いつだって傍にいる晴れやかな午後13時。暖かい日中の日差しはとても心地よく、道端の猫も眠たそうに、んにゃんにゃと声を漏らしながら欠伸を零す。それは人であろうと変わることはなく、ほんのりぽかぽかと暖かいHANDの部署では1人の青年がすぅすぅと寝息をたて、穏やかな寝顔を晒していた。
「ナギねえ、ナギねぇ!ハルマサ寝ちゃった!お布団かけてあげたほうがいい?」
「いえ…その必要ありませんよ、蒼角」
愛しい鬼の子は頭を撫でてやると嬉しそうに頭を擦り寄せた。その姿のなんと可愛らしいことか、日頃の疲れも吹っ飛ぶというもの。
「ん………」
だが、だらしない同僚の寝顔は別である。
「はぁ……全く…」
この部署の副課長とされている月城柳はその綺麗な桃色の髪を揺らし、未だ眠りこけている青年へと近づく。そしていつもつかさず持ち歩いているバインダーを高く振り上げ…
「ふんっ!」
後頭部めがけ、容赦なく振り下ろした。
「っったッッ!!」
気持ちいいくらいに勢いよく叩かれた目の前の青年…浅羽悠真は叩かれた直後の後頭部を抱えるように蹲る。そして何をするんだと抗議せんばかりに起き上がった。
「ひ、酷いですよ!月城さん!!」
「ふん、自業自得ですね」
よよよとわざとらしく泣き出す同僚が嘘泣きだというのはこれまでの経験上、100も承知なので無視を決め込む。まぁそうなることは向こうも分かりきってようで、早々に嘘泣きを止めた。だが先程まで眠っていたのにも関わらず、悠真の口から漏れる欠伸は止まらない。
「ふぁ……ん〜」
「ハルマサ眠いの〜?」
「ん〜ちょっとね〜」
机の端からぴょこりと顔を覗かせる鬼の子に心配させぬようはぐらかそうとするがそうはいかない。彼には持病がある、もしやとは思うが本当に体調が悪い日なのではないだろうか…。
「もしかして…体調でも悪いんですか?」
「あはは、副課長まで心配してくれるんですか〜?」
「………」
いつも通りのらりくらりと上手いこと躱そうとする悠真に突き刺さる視線のなんと痛いことか…。
「分かりました!分かりましたって!そんな怖い顔しなくてもただの寝不足ですよ〜…」
「ハルマサ寝れてないの〜?」
「ん〜ちょっと悩んでてさぁ……2人とも聞いてくれます〜?」
「いえ、仕事がありますので。浅羽隊員もサボってないで仕事に戻ってください」
「ありがとうございます〜実はですね〜?」
「まったく、聞いてないですね…はぁ」
自分の仕事に戻れという己の言葉を無視して、ベラベラと話し出す同僚に月城は本日何回目であろうため息をついた。聞いてみるとどうやら最近付き合い始めたというあのビデオ屋の店長さんへのお返しに悩んでるということ。
(そういえば、もうすぐホワイトデーでしたね)
そう世間一般ではホワイトデー。先月はバレンタインで世の女の子がそわついたかと思えば、今度は男の子がそわつく番という訳だ。
(ですが…)
「そんな訳でどうしようか悩んでたら夜も眠れなくって〜…月城さん?」
「あ…いえ、浅羽隊員でもそのような事で悩むのだな、と」
「そんなの当たり前じゃないですか〜可愛い彼女のためなんですから!それに…」
不自然に言葉を止めた目の前の同僚は少し赤く染まる耳と緩む口元を隠しもせず呟いた。
「初めて愛したいと思える人と付き合えたんです…大事にしたいじゃないですか…」
「………」
職場では見ることの無い珍しい表情にいつものようにサボりを咎める気持ちも失せる。
「……人に聞いてみたらいいのでは…?」
「え…?」
「ですから…店長さんのことを知っている身近な人に聞いてみたらいいのではないですか?」
突然アドバイスを投げかける自分に、目の前の同僚は分かりやすく固まった。だがこちらにも気恥しい気持ちはあるのでそのまま口早に大事なことだけ伝える。
「ですが女性の方はダメです、こうゆうのは女性間だと目敏いものですから」
「ふ、副課長〜!」
予想してなかった展開に目を輝かせる浅羽隊員を横目に、仕事を再開するため、自分のデスクへと戻った。こんなありきたりなことで悩みは晴れるのか疑問だったが、先が見えたのか途端に元気になる浅羽隊員をみてその心配事は杞憂だったと知る。
「それじゃ、僕はちょっと早退を〜」
「許可しません、行きたいのでしたら仕事を終わらせた後にどうぞ」
「で、ですよね〜」
「ハルマサ元気だして〜!」
分かりやすくがっくりと肩落としながらもデスクに向かう同僚と元気にご飯を口に詰め込む蒼角を見て今日も6課は平和なのだと月城柳は笑みをこぼすのだった。
……………
「アキラちゃんをよく知ってる人、かぁ…」
月城から貰ったアドバイス、「店長さんの身近な人に聞けばいい」を頼りにベッドに寝転がる悠真はスマホの画面を滑らせる。
(あ、そういえば女の人はダメなんだっけ?)
