桜、一葉頬を撫でる風はまだほんのりと冷たくて、だけど降り注ぐ光は暖かい。
パステルカラーが彩り始めた河川敷を大好きな人と歩く、そんな時間が堪らなく幸せで。
鞄に下げたピヨちゃんのキーホルダーも嬉しそうに踊っている。
僕の少し先を歩く背中も、土手沿いを染める満開の薄桃色に歩調が弾んでいるのが見て取れて、思わず頬が緩んだ。
彼の色でもあるこれは、何となくだけど…彼に凄く似ていると思う。何が?と聞かれても答えられないのだけれど。何となく。
そんな事をぼんやりと考えていると、数歩先の彼が不意に立ち止まって振り返る。
「なぁ、那月。知ってっか?」
「知ってるって…何を?」
彼が見上げる一本の木を隣に並んで見上げてみる。
胸がぎゅっと苦しくなる程に広がり舞い散る薄桃色に、まるで世界が呑まれてしまいそうで少し怖くなった僕は、すぐ隣りにある一回り小さな手をそっと握った。
「桜の寿命。」
いつもの様に振り解かれる事もなく握り返された手は温かく、そう言って微笑む笑顔は儚げで。
いつかこの薄桃色に攫われてしまうんじゃないかと不安を募らせる。
「桜の寿命、ですか…?」
「そ、桜の寿命。」
そんな僕の気持ちなんて知る筈も無い彼は、また視線を上に戻して繋がってない手で空を仰いだ。
「そんなこと考えた事もありませんでした…。うーん、200年くらい?」
「残念、はずれ!」
僕の答えに、ご機嫌に鼻歌を歌い始めた彼の帽子に一片の花弁が落ちる。
取ってあげようと手を伸ばすと「頭撫でんな!」と避けられてしまったけれど。
「正解は?」
「50年。」
「50年……?」
「そっ、50年。毎年ここにあるからさ、永遠にずっと無くならないもんだと思うだろ?そんなの考えた事も無いっつーか、樹齢何百年とかいう木が沢山ある中で…こんな短いとか思わないよな。」
確かにそうだ。四季を繰り返し春を迎える度に咲き乱れるこの花は、もうずっとずっと当たり前の様にここにあるものだと思っていた。
だからまた来年も再来年も一緒に歩けると。
「そう、ですね…。」
寂しさが心に墨を滲ませる感覚に、思わず視線を落として目を閉じる。
二つ深呼吸をしてゆっくりと開けば、視界の端に胸を抑える彼がいて。
「翔ちゃん!大丈夫?苦しい?痛い?」
いつかの記憶と重なって、慌てて顔を覗き込み背中を撫でる。
「んや、大丈夫…。」
「でも……。」
「本当に痛いとかじゃないし、大丈夫だから。」
僕と視線を合わせて一つ息を吐き出すと、心配すんなと
首を傾げて口角を上げるいつもの笑顔。
「ただ…。ただ、ちょっと思ったんだ。」
「ん?」
「この一瞬に命懸けて咲いてんだなって。たった一週間なのに人を魅了して幸せにする。その一瞬の為に命を削って…その限界が50年なんだよ。寧ろ50年もの長い間削り続けるんだ……そんな花が散り際まで綺麗なのは当たり前だよな。」
そうか。
どうして似ていると思ったのか分かった気がする。
「まるで、翔ちゃんみたいですね。」
それは学園時代から同室の僕だけが知ってる翔ちゃんの秘密。
それを知る僕には重なって見えたんだ。
ステージに立つ彼は誰よりも力強く、そして儚く美しかったから。
だけどそれは、彼には不満だったらしく。
眉間に皺を寄せて訝しげに見上げると語気を強める。
「何言ってんだよ、俺の限界は50年じゃねーぞ。一瞬だけじゃなくてずっとずっと輝き続けていたいし、もう命は削らねぇ。俺様は一人じゃないからな!例え歌えなくなったとしても、アイドルでいられなくなったとしても…那月、お前と一緒にいる時間は永遠に輝いてると思うんだ。だから少しでも長く俺は咲き続ける。綺麗な散り際なんかじゃねぇ、最後の最後まで足掻いてやる。」
この小さい体の何処に隠されているんだろう、といつも思うこの強さ。
置いて行かれてしまうんじゃないかと思える程なのに、いつも僕の手を引いてくれる。絶対に隣に居てくれる。
そう感じさせてくれる強さ。
「まぁ、アイドルには命懸けてっけどな!」
「ふふ、うん。」
「だから那月も。」
だから僕も強くなれる。一人じゃないから。
「勿論、翔ちゃんの隣でずーっとずーっとお星様の様に輝き続けます!」
「おうっ!!」
今日一番の笑顔を見せてくれた彼を抱き締めて唇を重ねると、風が踊り花弁が降り注いだ。
まるで僕達を薄桃色の世界に閉じ込めるように。
end.