どうか甘い支配で客観的に見て、俺はモテる側の人間だと思う。
スポーツ選手としてのファンは勿論のこと、外に出れば俺が誰であるかを知らなくても気になったからと声をかけて来る奴は少なくない。
仕事を通じて知り合った相手によるアピールをスマートにかわせるほどには大人としての落ち着きがあり、世間を騒がすような不祥事などは以ての外。
活躍に応じた稼ぎもあるし、ファッションだってそれなりに良いものを着こなしているつもりだ。
たまのオフに出るバラエティ番組では必ず好青年キャラで扱われ、放送をきっかけにコート上での俺を応援に来たと声をかけてくれる観客は沢山居る。
だから改めて断言する、間違いなく俺はモテる。
という事実を踏まえた上でもう一つ、恐ろしい事実がここに存在する。
それはどれだけ俺がモテたところで、誰かと恋人同士になった途端に一転して捨てられる側の人間になるということ。
交際期間はどちらかと言えば短く、最長でも一年あるか無いか。
しかも決まってシーズンが終わってオフを迎えると同時に別れを切り出され、孤独なオフを過ごすはめになる。
恐らくシーズンの真っ最中に別れようものなら俺のメンタルに支障をきたすだろうという気遣いなのだろうがオンだろうとオフだろうと一方的にフラれる苦しみに変わりはない。
考え直してくれと頭を下げる俺を無視してまで去るくらいならはじめから無責任に好きだなんて言わないでくれ。
大前提として、俺は何よりも孤独に弱く相手が恋人となれば甘えに甘えて更には依存する人間だ。
という欠点は必ず交際前に伝えているし、これが原因で散々捨てられてきたとも正直に打ち明けて相手に考え直す時間を与えてきた。
構うものか、過去の人間がどうであろうと自分だけはどんな貴方も受け止めますと喜んで両手を広げたのはいつだって向こうからで、俺から関係を望んだことなんて一度も無い。
それなのに、それなのに、だ。
またしても今日、俺は同棲までしていた恋人にフラれてしまった。
ちなみに交際期間は一年あるか無いかくらいの過去最長。
フラれ方はシンプルに失踪で、久しぶりに帰宅したマンションのポストに郵送物が溜まっているのを見た時点でなんとなく察しはついていた。
いや、本当は実家のトラブルだの友人との先約だのと何かと理由をつけて近場であっても試合会場へ来なくなった頃からそろそろ潮時だとは分かっていた。
大の大人が失恋如きでメンタルを壊していてはみっともない。
そう自分に言い聞かせて気付かないフリをしていたが、こうしていざ現実を目の当たりにすると一気に孤独が押し寄せてきた。
何かの間違いかも知れないと一か八かでかけた電話は当たり前のように拒否されているし、メッセージアプリはもう随分と前から未読のまま。
共通の友人は居らず、仕事は退職していたので追跡不可。
成程、上手く逃げられたものだ。
「母親になったつもりはない」
これは俺の恋人となった人間が必ず口にする言葉だ。
その度に俺はそんなつもりは無いと否定し、恋人として甘えているのだと自ら豪語してみせた。
それでも歴代恋人は全員揃いも揃ってはじめこそ自分だけが俺を甘やかせられるのだと言っていたくせに時間が経つにつれてやれ依存だ甘えただ重いだのと言い、挙句の果てにはテレビとはまるで別人だと眉間に皺を寄せていた。
テレビって何だ、せめてコートだろ。
結局連中は俺に勝手な理想と期待を抱いて、現実の俺を知るなり勝手に幻滅して離れていった。
今回の恋人もその例にもれず、今頃どこかでテレビでしか俺を知らない一般人へ現実の俺がいかにダメ人間であるかを得意げに語っていてもおかしくはない。
散々俺を甘やかし、依存までさせておいてポイとは無責任なものだ。