男性で、アキラを知っている人物、そして悠真の知り合い、そんな人物いるんだろうか。新しくでてきた課題にうーんうーんと頭を悩ませる。そんな悠真の元にみゃーんと鳴く同居人がぴょんっと軽く飛び跳ね、ベッドへと上がってきた。
「ん〜?ご飯はさっきあげたでしょ〜?」
気難しく、すごく気分屋な子なのでぷいっとそっぽを向いてしまうことも少なくはないのだが今日はどうやら違うらしい。
「んみゃーう」
「珍しいね〜今日は甘えたな日なの〜?」
愛猫の気が変わらないうちにたくさん愛でるため、ぼんやりと眺めていたスマホをぶん投げる。ごろんと寝っ転がりお腹を見せてくる我が子の首を優しく撫でてやると直ぐにごろごろと満足そうに喉を鳴らした。そのまましばらく極上の毛並みを堪能していると、向こうは満足してしまったのか先程までとうってかわり、ぷいっとそっぽを向く。そんななんとも気分屋で自分勝手な姿に猫好きの悠真の頬はだらしなく緩んだ。
「ふふ…」
くるりと丸まり眠り始める我が子のご機嫌そうに揺れるしっぽ、そして時折ぴょこぴょこ動く耳を眺めていると、緩みきっていた悠真の思考がふと呼び戻される。先ほどまで悠真の頭を悩ませていた課題の答えが今まさに叩きつけられた気がした。
「ぁ……」
そうだ、いるではないか。悠真の知り合いでアキラのこともよく知る男性。可愛らしい耳としっぽを持った、頼りになる愛らしい後輩が。
「あ…スマホ!」
これ幸いと急いで電話をかけようとするも時刻は夜の1時、普通の人であれば大人しく夢の世界へ行っているところだ。
「やばっ!まだ起きてるかな…」
しばらくなり続ける呼出音にいくら仕事が終わるのが遅いセスでも流石に寝てしまったのではと考えるがそれは杞憂に終わる。
「なんですか…浅羽先輩」
電話越しに聞こえる後輩の声はなんだか眠たげでいつものハキハキとした口調もなりを潜めていた。
「ごめんセスくん、もしかして寝てた?」
「はい少し…でも大丈夫です。それより浅羽先輩が俺に電話なんて珍しいですね、しかもこんな時間に…」
「いやちょっと急用でさ!明日の昼休憩中って空いてたりしない?相談したいことがあってさ〜」
「空いてますけど…もしかして、なにか事件ですか?」
珍しくこんな時間に電話をかけて来る悠真と急いでるようなその様子に、よく鈍いと言われるセスですら只事ではないと察した。眠たげな声から急にピシッと真面目な声色に一変する。
「あー違う違う、これは僕の個人的な相談!だから6課は関係ないよ〜」
「そうですか…」
そんなきっと勘違いしているであろう後輩にそんなんじゃないと言葉をかけると気を張っていたセスから力が抜ける。どうやら誤解はとけた様でほっとした。
「まぁもう夜も遅いからさ、詳しいことは明日話すよ!じゃあいつものカフェで待ち合わせね〜」
「はい…おやすみなさい?」
頭に?を浮かべる後輩を置いて電話を切る。これでどうにか悩みが晴れるといいんだが…そう思いながら愛猫を抱え、ベッドに潜る。腕の中から伝わる温もりに直ぐ、悠真の意識は暗闇の底へと落ちていった。
そして次の日の朝、太陽の光で気持ちよく目覚めた悠真の体調はいつもよりすこぶる良かった。午前の仕事も忙しさとは無縁でサボり屋の悠真にしては珍しく真面目に仕事へと勤しんだ。そのいつになく真面目な悠真の様子に副課長が若干引いていたが、今日の悠真はなんせ気分がいいので見ないふりをする。そのご機嫌な様子のまま約束をしていたセスと合流し、コーヒーを2つ頼む。相談に乗ってもらうのだからとここは先輩である悠真が出した。そして立ちっぱなしもなんだからとそこら辺のベンチへと腰をかけ、さぁ…本題だと話を始めようとしたのだが……。
「なんで、アンタがここにいるんですか…?」
「ん?」
あたかもずっと一緒にいましたというように柵に寄っかかる男。その顔に引っかかっているサングラスが陽の光できらりと反射した。
「街中で知り合いを見かけたらごあいさつするのが普通ってもんじゃないのか?」
「あはは、アンタと僕がいつそんな関係になったんです?」
「はは、嫌われたもんだな」
