【再掲】「急なお願いで申し訳ないんだけど…オレにAV貸してくんない」
これは一昨日の昼休み、突然三年のオレの教室まで現れた水戸から「ミッチーにしかできない相談がある」と半ば強引に腕を引かれ、誰も居ない空き教室に連れ込まれるなり言われた言葉だ。
オレの教室から空き教室までの距離は短く、前を大股で歩く水戸に連れて行かれるまでにかかった時間はおよそ二分あるか無いくらい。
その間、オレは何度も説明を求めたが水戸は一度も振り返ることなく、まともに目を合わせたのは空き教室へ押し込まれ、後ろ手に扉の鍵をかけた水戸が少々わざとらしくふう、と短く息を吐いてからだ。
AVってあのAVのことかアダルトビデオのAVか
それをオレに貸せだってしかも水戸に
いやいや、何を馬鹿なことを言ってるんだ。
普通そういうのはいつもつるんでいる連中に頼むものであって、わざわざオレに頼むようなことじゃないだろ。
これは罠だ。罠に違いない。と言うか罠であってくれ。
どうせこの教室のどこか…もしくは水戸が背にしている扉一枚隔てた向こうに桜木達が隠れていて、オレがどんな反応をするのか今か今かと楽しみにしているのだろう。
こいつらのことだ。オレをとことんからかってやろうと紙吹雪を用意している可能性だってある。
オレが貸すとも貸さないともどちらの返答をしようときっと水戸は
「えーミッチーってばなにマジになってんのあ、もしかして勘違いしてないAVってアニマルビデオの略なんだけど何と勘違いしたのか詳しく教えてよ」
なんてことをニヤニヤと笑いながら言っては全員でオレを囲んで頭上から紙吹雪を散らすのがオチだ。
そうはさせてなるものかとオレは動揺を隠し、胸の前で腕を組むと「AVなぁ…」と考えているフリをした。
これがもしも本当にAVならば貸せないこともないが、そのパターンは無いに等しいだろう。
オレと水戸は気軽にAVを貸し借りするような間ではないし、こうして二人きりで話すのだって初めてだ。
だからこそオレにしかできない相談があると聞いた時は恩返しができるのかも知れないとはりきったのに、人の気も知らないで本当に酷い連中だ。
「…ごめん、やっぱりこの話は忘れて。巻き込んで悪かったよ。言い訳にしかなんねぇけど…オレ、一人っ子だからあいつらみたいに兄貴から借りるとかできなくて…それにほら、まだ十五だから自分でレンタルも買うのもできねぇし…こういうことって誰にでも話せる内容じゃないだろだから後輩思いのミッチーなら助けてくれるかもって勝手に期待した。本当にごめん」
「え、あ、いや…はお前、マジでオレからAV借りる気だったのかアニマルビデオの方じゃなくて…」
暫くの沈黙の末、どうやら本気でオレからAVを借りる気でいたらしい水戸はしおらしく謝罪をし、日頃の言動からは到底予想もできないほど深々と頭を下げるその姿にオレは度肝を抜かれた。
何より驚いたのはやれ喧嘩だパチンコだ無免許だとツッパリの名に恥じぬ振る舞いをしておきながら、AVに関してはあの天下の水戸洋平も青少年保護育成条例の厳しさの前ではお手上げ状態という事実だ。
極めつけが動揺したオレの言葉の意味が伝わらず、短い眉を下げてやや上目遣いとなった水戸は小首を傾げながら恐る恐るといった様子で
「アニマルビデオ…ごめん、それって何かの専門用語だったりする…オレ、本当にそういうの疎くって…」
などと言っては大人に叱られて落ち込んだ子供のように項垂れ、再び小さな小さな声で「ごめん」と謝罪するものだからオレはあまりの衝撃でその場にひっくり返りそうになった。
とどめに己の無知を恥じてか、水戸は蹲って何も言わなくなってしまったのでオレは酷く慌てた。
「いや謝んなってアニマルビデオっつぅのはちょっとした冗談で…そんな気にすることじゃねぇしそれにAV…AVなお前がマジだってぇのはよーく分かったオレが貸してやるだから頼む顔を上げてくれ」
オレは今まで水戸の何を知ったつもりでいたのだろう。
確かに水戸は喧嘩が強く、世渡り上手で人当たりもいい。
それでもまだ高校生になったばかりの十五歳のガキで、AV一つ手に入れようにもそれすら叶わないのだ。
その水戸がオレなら助けてくれるだろうと期待して頼ってくれたのに何がアニマルビデオだ。笑わせるな。