お陰でまた俺の甘えたと依存が悪化するとは考えないのだろうか。
決して生活力が無いわけじゃあないし、料理や洗濯も自分で出来る。
母親のように面倒をみてもらおうだなんて望んじゃいないし、ただ傍に居てずっと手を繋ぐなりハグをするなりキスをするなり恋人らしくスキンシップをしていたいだけだ。
ただただ一途に恋人だけに甘える俺の何が悪いんだ。
「三井さんさあ、学生の頃から才能はあるなあって思ってたけど…超優良物件じゃん」
記憶が正しければ四杯目のジョッキを空にした頃、声量に気を付けながらも最終的には感情任せに愚痴を吐き出した俺へ正面に座っている水戸がそう答えた。
場所は自宅からそう遠くない繁華街の居酒屋で、二人でも狭めの完全個室。
同じペースで飲み続けた水戸は顔に出ないタイプなのか、きっと首まで赤くなっているであろう俺とは違って素面に見える。
けれど俺が愚痴るより先にコイツはコイツで俺とは真逆のパターンでフラれたばかりだと散々恨みがましく愚痴を吐き出していた。
どうやら水戸は恋人をとことん甘やかすらしく、毎回それが理由でフラれてしまうのが悩みのようだ。
今日も俺が恋人の失踪を知った同じ時間帯に同じく同棲までしていた恋人から他に好きな人が出来たから家を出て欲しいと非常に残酷な別れ話をされたようだ。
「母親みたいでときめかない」
これが水戸の恋人となった人間が必ず口にする言葉らしい。
その度に水戸もそんなつもりは無いと否定し、恋人として甘やかしているのだと主張するとのこと。
甘えたがりの俺からしたら羨ましい限りだが一度冷えた愛情はどうにもならず、その上今回は他に好きな人が出来たとまで言われたのがショックでたまらず身一つで家を飛び出したようだ。
そしてヤケ酒を求めて繁華街まで足を向け、同じくヤケ酒を求めていた俺と高校以来の再会となった。
元々連絡先を知らず、二人きりとなるのは今日が初めてだ。
俺達はお互いに気付くと同時に相手の表情からただならぬ空気を察し、恐る恐る距離を縮めると挨拶よりも先に連れが居ないかを確認したあと、それ以上を語らず辺りを見渡し、個室があるだろうと当たりを付けたこの店へ素早く移動した。
入店するなり二人して店員へ二人だと指を二本立て、これまた二人して「完全個室で」と要望を口にした。
運良く空いていた個室はこれまた運良く店の最奥にあり、声を荒げなければの会話が漏れる心配は無い。
だから狭い個室に男二人で向き合って腰かけ、水戸が先に生を二つだけ頼むと俺は時間がかからず何度もオーダーを呼ばないで済むよう簡単な小鉢を幾つか頼んだ。
店員がオーダーを確認して去るとようやく二人きりになり、再会してからものの五分でここまでのミッションを達成した自分達を褒めるよう熱くハイタッチをした。
更にそこからテーブルの上がオーダーで埋まるまでの僅かな時間に久しぶりだな、久しぶりだね、元気にしてたか、見ての通りだよと形だけの会話を重ね、全てが揃って乾杯を終えると水戸の方から「聞いてくれる」と先陣を切ったのだ。
「超優良物件なんて言うけどなあ…」
「言うけど」
「流石に失踪はキツい、トラウマ確定だ。もしも次の出会いがあってもまた逃げられるんじゃないかって余計にべったりしちまう自信がある」
「ええ…何それ大好き」
俺としては笑えない状況なのに水戸は心底真面目にそう言うのだからコイツは本当に恋人を甘やかすのが好きなんだと思う。
何故こんなにも完璧な男がフラれるのか、俺にはそれが全く理解出来ない。
俺が最後に見た水戸は高校一年生の制服姿だったのに、今じゃすっかり大人の男だ。
相変わらず俺に比べると背は低いが、手首の太さなどは水戸の方がよっぽど男らしい造りをしている。
