お題消化大罪司教として過ごした日々の方が夢だったんじゃないかってくらい、今の僕は順風満帆な生活を過ごしていた。
母親、父親、それから僕の三人家族。兄弟は今回はいなかった。その代わりに犬がいる。名前はゴロー。小さい時の僕はゴローをずっと56番って呼んでたらしい。母親は不思議がっていたけど前回の記憶が色濃く残っている僕としては目を背けたいようなむず痒い気持ちになるんだよね。大体さあ、赤ん坊とそう変わらない年の僕の行動を、大きくなったからもういいだろうって嬉々として話すのってどういう神経してるわけ?大きくなった僕のちっぽけで揺らぎようのない自尊心が傷つくじゃないか。実の子供にすら配慮が出来ない大人って恥ずかしいよねえ。個人を大切に出来ず、僕というちっぽけな存在の権利を侵害するような……じゃなくて、話が逸れた。
意識の続くまま、心停止を繰り返して、瞬きを繰り返した後に気が付いたら僕はこの世界に居た。レグルス・コルニアスっていう名前も変わらない、容姿も大きく違いはない。
今日も、窓の向こう側から、人が営みを繰り返している音が聞こえる。
竜車じゃなくて車、魔法や聖霊はいなくても科学が十二分に発達している。スマートフォンっていうミーティアは本当に便利で、僕の生活する内で手放せないものになっていた。
つまり、僕はあの忌々しい地中から、この日本っていう異世界で、男子高校生として過ごしている。自我がはっきりしてからはパニックになったし、血眼になってあのクソ女と剣聖を探し回ったけど、徒労に終わった。嗚呼、誤解しないでよ。見つからなかったわけじゃない、見つけた上で諦めざるを得なかったんだ。ほら、僕って寛大だからさあ?
前世の記憶も存在せずにただ可愛い顔をしている79番を無理やり殺そうだなんて出来なかったんだよねえ。それに、学年も1つ下だし、寛大で思いやりのある僕としては無垢な後輩ちゃんに前回のツケを払ってもらうより、今度こそ僕の偉大さを知らしめて尊敬させてやった方がいいって考えを改めただけのことさ。僕ってば寛大な男だからね!!(2回目)
記憶がないのは他にもたくさんいた、顔が同じだけの別人かと思いきや名前も同じ、口調もそのまま。だけど、僕がかつて大罪司教として活動していたことを覚えている奴は、1人もいなくて、争ったことなんか忘れて馬鹿みたいに人懐っこい顔で僕を移動教室に誘ったり、放課後は当たり前みたいに遊びのメンツにいれてたりなんかしてた。(勝手にメンツにいれるなよ!それって僕の権利の以下略)
「一緒にレグルスも遊ぼうぜ!」なんて無邪気に言われてしまえば…なんと言うか流石の僕も毒気が抜けてしまう。他者を尊重することで自らも尊重される。トンチキなこともする奴らだけど、昔の事は忘れてやって今の平々凡々とした暮らしを享受してやるのも悪くない、そう思った。その頃、だった。
彼奴が、やってきたのは。
「えー、急なことだがペテルギウス先生がご家庭の都合で地元に戻られる事になった。代わりに転任の先生が今日からお前らのクラスの担任になる。…仲良くするように!」
来月に文化祭が控えているって言うのに本当に急だなあ、だなんて思う。
シリウスが知ったら怒り狂うんだろうか、泣きじゃくるんだろうか。いや、間違いなく彼奴を追い掛けて転校するだろうな。……この世界で彼奴はまだ見かけてないけど。
ぼんやりとそんなことを考えていると、燃える様な赤髪が視界に映って、驚愕でまるで僕の時が止まった様に感じた。
「ラインハルト・ヴァン・アストレア。クラスを受け持つのは初めてだ。文化祭間近に、担任が変わることに不安を覚える者も多いと思う。未熟なりに、皆をまとめられる様に務めよう。だからキミたちも僕に力を貸してほしい。どうか、よろしく頼むよ。」
「………は?…はああああああああああああ!?!?!?」
教頭のおい、コルニアス。五月蠅いぞ、の一言でようやく我に返った。
僕は柄にもなくトボトボと夕焼けを背に通学路を歩いていた。今でも記憶に焼き付いているあの忌々しい姿!!!僕を殺そうとした張本人。剣聖ラインハルト・ヴァン・アストレア……!!!叫んだ僕を見てきょとん、とした顔をしていたから彼奴も結局のところ、前回の事なんか覚えていやしないんだろう。
ただ、それでも彼奴に関してだけは優しい僕でも許してやるつもりはない。この世界で僕は魔女様の権能も持たなければ特別に強いわけでもない。けど、それでも文明の利器を使えば、大人ひとり、社会的に抹殺できることはよくよく知っていた。
※※※
「……これは、その、少しばかり恥ずかしいな。」
僕らの文化祭の催し物は「メイドカフェ」だった。男も女もメイドの服を着て接客するなんて馬鹿馬鹿しくてやってられない、と頭を抱えたものだけど。今日という日に限っては発案者に感謝してやってもいい。ある日の放課後、僕は新任のラインハルトを教室に呼び出し、2人きりでメイド姿のお披露目をしていた。ミニスカートなんて風紀を乱しかねない装いじゃなくて、丈の長いロングスカート。正統派とも言えるクラシカルなメイド服に身を包んだ剣聖は………悔しいけど絵になっていた。じゃない!
