サンプル ① 鼻歌混じりにコツコツと足音を立てながら捜査室へ向かう。両腕にかかった幾つもの紙袋が重なったことでゴソゴソと音がなり、ソロ演奏をしている気分だ。♥♥対策で限られた人だけが入れるように無駄に入り組んだ道を抜けてドアの前にたどり着くと、フッとひと息ついて心を落ち着かせる。ドアの向こうは戦場だ。しっかり気を引き締めなければ。
ドアノブを捻ると彼はいつものようにおもちゃ遊びに耽っていた。今日は模型作りをしている。
「♥♥、お呼びで?」
私の声に反応して♥♥は顔をこちらに向ける。室内で普段過ごしている色白の肌がモニターの電子的な光に照らされて病的な程白く見える。
「出かける前に言われたおもちゃは買ってきましたけど...。まだ買い残しがあったかしら」
「いえ。頼んでいたものは先程伝えたものだけです。そこに纏めて置いてください」
そこ、と場所を指さされ言われた通りに紙袋を置く。言われていたものは全てあったから買ってきたと伝えると心做しか嬉しそうな顔をした。常に無表情だけれど、長年付き添うと普段お休みしている表情も何となく分かるものだ。
「あとこれ、頼まれてた調査終わらせてきましたよ」
紙袋の中に入れていた書類の束を♥♥と他の捜査官に渡す。いつもは遊び相手がいなくなるからか他の捜査官に押し付ける外の仕事も今回は失敗に終わり、心底不機嫌そうだったのを♥♥が欲しがっていたおもちゃを買うことで宥めたのだ。パラパラと書類を捲り、ざっくり内容を読み終わると推理の手がかりがあったのか♥♥は黙って考え込んでしまった。これは暫くかかりそうだなと外の調査への小休憩がてら紅茶を淹れて椅子に座る。ついでにまだ残っている事務作業も今のうちに終わらせてしまおう。
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ある程度作業が終わりぐいっと背伸びをする。作業に集中し過ぎてすっかり紅茶が冷めてしまった。冷えた紅茶を一気に飲み干し、一息つく。ふと、♥♥のほうはどうだろうと後ろを見ると再び模型作りをしていた。ハサミで切り取った紙の余白が散らばっている。仕事も終わったので散らばったゴミを片付けようと席を立とうとすると、♥♥指揮官に電話をかけるよう声をかけられた。分かったと、ひとつ返事をして指揮官へと繋ぐ準備をする。カタカタとキーボードを叩き、簡易的にメッセージを送り合うと電話を繋ぐ。
♥♥指揮官が画面に映るのを確認すると、会話の邪魔にならないようモニターの前から移動し、ついでにニアの周りの床掃除へ動いた。
「___私も日本へ行きます」
「♥♥指揮官、一度ニューヨークに戻って来て貰えますか?」
その言葉に部屋にいる全員がピクリと反応する。♥♥逮捕へのピースがついに揃ったのだろうか。そんな私達の心境などお構い無しにニアは話を進めていく。部屋にいるみんなが♥♥逮捕への期待を抱く中で私は一抹の不安を隠せずにいた。♥♥指揮官もいる、♥♥が♥♥に負けるはずがない。そう頭では分かりつつも、♥♥を♥♥がいるであろう日本へ向かわせるのは正直怖い。♥♥の話だと人の名前が分かる死神の目を持っている人間が必ず♥♥陣営にいることになる。あの話に嘘はなかった。そんな中で♥♥を日本に向かわせて大丈夫なのだろうか。どうしたらいいのか悩んでいると、髪の毛をクルクルと指に巻きながら「♥♥」と♥♥から声がかかる。募る思いを落ち着かせ、「何?」と向き直った。
「これ以上被害者を増やさないためにも迅速且つ慎重に事を進めたい。♥♥指揮官と私だけだと♥♥逮捕に時間を要しそうですので、私と一緒に同行してもらいます。今から私の分と合わせて荷造りを」
いつにも増して鋭い眼光を向けられ、一瞬気後れする。これは本当に♥♥逮捕が近いかもしれない。
「・・・えぇ、分かったわ。私の方で必要な日用品は用意しますけど、日本へ持っていくおもちゃは自分で選んで下さいね」
そう伝えると、「えぇ」と返事を返した後、♥♥は再び模型作りに没頭し始めた。そんな彼を確認しつつ♥♥指揮官へ向き直る。
「すみません、私の方も飛行機の乗り方はあまり分からなくて・・・。ご迷惑をおかけしますが、お迎えよろしくお願いします」
「もちろんだ」と画面越しから声がかかり、胸を撫で下ろす。一緒に行くのなら、もし♥♥に危険が及んだ場合も私の命でどうにかなるかもしれない。たとえ私がどうなろうと必ず♥♥を捕まえる。その思いを改めて心に決めた。
