しょんぼり半助、犬になる土井半助という男は、大雑把なところも大いにあるくせに、変に神経質なところもある。一年は組のよい子達の授業が進まない、覚えてもらえない、私の教え方が悪いのかと嘆き、胃を痛めたりする。子どもというのは概して大人の思い通りにならないものである。私も新任の時分には相当苦労した。覚える以前に話を聞かせるのに苦労をし、それ以前に安全を確保するのに苦労する。それが子どもというものだと、今では開き直っている。まあ、限度はあるというもので、我が一年は組のよい子たちは元気が良く可愛いが、元気がいい故にその忍耐の限度のギリギリの線を反復横跳びしているようなところがある。テストや教材と格闘していた土井先生が、小さく叫び声を上げて机に突っ伏す気持ちもわからなくもない。
「……土井先生」
「……半助です」
夕刻、同じように机に向かって作業をしていると、後ろからなんらかの冊子や紙がばさばさと畳に落ちる音がした。それから、のしのしと、腕を使って四つ足になって近づいてきた土井先生、半助が、私の左横にぴたりとくっつく。四つ足のまま。それから、犬だか猫だかのように、四つ足のまま体を伏せる。図体がでかいから、窮屈そうだ。背中に慰めてくださいと書いてある。この男は普段は勢いよく飛び付いてくるくせに、落ち込み始めると少々面倒くさい。まあ、こう、甘えたいという意思表示ができているだけマシだろう。
「半助、そう思い詰めたって仕方がないでしょう」
「だって、こうも授業が遅れたんじゃ、また山田先生が家に帰れないじゃないですか」
ぐすん。鼻を啜る音がする。まさか泣いてやしないだろうなと横を見下ろすと、私もたまには顔を出しに行きたいですと聞こえてくる。この男は利吉や妻とも仲が良く、時々手紙を書いているところを見かける。確かに前に家に呼んでから、しばらく経っている。きり丸はどうするつもりなんです、と聞こうとして、ひとまず棚に上げた。
「はいはい、わかりましたから。そう拗ねてたって、よい子達の記憶力が上がるわけじゃあありません。行き詰まったなら他の仕事をするだの、諦めて寝るだの、別のことでもしたらいいじゃない」
背中を撫でてやる。大きい背中だ。出会った時は背丈が同じくらいだった筈だが、いつの間にやら、ずいぶんとでかくなった。がしがしと背中を撫で、頭を撫でてやる。少し落ち着いた半助が、私の胡座の膝に顎を乗せてくる。ぼさぼさの長い髪が揺れ、犬の尻尾のように見えた。
「あんた、こうしてると犬みたいだなぁ」
「半助は山田先生の犬ですよ」
「こんなでかい犬を飼った記憶はありません」
頭を撫でてやる。こちらの作業の手は止まってしまったが、まあ仕方ない。半助が気持ちよさそうに目を閉じる。まぁ、かわいいやつだ。しばらくそうやって撫でてやると、半助が閉じた目をぱち、ぱちと瞬きして、そっと目を開けた。
「満足したか」
「はい……、ありがとうございます」
そう言った半助が、もぞり、と動いて、体をどかすかと思いきや、ごろりと寝転んで私の膝を枕にする。顔を腹に擦り付けられて、くすぐったい。
「こら、甘えんぼう」
「やまだせんせいのにおいがする」
ふにゃふにゃと、嬉しそうに言う。汗くさいという意味ではない……と思うが、居心地は微妙である。忍者は体臭がない方が敵方に気取られないし、自分の年齢を思うと、体臭の話題は気をつかうものである。半助の顔を見ていると、悪い意味ではないようではあるのだが。
「半助、そこにいられると、わしが仕事ができないんだが」
「もう少し……」
退くつもりが少しもない、堂々とした落ちつきぶりだ。私の犬を自称する割には言うことを聞かない。これはしつけが必要だな、と苦笑して、ぼさぼさ頭をもう一度撫でてやった。