学生時代にバイト先で知り合った人間に手先が器用だと認められ、うちへ来いと誘われるがまま時計店へ就職したとのこと。
技能士の資格まで持っていて、良かったら遊びに来てよと渡された名刺に記載された住所から俺とは無縁の高級腕時計の専門店だと分かった。
本人の左腕にある時計もきっとそこで購入したもので、時計に疎い俺でも良いものであるかどうかくらいの判断は出来る。
俺にとって水戸は人生の恩人とも言える存在だ。
その水戸の口から恋人を甘やかすのが生き甲斐だと夢のような言葉が出れば俺の中にある水戸の評価は爆上がりする一方だ。
水戸にとっては愚痴でしかない元恋人との接し方や時間の過ごし方を聞いてはいいなあいいなあと羨みながらあっという間に時間が過ぎていった。
「トラウマと言えば俺もそうだね。次があるならそりゃあもうデロデロに甘やかして余所見する暇も与えないしそもそも俺に支えられなきゃ生きていけないくらい全力で世話する自信がある…と言うか絶対そうする」
「何だよお前ふざけるなよ最高かよ」
水戸の両腕がまるで犬を撫ぜるようにわしゃわしゃと動き、その腕に愛でられるどこぞの誰かが本気で羨ましくなる。
続けて俺だったら絶対に余所見をしないのにとまで考え、いやいやいやと一人で首を左右に振った。
酔っているとは言え馬鹿な考えはやめろ、相手はあの水戸だ。
今こうして自分がバスケを続けていられるのは水戸のお陰でもあるのだから今までの恋人のように負担をかけるわけにもいかない。
何より俺は重度の甘えたというだけで水戸の求める恋人像とはきっと大きくかけ離れている。
そもそも甘やかしてくれるからと自分の望む条件だけで恩人である水戸に恋人の立場を求めるのはあまりにもおこがましいだろう。
良かった、久しぶりの酒で酔いは早いがまだどうにか理性を保っていられる。
「ごめん三井さん、ちょっと詰められる」
「ああ、空調がキツいか」
「いや、ちょっと口説こうと思って」
「………は」
水戸は立ち上がり、トイレへ行くのかと思えば俺に壁際へ詰めるように言った。
素直に応じながら天井を見上げるとちょうど真上に空調があるのが見えた。
だからそれが寒くてわざわざ野郎同士横一列、それもこんな狭い席に座るのかと若干の呆れを覚えた矢先に水戸から出た言葉に硬直した。
何だ、ちょっと口説こうと思ってって。
そんなちょっとコンビニ行ってくる的な感覚で出る言葉か
しかも相手は俺って、お前そんなに自棄になるほど今回の失恋が堪えているなら俺と二人で飲んでる場合じゃないだろ。
いつもの桜木軍団はどうした。
海の向こうから桜木を呼び出すわけにはいかないにしてもまだ三人、お前の失恋を笑い飛ばしてくれるだけの友達が居るだろ。
今すぐ呼び出してついでに俺の失恋もセットで笑ってもらおうぜ。
とは言えず、俺は硬直したまま腕が密着するほどの距離に座り直した水戸を見ているしか出来ない。
目だけで次に水戸がどう動くのかを追っていると俺の反応が楽しいのか、こちらの警戒心をとくように優しく微笑むと何も言わずにテーブルの上に置いていた俺の左手に自分の右手を重ねた。
まずい、甘やかされてしまう。
「どう」
「は、いや、どう…って」
「嫌じゃない」
「……いや…じゃない…けど」
「そう、良かった」
不快感は無い、確かに無い、嫌でもない。
強いて言うなら重ねたはずの掌を離して上から形を確かめるよう指先で撫ぜるような感覚がくすぐったくてたまらない。
何だこれは、おかしいだろう。
どうした水戸、そんなに優しい目で俺を見るな。
酔っている、他の人と間違えたとでも言ってくれればまだ間に合う。
早まるな、俺のような地雷級の甘えたは流石のお前でも扱いに困るだろう。