そう、先程まで頂点に達していた悠真の機嫌が急降下したのは当たり前のように隣に居座るこの男が原因だった。昔傭兵として依頼したことのある郊外の運び屋。そのライトをあまりよく思っていないのはその生き様ともうひとつ、今現在悠真の頭を悩ませている彼女の事だった。二人の間に流れる異様な空気に流石のセスでも声をあげる。
「あ、浅羽先輩!なにか相談があって俺を呼んだんですよね!相談って一体なんですか?」
「そうだね、時間もないし……それでセスくん相談なんだけどさ」
「は、はい!」
深刻な面持ちで向き合う悠真にセスは思わず息を呑む。
「アキラちゃんって何をあげたら喜ぶと思う?」
「は?」
僅かな沈黙の後、相手から飛び出してきた重い空気となんとも釣り合わない言葉にセスは先輩にも関わらず、思わずそんな返事を返してしまった。そんな2人の横でライトの咥える溶けかけた飴がからりと音を立てた。
……………
「な、なるほど…?ホワイトデー……」
「そうそう、僕たち付き合ったばっかりだからさぁ?せっかくなら喜んでもらいたいでしょ?」
「ま、まぁそうかもですけど…俺は!浅羽先輩が決めたものならアキラはなんだって喜んでくれると思います!」
「あはは、ありがとう〜」
「そんな様子じゃ、アキラが他のやつにちょっかいかけられるのも時間の問題だな」
「はは、余計なお世話ですよ〜僕とアキラちゃんはラブラブなんで…」
そう…こうゆう所なのだ、この男の気に入らないところは。後輩であるセスはアキラを純粋に友達としか見ていない、それが体現されているから分かる。だがこの男は別だ、この男の魅力にアキラが惹かれてしまったらと思うと安心出来ないのも仕方ないだろう。再び火花を散らす2人の横でうーんと頭を悩ませる後輩が口を開く。
「うーん、アキラが喜ぶもの…」
「なんか思いついた…?」
「よく一緒にラーメン食べいったりとか映画見に行ったりはしますけどそれとはまた違いますよね…」
「そうだよね〜」
そうアキラの好きなものといえばラーメンとビデオ、これはアキラをよく知るものなら周知の事実であるが…プレゼントかと言われると別である。
「あ!後は花とかもよく見に行きます!」
「花かぁ…」
確かに柄ではないが自分の送ったアキラの花を愛でる姿見てみたいと思うし、喜んでくれるのならいくらだって送ってあげたいとも思う。だが……
「初めてのプレゼントだからさ、せっかくならずっと形に残るものがいいな…」
「すみません、俺あんま役に立たなくて……」
「え!?そんな事ないって…ありがとうセスくん」
分かりやすく落ち込み出す後輩にそんなことは無いと首を振る。可愛らしい耳としっぽも元気をなくしてしまっていた。すると今まで黙っていたライトが赤いマフラーをなびかせ、下がったサングラスをクイッと上げる。
「おっと、ここはこのチャンピオンの出番だな」
まるでいい案があるとでも言うように口を開くライト。心底不服ではあるがここは人生の先輩であろうこの男を頼ってみることにする。
「なんです…?」
「いつもこう素直だと、少しは可愛げがあるんだがな……」
やれやれとした呆れる態度を隠さないライトに一言余計だと返す。
「あんた達は女性が1番大事にしてるのはなんだか知ってるか?」
いつの間にか咥えていた2本目の飴を舌で転がしながら問いかけるライトに2人で頭を悩ませる。
「家族…とかでしょうか…?」
「それも確かに大事ではあるが、ちと違うな。それは女性じゃなくても大事にするもんだろ…?」
「た、確かに……」
「あ…髪とか?髪の毛は女の命とも言うし…」
以前自分の失言を許してもらうため同僚にヘアコンディショナーを献上したことがあるのだが、それあっての事だった。
「チョイとズレちゃいるがまぁ正解だな…つまり」
答えへと辿り着いた悠真にしたり顔でパチンと指を鳴らした。
「身なりだ…」
「なるほど……」
「まぁ身なりに気を使うと言っても髪だったり爪、香水やら人それぞれだがな」
柵から身体を離したライトは悠真の肩に手をかける。急に近づく距離に思わず仰け反るが、そんなことは気にせずライトは続ける。
