【再掲】どこでもいっしょ恋人が仕事で留守にしている間、一人だけの自宅はどうにも静かに感じてしまう。
時間の進みも遅く感じ、二度寝から目覚めると既に昼前だった。
まだ半分寝ている頭でスマホを手に取り、日課である恋人との連絡を確認する。
今朝の内に送られていたメッセージは夕方の四時前に帰宅するとのことで、昨晩の試合終わりにチームメイトと撮影した写真も届いていた。
後半からの出場ではあったが自身の武器でチームの勝利へ大きく貢献した恋人は学生の頃と変わりなく大きく口を開けて笑い、どの写真も楽しそうだ。
最後に送られた写真は宿泊したホテルの部屋で寝起きに自撮りしたもので、まだ眠たそうな表情につい頬が緩んだ。
一人では大きすぎるベッドから降り、カーテンを開いて窓を開けると季節はすっかり冬に変わっていた。
洗濯が終わるまでの間に食事を簡単に済ませ、片付けたあとは掃除機をかける。
普段より遅い起床となったが恋人の帰宅までには買い物へ往復するくらいの時間はあるだろう。
一人の休日はいつもこんな感じで、恋人の帰宅が無ければまだのんびり過ごしている。
愛車のメンテナンスをすることもあれば友人と出かけることもあるし、前日までの仕事で疲労した体を休めようと一日中寝ていることも珍しくはない。
だから俺としては自由に生活しているつもりだし、どうしても家に居る時間の多い俺の方が家事を負担するのは当然の流れだと思う。
恋人にはいっそプロを雇おうと言われたがプロとは言え他人は他人だ。
仕事をきっちりこなしてくれたとて自分にとっての聖域である自宅を託すにはどうしても抵抗があるのでここについては譲る気になれない。
「増えてる…っ」
聖域と言えばもう一つ、我が家には恋人の手によって作られた恐ろしいスペースがある。
それは恋人の自室に入ってすぐに視界に入る水戸洋平くん祭壇だ。
自室と言っても家に居る間のほとんどはリビングで過ごすので荷物置き場と化していたはずが、いつからかそのようなものが出来上がっていた。
個人的にあまり直視したいものではない。
だからこの部屋の掃除だけは恋人に任せて、俺が足を踏み入れることは滅多にない。
部屋の主である恋人も俺の水戸洋平くんにそんな目をするなと叱り、俺の入室をあまり快く思っていない。
しかしやはり祀られているのは自分だ、恐いもの見たさで気になってしまうのは仕方がないだろう。
コードレスの掃除機を片手にドアを開けばすぐにでもその恐ろしい祭壇と直面した。
しかも先月よりも豪華になったそれに思わず叫んでしまい、掃除機を手放して恐る恐る近付いてみた。
祭壇と言っても誰もが想像するような宗教的要素が強いものでも何でもない。
ただのガラスケースに元は俺の写真であったはずのものがまるでアイドルのグッズのように加工されびっしりと並べられているだけだ。
きっかけは恋人がプロ入りして暫くたった頃、個人のグッズにアクスタなるものが追加されたことから始まる。
俺と同じくそういったものに疎い恋人は何も知らぬまま撮影に応じ、商品化されて初めて理解したらしい。
そして全く活用方法が分からない、こんなものをグッズ化してどうするのだと言いながら早速ネットで調べたところ、最近は推しのアクスタを持ち歩いて可愛らしいスイーツや綺麗な風景と共に撮影するのだと知ったようだ。
更にデータさえあれば個人でも企業に作ってもらえると知り、試しに自分の卒業式の際に俺と二人で校門前に並んで撮影した写真から俺だけのアクスタを作ろうと決意した。
どうしてだろうか。
ただし企業もトラブルを避けたいところだろう、素人の撮影した写真の一部分だけを切り取ったデータだけでは被写体本人、つまり俺の同意があってのことかは分からないので一度は断れたらしい。
そこで諦めないのが流石は三井寿と言うべきか。
なんとあの人はそれならばと謎にやる気になり、二人並んだ本来のデータだけではなく、自分が正真正銘あの三井寿であることを証明する為にチームメイトにユニフォーム姿の写真を撮らせ、更には俺とのプライベートで撮った健全な写真のデータまで添付した挙句、如何に被写体である俺と親しい仲にあるか、俺へのサプライズで驚かせたいかとそれはそれは炎の男の名に恥じぬ熱いメッセージを送信したらしい。
