雨雨
「さむいな……。」
「そりゃあな。どしゃ降りじゃねえか。」
独り言ちる。すると返事が返ってきて、俺は隣に立つ少し背の高い奴を見遣った。
「いたのか。」
「今来たんだよ。気付いてなかったとはな……。」
確かに、声を掛けられた気がしなくもない。本日霊とか相談所の予約や客入りは疎らで、今は暇つぶしにネットサーフィンをしていた所だ。
パソコンから手を離し、簡易台所へ向かう。
「なんか飲むか?」
「茶。」
「はいよ。」
エクボはなんでもないように言ったが、わざわざ身体を借りてきて何がしたいのか。茶が飲みたいだけで来るはずもない。「ほらよ。」と手短に淹れた茶を差し出した。
こちらを見つめるエクボ、なんだ。なんなんだ?
「ぶあちッ!!!」
「……やると思った。」
コイツ、俺がヘマするって分かってて黙ってやがったのか……!
「……悪趣味だな。」
「悪霊だからな。」
「んで、なんで今日はまた?」
「あ?」
「わざわざ身体借りてって話。」
「ああ。」
そう一言納得したように言うと、エクボは俺の額に手を当ててきた。
「……っ?」
「お前さん、熱あるだろ。」
「は、なん……。」
「バレバレだ。俺様の目を誤魔化せると思うなよ。」
したり顔で呟いたエクボは、なるほど確かに悪霊の顔をしていた。
*
「なんで黙ってた。」
「別にこれくらいどうって事ないからだ。」
あの後強制的に相談所を締めさせられ、ご丁寧にもおぶって俺を家まで送ったエクボは、これまた丁寧に俺の身の回りの事をしてくれていた。
「ほれ。」
「んむ、リンゴか。」
「どうって事ないこたねェだろ。」
「別に、ほんとに……。」
「お前さんを心配してる人がいるんだぞ。」
「は。」
「例えば、俺様とかな。」
悪霊に似つかわしくない顔で笑ったかと思うと、ぐしゃりと俺の頭をかき撫ぜた。
「ほらもう寝ろ。」
「……ん。」
ベッドに寝込む俺をあやすように撫でると、そのままあぐらをかいた状態でエクボは黙った。
「……なぁ。」
「なんだ?」
「なんで俺が体調悪いの分かったんだ。」
「……なんとなくだ。それに、昨日もどしゃ降りだったのに走り回ってたろ。」
「あれは依頼が……。」
「そうだな、依頼のせいだな。」
「せいって……。」
「俺様は、お前が一番自分のこと蔑ろにしてるのが許せねえんだよ。」
「……エクボ……。」
「お前さんがお前さんのこと大事にできねえなら、俺様が大事にする。」
「……なんでそうなんだよ。」
そう言って布団でもぞもぞしていると、俺を見下ろしているエクボと目が合った。
「何見てんだよ。」
「はァ……見舞われてるのにけったいな態度だな。」
「別にいいだろ、俺とお前だし。」
「じゃあこれもいいよな。」
言うが早いか、エクボはそのまま俺にキスしてきた。
「……バッ、は!?」
「俺様がお前のこと大事にしてやるってんだ、ありがたく思えよ?」
そう言ったエクボの顔は、なんというか、やはり上級悪霊様の顔をしていた。
*
あの日。エクボがキスしてきた日から、俺たちの関係性は変わった……ように思う。
「れ〜げん。」
「重ッ。どけよ。」
「フン、ふてぶてしいやつだな。」
「のしかかられたら誰でもそうなるだろ!」
相談所で顧客リストを整理していると、エクボが俺にのしかかってきた。地味に重たいのでやめて欲しいのだが、文句を言ったらこれである。
「こっち向け。」
「あ?な……ん、む。」
呼ばれたのでそちらを向くと、エクボにキスをされる。これがあの日から一日一回はある。
「お前なぁ!」
「分かってんだろお前さんも。じゃあこっち向くなよ。」
「こっち向けって言ったのお前だろうがよ!」
本当になんなんだこの悪霊は。からかいたいだけなのか?
