北斗くんに恋愛感情捏造した上で遊園地に行く話6〜76.セットリスト
「しまったな。このままずっと大きなぬいぐるみを抱えて歩くのは大変だろう。入り口に確かコインロッカーがあったはずだから戻るか」
「それよりリュックでも買って、わざと半分ぬいぐるみを飛び出させた状態で背負ったら可愛いね」
ゲームセンターを出た二人のやりとりは相変わらず他愛もない。この間に行き交う人々の中には、日和が言うようにぬいぐるみをリュックで背負っている人も確かにいた。しかしあれが可愛く見えるのは、頭があるぬいぐるみだからだろう。日和の持っているぬいぐるみは、なんと言っても岩だ。
「可愛い……かもしれないが、巴先輩のキャラには合わない気がするな」
「何言ってるの。背負うのは北斗くんだね」
「なっ。どうして俺がその……なんて名前の岩だったか、それは」
北斗の記憶力は悪くない方だが、さすがに2、3回聞いただけの岩の名前は記憶に定着し切っていなかった。
「うんうん。クイズにしようね。3回お手つきしたらぼくの提案をのんでね」
「また勝手なことを……」
二人はどこへ行くでもなくただなんとなく前方に歩き、北斗がクイズを1回間違え、2回間違えしながら続ける。3回目で奇跡的に正解が出た。日和は「あー悔しい。正解だね」と言いながら、また朗らかに笑った。
「やったぞ!」
北斗もついガッツポーズをしてしまい、ますます日和に笑われた。
「しょうがないね。ロッカーにしまいに戻ろっか」
「ロッカーだけにか。さりげない駄洒落だ、さすが先輩」
「うん? あっ『戻ろっか』って違う違う、そんなつもりじゃないね!」
「照れなくていいぞ。俺は駄洒落を言える人は全員尊敬する」
ここで北斗のボケ大魔神ぶりが久しぶりに発揮される。しかし茶化してはいけない。北斗は本気で、ギャグセンスがある人間、笑いに取り組む人間を尊敬しているのだ。自分自身がなかなかのボケ殺しであることに自覚のないままに。
「やれやれ。またトンチキ北斗くんが戻って来ちゃった」
日和は、今回は北斗のことをトンチキと形容した。
「もう、ちょっと一度座ろう。休憩!」
そして、ちょうど目に入ったベンチに座り、隣の位置をポンポンと叩き誘導するのだった。
北斗は少しずつ、隣に日和が座ってるくらいの距離感や気配には慣れてきた。まだなんとなく心臓はいつもより大きく鼓動を打っているが、それが心地いい。
アヒルさんボートでは沈黙を気づまりに感じてしまっていたが、今は少し会話がないくらいならあまり気にならない。そもそも1日中一緒に過ごすのに、ずっと喋り続けるというのもおかしな話ではないか。自然と話す時も話さない時もあって、そこに違和感を覚えなくなりたい。自然に、隣にいること自体が心地よくなりたい。そう思える。
そう思っているのに、北斗の心にはなんだかまた喋りたい話題が出てきた。騒がしいユニットメンバーたちを頭に浮かべ、(俺もTrickstarだな)などと笑みも浮かべながら、日和に話しかけた。
「さっきのゲーセンで俺たちの曲がかかっていたことだが」
「なぁに、思い出し笑い?」
「いや、先輩がアイドルあるあると言っていたから。巴先輩のユニット曲でもそういうことがあったのかと気になったんだ」
それにしても、なんだかんだでアイドルの話ばかりしている。先輩アイドル、後輩アイドルという関係性だからだろうか。北斗からすれば、職業の話ばかりするのは悪い気分じゃない。日和も別に嫌ではなさそうだった。
「うん。Eveの曲がそれこそゲームに使われることもあったね。Edenだとそうだね……前は喫茶店で『Dance in the apocalypse』が使われていたね」
「なっ、駄目だろう。あれを喫茶店なんかで流すのは!」
「あははっ北斗くんは歌詞を真面目に読んじゃうタイプなんだね! ピアノアレンジだったから雰囲気を壊す心配はなさそうだったね」