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日本へ滞在してから暫く経つ。ニューヨークでの生活とはさほど変わらず、三人で捜査室に籠って♥♥捜査を続ける毎日だ。人数が少ない分、一人に対する仕事への負担が大きくなるため私が外を行き来する回数も増えた。(その分♥♥の機嫌が悪くなることも増えたけれど)
「♥♥、このオーナメントを上に飾ってください」
「この辺かしら?」
今は休憩がてら♥♥と一緒にクリスマスツリーの飾り付けをしている最中だ。♥♥手作りの人形や、市販のオーナメントを飾り付けている。捜査室にいる時間が減った分、一緒にいる時は♥♥の遊びに付き合う回数を増やした。私としても捜査の息抜きに丁度良くて大人げもなく楽しんでいる。
「えぇ、そこで大丈夫です。♥♥も好きなオーナメントを飾って下さい」
「分かりました。私はセンスがあまりないから違うと思ったら遠慮なく言ってくださいね」
そう伝え、私は雪を模した綿をツリーに付けていく。ふわふわと手に残る触り心地がなんとも心地よい。ある程度オーナメントをつけ終わり、達成感が満たされる。
「どうかしら?」
「悪くないです。あとは、一番上に星を置いてください」
ずいっと星を押し付ける形で渡される。あまりの勢いに苦笑いをしつつ言われた通りに星を置いた。完成したツリーを一望し、満足した様子の♥♥を見て、私自身も嬉しくなる。しかし、そろそろ捜査に戻らなければ。
「さて、そろそろ調査の方に戻るわね。外に出てる間に必要なものがあったら都度連絡を下さい」
「分かりました。終わり次第随時報告の方お願いします」
そう伝えられ、フルフルと手を振られる。手を振り返し、ツリーの横を通ると、♥♥の人形の横に私によく似た人形が寄り添うように飾られていた。
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相変わらず捜査は難航を示す。犯人の目星はついているのにあと一歩、確実な証拠が得られず犯人逮捕に届かない。そんな日々が続き、空が明るくなるまで作業に没頭し寝不足に陥る日も増えてきた。
「♥♥を張りましょう」
そんな中、♥♥が♥♥を魅上だと推測して数時間。ついに行動へ移すことが決定した。
「♥♥、私にやらせてちょうだい」
今日本にいるのは三人のみ。順当なら比較的顔が割れていない私が最適なはず。そう思い彼に直談判してみるも話は平行線を辿る。
「いえ、♥♥をニューヨークから呼んでいます。張り込みは♥♥に」
「ならっ・・・!♥♥が来る間だけでもやらせてください!」
せっかく♥♥逮捕への糸口なのだ。♥♥が来るまで数日とは言え一瞬たりとも逃す訳にはいかない。なのに・・・
「今回ばかりはダメです。相手は検事で♡♡を持っています。♥♥が危険です」
その一点張り。
「それは♥♥も同じじゃない!この現状で唯一♥♥に繋がる手がかりでしょ。毎日制裁と言う名の殺戮は続いてる!それなのに♥♥が来るまでそれを見逃せと言うの!?」
「元々♥♥には、直ぐに日本に到着できるように手配をしてあります。それに昨日から日本に来るよう連絡をしていたのであと数時間で到着しますよ」
相変わらずの完璧な準備と隙のなさでぐぅの音も出ない。それでも納得がいかなくて、ついムキになってしまう。
「私は♥♥逮捕になら死んでもいい!!」
シン・・・と部屋が静まる。まずいことを言ってしまった雰囲気だが、みんな同じ気持ちのはずだ。
重苦しい空気の中、鋭い視線をこちらに向け♥♥はゆっくりと口を開いた。
「気持ちは分かりますが、今回張り込む相手は♡♡を持つ男性の検事であることを念頭に置いてください。万が一、張り込みがバレた時にあなた一人だと対応しきれないのが現実です。今あなたの命を懸けたからと言って♥♥を必ず捕まえられる訳じゃない」
私の剣幕とは対照的に静かに諭す。♥♥は一通り話し終えるとフッと息を吐き、
「とりあえず、♥♥は休眠を取るようにしてください。ここ数日まともに寝ていないでしょう。しっかり休むことも♥♥逮捕へ大切なことです」
と一蹴された。まだ納得いかないが、このまま話していても埒が明かない。時間を置いた方がいいと考え、ムッとした表情をしつつ「そうします!!」と伝え捜査室を出る。私は本気で命を懸けられるのに・・・!
