逆鱗にふれる 2 翌日インドラはサリエの部屋のソファで目を覚ました。昨晩の記憶が全く無い。
また呆気なく酔い潰れてしまったらしい。ということはサリエを抱き枕に一晩過ごしてしまったのだろうかとインドラは思ったが、肝心のサリエの姿がどこにもなかった。とっくにインドラの腕を抜け出して別室で朝の支度でもしているのだろうか。
あの姿のサリエを抱き締めた時の感触を覚えていないことを悔やんでいる自分にインドラは動揺し、この場に彼がいないことを幸いに思った。
インドラは使用人からサリエは急用が入りこちらに来ることができないと告げられた。朝食を勧められたが、サリエが不在の状態で他人の領域に留まることが気まずくなり、上着を羽織ると早足で宮殿を去った。
その日は一日サリエの姿を見ることはなかった。元々神出鬼没な人物だ。彼が総帥だった頃はともかく一日姿を見なくとも気にするインドラではなかったが、翌日もサリエを街で見かけることはなく、隊員にそれとなく聞いても目撃情報も無かった。
落ち着きがないことをセレに指摘されたインドラは、彼女に事情を掻い摘まんで説明すると、そんなに気になるなら会いに行けばよいと言われた。
2日ぶりに宮殿を訪れたインドラはまっすぐサリエの自室へ向かった。前回は使用人に案内されたがすでに場所は正確に把握している。
女王がいなくなり貴族制度が解体されたあと、サリエは自室を引き払い宮殿内にある離れに移り住んだ。インドラとしては彼の助力が無ければ改革は成し遂げられなかったこともあり、彼が持つべきものは取り上げるつもりは無かったし、できるならそのままにしておきたかった。インドラが人員をサリエの元へ送るよりも前に彼は自分の持ち物を整理しており、本館にくらべればこぢんまりとした離れに収まる物以外はすべて警備隊に差し出した。
離れの入口でサリエの使用人に呼び止められた。サリエは今でも側に置いている使用人たちには給金を支払っているらしい。
使用人からサリエは体調が思わしくないので誰とも会わないと言われたが、インドラは引き下がらなかった。一度会えないかどうか聞いてきて欲しいと頼まれた使用人はため息を吐いたあと廊下の奥へ歩いて行った。
しばらくして戻ってきた使用人は、お会いになるそうですとインドラへ一言告げるとその場から離れた。
インドラははやる気持ちを抑えて廊下を早足で進むとサリエの寝室のドアの前で立ち止まった。
「サリエ様。インドラです」
「ああ・・・・・・。入っていいよ」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さな声は弱々しかった。
「失礼します」
部屋に入ったインドラはベッドの方へ視線を向けた。天蓋の間からサリエの姿が見える。
近づいてみるとサリエが仮面などの顔を隠すものを付けていないことに驚いたが、仰向けになるサリエの頭や首筋には氷嚢が当てられていることに気がついてインドラは強い焦燥感を抱いた。肌は赤らみ一目で熱があるということがわかる。
仮面の下は想像していたよりも穏やかな顔立ちをしていた。
普段露出している口元や頬のラインから女性的な容姿をしているのだろうとは想像したことはある。実質ナザレスの分身のような彼は、広場にあった彫像と似た顔をしているのではと考えていたが、無機質な彫像から受ける冷たい印象とは異なり現実の彼は美しく柔らからな雰囲気を纏っていた。
「すまないね。こんな格好で」
「いえ、私が・・・・・・わがままを言ったから。申し訳ありません」
サリエの弱った姿を痛ましいと思う気持ちと、仮面や化粧を取り払った彼の姿に胸は打ち震えて息をするのも苦しい。
「突っ立ってないですわったらいいじゃないか」
掠れた声に促されてベッドの脇にある椅子に腰を下ろした。
「サリエ様。あの夜本当は何があったんですか?」