お前にまでやっぱり無理と見捨てられたら次こそ俺は駄目かも知れない。
これまでの経験で分かる、俺が思っている以上に水戸は本気で口説きにきている。
理由は簡単、条件だけで言えば俺達二人はあまりにも相性が良過ぎるからだ。
まさに需要と供給、ここがくっつかないで他にどうしろと言う。
それは分かるが、これはどう考えたって展開が早すぎないか
お互いにいい歳だ、順序を立ててお付き合いをだなんて野暮ったいことを言うつもりは無い。
ただそれでもこれは急じゃないか
一度冷静に考えてみよう。
このまま本当に水戸と付き合うとして、俺はそれを受け入れられるだろうか。
人生で最も荒れていた頃の俺を救ってくれた内の一人、あの水戸洋平だ。
優しい顔つきからは想像できないほど喧嘩が強く、またよく出来た人間だった。
大人となった今は真面目に社会人として働き、身なりからして安定した生活が読み取れる。
年の差を感じさせないフランクな口調で話しやすく、極めつけが恋人に激甘。
………やばい、もう好きかも知れない。
「キスはどう出来そう」
「ばかおまえ、こんなとこで」
「ああ、違う違う。俺と出来るかって意味なんだけど、その反応だと大丈夫そうだね」
「…ワザとだろ」
「まさか。今出来たらそりゃあ嬉しいけど、さっき話した通りまだ相手の家に荷物があるからそういうのを片付けてからじゃないと三井さんに不誠実じゃない」
「………別に、お前がソイツとどうなろうと俺には関係無い」
「可愛い拗ね方するなあ」
可愛いってお前、俺をいくつだと思っているんだ。
そう返せたら良いのに、恋人のようなこのやり取りを喜んでしまっている自分を隠す方が必死だ。
なんて恐ろしい男なんだ、次から次へと俺を包囲しようと素早い攻撃の連打でとても勝てそうにない。
さり気ない誠実さアピールも見事に心に刺さり、いよいよ俺が断る理由が無くなってきた。
自分の単純ぶりに呆れるのはいつものこととして、あくまでも優しく優しく俺を追い詰める水戸の狩りスキルは間違いなくプロ級だ。
「三井さんの絶対譲れない条件は」
「ぜったい………バスケが一番」
「相変わらずだなあ」
散々甘えたい、依存する、そう言っておきながら俺の一番は学生の頃からずっと変わらない。
つまり自分の都合の良い時にだけ恋人を利用すると言っているのも同じなのに、水戸は益々優しく笑って他にはと続けた。
他はどうだ、他に何があるだろうか。
水戸は絶対に浮気をしないだろうし、浮気に限らずわざわざ他人が傷付くようなことをする人間じゃあないとは知っている。
不安があるとしたら普通ではない俺の依存と甘えたな性格だ。
もしも付き合うとなれば関係を長続きさせる為に自分の欲求は我慢する必要があるだろう。
「俺だけじゃなくて…水戸の絶対譲れない条件は無いのかよ」
「お、乗り気だね」
「お前が始めたんだからな」
「はいはい。じゃあ俺の絶対条件は遠慮なく俺に甘えること」
「………わかった」
認めよう、俺の完敗だ。
だけどそれも当然だ、何せ相手は甘やかしのスペシャリストなのだから。
再会からたった二時間で俺の攻略方法を完全に把握し、逃げ道すら与えられなかった。
そっちがその気ならこっちだってその気になってやる。
万が一これが水戸のやり場のない甘やかしたい欲求を持て余した一時的な戯れだったとしても水戸になら傷付けられても良いかと覚悟も決まった。
よろしく、と改めて握られた掌から伝わる熱を失うのが早速恐くなったどうしようもない自分の悪癖に従おう。
「覚悟して俺を甘やかせよな」
「三井さんこそ、覚悟して俺に甘やかされなよ」
せめてもの見栄で強がってみせたものの、絡めた指先に落とされた優しい口付けにいっそ全て奪ってくれと願ってしまった。