キャンバスと飛行機雲頬杖をついて真っ青な空を見上げる。
水平に描かれた飛行機雲が窓枠に縁取られたキャンバスの端を彩るから、淡く消えるこの一瞬を教えたくて教壇に立つ先生を見つめた。
シンとした教室に張りのある良く通る声。チョークを摘む爪甲はカラフルに彩られて、指先の白い汚れが不釣り合いだ。
「おし、それじゃあ各自進めろ。」
音を立てて粉受けにチョークが転がる。パンパンと指の腹を染める粉を落とす仕草さえ様になるなんて神様はこの人に与え過ぎではないだろうか。
あーこの人が自称、神だっけ?
身長に筋肉に顔面に声に芸術的才能?……これだけ備わっているなら、そうなのかもしれない。
今や見慣れた白衣を翻し教室内を闊歩する姿も、長身を屈めてアドバイスを送る姿も絵になるから今更俺がこの真白な画用紙に描くものなんか何もなくて。
大きく空けられた窓から夏の匂いが混じる風を浴びて目を細めた。
「へぇー随分と余裕じゃねェの。」
物思いに耽る俺の邪魔をする声にビクリと心臓が跳ねる。
振り返らなくても怒っているのが分かるから、知らん顔して窓の外を見続けていると肩に思い切り体重を掛けられた。
「んぎゃああ!!お、おもっ……重いんですけど!?」
「お前が俺様を無視するからだろうが。」
教室中の視線を一斉に浴び、クスクスと聞こえる笑い声に顔が熱くなる。
「あんたに絡んでも碌な事が無いからでしょーよ!!」
「んだと?」
羽交い締めにしてくる腕はパーカーに白衣にと幾重もの布に守られているのに、爪の色はあの頃と同じまま。逆に俺は羽織を脱いで薄着になっているのが妙に恥ずかしいから余り触れないで欲しいのに。
「お、飛行機雲。」
俺を腕に収めたまま空を見上げて消えかかった雲を見てそう言うから、淡い一瞬を共有できた嬉しさも相まって
「…おい。」
「何……っ、」
胸がぎゅっとなってしまった。
「お前……」
顔を見られたくなくてふい、と逸らす。
全く、嫌になるったらありゃしない。現世では泣き虫は克服できた筈なのに、いとも簡単に溢れてしまう。ここは教室で、先生だけでなく先生の授業を選択した他の生徒も居るというのに。
コンタクトがズレた?欠伸をした?言い訳を考えていると、頭の上から白い布が掛けられた。
「お前、具合悪いなら言えよ。」
「……は?」
椅子を引かれ、すぐに感じた浮遊感に抱き上げられたのかと思い至る。
「先生がちょっかいかけるからだよー。」
「先生なんだから画用紙真っ白な奴がいたらちょっかいかけんだろうが。取り敢えず保健室連れて行ってくるから自習な。戻ってこなかったらチャイムが鳴ったら終わっていいぞ。くれぐれも騒ぐなよ!」
女子生徒からの揶揄いもあしらいつつ、先生らしいことを言って歩き出した先生の腕に身を預ける。このパーカーも邪魔だな…と思うのはあの時の腕を求めてしまっているから。
だけど、久々に抱かれた腕の中はとても居心地が良かった。
「それで。善逸くんはどうして泣いているんですかー?」
保健室のベッドの上、脇の椅子に座った先生がパーカーでゴシゴシと涙を拭う。
入口のドアに「午後から不在」の札が貼ってあったから今ここには二人きり。
「…多感なお年頃なんですー。」
「まぁ、そうね。」
大して気にした素振りも見せず欠伸をする先生は俺に興味が無いと言っているようで、またじわじわと涙が滲む。
「なんでそんな厚着してんのさ。」
「時代にマッチさせてんだよ。」
「なにそれ。」
先生は俺の言葉にほんの少し考える素振りをして、それから「あーなるほどね。」と言いながらベッドに上って抱きしめた。
「記憶あるなら言いなさいよ。」
重い溜息と頭が肩に伸し掛る。
「ねぇ、この布邪魔。」
「はいはい。」
パーカーを脱いでTシャツ姿になった先生の腕にもう一度抱きしめられて、やっと宇髄さんを感じる事ができた。