光を失った世界の波間にて 潮風の吹く砂浜に、黒髪の男が足を踏み入れた。纏った着物の隙間からは、異様なほど白い右半身が覗いている。男は一人、何をするでもなく。己が乱し、支配した国の海岸線にただ佇んでいた。
祖国は遠い。
ここからは到底、見えることのない白けた霞の先に、男の生まれた里があった。
踏み跡の砂利の下には小さな貝殻が覗いていたが、それもすぐに波に呑まれ消えていく。引いては寄る波がぶつかり合い、飛沫が高く舞った。
鼓膜を震わす波の残音は、否が応にも、男の記憶を引きずり起こした。
『ねぇ、■■■』
彼女が優しく、彼の名を呼ぶ。男はその名を知っていた。
その男はかつて、今と違う名を持つ少年だった。
違うのは名だけではない。様相も、所在も。何もかも、今とは全く変わってしまった。
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