君と私を繋ぐもの いつかはこんな日が来るのだという事実から、自分は意図的に目を逸らしてきたのかもしれない。
旅支度をするユージーンの後ろ姿を離れたところから眺めるガイウスの手の中ですっかり冷たくなった紅茶は半分も飲まれていない。窓際に腰掛ける彼は時折漏れ出そうなため息を誤魔化すように庭の方へ視線を向ける。庭にはユージーンが子どもたちのために作ったブランコが設置されている。造りは頑丈で大人が揺られても平気なようにできている。子どもたちは成人し独立する間際までこのブランコが大好きだった。
好奇心旺盛で人間やドワーフの技術を好むユージーンは手先が器用で大概のものは自分で作ってしまう。リビングで使用されているテーブルは彼が作ったものであるし、ガイウスが私室で使用している一部の家具や調度品も彼にプレゼントされたものだ。
長年二人が見守ってきた子どもたちが先月旅立って行った。長年とは言っても離れていた空白の十年を除けば以外と短く、その分濃厚な時間を共に過ごした。
子どもたちが旅立ってから数日後だった。ユージーンが自分も家を出ていくと言い出したのは。
愕然とした。ユージーンの言葉に対してというよりも、それについて自分が傷付いている事実に。前々からケイセンを通じてドワーフの隠れ里に招かれていたという彼の話をポーカーフェイスで聞きながら、どうにか引き留められないかと考えている自分自身に動揺し結局は彼の話に頷いていた。
二人の間には常に子どもたちがいた。二人を出会わせ繋ぎ合わせた彼らが独り立ちした今、ガイウスとユージーンの間には何もない。すぐ目の前にはお互いだけがいる。
自分にとって彼は友人である。だがそれはわざわざ一つ屋根の下で寝食を共にするような間柄だろうか? そう問われればはっきりとした答えが出せない。
少なくともユージーンはそれにNoと答えるだろう。だからこそ、この家を出ていくのだ。
ガイウスたち四人家族は、以前はユグドラシルの領界の外側の森で暮らしていたが、様々な出来事が重なりヴェルディアの民よりユグドラシルの奥深くに入ることを許され、かつての同胞たちの手が及ばない場所で時折ヴィジランツに手を貸しながら平穏に暮らしてきた。
自由人であるユージーンにとっては退屈な場所であろう。それでもここに留まっていたのは子どもたちのためだ。ユージーンにとって子どもたちのために拘束された時間というのは何よりも心地良いものだった。
自分一人では彼を拘束するに足る魅力がないのだとガイウスは思った。
そう思うから、行かないでほしいという簡単な一言が言えないでいる。
ユージーンはカタストロフの手から逃れた、優れた技術力を持つドワーフたちが作った隠れ里に招待された。女神の恩寵を賜ったとされる結界が張られた渓谷は夏になると薔薇の花が咲き乱れる。
かつてソルトウォーターを拠点としていたドワーフのケイセンが暮らす屋敷に居候しながらドワーフの技術を学ぶユージーンは、己の武器であるトリックキューブ−−-ケイセンが造った黒鉄のキューブにユージーンが混沌の力を込めて完成させた代物−−-を修理するためにはいちいち造り主を訪ねなければならなかったので、その煩わしさから解放されるため、子どもたちの独立を機にケイセンに弟子入りしたのだった。
隠れ里に来てから早五年。元々それなりの技術や知識を持っていたユージーンはトリックキューブの構造を把握し、ケイセンがテストで粉々に分解したそれを一から組み立てるまでになった。
「さて、ここから本番だな」
ケイセンは顎髭を撫でながらしたり顔でユージーンを見た。
「ここに丁度良い練習台がある」
彼が取り出したのは時計の形をした下級神器だった。
「難易度としてもこれくらいからはじめるべきだろう。セレスチアルが作り出した武器はドワーフやカタストロフのそれとは構造が異なるからな」
「はぁ……。やっとこの段階に辿り着いたか」
ユージーンの本来の目的はガイウスが持つ均衡の天秤を直せるようになるためだった。
お互いに追われる身であるガイウスとユージーン。専用武器は子どもたちのそれよりも構造が複雑だったために壊れた際にはケイセンを頼る他なかった。彼がソルトウォーターにいた時はまだ訪ねやすかったが、ドワーフの隠れ里は遠い上に簡単に入れる場所ではない。自分たちで直せるようになるのが一番良いだろうから弟子にしてくれというユージーンだったが、ケイセンは彼の本当の目的を察していた。
「まったく……。こんな周りくどいことをせんでもあの実直なやつならお前をずっと側に置いてくれるだろうに」
「うるせぇな」
悪態を付きつつもユージーンはケイセンの言葉を否定しなかった。
ユージーンは子どもたちがすっかり大人になり自分たちの庇護下から独立する時期が近付くにつれ、自分はこのままガイウスと共に暮らしていても良いのだろうかと考えるようになった。彼が友人として自分を好ましく思ってくれていることをユージーンは知っているのだが、子どもたちを見守り育てるとう共通の目的が無くなってまで共に暮らすのはどうなのだろうと疑問を持っていた。
ユージーンはガイウスと共に過ごしているうちに彼に対して密かに思慕の念を抱くようになっていた。だからこそ共通の目的が無くなった後でも彼の側にいる口実を手に入れるため、彼の神器を扱うことができる技術を身に付けるべきだと極端な考えに走った。
利用価値があると思わせれば、万が一気持ちに気が付かれ一緒に暮らせなくなったとしても安易に離れることはできないはずだ。その考えを早々に見抜いたケイセンは発想が自由過ぎるのも考えものかもしれないと深々と溜息を吐いた。
ドワーフの隠れ里はユグドラシル並に外界と隔絶された場所にあるので、外へ荷物や手紙を送る回数に制限がある。一般市民が外へ物を送ることが許されている回数は一週間に一度だったので、ユージーンもガイウスへの手紙はその頻度で送っている。しかも相手からは返信が不可能なため一方的に手紙を送っている形となっており、現在のガイウスがユグドラシルに住んでいるのかすらもユージーンには分かっていない。
ケイセンはソルトウォーター時代に何度か彼らと関わるうちに、ガイウスの言動からユージーンに対して友情以外の感情があることを読み取っていた。きっと無自覚だろうが。
あの謹厳実直なセレスチアルが特定の誰かに独占欲を向けるようになったらどうなってしまうのだろうか。
あと三年もすればユージーンは天秤も扱えるようになるだろう。ケイセンはその後を心配していた。