「だがあんたは形に残るもんがいいんだろ?それなら無難にアクセサリーとかどうだ…?」
「アクセサリー……」
「まぁアキラは普段から着飾ってるタイプじゃないが好きなやつが選んだものなら喜んで使うんじゃないか?」
確かにアキラは着飾るタイプでは無い、むしろ周りから男の子に間違われることも多々あるくらいだ。それをアキラは気にしてないと言うが彼氏からすると複雑なのは言うまでもない。でもそんなアキラ自身も悠真にどう思われるかは気にするようで想いを通じあわせたあの日、1度聞かれたことがある…。
………………
「悠真は…ほんとに僕でいいのかい…?」
アキラから貰ったほんのり甘いチョコチップクッキー。それをご機嫌そうに口へと運んでいた手がピタリと止まり、ポトリとテーブルへと落ちた。それもそのはず…先程まで泣きながら好きだとお互い伝えあって、やっと想いは通じたのだと悠真は思っていたからだった。だがアキラから飛んできた言葉は一世一代の告白を終えた後にしては少し暗く、とても後ろ向きな言葉だった。
「ぇ…なに急に……?もしかして本当は僕と付き合うの嫌とか…?」
実はさっきまでのはドッキリで本気じゃありませんでしたなんて言われた暁には流石の悠真でも1年は落ち込んで引きこもってしまうかもしれない。
「ち、違くて!その僕は他の女の子みたいに可愛くはないし、格好もその…男の子の様で……だから悠真にはもっと素敵な人がいるんじゃないかって……」
アキラの口から零れたのは自分を卑下する言葉で、俯きがちに語るその姿を悠真は見たくなかった。その少し細い肩を引き寄せ、腕の中に閉じこめる。そんなことを考えなくていいように…。
「そんなことないよ…」
「悠真…?」
「アキラちゃんは僕にとってこの世で1番可愛いし、周りの奴らがどんなにアキラちゃん男の子扱いしても、僕はその何倍も女の子扱いするよ…それに僕アキラちゃんに好きって言って貰えてすごく嬉しかったんだ。だからそんな悲しい事言わないで、ね?」
「ぁ……うん、悠真大好き」
アキラちゃんの少し短い灰色の髪を撫でつける。そのうち優しくぎゅっと抱きしめ返される感覚に胸が暖かくなった。しばらく愛しい恋人を撫でることに集中していると腕の中でアキラちゃんがもぞもぞと身動ぎした。
「あの悠真…ちょっと離れて…」
顔を真っ赤にしたアキラがやんわりと悠真の身体を押す。あまりにも可愛すぎる彼女の行動にもう一度抱きしめたくなる衝動を必死に抑えた。
「ごめんね苦しかった?」
「いや、大丈夫」
「そっか…そうだアキラちゃん……」
「なんだい…?」
「さっき言ってた酷いことアキラちゃんに言った奴ら教えてくれる?」
「ぇ…」
悠真はゆらりと立ち上がると今にも飛び出しそうな勢いでアキラに問いかける。
「は、悠真?」
「アキラちゃんを傷つけたんだ…それなりの制裁は与えないと…ね?大丈夫、すぐにぶっ飛ばしてくるから」
「ちょ、ちょっと待って悠真!全然気にしてないから!」
「アキラちゃんが気にしてなくても僕が気にするの〜!だってこんなに可愛いのにさぁ?」
「もうまたそうやって…」
「本気だよ…僕はいつだってアキラちゃんが世界一可愛いと思ってる」
その言葉に耳まで赤くしたアキラは言われっぱなしも癪なので、悠真の袖をクイッと引っ張り、精一杯の抵抗でこう告げた
「違う、この世で世界一可愛いのはリンだ……」
膨れ顔で言うその言葉に少し面食らうが、すぐさま笑いが込み上げる。
「はは、そうゆうところだよ…アキラちゃん!」
………………
その後、なんで急にそんなことを聞いたのだとアキラに問いかけた時「だって…好きな人に自分がどう見られてるかなんて誰だって気になるだろう?」と返された時はどうしてやろうかと本気で思った。つまりは、だ。普段男っぽく見られても気にしないアキラが恋人である悠真には可愛く見られたいということでは無いだろうか?そんな健気で可愛いアキラに贈るものとしては確かに最適なのかもしれない。
「ふーんあんたにしてはセンスいいんじゃないですか?」
(周りに知らしめられるしね…)
「ま、そうと決まれば何にするか…だな」