Edenの曲は、初期の頃は特に扇状的な歌詞が多かった。しかも歌詞だけでなくダンスにも腰を振るものがある。そのくせあのメンバーで歌い踊られると、いやらしくなりすぎないのが凄いと北斗は密かに感心していた。
特に日和のダンスは、どんなにダイナミックな振り付けだろうと指先の所作までどこか品があって美しかった。先ほど北斗のことを『歌詞を真面目に読むタイプ』と称したが、彼自身も自分のユニット曲は歌詞をきちんと読み、どこまで表現すればセクシーになるか、やりすぎになってしまうかを考えた上でパフォーマンスしているのだろう。
「ふふ、なんで選んでもらったかは結局お店の人しか分からないね。店員さんの中にファンがいてくれたのかも」
「曲選びか」
「今度はどうしたの?」
「次は俺たちの曲選び……ライブのセットリストなんかはどうやって決めているのか気になってきてな」
いよいよ職業の話ばかり出してしてしまう自分の口に北斗は少し戸惑った。無意識でその口に手を当てる。
こんなのでもし……もし、お付き合いすることになったら、自分たちは〈アイドル〉以外の話ができるのだろうか。
「ああ。そんなの誰か一人では決めないね。裏方の人も含めて関わる人みんなで意見を出し合うことも多いね」
日和の方はごくごく普通の調子で、北斗の口が出した疑問に回答してくる。
「ああいうのを決めている時、ちょっと不思議な気分にならない? 楽曲ってそれ単品で作品のはずなんだけど……」
今日買ったペットボトルのお茶は、二人ともまだ飲み終わってない。日和は一度フタを開けて喉を潤してから、さらに話した。
「ライブのセットリストとか、アルバムの並び順とか考えると、『並べること』もまた作品作りだと気付かされるね。ストーリーを作ってるような感覚になる」
「そう、だろうか?」
「あれ、思わない? Edenの曲は聖書を下敷きにしているから、原作にあたる神話の順番に曲を並べようとか。ライブの場合は盛り上がる曲が続いちゃったから、次にバラードを挟んだらお客さんが落ち着くかな、とか」
そう聞かされ、北斗も思い当たるものはないか過去を振り返る。さっきから頭に浮かべているTrickstarの仲間たちは何か言ってなかっただろうか。
「……冬の曲を歌った後に、あえて次は夏の曲でギャップを狙って……そんなアイディアがでたことはあったな」
「うんうん。そういうギャップを考えそうなのはスバルくんかな?」
当てられたと思うと同時に「ふっ」と口から喜びが溢れた。
「確かそうだった。なるほどな。作品を並べる、組み合わせる、確かにそれはもうひとつの作品作りだ」
「うん。ねえ、もしぼくたちEdenと、きみたちのTrickstarが合同ライブをするとしたらどうなるだろうね、セットリストは。EveやAdamの曲もやるって仮定でね」
EveやAdamも入れてくるあたり、想像遊びのくせにちゃっかりしている日和だ。
しかし実際Edenは、巴日和率いるEveと乱凪砂率いるAdamという二つのユニットが合わさるという特殊な成り立ちをしていて、北斗もそれは知っている。どころか初めて日和とした仕事は、EdenというよりEveと一緒に行ったものだ。あの、忘れられないサマーライブだ。
「そうだな……さっきの明星のアイディアを参考にするなら、俺たちの方でXdayを歌って、次に先輩と漣のEveで『Sunlit Smile』でも歌ったらどうだ?」
『Romantic Xday』はクリスマスの曲で、『Sunlit Smile』が夏全般を歌った曲である。
「じゃあそのあとはAdamに出てきてもらってバレンタインの……。どうかなこれ曲調は問題ない? 曲と曲の繋ぎは?」
「俺のスマホに一応全曲入っている。音楽を聴くアプリでプレイリストを作ってみるか」