僕は女装した此奴のあられもない姿を、このスマートフォンに抑えに来たんだ!!
僕は知っている。どれだけ爽やかな顔で誰からも好かれる内面をしていたとしても、情報社会ではたった一枚の写真が流出すれば、社会的に終わりを迎えるだろうし。誰がどれ程擁護しようとこれだけ顔が良ければネットで騒がれてもう一生表舞台に出ることは無いだろう。此奴のその後の人生がどうなるかなんて僕の知ったこっちゃない。
弱みを握ってしまえば僕の独壇場だ。前回からの恨みつらみも多少は晴れるだろう。
警戒心を持たれたくないから、僕も一緒にメイド服を着ることになったのは誤算だけど…まあ、いい。この「一緒に女装大作戦」が終わる時がお前の運の尽きだよ剣聖ラインハルト・ヴァン・アストレア…!!!
「恥ずかしいだって?はっ、男二人しかいないのに何を言っているんだか。こんなのセクハラにだってやりやしないさ。」「…成程、キミはそう考えるんだね。レグルス。」
堂々とカバンからスマートフォンを取り出して、柄じゃないけど何枚か自撮りもしてみた。この流れで、癪だけど「二人で撮ろうよ先生。」なんて言ってもまさか不信感は持たれないだろう。問題はこの後どうやって此奴の恥ずかしい写真を撮るか、だ。事故を装って押し倒すか?その時についうっかりスカートでもめくって下着を一緒に写真に収めれば誰がどうみても変態教師の女装すが「ねえ。レグルス。」「あのさあ!人が考え事をしている時に話しかけるなんて一体どんな神経してるわ「その…僕らはこんな格好をしている訳だけど。キミは、下着も女性用を着用しているのかい?」「は?」
恥ずかしそうな顔でなんて顔を聞くんだ此奴。まさか僕が手を下さずとも相当に変な奴で何時か勝手に自滅するんじゃないのか…!?いや、此処まで尽力したんだからお前は絶対に僕が手を下す。じゃないとお前の為に使った僕の時間が全部無駄になるじゃないか。
僕の僕というちっぽけな人間に有された時間のほんの少しでも無駄に使うなんて絶対許さない。そんなのは僕の権利の侵害行為だからね。お前が今後どうなろうとどうでもいいけど今日という日だけは絶対に僕の前に膝を付いてもらうよ!ラインハルト。
「あ、あのさあ、一体全体何を聞いているの…!?それってさあ。「男同士だから、とキミが言ったから、僕も思い切って聞いてみたんだけど。キミにも少し恥ずかしい質問だったかな。…すまない。」「人が気持ちよく話してる時に限って遮るなよ!!!あとさあ!そんなことセクハラにもならないって言ったよねえ!!!だから教えてあげるよ!!!!履いてない!!!!」「……ええと、それはその……下着ごと履いてないということかな?」 「なんでそんな発想になるわけ!?!?お前頭どっかおいてきちゃったんじゃないのか!!」「…嗚呼、すまない。なら、キミさえよければどんな下着を履いているのか見せてはくれないだろうか。」
頭がくらくらしてきた。何を聞かれているのか理解は出来てもそれを現実として受け止めきれない。今が黄昏時だからって本当に変になっちゃったんじゃないか。
でも、だからと言って断ったらまたキミには恥ずかしい質問だったかな、だなんて僕を気遣う素振りをして、心の中で馬鹿にするんだろう。哂うんだろう!!!そんなのは、いくら無欲な僕でも許せないなあ。…だから。
「……な、んで、僕が、こんなこと……。」
長いロングスカートの端を掴む、羞恥で震える手で裾を持ち上げていく。
僕は体育の時だってジャージ一択だ、生まれたままの素肌を誰かの目に晒すなんて在り得ない。けど、馬鹿にされて笑われるのはもっと在り得ない。
するするとスカートを捲って、すねが露出した頃はまだ平気だったけど、太ももに差しかかかると流石に恥ずかしくなって、一度ラインハルトの方を睨み付けると平気な顔でニコニコしていたから、此処でやめて馬鹿にされる方が耐えられない、と思い切って長いスカートを胸元までたくし上げた。
これじゃ、まるで僕が自分からラインハルトに下着を見せつけてるみたいじゃないか!