「さっっっすがミッチー。ほんと、誰よりも頼りになる男だ。じゃあ早速で悪いけど明日にでもミッチーのとっておきのAVを一つ貸してもらおうかな。いいミッチーが持ってる中で一番のお勧めを頼むよ。下手に無難なものを持ってきたらただじゃおかねぇから。自分の趣味に合わねぇもんを幾つもカモフラージュで持ってくんのは無しな必ず一つだけ。それもとびっきり一番のやつ。ミッチーと言えばこれって名刺にできるくらいのお勧めな。あ、今更恥ずかしがってやっぱ無しってのも許さねぇから。忘れたなんて言って逃げようもんなら自宅まで借りに行くどころか自宅で一緒に観るはめになるから覚悟しな。ケースに入れ忘れてたとかそんな姑息な真似をしたら…まぁ、ここまで言えば分かるよな」
水戸を助けてやりたい。その一心で貸すと言った手前後には引けないが、念願のAVが手に入ると知った途端に水戸は大袈裟なほど喜び、立ち上がると同時にオレの両手を包んでブンブンと激しく上下に振った。
しかも捲くし立てるように話すものだから会話の半分以上が聞き取れず、とにかくオレの中で一番良いと思うものを貸せ、ということだけを理解するのがやっとだった。
「…AVってのは本当に個人の趣味が別れるもんであってだな…だからその、貸してやるけど他人の趣味を知ってもとやかく言うなっつぅか…見たら見たで感想とか要らねぇし…明日以降オレのこと避けたらブッ殺すからな」
これは昨日の朝練終わりに水戸を捕まえたオレが部室棟の人気の無い男子トイレの個室の中で言った言葉だ。
約束通りお勧めを持ってきたものの、どうしたって人に貸すには羞恥心による躊躇いのあるオレは長ったらしい前置きをして、何重にも紙袋で包んだAVを差し出した。
「両親不在で年下カレくんと二十四時間同棲気分でとろとろあまあまえっち…か。へぇ、いい趣味してんじゃん」
「っ馬鹿かお前タイトルを読み上げんな」
すると意外にも気の短い水戸はオレの前置きを無視し、両手で掴んだそれを左右に引っ張ると呆気なく紙袋を引き裂き、更にはその場でタイトルを読み上げてしまった。
続けてジャケットから裏カバーまでしっかり眺めると「そっか」「なるほど」と謎の独り言を繰り返し、「予習しておくよ」と不思議な言葉と共に鞄へAVを仕舞った。
「三井さん昨日はマジでありがとう。あんたの誠意は十分伝わったよ。すげぇ感謝してる。それでさ、オレの知らない世界を教えてくれた三井さんに御礼がしたいと思って…今日って部活休みだろだから三井さんさえ良ければ放課後にオレんちに来ないあ、花道から聞いてるかもだけどオレんちって言ってもオレ一人暮らししてるから両親のこととか気にする必要ねぇから。どう来るだろ来るよなって言うか泊まっていきなよ。歓迎するぜ。今朝の内に布団の準備もしてるから。ほら、早く親御さんに今夜はダチんとこ泊まるからって電話しな」
これは今朝、朝練終わりのオレを捕まえた水戸の言葉だ。
オレのお勧めを気に入った様子の水戸は分かり易いほど浮かれ、着替えに行こうとするオレの腕を引いて部室棟とは真逆の校舎本館まで連れて行くと事務室前に設置されている公衆電話へ勝手に十円玉を幾つも投入して早く早くと自宅へ外泊の連絡を急かした。
御礼なんて要らないし、もてなされるなんて大袈裟だ。
そうは思いつつもあの水戸がオレを「三井さん」と先輩のように呼んでくれるのが嬉しくて、オレは「しょうがねぇなぁ」と笑って水戸の誘いにのってやることにした。
「三井さん、オレととろとろあまあまえっちしよっか」
そしてこれはたった今、自宅のアパートにオレを押し入れた水戸が後ろ手に玄関の施錠をするなり言った言葉だ。
「…はなに…みとと…とろとろ…なんだって…」
どうか聞き間違いであってくれと願いながら確認したのに水戸はにっこりと微笑むだけで、何も言わない。
これが冗談ならまだしも、狭いワンルームでは玄関から直結している部屋のど真ん中に敷かれた布団が見えてしまい、その横に並べられた透明なジェル状の液体が入ったボトルや、犬を飼っていないだろうに封の空いたペットシーツまで見えて背筋がゾッとした。
水戸洋平という人物について、オレはさほど詳しくない。
詳しくはないが、冗談でここまでする人間ではないということくらいは分かるし、無言の圧が本気の証拠だ。
ここへ到着するまではとてもAVの御礼をしてもらいに訪問するような会話もなく、コンビニへ寄っては沢山菓子を買い込み、夜更かしを楽しもうと高校生らしい会話で盛り上がっていたはずなのに何が起きているんだ?