北斗はスマホを取り出し、外なのでイヤホンを取り付けた。いつもユニットメンバーにするように片方を渡そうとしたところで、「イヤホン……」という呟きを残して手が空中停止した。
「貸してくれるの?」
「……よく一緒にいる奴らとはそういうこともするんだが……」
「はいはい、照れない。デートなんでしょ。くっついてイヤホン半分こなんてそれっぽいじゃない」
あっという間に北斗の手からイヤホンの片方をとっていく。コードの長さに合わせるように距離をつめてきてからイヤホンを耳の近くにもっていった。衛星面を気にしたのか耳の中には入れなかった。
「あ、あまりくっつかないでくれ」
「北斗くん。今日のデート誘ったのそっちだよね?」
話していた通りの順番に曲を並べ、続けて流してはみたものの、北斗の方は心臓の鼓動が先ほどの比ではなくなってしまい、落ち着いて聴くことができなくなった。今日イチ距離が近いのだ。しかも、さすがにそこまでは近くなかったはずなのに日和のふわりとした前髪がこちらにかかりそうな錯覚までした。
「……なるほどね。やっぱりAdamの曲で雰囲気がガラッと変わるから次の曲はどういうのがいいかな」
向こうはそんなことお構いなしのようだった。もうずっと、北斗が慌ててる時もマイペースな人だ。
「あっそう言えば。どうしてこんなにぼくたちの曲をスマホに入れてくれてるの?」
「む……。そうだな、ウィンターライブに出場することになった年、当時はEdenのことを敵だと思っていて、研究のために聞き始めたんだ。それからとなんとなく新曲が出る度に入れている」
「ふーん……そうだよね。敵だったよね、ぼくたち」
「サマーライブの時も、巴先輩たちとの練習の合間にEveの曲を聴いたものだ。そうだ、だんだん思い出してきた。あの時プロデューサーに『なにをしているの』と聞かれて」
「Eveの曲を聴いてるって答えたわけだね。当時聴いた印象はどうだった?」
「ふむ、確か俺は……『fineの時代より巴先輩の技術が洗練されてる』とあいつに言った覚えがある」
日和が唐突にイヤホンを北斗に返して、元の距離に戻った。
「……巴先輩?」
「……やっとこの話題まで来たね」
「なっ? なんだ?」
距離をとった日和は北斗に正面から向き合うと、また唐突に「ごめんね」と言った。いつも……なんなら今日もずっと傍若無人だった日和らしからぬ、小さな声音だった。北斗はその声に何故か寒気がした。
「何度も言ったよね。きみが、ぼくを好きになるなんて意味が分からないって。デートを通して北斗くんの思いを咀嚼しろなんて言われたけど、今もまだ分からないんだよね」
「は……? 待ってくれ先輩。巴先輩だって少しずつ楽しそうにし始めてきたところじゃないか」
「ぼくの方の気持ちを言うとね。まだ恋愛的などきどきはそこまでないけど、Trickstarとしてのきみは好きだよ」
好きという単語に愚かにも一瞬心臓が反応し……続けて日和が口にした言葉でいよいよ北斗は総毛立った。
「でも。きみはfineだったぼくのことは忘れたのかと思っちゃった。ねえ、ホッケーマスクくん?」
どうしてこの場でその名前が出てくるのか。北斗は混乱した。しかし、忘れたわけではなかった。記憶の引き出しの奥に置いてしまっていたような感覚だ。それを、いきなり引っ張り出されたような恐ろしさだった。
「ぼくね、今はサークルでValkyrieのみかくんと活動してるね。仲良くやってるけどそれでもたまに言われるね、『先輩がfineだった時のことを思うとモヤモヤする』って」
「……」
「『許されないことをしたんだからそれは構わない』って言ったら、向こうもそれ以上は口にしなくなった。みかくんは、本来は誰かを恨むという感情自体を持ちにくい人なんだろうね」