「全部顔に書いてあるぞ。」
「馬鹿言え。」
「からかいたいだけなわけないだろ。早く落ちちまえよ。」
「落ちる、とは。」
「俺に。」
「それこそ馬鹿言え。お前は死んでて、俺は生きてるんだよ。」
「それだとまるで、俺様が生きてさえいれば問題ないみたいな言い方だな。」
「言葉の綾だ!揚げ足を取るな!」
エクボはくく、と笑う。何が面白いんだか。なんでそんなに俺を見て楽しそうにして、俺を見て嬉しそうにするんだ。
「言ったろ。お前さんがお前さんを大事にしないなら、俺様が大事にしてやるってんだ。」
「いい。頼んでない。」
「頼まれなくてもやる。俺様がしたいから。」
「……。なんでそこまで。」
「強引なんだって?お前さんにはこれくらい強引じゃないとダメだろ。」
「何言ってんだか……。」
と言いつつ俺も、満更ではないのが問題である。このままではこの悪霊に流されてしまう気がする。コイツはそれを狙っているだろうが。
「なァ霊幻、今日飲み行こうぜ。」
「は?別にいいけど。」
「いいのかよ。お前さんを狙ってる男とだぜ?送り狼するかもな。」
「お前はそんなことしねえだろ。」
「霊幻お前なぁ……。」
しれっと言うとエクボはなんとも言えない顔で頭を抱えた。とりあえずこの後予約が一件あるのでそろそろ離れて頂きたいのだが。
と考えていると、こんこん、とノックの音が聞こえた。
「あの、予約してた者なんですが。」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
「はい。」
依頼人は箱をひとつ置くと、神妙に語り始める。
「これは……恋占いにハマっている友達から貰った箱なんですが、少々厄介でして。」
「厄介、と言うと?」
「この箱の中に入っている人形がですね。」
「人形ですか?」
それならば確認しようと俺は箱の蓋に手をかけた。その時。
「霊幻!やめろ!触んな!」
「っは?」
エクボの静止も虚しく、俺は箱に触ってしまったのである。
*
「"本音しか言えなくなる呪い"だァ?」
「はい……。友達曰く、人形が気持ち悪いから捨てて欲しい、というのと、これを受け取ってから嘘が付けなくなってしまって日常生活に支障が出てるとのことで……。」
「支障、ねェ……。」
俺は手で口を覆いながら真剣そうな顔を演出しつつ、エクボと依頼人のやり取りを伺っていた。
「まアこの通りその呪いはコイツに移ったから、その友達とやらはもう大丈夫だろうよ。」
「うう、すみません……営業職の方にそんな呪いを移してしまって……。」
「コイツがホイホイ触るからいけねぇんだ。嬢ちゃんが責任感じるこたねぇぜ。」
「ありがとうございます……。」
依頼人の女性は申し訳なさそうにBコースの料金を置いていくと、それでは、と相談所を後にした。
「……で。」
「ん。」
「俺様にとって都合のいい展開になった訳だけど。」
「クソが……。」
「オイそこ。聞こえてんぞ。」
「本心だからな。」
「いいのか、そんな態度取って。今のお前さんは嘘が付けねぇんだ。俺様がある事ないこと聞いたっていいんだぞ。」
「……。」
ぐ、と口に置いた手に力が入る。こんなもの、エクボにとってはすぐ振りほどけるだろうが、それを今すぐに実行しないエクボの優しさに俺は正直ときめいていた。え、俺チョロくない?
「そんな睨むなよ。」
「……。」
「喋れないお前さんってのも中々新鮮でいいな。手ェどけろ。」
「! ……ゃ、」
「嫌じゃねぇ、どけろ。」
ぐい、と手を引っ張られて、慌てる。今の俺は鎧や盾を持っていないようなものだ。
「今日の夕飯、何食いに行きたい?」
「え、」
「だから、メシ。何がいいかって聞いてんだよ。」
「飲みに行くんじゃ……。」
「お前さんがそんな状態で行けっかよ。で?」
「……焼肉……。」
「ぶはッ。お前さんいつもそんなこと考えてたのか。でもま、外食は無理だから炒め物で勘弁な。」
てっきり、最近仕掛けられているアレコレについて聞かれると思ったのだがそうではなかったらしい。やっぱりエクボは優しい。本当に俺を大事にしたいんだなというのが伝わってきて、胸がむず痒くなる。
「……って何やってんだ。」
「む。」
「そんなに喋りたくないなら筆談でもするか?」
ぶんぶんと顔を振る。そこまでエクボに付き合ってもらう義理はない気がする。
「じゃあ、先帰ってろ。俺様はスーパーで肉買ってくるから。」
「分かった。」
外に出ると、この間のような雨が降っていた。エクボとは反対方向に別れ、歩く。
「……なんだ、アイツ……。」