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「♥♥に頼んでもよかったのでは?」
♥♥が仮眠室へ移動してから数時間が経過し、作業を続けていたせいで沈黙が続いていた状況をレスター指揮官が破る。
「確かに♥♥一人だと危険だと思うが・・・。♥♥と二人で張る方法もあったでしょう」
「まるで私に、その方法を敢えて♥♥に伝えなかったと言わんばかりの物言いですね」
「実際そうでは?別にとやかく言うつもりもないですけど・・・」
そう付け加えつつも、他の捜査員であれば男女関係なく許可を出したであろう内容だからか、どこか腑に落ちない声色をしている。そこそこ長い付き合いだ。納得いかなくとも、私と♥♥の関係には何となく考えているものがあるのだろう。
「・・・完全に私情です」
♥♥の情報が詰まったDVDを積む手は止めずに話を続ける。
「確かに♥♥の気持ちは分かります。私としても、皆さんからしても♥♥と同じ心持ちで♥♥逮捕に向けて挑んでいるのですから」
カチッと数十枚積み上げてビルを一棟建て終えてから後ろを振り向く。
「しかし、♥♥は自分の命を軽視し過ぎている。私は♥♥の命を散らすためにこの捜査を買って出たわけではありません。ちゃんと生きて、♥♥が捕まる瞬間を私の横で一緒に見届けて欲しい____。ただ、それだけです」
そう話すと♥♥指揮官はフッと笑い出した。何がおかしいのか。ジトッとして指揮官を見ると咳払いをして「すまない」と返してきた。
「余程♥♥のことが大切なんだなと思ってな」
普段と比べ心做しか優しげな表情で言われ、首を捻る。♥♥を大切に思っているのはいつものことであるのに何を今更言っているのだろう。そう思っていると「とにかくだ」と続ける。
「それなら、今のを全て言えとは言わないが、♥♥が仮眠から戻ってきたらそのことを伝えることだな。♥♥も熱が篭もってたとは言え、さっきの♥♥の言い方は傷つく」
特に女性の心は繊細だからと念を押され、そうですかと取り敢えず返事を返す。正直私にはあまり分からない上に、現状何を伝えればいいのか皆目見当がつかない。
「伝えるのは一向に構いません。しかし、♥♥が全て聞いている場合私は何を伝えるべきでしょうか?」
♥♥指揮官が驚いた表情をしてドアがある方向へ目線を向ける。すると、ガチャとドアが開き、決まりが悪そうな表情をした話の中心人物_________♥♥が顔を覗かせていた。
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一先ず二人で話し合えとの事で♥♥指揮官は先程日本へ到着したと連絡が入った♥♥の迎えにいそいそと出ていった。なんとも言えない空気が部屋に漂い、気分を晴らそうと紅茶を淹れることにする。お互い落ち着いて話をするために今日はカモミールティー。私の好みでやや苦味のあるローマンカモミールの紅茶を淹れたため、彼の為に戸棚から角砂糖の入った小瓶を合わせて取り出す。淹れたての紅茶にお互い口を付けた後、私から口を開いた。
「まず立ち聞きしてごめんなさい」
先に彼に謝る。あまり聞いて欲しくない話を盗み聞き当然で聞いてしまったのだ。申し開きは無い。
「いえ、それに関しては全く気にしていません。最初からドアの前に居たことを分かってて言いましたので」
そう言って、彼は椅子に片膝を立ててクルクルと髪の毛を指に絡め出す。本当に気にしていない様子だ。というより、最初からと言ったが、彼は一体何時から私がいることに気づいていたのだろうか。そう頭の片隅で思いつつも、本題から逸れるので今回は割愛することにする。
「取り敢えず一通り聞きました。出来ることなら♥♥と一緒に張り込みたいけれど・・・して欲しくないのよね?」
「はい。引き続き外部調査は♥♥に任せることには変わりありませんが、今回の張り込みには参加させません。♥♥の張り込み内容を捜査室で記録してください」
「・・・分かった」
「・・・! それではその方向でお願いします」
先程の話を聞いて引かないわけに行かない。私が素直に引き下がったことに驚いたのか一瞬目を見開いたようだが、すぐ通常運転の表情に戻る。自然と部屋の雰囲気も柔らかくなっていくのを感じた。
「今回の件は私が引くから、その代わりに♥♥も私に約束してください」
「・・・内容にもよりますが、私に出来ることなら」
そう返してくれたのを聞いてから、紅茶をまた一口飲み干し、真っ直ぐ彼の方を向く。
「貴方の推理で♥♥が逮捕されるまで、私が生きて必ずそばで支えるから・・・だからそれまで♥♥も生きてちょうだい」
「・・・えぇ。必ず」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、彼は小指を立てて出して欲しいと頼み始めた。言われた通り小指を立てると彼の小指と絡まる。
「アメリカではピンキースウェアと言って子供たちが約束事をする際に小指と小指を繋ぎ合わせるそうです。確か日本にも同じ意味合いで指切りと呼ぶものがあるらしいのですが、せっかくですしやりましょう」
嬉々として話すその姿はさながら子供たち同士でやるおままごとのようだが、彼の瞳の中で揺れる炎はそんな幼子らしい可愛げのあるものじゃない。
「誓いましょう。♥♥を捕まえるその瞬間まで私達はお互いのために死ぬことを許されません。必ず私達の手で捕まえます」
「えぇ。神に誓うわ」
そう言って笑い、彼の小指を絡め返す。♥♥を捕まえる。その瞬間が来るまで続く、私達の誓い。
誓いが果たされるまで残り_____。