この場にいない影片みかというアイドルのことを、随分詳しく振り返ってくる。北斗も、もちろん忘れたわけではない。みかは、Valkyrieは……。
「それでも凄惨な過去と、恨みや怒りすら芸術にするタイプの斎宮くんの元で育った子であることが、彼に人間として持つべき負の感情をきちんと芽生えさせている。彼もまた負の感情をパフォーマンスに昇華する能力を得たというか」
「凄惨な過去を作った当事者がそれを言うのか」
ついに話している途中で北斗は言葉を遮ってしまった。
「その通り。ひどいことだね。ここで北斗くんに話を戻すけど」
日和は未だまっすぐ北斗の方を見つめてくる。声音に感情があまり感じられなかったが、表情はどこか苦しそうだった。眉毛が八の字に下がってしまっている。
「きみは、ホッケーマスクくん時代に尊敬する先輩諸共切り伏せられた。それをしたのはぼくたちfine。なのに、ぼくに本気で惚れているわけ?」
北斗の思考は、無意識に日和の言葉から逃げようとしてしまったのだろう。眉毛を下げているその顔を見て(MVの表情管理で眉がここまで動いていたが、もともとここまで下げられる人だったのだな)などと勝手に頭が考えた。もちろん(こんな時に何を考えているんだ)と考える自分もいて、だから日和の言葉を聞こうとして、結果ぐちゃぐちゃな情緒になっていく。
「TrickstarとEveやEdenとしての交流した記憶もきちんとぼくには残ってるから、その上で仲良くするのは嬉しい。それにぼくは基本的に過去のことをほじくり返してウジウジするのは嫌いだね。みかくんとも今の程度仲良くできただけでも、本当に良かったと思う。同室の奏汰くんもね」
「……それで」
「うん。それでもさすがに恋人となれば話は変わるから」
北斗の心の中がぐちゃぐちゃと乱れていることも、おそらく日和はお見通しだろう。少し躊躇う素振りをみせたが、ついに自分が言いたいことを最後まで伝えてきた。
「……正直、これから本気できみに向き合おうと思えたからこそ聞く。きみの方は、全部の過去を呑み込んだ上でぼくを愛しているの? 今日のデート、ここまでのところではそう見えなかったね」
「俺は……」
北斗は、
「……ああ、クソ……」
こんなぐちゃぐちゃな思考で、言葉を紡げるはずがなかった。
「デートが終わるまでに伝えてくれる? 別に今すぐじゃなくていいね。というか、適当な言葉はいらないね」
ベンチから立ち上がり表情を平素通りに戻して、日和は北斗にも立ち上がるよう声をかけた。
「それじゃ入り口戻ろっか。仕切り直しだね」
7.誰かに似ている語り口。あるいは二人の回想
昔々、神様のようなアイドルがいました。彼は表の世界の人間を魅了し、裏の世界の人間を牛耳り、世の常識を変えてしまいました。〈アイドル〉という職業の価値を、神様が生まれる以前の時代より、とてもとても高めてしまったのです。神様がいなくなった後も、様々なアイドルが生まれては消えていきました。
未来のアイドルを育てる学校も誕生し歴史を育みました。ある老舗の学び舎は「夢ノ咲学院」という名前で、ここからも多くのアイドルが巣立っていきました。
しかしいつも間にか、古き学び舎「夢ノ咲学院」は内から腐り始めてしまったのです。
この学院を卒業すればアイドルになれる、この学院卒のアイドルは他の職業の人間より楽をして生きられる、そのような考えがいつの間にか生徒を蝕んでいたのです。ええ実際、何年かはそうでした。ですが、ああ、とっくの昔に神は死んだ! 業界自体もゆっくりと斜陽を迎えたのです。そんなところへ世を舐めた若者が毎年送り込まれたってね……。
今から数年前、何人かの生徒は気付きました。夢ノ咲のアイドルが甘い汁を啜れる時代はとっくに終わっていると。夢ノ咲出身者は怠惰なアイドルもどき、そうとっくに卒業後の世間は悟っていると。このまま卒業しても未来には絶望しかない!