これまた3人で頭を捻らせ、何かいいものはないかと必死に探し出す。
「アクセサリーとなるとヘアアクセサリー、指輪、ネックレス、ブレスレット、すぐに思いつくのはこの辺りでしょうか…?」
「そうだな、だが…付き合いたてのこいつらに指輪はまだチョイと重いだろう。それにヘアアクセは髪の短いアキラにはちと使いづらいんじゃないか?」
「確かに…それならライトさん?は何がいいといい案あるんですか?」
「そうだな……おいあんた、ピアスしてるだろう」
「してるけど……それがなに」
「ピアスならお互い仕事中も目立たないし、しかもシンプルなものならお揃いにもできる…どうだ?」
アキラが髪を耳にかける時。
そのふとした瞬間に耳元で光る自分の証。
「いい…かも……」
「答えは出たな……」
「その……ありがとう」
「あぁ、気にするな…」
その瞬間誰かのポケットから呼出音が鳴り響く。どうやら発信元はライトのスマホらしい。
「おっと、お嬢様から呼出だ。俺はそろそろ行く、じゃあな」
「あ、ありがとうございます!」
手を振りながら去る背中に律儀にお辞儀する後輩。それを横目にようやく決まった贈り物を手に入れる為、悠真は頭の中で必死に週末の予定を立てるのだった。
…………
そして時は1週間後。悠真にとってはこれが決戦の日。緊張の面持ちで『Random Play』の扉へと手をかける。だが触れたいいもののなかなかその1歩が踏み出せない。
(大丈夫…いつも通り、自然に……うちに来ない?って言うだけだから……)
どくどくと嫌な音を立てる己の心臓に大丈夫だと何度も言い聞かせるが今日の悠真の心臓はどうやら言うことを聞いてくれない日らしい。
(あー、もうどうにでもなれ…!)
一気に力を込めた扉はカランカランと心地よい音を立て、悠真を歓迎する。くぐった先にはトワと一緒に店番をするリンの姿、開幕早々対面するなんてことにならず、内心ほっとした悠真に何も知らないリンはいつも通り声をかけた。
「あれ?悠真じゃん!どうしたの〜?」
「ちょっとアキラちゃんにね…上にいる?」
「うん、いるよ!あ〜もしかして……」
リンの中で何か思い当たることでもあったのか、にやけ顔を隠さずそのまま悠真に近寄る。そして背伸びをして耳元に口を近づけたリンは誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「ホワイトデー、でしょ?」
何もかもお見通しな彼女の妹に思わず動揺が顔に出る。だが最低限の理性が働いたのか叫び出すなんてことにはならずに済んだのは幸いだった。
「え、なんで…!?」
「えー?流石にわかりやすすぎだよー!もしかしてだけどデートの約束でもしてるの〜?」
「ちょっ…!リンちゃんしー!今日サプライズできてるんだから!」
「なーんだ、てっきり約束してるのかと…へー上手くいくといいね〜?」
「ちょっと、リンちゃん楽しんでるでしょ…?」
2人でこそこそと作戦会議している所にに話題の人物が顔を出した。
「リン?騒がしいけど誰かお客さん…悠真?」
「あ、あ!えっと…アキラちゃん急にごめんね!もしかして聞こえてた…?」
「いや話の内容までは……ただ2人が楽しそうに話してる声が聞こえたから……」
その声にほんの少しの暗い気持ちを感じた悠真はもしや勘違いさせてしまったのかと急いで否定する。
「ち、違うよアキラちゃん!ただ僕がリンちゃんに一方的にからかわれていただけで!全然その浮気とかじゃないから、僕はアキラちゃん一筋だから!」
この前の事件はお互い言葉足りず生んでしまった、二度とあんなことは繰り返したくはない。焦ったように早口で否定する悠真にアキラは一度きょとんとした顔を見せるも決壊したように笑いだした。
「ふふ…あはは、そんなに否定しなくても分かっているとも…」
「ほんとに〜?傷つけちゃってない?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ悠真、ありがとう」
そう言ってにっこり笑うアキラにさっきまで緊張していた自分の心臓は愛おしさで別の鼓動を立てた。