「おや。前置きもなしにいきなり切り出すね。ボクが熱を出して倒れたのは自分に原因があると思ったのかい?」
「それ以外に考えられないでしょう」
「聞いたところでどうするの?」
「え?」
「インドラ、君のせいだと言ったところで君にはどうにもできないよ。医師からは安静にするしかないと言われたし、あと数日もすれば元のボクにもどるさ」
「そういう話をしているんじゃありません・・・・・・」
手のひらで顔を覆って俯いたインドラは、やはり自分のせいなのですねと苦しげに声を漏らした。
「ボクとしてはとてもめずらしい君の姿を見れたから、こうして対価を払っているものだと思っているんだけどね。まあ、対価というか罰かな」
「めずらしい? 自分は一体何をしたんですか?」
サリエは胸元の毛布をめくり、シャツのボタンを外しはじめた。
「サ、サリエ様・・・・・・?」
露出した胸には薄く花びらのように散った痕があった。それが何なのか分からないほどインドラは子どもではない。
思わず立ち上がり口元を手で覆うインドラの目は限界まで見開かれた。真っ青になった彼の顔を見てサリエは肩を震わせて笑う。
「ふふふ・・・・・・、大丈夫だよ。君が想像しているようなこともまでには至らなかったから」
「じゃ、じゃあそれは何なんですか? 私があなたに不埒な真似をしたことは変わらないですよね」
「不埒、か。そういうつもりが君にあったのかは分からないけど、抱きついてきた君が胸を吸っている姿は赤ちゃんみたいでとても愛らしかったよ」
「・・・・・・ッ」
「そのまま君の様子を堪能していたんだけど、まあ、胸ってボクにとって性感帯でね。執拗に吸ったり舐めたりされたら流石に反応しちゃうっていうか、快感に流されてたら逆鱗が露出してることに気がつかなかったんだよね」
「え?」
サリエの首元には鱗が生えている部分があった。鎖骨に沿って首飾りのように並ぶ鱗の中央に一つだけ色の違う部分がある。縦に開くつぼみのような。
「たまにここが開いて逆鱗が現れるんだ。身体が生物的な本能に支配されると出てくるんじゃないのかなとボクは思ってるんだけどね。あの夜、君にここを強く吸われたんだよ」
逆鱗がどんなものかはアズカ・シャールとの戦いを通してよく知っている。竜にとっての急所。身体の半分が竜の生命力で形成され生まれてきたサリエにも竜の特徴が一部身体に表れていると言うことだろう。
「身体がびっくりしちゃったんだろうね。だから身体が落ち着くまで安静にしている他ないんだよ。まともに会話ができている分、昨日よりずっとマシになったし」
ふらふらと椅子に座り直したインドラはサリエにどう謝罪すればよいのかと頭をかかえた。酔っていたとはいえとんでもないことをしてしまった。
「そんなに深刻そうな顔をしないで。ボクは大丈夫だから」
「大丈夫じゃないでしょう・・・・・・」
インドラの様子を見てサリエはどう責任を取ろうかとでも考えているのだなと思った。このまま放っておくと面倒なことになりそうだ。
「ねぇ、そんなことよりも見てよ」
顔を上げたインドラに微笑むとサリエはシャツをさらにはだけさせて胸をすべて露出させた。そのなだらかな頂には赤く色づいた実がぷっくりと形を主張している。
「君に吸われすぎて腫れちゃった」
真っ赤になったインドラは椅子から勢いよく立ち上がると、失礼しますと言いながら部屋を飛び出していった。
「おやおや。想像以上に過剰な反応だな・・・・・・」
これは別な意味で面倒なことになるかも? とサリエはやや不安に思うのだったが、しばらくしたらすべてが元に戻るだろうと考え毛布をかぶると眠りについた。
宮殿を敷地を出たインドラはそのまま郊外まで全力で走り、ひと気の無い森の中で立ち止まると大木を背にうずくまった。今後どういう顔であの人に会えば良いのかと途方に暮れた。