そして何人かは嘆きました。怠惰なアイドルもどきが作る学院の空気に自分も巻き込まれてしまう。しかも素行不良な者が問題を起こすことすらある環境。自分は、真剣にアイドルになりたかったからこの学院へやってきたのに。
一人の生徒が、学院から何年も前になくなったはずの生徒会をひっそりと復活させました。雑用をこなし校則を整え、学院をルールから変えようとしました。一方で秘策もありました。この学院にありながら奇跡のような才能を持ち、いいえ持て余していた友を生徒会長に据え、その友の求心力で周りの人間を動かそうとしたのです。
その生徒は友に言いました。
「俺はお前が化け物のような力の持ち主だろうと愛そう。だから力を貸してほしい。この学院を腐らせる奴を排除し、真面目に頑張る人が幸せになれるようにしたい。己を犠牲にしてでも成し遂げるんだ」
ところが友はこう返したのです。
「俺は人間だし、お前が切り捨てようとしている奴とすら仲良くしたいよ。そして俺は人間だから自分らしく生きたいし、お前にだって犠牲になってほしくない」
こうして二人の道は別れました。
しかし学院を革命する物語はまだ終わりませんでした。ここからが〈終わり〉の始まりでした。生徒会を立ち上げた生徒にはもう一人の友、天祥院英智という名の幼馴染がいました。英智は財閥の跡取りで、場を支配するすべを幼い頃から学び、そのくせ何の運命の悪戯か本気でアイドルを志していました。
病弱でもあった英智の、ベッドに縛り付けられた人生での希望が、画面の向こうで輝くアイドルだったのかも知れません。
英智たちは協力し、新たな革命のシナリオを作り上げました。それは次のようなものでした。
この腐った学院にも奇跡のような才能の持ち主が数人いる。前の生徒会長のような。彼も含めて才能の持ち主を集め、ひとくくりにして呼び名もつけよう。才能あるアイドルを支援するという触れ込みで。
しかしその裏で、ひとまとめにした彼らを悪人に仕立てあげよう。悪評を流し、学院を腐らせたのは彼らだと濡れ衣を着せよう。本来なら生徒全員で啜るべきだった甘い汁を、彼らが自身の才能をもって占領してしまったということにしよう。
三人集めて〈三奇人〉、いやもう二人増やして〈五奇人〉という呼び名はどうか。朔間零、深海奏汰、日々樹渉の三人。そして学外で例外的に活躍しているユニットValkyrieを率いる斎宮宗と、下級生の逆先夏目も加えてみよう。
人間とは叩きやすい悪がいれば、そいつを叩くために一致団結するものだから。五奇人を糾弾する先頭に生徒会が立ち、生徒をまとめよう。英智を次の生徒会長にしよう。
もうひとつ。自分たちはアイドルなのだから舞台の上で歌い踊ることで対決しよう。ここはアイドルの学校、学内でライブが何度も開催される。だから点数をつけて勝敗を決めよう。五奇人を生徒の前で打ち倒してしまおう。英智も加わった、五奇人を倒すアイドルユニットの名前は〈fine〉にしよう。
こうして、最初の一人も副会長となり協力し、生徒たちを嘘でまとめました。さらに五奇人を一人ずつ倒してしまうことで、fineは英雄のように扱われ始めました。生徒会が着実に校則も増やし、学院は生徒会とfineの力で少しずつ清浄な空気を取り戻していきました。
日和は、凪砂と出会うまでアイドルになんて興味がない子供でした。神様の〈隠し子〉のような存在だった凪砂を様々な事情を絡めつつ巴家が迎え入れ、それからずっと日和は彼のことを本物の家族のように愛してきました。その親友が、家族が、まるで啓示を受けたみたいに「アイドルになりたい」と言ったので、自分も追いかけるように夢ノ咲学院に入学したのでした。
学院には旧友もいました。自分以上のお金持ち、自分以上に真剣にアイドルを目指す、天祥院英智がいました。