「あ〜あなんかダシにされちゃったな〜」
「リン…そ、そんなこと…」
そのリンの言葉に顔を真っ赤にした姉のなんと可愛らしいことか。こう見えて姉はとても初心なのだ。人と付き合った事など当然ないし、なんなら好きな人ができるのも初めてではなかろうか。
(女の子は恋をすると可愛くなるってよく言うけどあれって都市伝説じゃなかったんだ〜)
そんな中いつまでもひとり惚けて固まる、使い物にならない姉の恋人を咎めるようにリンは後押しする。
「あ、そうだ!そういえば今日ニコ達が泊まりに来るんだった〜!でもみんな来るってなると狭いよね、そうでしょ!だからお姉ちゃん、お願い!今日は悠真の家泊まって!」
急にそんなめちゃくちゃなことを言い出す妹に流石の冷静な姉も驚きを隠せず、ぶんぶんと手を振りながら妹を説得した。
「え、え!?でもそんな突然…悠真も迷惑だろう!それに……」
そうアキラは定期的に悠真の家へ遊びに行くことはあったが、恋人になってから泊まりに行くのはまだなのだ。きっとその事を口に出そうとしたアキラは寸のところで押し留まり、赤い顔のまま俯く。そこでようやく意識が戻ってきた悠真が声を上げた。
「ぼ、僕はいいよ!全然…むしろ泊まりおいでよ、アキラちゃん」
「え、ぇ…でも……」
「ほ、ほら!うちの子もアキラちゃんに会いたがってるしさ…ね?」
「え、っとじゃあせっかくだしお邪魔しようかな…?」
「はいじゃあ決まり!お姉ちゃん上で準備しておいでよ!」
「わ、わかった…ちょっと待っててくれ悠真…」
そう言い残して上へと駆け上がっていくアキラを見送ると、上手くいったことにため息がこぼれる。
「ふぅ…良かった、リンちゃんありがと」
「ほんとだよ〜いつまでも言い出さないからどうしたのかと思った!ひとつ貸しだからねー」
「はいはい…仰せのままに…」
(まったくホントしっかりした妹だよねぇ…色んな意味で……)
もののわずか数分、小さな手提げ必要なものだけまとめてきたアキラが急いでおりてくる。
「すまない、悠真…待たせてしまった」
「ぜーんぜん、むしろもっとゆっくりでも良かったのに。急いでるわけじゃないんだしさ」
「う、うん…。でも僕も少し浮かれてて……」
「…ぇ……?」
「ぁ……ううん、なんでもないんだ!気にしないでくれ!」
「…な……」
(何だこの可愛い生き物〜!!)
いじらしい恋人の可愛さに思わず心の中で叫んでしまったことを許してほしいと切に願う悠真だった。するといつまでもそこにいる2人にジトっとした目を向け、いつになったら行くのかと急かした。
「ほら、いつまでも店の中イチャイチャしてないで早く行った行った!」
「いっ、イチャ……!」
「あはは…それじゃお店の邪魔にならないうちに行こっか?」
そういいながら裏口の扉を開ける悠真の後を
何も言わずついて行った。
「アキラちゃん、車の鍵ある?」
「うん、ここに」
差し出してきた手のひらにリンとアキラの足である社用車の鍵をそっと乗せた。それを受け取った悠真はまるで慣れてるかのように差し込み、助手席の扉を開ける。
「はい、今日アキラちゃんはこっち!」
「え?でも…」
「いいの!僕も運転出来ない訳じゃないしね……それに」
悠真の少し冷たい手がアキラのここに触れる。その指先がなぞる先はアキラの目の下に出来た薄い隈だった。
「ここ少し隈が出来てる…最近あんまり寝れてないんでしょ?」
「うん、少し忙しくて…」
「じゃあ尚更、身体は大事にしなくちゃ!僕の家まで少し距離あるし、着くまで寝てなよ」
でもというアキラを助手席に座らせ、エンジンをかける。まるで毎日運転しているかのような慣れた手つきで車を走らせる悠真に少しだけ見惚れたのはアキラだけの内緒である。微かな振動と暖房で暖まってきた車内は疲れの溜まった身体に眠気を誘う。その誘惑に逆らえなかったアキラうとうと船を漕ぎ、やがてゆっくりと眠りについた。
…………
「………ちゃん、アキラ…ん」
「ん…」
ゆさゆさと揺らされる振動に覚醒を促される。目を開けるとそこにはアキラの荷物を持った悠真の姿があった。
