「水も持ってきたがどうする?」
「助かるよ。文次郎、申し訳ないんだけど仙蔵起こすよ。水飲ませたい」
「分かった」
「仙蔵、仙蔵」
「うっ……ん?誰だ?」
「伊作だよ。申し訳ないんだけど水飲んでもらってもいい?」
伊作だと聞いても、よく分かっていないのか気だるいまま。
「もんじろう……飲ませて……」
二人きりでしか言わないようなことをポツリともらす。仙蔵は分かっていないようだが、俺はかなり気まずい。
「文次郎ご指名だよ。僕と留三郎は出てるから」
そういって伊作と留三郎は部屋を出ていく。わざわざ部屋から少し離れてくれたのはあいつらの心づかいか。
「仙蔵」
「もんじろう……」
「水飲めよ」
「……うん」
抱き起こすと留三郎の持ってきた湯呑から水の口に含み、仙蔵の口に自分の口を押し当てた。眠いと仙蔵はいつもよりも素直になるため、あっさり口を開いて水を飲んでくれた。コクリと動く喉仏は男とは思えないほどの色気があるが、今はそんなことを言っていられない。体には力が入っておらず、すぐにでも寝落ちてしまいそうなので手早く飲ませる。三回ほどやると湯呑は空になった。仙蔵はすでに夢の中。ゆっくりと布団に寝かせてやり、外の二人に声をかける。
「飲ませたぞ」
「全部?」
「あぁ」
伊作はもう一度部屋に入り、仙蔵の様子を見る。留三郎は入ってこなかった。
「明日の朝、また見にくるね。文次郎、今日は部屋で寝てね」
「分かっとる」
「しばらくは水を多く飲ませるようにして。仙蔵が嫌がってもだよ。小水の回数を増やして体内の毒を出すから。たぶん倦怠感はしばらく続くからできるだけ側にいて。迂闊動いて、穴に落ちたりすると危ない。小平太たちは任務で二週間は帰ってこないから委員会の方は僕たちで上手く言っておく。長く離れるときはどっちかに声かけて」
「しばらくは予算会議もないから大丈夫だ」
「そう。二人のご飯は僕たちで交代で持ってくるから」
「すまん」
「気にしないで。留三郎、しばらくお粥を別で作ってもらってもいい?」
「任せろ。屋根の修補は終わったからしばらくは通常の委員会だ。夕食は俺がしばらく作る。伊作は仙蔵見てやってくれ」
「すまない」
「気にするな、欲しい薬草があれば俺に言え。保健委員長まで怪我されたら大変だからな」
「分かった」
二人の間でどんどん話が進んでいく。
「という訳だから、文次郎頼んだよ」
「あぁ。遅くにすまなかった」
「気にしないで。何かあったらすぐに起こしにきてね」
「分かった」
「おやすみ、文次郎」
「おやすみ」
「てめぇも無茶すんなよ」
「うるせぇ」
***
布団に入ってはいたが隣の仙蔵の様子を気にかけていたら気付けば朝。着替えて仙蔵の様子を見ると仙蔵はまだ寝ていた。
「文次郎」
部屋の外から声をかけられ、戸を開けた。
「伊作、おはよう」
「おはよう。先生方には言っておいたから任務については気にしないで。授業も僕たちと時間ずらしてもらったから」
「すまん」
「いいよ。仙蔵は?」
「まだ寝てる。起こすか?」
「一回起こしてもらってもいい?問診したいから。その間に文次郎は朝ごはん食べて」
「仙蔵、仙蔵。朝だぞ」
「もんじろう?」
「おはよう、朝だぞ」
かなり辛そうに起き出す仙蔵の背に手を当て、起こしてやる。
「仙蔵」
「伊作?なぜここに?」
「仙蔵の具合が悪そうだって文次郎に相談されてね。今からいくつか質問するから答えてもらってもいい?」
「あぁ」
そうして仙蔵に伊作が質問をしようとした時だった。
「伊作」
「留三郎」
