いろはいろふわり、舞う花弁に掌を差し出すと誘われるように落ちる薄紅色。
少し端の草臥れた小さな欠片に夕飯は鮭でも焼くかと思案しながら零れ桜に身を隠す。あぁ、確か三切れ入りのパックを買っていた筈。
食べ盛りの野良猫には少々勿体無い気もするが鮭ちらしにしても良いかもしれない。
どうせのこのこと家まで着いてくるであろう、先程まで数歩前を歩いていた野良猫を呼び止めたくて手を伸ばせば随分と荒れた息で腕を掴まれてしまった。
「お前……桜だったのかよ…」
「…はい?」
此奴は何を言っているのだろう。
冗談を言っているようには見えないのが殊更厄介だが真意が見えない今、乗ってみた方が面白いと判断して目を伏せ緩む口元を袖で隠す。
「バレてしまっては仕方がありませんね…実は小生は桜の精なのです。二十五歳を迎え桜が満開になる頃に天からの迎えが来て、麻呂は桜の世界に帰らないといけないのでおじゃ…」
「やっぱりそうかよ。お前変なことばっか言ってるけどやたら美人で儚いからおかしいと思ってたぜ。……って、もう時間がねーじゃん!!あれか?さっきの桜吹雪、迎えの合図だったのか?」
「いえ、嘘ですけど」
期待外れもいい所だ。
至極真面目な顔をして幼児でも信じないような嘘をするりと飲み込んで頷く目の前の男に、呆れて飲み込みきれない溜息を大きく零した。
これは僕が馬鹿にされているのだろうか。日頃、嘘を吐くことを生業として生きている僕への仕返しなのだろうか。
あまりの馬鹿馬鹿しさに真っ直ぐに見つめてくる紅玉を睨み、前頭部にチョップをかまして爪先を弾いて歩を進める。
「あなたに付き合っていたら馬鹿が移りそうだ」
「んだよ!!……だってお前ふらっといなくなりそうで怖ぇーし」
「ふらっといなくなるのは野良猫の専売特許でしょうに」
後ろからバタバタと焦る足音に振り返ることもせず色気付いたアスファルトを蹴散らし撫ぜるも、またもや野良猫に腕を掴まれ足跡を止めた。
「一体さっきから何ですか?熱でもあるんですか?体調が悪いのなら一日くらい寝床を貸して……」
皺が寄る眉間を隠さずに振り向いた俺の頬にあてられた皮の分厚い掌。
輪郭を撫でるようにするりと滑る優しい指先に反して賭事をしている時のような鋭い眼光に射抜かれ続きの言葉を飲み下す。
「お前の元には帰って来てんだろうが」
「……は、」
「だからお前も勝手に連れて行かれんじゃねーぞ」
「…は、ぁ……」
握り引かれた指先が熱い。
本当に熱があるのではと顔を上げれば瑠璃紺から覗く耳輪が紅葉に染まっていて、気まぐれな野良猫に随分と懐かれたものだと目を細めて。
「貴方、小生のことを儚い系美人、未亡人AV嬢顔だと思っていたんですねぇ」
「み、みぼ?何言ってんのか分かんねーけどお前は美人だろ。あとAVには出させねぇ」
少し僕の顔が熱いのはきっと指先からの熱のせい。
「今日は特別に精のつくものを恵んで差し上げましょう。荷物持ちと魚の身ほぐしはお願いしますね」
「マジかよ!俺ツイてるじゃん、ラッキー!!」
でももう少しこの熱に触れていたいから少し遠くのお高いスーパーにでも足を延ばしてみましょうか。
二人の上に散る花と同じ名前のものでも買いに。