「あ、起きた?もう着いたよ。大丈夫?立てる?あれだったら後ろにおぶろうか?」
「ううん、もう大丈夫。ありがとう悠真」
「そ?じゃあ行こっか」
車に鍵をかけた悠真が流れるようにアキラの手をとり、ぎゅっと繋いだ。自然と繋がれた己と悠真の手にアキラは顔が熱くなるのを感じる。
「よしご到着〜…今開けるね」
ガチャリと音を立てて開いたドアにご主人様が帰ってきたのを察知したのか猫が奥から顔を出す。そしてアキラがいるとわかった途端、たったったと走ってお出迎えした。
「みゃうみゃーん」
「ふふ、こんにちは…」
「あ〜僕が帰って来るときにお出迎えなんかしないくせに〜」
急いで駆けつけた猫はしゃがんだアキラの手にこれでもかと言うくらい頭をなすり付ける。飼い主である自分ですら飼い始めたばかりの頃は触らせてくれすらしなかったこの子がアキラくんには出会った瞬間からぐるぐると喉を鳴らしていた。そのあまりの懐きっぷりにやはり飼い主と似るというやつなのだろうかと思ったのは最近である。
「みゃあ」
「ふふ、可愛いね…」
まずい、猫好きのアキラちゃんがうちの子にメロメロにされてしまっている。だが今日はホワイトデー、そんな日にいつまでもアキラちゃんを独り占めされるのは可愛い愛猫であれどさすがに許せないので未だ擦り寄ってるところを引き剥がし、アキラを中へと入れる。不服そうににゃおにゃおとあげる声は無視した。
「さ、アキラちゃんもう良い時間だしさ!まずご飯にしよっか」
「そうだね、僕も手伝うよ」
だがそんなほんわかとした空間はアキラの一言で2人にとってはすごく重大な事件に変わってしまうなんてこん時の2人は思いもしなかった。
………………
「ふぅ美味しかった〜!でもまさかアキラちゃんが料理出来ないなんて…」
「うぅ、言わないでくれ……」
気まずそうに目を逸らす、そんなアキラでさえ何とも愛おしい。
「幻滅、したかい?」
「いやいやそんな事ないよ!誰だって苦手なものくらいあるでしょ!」
聞くところによるとこの前貰ったクッキーも知り合いに教えながら作ったもので、それでもあまり上手くできなかったと悲しそうに零すアキラにそんなことはないからまた来年も作って欲しいと必死にお願いしたら笑いながらokしてくれた。内心大喜びしていることを隠すため、食器片付けておくから先にシャワーを浴びておいでとアキラに言った。そう、その時に…事件が起きたのだ。
「ぇ……ない」
「ん〜、どうしたの?」
「パジャマが…ない」
「え?」
そう、急いで準備してきたからかどうやら寝巻きを手提げに入れ忘れてしまったようだった。時刻は夜の20時、今から服屋まで車を走らせたとしてもどこも閉まっているだろう。
「大丈夫大丈夫!僕の服貸すからさ!」
どうにもならないことは考えていても仕方ないので自分の服を貸すことにしたのだが、問題はここからだった。アキラは細い…それこそ心配になってしまうくらいに。いくらアキラが男に見られやすいとはいえ、中身は立派な女性なのだ。そう、上はともかく…下が悠真のものだと緩すぎて落っこちてしまうのだ。だが全て男物、小さいサイズなどある訳もなく、悠真は途方に暮れた。
「えっと…ごめん。どうしよう…あ!コンビニまで走ってこようか!もしかしたらなんかあるかもだし!」
「いやでも悪いし!僕はこのままでいいとも!」
今にも外に飛び出しそうな悠真をアキラは必死になだめる。せめてもとアキラに膝上くらいまで隠れるオーバサイズのシャツを渡すことでその場は済んだのだが…部屋に取り残された悠真自身はそれはもう気が気ではなかった。僅かに聞こえるシャワーの音をBGMに脳内会議勃発中である。
(どうしようどうしようどうしよう!!これっていわゆる彼シャツってやつなんじゃ…!?てかそんなことより足!アキラちゃんの足が見えちゃうでしょ!いやいや変なこと考えるな…冷静になれ…浅羽悠真…そうだ何も考えるな…いや無理)
ひとり部屋の中で荒れ狂ってる間に思ったより時間が経っていたようで、ぺたぺたと音を立てながら部屋へと入ってきた恋人にさらに悶絶することになる。