「この腐敗した夢ノ咲を革命するんだ」
「本気で言ってるんだ。病弱なきみがベッドの上で本気になって作った計画なんだね。なら笑い飛ばすわけにはいかないね」
「君も協力してほしい。fineに加わるためこの契約書にサインをして」
「いいよ。ぼくもアイドルになるために入学したからね。大切なことは自分でやらないとね」
計画を頭では理解していたはずでした。しかし実際に五奇人たちが罵声を浴びせられ、自分たちに倒されていく様を見るのは想像以上に苦しいものでした。英智の人格が、自身の作り上げたシナリオに喰われていくのも見えるようで、ますます苦しくなっていきました。
一方で、歌や踊りがどんどん上手くなる凪砂の隣でアイドルをしながら、自分も磨かれていくのを実感してもいました。なにより、ステージの上で自分らしさを出せることと、人に笑顔を届けられること、それが大きな喜びでした。
学院のシステムがその間も変わっていきました。
〈ライブには個人で出場できないためユニット単位で舞台に立つ〉
〈サイリウムの光を数えて点数にする〉
〈点数を多く獲得した方が勝ちで、勝てば成績にも直結する〉
〈勝つ方に投票した生徒も評価する〉
アイドルとして日を追うごとに才能が開花していると思っていたのに。人を喜ばせたい、幸せにしたいと自分は願ったはずなのに。気がつけば、その全てを日和は信じられなくなりました。fineのライブで波打つサイリウムの光は、生徒会に阿る人間が忖度でつけているものにすぎなかったからです。
そのくせ、自分が望んで参加した革命であることも、学院は確かに生徒会を中心にまとめられ、腐敗が止まったことも理解できてしまいました。
そのために、五奇人が謂れのない罵詈雑言を浴びる様も、実際に落ちぶれてしまった者がいるのも、全て見えてしまいました。
英智と交わした契約書には、五奇人を全て倒すまでfineでいるように記されていました。その契約通り、最後の一人である日々樹渉を討伐するライブを、完璧にやり通すと、彼は心に限界を感じて夢ノ咲から転校していきました。自分の方が追いかけていたはずのアイドル、凪砂まで手を握ってきて、一緒に。
五奇人の一人である日々樹渉は、生粋のエンターテイナーでした。彼は英智の描くシナリオをいつの間にか理解し、自分が割り振られた役を理解し、それを演じ切ることを決意します。ただし、一つだけ自分ではどうしようもない課題が出てきました。
英智が五奇人を倒す策略、その一つにユニット単位でなければライブができないというルールを設けたことがありました。五奇人などとまとめられたことで、彼らは英智の思いとは裏腹に友情を育みました。しかし英智の思惑通り、彼らは突出しすぎた才能の持ち主のためステージで上手く他人と合わせられない者ばかりでした。例外だったValkyrieを別の奇策で倒しつつ、数の暴力で撃破するルールを設定したというわけです。
倒されてあげたいのに、一人では決戦の場にも立てない! そう思った渉は同じ部活という縁がある後輩にマスクを被せ、一度だけ隣に立たせることにしました。
彼にマスクを被せ本名も伏せたのは、この舞台で彼まで致命傷を受けないようにするためでした。
――最後に倒される者に選ばれた! 愉快愉快なステージの幕が上がる。渉はそう胸を弾ませ、この日だけの相棒に声をかけました。「行きましょう、ホッケーマスクくん♪」
犠牲の上に革命は成し遂げられました。生徒会はもう二度と学院が腐敗しないよう、さらにきつく生徒を縛り上げました。余計な騒ぎを起こさず、校則を守り、生徒会には絶対服従。年度が変わる頃には、今度はすっかり生徒が雁字搦めになったディストピアの出来上がりでした。英智はディストピア嫌いじゃない人なのでね、もうすっかり〈皇帝陛下〉が板についていましたよ。