本当にどうしてだろうか。
すると企業もその熱意に負け、随分と昔の粗い写真から作られたとは思えないほど綺麗な俺のアクスタを作ってくれた。
そこはせめて俺本人に同意を確認するのが企業として正解じゃあないのか。
完成品が自宅に届いて初めて見ろ、水戸洋平くん十六歳アクスタだ、と自慢げに見せつけられた俺は飲んでいる最中のコーヒーをコントのように盛大に吹き出した。
以来あの人はどこへ行くにもそのアクスタを持ち歩き、現地での自撮りでは必ずそれを手にしている。
今朝の送られた写真にも勿論写っていたし、移動中に送られてきた写真もそうだ。
言っておくが、俺は許可なんてしていない。
初めて見せられた時は捨てるよう説得し、力づくで取り上げようともした。
するとあの人はまるで妖精でも扱うように両手でアクスタを死守し、嫌だ嫌だと存分に駄々をこね、自室に逃げ込むと内側から鍵までかけて籠城した。
そうなるともうお手上げだ、揉めるよりは好きにさせてしまった方が良い。
何より俺はサラリーマンとして働いているので毎回毎回あの人の試合会場へ足を運べるわけではない。
だからこうして数日、長くて一ヶ月は会えない日がある。
それを寂しいからと言われてしまえば何も言い返せず、大切にされているのが俺だからまあ良いか、と諦めてしまったのが良くなかった。
そう、これは本当に良くなかった。
一つ許されたならば百許されたも同じと思ったのか、あの人は俺のアクスタ作りにハマり、企業も調子に乗って最近はこんなものもありますよ、と新商品の提案までするようになった。
本当の本当にどうしてだろうか。
部屋へ入る度に見知らぬ俺のグッズが増えていき、最近では自分のファンから学んでブルーのペンライトや手作りのうちわまで並ぶようになってしまった。
缶バッジやブロマイド、俺の名前の入ったリボンやアクキーやタペストリーやミニポスターなどなど、世界にはこんなにもグッズがあるのかと驚かされる。
留守にする時は決まってそれらの中から一つだけ厳選したものをケースから持ち出し、現地から嬉しそうな自撮り写真を送ってくるようになってしまってもう何年目だろう。
特に第一号となる水戸洋平くん十六歳のアクスタは大のお気に入りで、俺を前にしても可愛い可愛いと褒める始末だ。
こうして留守中に俺が無断で部屋に入って全て処分出来ないよう頑丈に施錠されているのが地味に腹立たしい。
お陰で、と言うのは躊躇うが、チームメイトの前でも持ち歩いているようなので俺があの人にとってどういう立場の存在かは紹介されるよりも前に認知されていた。
ああ、君があの水戸洋平くん十六歳の…となんとも言えない表情をされる俺の気持ちなど誰にも分からないだろう。
ちなみに何故水戸洋平くん、とフルネームで呼ぶのかと聞けばオタクは推しをフルネームで呼びがちだとネットで得た知識によるものだった。
そもそもこんなものを作るよりも俺本人が居るのだからどちらを優先すべきかは明らかだ。
この調子では何れ自室だけではスペースが足りず、リビングや寝室まで浸食しかねない。
現時点でとっくにカルトめいた状況なのにこれ以上の悪化は早急に手を打たなくてはならない。
そうと決まれば善は急げだ。
グッズなんかよりも生身の俺が一番だと分からせる為にも俺はすぐさま思い当たる友人へ連絡を取った。
ファンサとやらをねだる用のうちわには【わからせして】と少々頭の悪い文字を張り付けているくらいだ、期待に応えてこそ恋人だろう。
買い物へ行く時間が足りなくなるだとか冷蔵庫の中が空だとかはこの際どうだっていい。
簡潔なメッセージから事情を察して「返却不要」と返信をくれた友人の家へ行こう。
「おかえりミッチー」
「第一印象から決めてました」
予定通りの夕方四時、高校を卒業して以来初めて湘北の制服に袖を通した俺は恋人を甲斐甲斐しく玄関で出迎え、久しぶりに懐かしい愛称で声をかけてみた。
すると帰宅するなり俺の服装に気付いた三井さんは一瞬だけぽかんと口を開いたあと、大声で叫びながら深く頭を下げて大量のお土産が詰まった紙袋を差し出してきた。