「え…っと…変じゃないかい…?」
恥ずかしそうに裾を引っ張る手と少し染まる頬。そしてダボッとしたシャツの裾から伸びる白い足がもじもじと膝同士を擦り合わせた。そんなアキラを呆然と見た悠真はなけなしの理性が崩れ落ちる前に、財布を引っ掴んで玄関へと向かう。
「ぇ、どうしたんだい悠真?」
「やっぱりなんか買ってくる…」
「え?でももう遅いし、僕は全然これで」
「でも……」
「大丈夫…全然嫌じゃないとも。むしろ…悠真に抱きしめてもらえてるみたいで…すき…だから……」
「ぇ…」
衝撃的な一言に聞き間違えでは無いかと本気で耳を疑った。いつまでも黙り込む悠真に恥ずかしそうに赤く染める顔を上げた。
「せ、せめて何か言ってくれないかい…はるま……え?」
ぽた…ぽた…
何やら液体の垂れる音。その音とアキラの焦る声が聞こえたのは同じくらいだった。
「は、悠真!鼻血がっ!」
「え…?」
そっと触れると確かにぬるっとした感触が伝わり、指先を赤く染める。焦ったように悠真をベッドに座らせたアキラはティッシュを数枚手にとり、鼻へと優しく当てた。
「だ、大丈夫かい?もしかして体調悪かったんじゃ…」
「う、ううん…大丈夫」
心配そうに顔を覗き込むアキラにこんな状況にも関わらず、心臓がドっと大きな音を立てる。いつも以上に可愛く見える恋人に自分は明日までに死ぬのではないかと本気で思う悠真だった。
(それにしても…まさか鼻血なんて出すなんて…アキラちゃんの前でみっともない)
「ごめんね、もう落ち着いたから大丈夫」
「そうかい?無理してるんじゃ…」
「そんな事ないって!大丈夫、心配しないで!こっちこそ急にびっくりしたよね」
「いや…悠真が大丈夫なら僕はそれで…」
ベッドの上に並んで座る2人。お互いがお互いに緊張していて無言の時間がしばらく続く。だがゆっくりと近づいたお互いの手がそっと…確かめるように触れ、やがて強く握られる。繋がれた指先からお互いの心音が伝わってしまうのではないかと思いながらも、その甘い空気を中、悠真が口を開く。
「アキラちゃん…その、さ」
「うん…」
「実は……ホワイトデーのお返し、用意してて……」
「ぇ…?」
そして真剣に選んだプレゼントの箱をアキラの手へと握らせた。
「これ良かったら…受け取ってくれる?」
その一言で赤い顔のまま俯いていたアキラの顔がパッと上がる。
「開けてもいいかい……?」
「もちろん」
アキラがそっとリボンを解き、箱を開けるとそこには小さな石が埋め込まれた2つのピアスがきらりと輝いていた。
「これ…ピアス…?」
「そうピアス」
「で、でも僕穴は開けてないけど……」
「そう、だからさ…」
1度離れてしまった手を悠真がもう一度握り直す。
その手はじんわり暖かくてアキラの心を優しく溶かした。
「アキラちゃんがいいなって思った時に僕に開けさせて?」
小さなものでも自分と生きた証をアキラに残そうと…悠真がそう言ってくれているようでアキラはなんだかすごく満たされた気持ちになった。だからだろうかこんなことを言ってしまったのは…。
「これって……今開けたらすぐ付けれるのかい?」
「え?いや、最初の1ヶ月は別のをつけなきゃいけないけど…ってアキラちゃんもしかして…」
「うん…今、悠真の手で…開けて欲しいな?」
今すぐ開けろと言うアキラにもう一度悠真は問いかける。
「いいの?でも痛いかもしれないし、それに僕がアキラちゃんの身体に傷をつけて……ホントにいいの?」
「大丈夫、心配しないで。僕は悠真になら何されたって大丈夫なんだから」
その言葉に酷く泣きそうな顔を浮かべた悠真は優しくアキラの唇に触れた。するとアキラは少し恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、照れ隠しのようにこう告げる。
「悠真が泣きそうなの初めて見たかも…」
そうして悠真の手によって開けられたアキラの右耳には琥珀のピアスが今日も光る。同じく悠真の耳にも光る翠の石について最愛の妹に詰められるのもふとした瞬間にピアスに触れる癖がアキラについたのもまた別の話。