そこへ新たに立ち上がったのがTrickstarというユニットです。彼らは生徒会に戦いを挑みました。副会長が所属する紅月と、年度が変わり新たなメンバーが押しかけてきたfineを学院全体で協力し、ライブで倒したのです。いいえきっと英智も倒されたかったのでしょう。わざわざ倒されるためのステージを作ったのですから。ああでも、どうでしょうか。かなり心がない策略もTrickstarに差し向けていたので、真意は分かりませんが。
ともあれ二度目の革命を経て学院の空気はようやく、いきいきとしたアイドルに相応しいものになり、倒された五奇人もその後全員が復帰しました。今度こそハッピーエンドですね。ふふふ、ハッピーエンドになったので、世界という舞台はTrickstarに新たな敵を用意しました。
この国では大晦日にアイドルによる祭典SSが行われます。もともとあった大晦日の歌番組が、あの神様のようなアイドルによって作り変えられてしまったものです。
先ほどお話しした英智が用意したステージ、それはSSに出場する学院代表を決める対抗戦でした。敵が用意した校内対抗戦、そして敵が用意した卑劣な策を掻い潜ってTrickstarは優勝。革命を成し遂げ、ついでにSSの出場権も獲得したというわけです。
さてこの年のSS、冬に開催されるのでウィンターライブという人もいましたがとにかく、優勝候補はEdenというユニットだという情報も入ってきました。かつて夢ノ咲でfineの二枚看板をしていた二人がいるとかいうアイドルグループ。転校先の学校で出会った後輩たちと組んで活動しているという、そんな彼らが新たな敵でした。
新たなと言いますか……ホッケーマスク、もといTrickstarの氷鷹北斗くんは……何を思ったのでしょうね。分かりません。本来は人の心など、誰のものも読めません。
しかしせっかくなので、この語りの結びに代わり、最後に少しズルを致しましょうか。入り口に戻ってる間の〈巴先輩〉の心の中へ分け入りましょう。
今でもたまに考える。所詮は高校生でしかなかったぼくたちが交わした契約書に、どの程度の拘束力があったのかなって。もちろん、あの英智くんが用意したものだしちゃんと中身も読んだから、力があったのは知ってるはずなのにね。
こんなこと考えちゃうのは、〈もし契約書が存在しなかったらどのくらい英智くんの側にいたのか〉も想像しちゃうから。革命の途中で逃げ出してたかもしれない。それかぼくのことだから、五奇人のことが済んでも英智くんを見捨てられなくて、いよいよ心が完全に壊れちゃうまで側にいたのかもしれない。
あんな腹黒英智くんのことなんか、どのくらい大切だったかよく分からないし予想できないね。でも、やっぱり革命が一通り形になるまではいたんじゃないかな。みんなを幸せにしたい、学院をあるべき姿にしたい、綺麗事と笑う人もいるだろうけど、ぼくたちは本気だったから。でもどんなに綺麗な理想を掲げても、やり方が汚かったら駄目なんだって身に沁みて分からされもした。夢ノ咲で得た教訓だった。
どうしようもない罪を犯した日々でもあるし、仲間と理想のために戦った誇らしさも……心のどこかにあって、ややこしい過去だね。
あの時は想像できなかった仮説だけど、英智くんは契約書を交わすことで線引きをしたのかも。革命のための拘束は、言い換えるとそこから先は自由になってほしいという願い。あの時fineとして英智くんに協力させられていた人たちを、むしろ絶対に解放してあげるための契約書だったのかなって。
本当にここについては分からない。
もし〈契約が切れる〉って分かりやすいきっかけがなかったとしたら、ぼくは転校まで踏み切ることができたのかな。
※続く