「待て水戸早まるな。お前は誤解してる。良いかAVってのはな、フィクション。フィクションなんだぞ。初めてのお前にはちぃとばかし刺激が強過ぎたかも知んねぇけどあれは全部作りもん、嘘っぱち、ファンタジーだ。だからな?現実とは違うってことをよぉく覚えとけ。なでなきゃ肝心な時に相手に嫌われちまうぞー?」
良いのかー?と続けても水戸は相変わらずのだんまりで、ニコニコと笑って玄関を塞いだまま微動だにしない。
押し退けてこの場から脱出しようにもきっと腕一つで阻止されるだろうし、下手に動けば肩に担がれて布団まで運ばれてしまうのも有り得えそうで恐い。
だから靴を脱がずに狭い玄関の中で向き合い、水戸が本気であることを気付いていないフリをするのに必死だ。
「そんなこと言ったら三井さんが可哀想じゃん」
「意味分かんねぇし…何でオレが可哀想なんだよ」
作り笑いで場を凌ごうとするオレと、だんまりの水戸。
そのまま時間だけが経ち、いつ水戸が動き出すのかと警戒しているとついに水戸が口を開き、そう言った。
「何でって…貸してくれたあのAV、三井さんの一番のお気に入りってことは三井さんの願望そのものってことだろそれをフィクションだの作りもんだの現実は違うだの言うのって三井さんを否定することと同じじゃん」
「お前AVから他人の願望を詮索するのやめろよって言うか別にそんなんじゃねぇしお前がAV見たことねぇって言うから素人に合わせてチョイスしただけだしオレの趣味じゃねぇし勝手に決めつけんな」
「ごめんごめん、恥ずかしかったよね。でも大丈夫、オレならあんたの願望を全部叶えてやれるから安心して」
「話を聞けよ!!そうじゃねぇっつってんだろ!!何でオレが望んでるみたいになってんだ!!勘違いすんな!!」
違う違う。全部違う。水戸の言っていることは間違いだ。
というのは嘘で、本当のところは全て水戸の言う通り。
だからそれを見破られたのが恥ずかしくていよいよ地団太を踏んでまで違う違うと首を振ってみせるのに水戸は相変わらず笑顔を崩さず、オレの全てを見透かしたようにうんうんと心の籠ってない相槌を打ちやがる。
取り乱してるオレが馬鹿みたいでいっそ泣きたくもなり、こんなことなら貸さなければよかったと後悔しかない。
不幸中の幸いとして、水戸はまだオレが抱かれる側の視点でAVを見ているとは気付いていないようだ。
こんなナリで恋人ととろとろあまあまえっちがしたいだなんて願望があるとバレただけでも十分致命傷なのに、実は抱かれる側を望んでいるとまでバレたら秒で死ねる。
「もしかして自分がオレを抱かなきゃなんないと思ってる大丈夫、あんたがネコ希望なのも分かってるから」
「っだあああ!!もう勘弁してくれ!!オレを殺す気か!?」
この秘密だけは何があろうと死守しなくてはならない。
というオレの覚悟も全て見破られているのか、宥めようとする水戸の意図とは逆にオレは一際でかい声で叫ぶとそのまま背中から床へ倒れ込み、大の字になってみせた。
ここまでバレている以上は違うと否定したところで何の意味も無いし、余計にみっともない姿を晒すだけだ。
こうして人様の家の玄関で大の字になって倒れこんでいる時点でみっともないもなにもないのだが、親には勿論のこと、ダチの誰にも言えない最大の秘密を暴かれてまともに立っていられるわけがなかった。
今この場でショック死していないのが不思議なくらいだ。
「ごめん、オレがあまりに急だから吃驚しちゃったよね。でも大丈夫だから安心して。お詫びにとろとろあまあまどころかでろっでろのめろっめろにしてあげる」
「お前それ全部本気で言ってんのか?相手はオレだぞ?一旦冷静になれって。AV借りた礼がしてぇのは良いけどよ、だからって相手を抱こうだなんて正気じゃねぇよ」
ごめんと言いつつもオレに跨り、好き勝手に顔中へちゅっ、ちゅっ、と場違いなほど可愛らしい音を立てて唇を押し付ける水戸が本当に反省しているかは不明だ。
まさかこれもプレイの一つで、水戸はオレのこの有様を間近で見ていながら照れ隠しだと思っているのか。
そうだとしたら非常にまずい。即刻やめさせるべきだ。
そのつもりだったのに、水戸はうっとりと微笑むと
「まだ緊張してるようだからとりあえず一緒にお風呂に入ろうか。あわあわえっち、三井さん好みで良いでしょ。うんと甘やかしてイジワルもサービスしてあげるよ」
などと言うので、オレは返事の代わりに靴を履いたままヤケクソのだいしゅきホールドで降参を示してやった。