換気もかねて開けていた戸の外には留三郎。手には俺と仙蔵の分の飯があった。
「留三郎?」
「おう、仙蔵。おはよう」
留三郎は挨拶をしながら手に持っていたお盆を俺の前に出してくる。
「ちゃんと食えよ」
「分かっとるわ!」
留三郎からお盆を受け取る。隣では伊作が仙蔵に質問をしていた。
「昨日は大丈夫だったのか?」
「あぁ。特におかしな様子はなかった」
持ってきてもらった味噌汁に手をつけながら矢羽根で答える。
「そうか。お前、寝てないだろう?」
「このくらい平気だ」
「病人が増えたら伊作が大変だ。少しでいいから寝ろ。少し薬臭いかもしれんが俺たちの部屋で」
「なんでお前らの部屋なんだ!」
「ここで寝たらてめぇは気になって寝ないだろうが!俺と伊作は昼まで授業はない。その間寝ろ」
「……」
ムカつくが正論だったので何も返せない。
「文次郎、終わったよ。僕たちは薬取ってくるから仙蔵に食べさせてね」
そうして二人は出ていく。
「大丈夫か?」
「まだだるい」
「食べれるか?」
「食欲がない」
「一口でもいいから食べろ」
仙蔵に腕を差し出すが受け取ろうとしない。しょうがないので一口匙で掬って、口元まで持っていくとパクリと食べた。飲み込んだのを確認して、また持っていくと食べる。気づいたら全て食べ終わっていた。
「二人とも入るよ」
薬を取りに行った二人が戻ってきた。
「仙蔵、これ飲んでね」
そうして伊作は薬と湯呑みを仙蔵に渡す。仙蔵は素直に飲んだ。眠り薬を仕込んであったのか、仙蔵はすぐに寝てしまった。
「伊作、六年全員いないのは怪しまれるから俺は委員会に行ってるぞ」
「分かった。じゃあその間は僕が仙蔵見てるね」
「おう」
「文次郎、お前も休んできて。いい?絶対だからね!」
「わ、分かった」
仙蔵とは違う意味で伊作には逆らってはいけない気がする。
***
仙蔵の容態は日を追うごとに回復していった。一週間もすると疲れた様子は消え、食事の量も元の量に戻りつつあった。このあたりで俺は疑問に思った。なぜ仙蔵は今さら鉛中毒になったのだろうか。今までも女装での任務はあった。しかしここまでになったことはない。体にたまった毒のせいだろうか。
「僕もそれが不思議なんだよね。僕は仙蔵の次くらいに女装の任務が多いから、よく白粉をつけるけどこんな風になったことない。もちろん頻度とかにもよるけど」
伊作に聞いてみるが、伊作も知らないらしい。もっと詳しい人に聞くしかない。仙蔵の使っていた白粉を手に職員室の戸を叩く。
「山田先生、潮江文次郎です」
「入りなさい」
「失礼します」
「潮江、どうかしたか?」
「はい、先生にお聞きしたいことがあって参りました」
「立花関連だな」
「はい」
すぐに見抜かれて思わず背筋がゾクリとする。
「で、聞きたいことというのは?」
「この短期間で鉛中毒になることはあるのでしょうか?仙蔵は以前から女装での任務を行ってきました。しかし今回に限って鉛中毒になった。今までの毒素が体に蓄積されていたと考えるのが妥当ですが、そうすると先生のように女装を得意とする忍者の方々も同じような影響が出てもおかしくないと考えられます」
「そこで儂の意見を聞きたいと」
「はい」
山田先生は顎に手を当て、少し考え込む。
「潮江、立花が使っていた白粉は持ってきているか?」
「はい」
懐から部屋から持ってきた仙蔵の白粉を取り出す。その隣に山田先生がご自身の白粉を置く。中身は一見すると同じに見える。
「仙蔵が使っているのは最近流行っている白粉だ。儂が使っているものよりも色が白くなる。それにきめが細かく、落ちにくい」