僕が履いているのは女物じゃなくて男物の下着だし、何も恥ずかしいことは無い。…ない、筈だ。そもそも恥ずかしいのは僕の行いじゃなくてパンツを見せてくれと頼んできた此奴の言動だろうが!!!!顔が、というか首筋まで熱くて僕は今自分がどんな顔をしているのかだなんて考えたくもないのだけれど、身を張って此奴のいかれっぷりを暴いたと、正体を暴いてやったと思うことにする。僕がこのスカートを下した後此奴にも同じことをしてスカートをあげて無理やり下着を見せられた挙句僕の下着まで見せることを強要しましたなんて言えばいくら此奴でも社会的な制裁は免れないし第一半分くらいは本当の事なんだから此奴もバツが悪くて少なくともこの学校に教師としていられなくなパシャくなるのは当然のことパシャで。……は?
さっきからパシャパシャ音がしてる。音の出どころが僕のスマートフォンではないことを確認すると、目の前の赤髪の彼を見つめた。
端末に備えられた三つのカメラが、僕を捉えていて、もう一度パシャ、と無常な機械音が響いたところで僕は慌ててスカートを下した。
「お、おおおおおおおお前えええぇ!!!!な、なにっ、なにして!!!!!!僕という個人の重篤な侵害だぞ!!!!!!!!!」
「……キミは昔から変わらないね、レグルス。」
耳を、疑った。
「…は?」
「僕を見て声をあんなにも荒げたのはキミだけだったから、もしかして、と思ったけれど。うん、僕としても、人の心を覗くのは本意ではないが、今回に限っては正解だったみたいだ。」「お、まえ……記憶が…?」「嗚呼、そうだね。僕はもう剣聖ラインハルト・ヴァン・アストレアではない。けれど、そう在った時の記憶は、今もこの身に。……レグルス、キミには悪いとは思ったけれど、今の僕には僕なりの使命があるからね。意趣返しのようなやり方にはなってしまったが「う。」「……レグルス?」
そこからのことは、よく覚えていない。
自分の耳がキンキンするくらい大きな声を上げた気がする、剣聖がすごくびっくりした様な顔をしていた気がする。
朧げな記憶の中で、僕は、かばんと、自分の制服を、持って教室から駆け出して、
学校の何処かで着替えて、足を縺れされながら帰宅した気がする。
ぜえぜえと息を切らし、着崩れた制服を見遣り、忌々しいメイド服が雑に詰め込まれたスクールバックを思いきり自室の壁に叩きつけた。
「レグルス!あんた何してんの!!」
「何でもないよ!お母さん!!!」
部屋の壁が薄いぼろい家にしか住めない癖に文句だけは一丁前のクソババアを頭の中で百回は殺しておき、ついでに剣聖も脳内で数百回は殺しておいた。
あの剣聖…この世界に生まれた癖に加護持ちだって…?そんな、そんなことがあるわけがないし僕を、僕を謀って言いように扱って出し抜いてたつもりでえぇええ……!!!!
頭の欠陥が切れそうなくらい、イライラする。こんな感情を抱いたのは本当に久しぶりで、前回以来かもしれない。
「………絶対にお前をこの学校から追い出してやる。」
身体の奥底から湧き上がるような怒りのような、憎しみのような激情を糧に、僕は改めて誓ったんだ。あのラインハルト・ヴァン・アストレアを、絶対にこの学校から追い出し、真に平和な学園生活を取り戻すことを。
おわり