何だそれは、お見合い番組の真似のつもりか。
と、笑ってやりたいところだが何年も昔にこの人が成人式へ向かう日、サプライズで式の前に俺の家へスーツ姿でやって来た際に俺も同じことをした。
ちなみに当時の俺が咄嗟に差し出したのは赤い一輪の薔薇でも立派な指輪でもなく口に咥えていた歯ブラシだ。
それはさておき、とうの昔に成人した俺の制服姿をここまで気に入るとは予想以上だ。
普段ならば脱いだ靴をしっかり揃えるのに散らかしたままスリッパも履かずに駆け寄り、水戸、水戸、水戸、と連呼しながら何度も可愛らしい口付けをしてくる。
どうだ、やはり実物の方が断然良いだろう。
常人ならばこんな方法を閃かないだろうし、そもそも羞恥心が邪魔して出来やしない。
これは俺がどれだけこの人に愛されているかを知っているからこそ出来たことだ。
愛情の重さをあの祭壇を通して知るのはどうなんだ、とも思うが生身の俺が一番だと分かればあれ以上グッズが増えることもないだろう。
「誰かに借りたのか流石にお前のじゃ身長も伸びたしサイズが入らねえよな」
「そうそう。ところでどう気に入った」
「そりゃあもちろん」
大満足、とまで言って笑う三井さんは本当にこの姿を気に入り、正面から抱き着いたまま離れようとしない。
荷物も全て廊下に放置し、隙あらば顔のあちこちへキスしてくる。
俺としても数日ぶりの体温を味わうために受け取ったばかりの土産を置き、キスを返しながら次の展開を考えた。
ここまで上機嫌なんだし、明後日の出発まで時間は十分にある。
無理をさせない程度に加減をすれば多少のワガママは許されるのではないだろうか。
このまま上手く風呂まで連れ込めたら大成功、二週間ぶりに恋人ならではの時間を過ごせるぞ。
「これで新しいアクスタの写真が撮れるな」
「はいやいや、俺をちゃんと見てよ。アクスタよりも断然良くない」
「お前はお前、アクスタはアクスタだ」
「いやいやいやいや……いやいやいやいや」
突然離れて撮影に適した白い壁を背にして立たせようとするものだから俺は何度も首を左右に振りながら必死に抵抗した。
違う違う、俺はグッズ用に新規絵を提供したくてこんなことをしたわけじゃあない。
あくまでも生身の俺が一番だろうと証明したくて友人から制服を調達までしたのにそれはあんまりだろう。
それなのに何故か俺が聞き分けの悪い子供のように見られ、いやいやと首を振る間も盛大な溜息をつかれてしまった。
アクスタ依存症もいよいよ末期まできたのか、こうなるとは思いもしなかった。
「撮らせてくれたら俺も制服着てやるのに…」
「え本当っていやだから違うって………本当」
「本当だ。しかも制服は部屋にあるからすぐに着替えられるぞ」
なんてことだ、まさかここへきて形勢逆転してしまった。
俺と違ってわざわざ実家から持ち込んでいたらしく、撮影さえ終われば楽しい制服プレイの始まりだ。
俺が断れないと分かっているから三井さんは逆転ゴールを決めた時のように自信に満ち溢れた表情を見せ、俺の返答を急かすよう体操着もあるとまで言い出した。
これはまずいぞ。
三井さんが俺の制服姿を好きであるように、俺も三井さんの制服姿は大好物だ。
断れば暫くは着てくれないだろうし、最悪仕返しとして制服を実家へ戻してしまう恐れもある。
いやいや、だからってすぐに条件を飲み込んでは相手の思うがままだ。
今日の目的はこれ以上グッズは作らないと約束させることが一番だ。
そこだけはきちんと伝え、今回の撮影を最後にしなければならない。
話が通じない人ではないのだし、しっかりと釘を刺せば理解してくれるだろう。
「写真を撮る前に一つだけ約束してよ」
「…何だよ、言ってみろ」
「生意気な同級生プレイでお願いしたい…っ」
「オーケー洋平、さっさと撮影しちまおうぜ」
「ったくもう、急かすなって」
あえなく作戦は失敗に終わり、俺は己の理性を呪うしかなかった。
そして今もなお新たな水戸洋平くんが加えられるあの祭壇について考えをのをやめて、撮影をねだられる度に同等の条件を求めるうまみを覚えたのだった。