女装が苦手な俺には違いがいまいち分からない。
「この手の白粉はおそらくだが、鉛の量が多い。その結果、白くきめ細やかな肌になり、落ちにくいため直す必要もない」
「きめ細かいから体内に入りやすく、落ちないから残りやすいと?」
「そうだ」
毒と薬は紙一重。分かっていたが、仙蔵のあんな姿を見るとやりきれない。
「現状は使い方に気をつけて使うしかない。私たちも此度は仙蔵に負担をかけすぎた。お前にも迷惑をかけたな」
「いえ……」
「とりあえず、その白粉はやめておけ。見劣りはするが儂の使っている白粉の方がいくらかましだろう」
「はい。そう伝えておきます」
そうして俺は職員室を後にした。
***
「文次郎」
部屋に帰ると仙蔵は起きていた。前よりも顔色がよくなって少しホッとする。
「私の白粉はどうした?」
「捨てた」
「なんだと!」
次の瞬間、仙蔵の眉が吊り上がる。
「なぜそんなことをした!」
「今回の体調不良はあの白粉が原因だ!これ以上、具合を悪くすれば元も子もないぞ!」
「そんなことは分かっている!しかし使い方を間違えなければいいだけだ!」
「間違えたからこうなったんだろうが!」
「うるさいっ!」
不穏な空気が部屋に漂う。仙蔵は下を向いてしまった。しかし今回ばかりは譲るわけにはいかない。
「なぜあの白粉にこだわる?」
仙蔵は意味もなくそういうことはしない。きっと何か理由がある。
「私は男だろう」
「あぁ」
「お前たちの中では細身だが、市井の女性に混じれば違和感が出るかもしれん」
「それでより女に見せようとあの白粉を?」
仙蔵がこくりとうなづく。それを聞いて俺は思った。こいつは本当に自分の見た目を理解しているのかと。
「あんなものを塗らんでもお前は綺麗だ」
俺の言葉に下を向いていた仙蔵が大きく目を開けてこちらを見る。
「白粉を塗っても塗らなくてもお前が綺麗なことを俺は知っている。それに女装をすれば、そこいらの女に負けないほど女になれるってことも。だからあの白粉だけはやめろ」
俺の言葉に仙蔵はこちらを見つめてくるだけ。なんだか恥ずかしくなって俺が仙蔵から顔を背ける。
「本当に?」
妙なところで疑り深いのはこいつの癖だ。
「本当だ!さっさと体調を直せ!そうしないと俺は鍛錬にも行けん!」
そういい捨てて、俺は部屋を出る。廊下の部屋から少し離れたところに、は組の二人。
「やるじゃないか文次郎」
「お前にしてはいいこと言うじゃないか文次郎」
「うるさい!」
二人そろってにやにやしながらこっちを見てくる。
「文次郎」
「なんだ?」
さっさとここを離れようとすると伊作に声をかけられる。
「今度僕の方でも白粉を調べておくね。なるべく体に害の少ない奴。あと代用品がないかも」
「……頼む」
「気にしないで。僕は保険委員長だからさ」
そういって笑う不運な同輩はとても頼もしく見えた。
あとがきもどき
江戸時代には白粉をよく使う歌舞伎役者さんなどが、その毒性に悩まされていたそうです。商品としての白粉の毒性は明治時代に大きな問題となり、そこから安全性が重視されはじめました。白粉自体は6世紀後半ごろからすでに日本に来ており、歴史自体は古いです。鉛と水銀性の二種類があり、16世紀前半には鉛性の白粉が庶民の間で広がり始めたそうです。
このお話はもし、伊作がその毒性を少しでも知っていたらという希望的観測を元に書いております。
私も簡単に調べただけなので、そこまで詳しくはありませんので間違っていたらスルーしていただけるとありがたいです。