サンプル②「料理も来たことだしそろそろ乾杯しますか!」
誰かが声を挙げたのを皮切りにみんな一斉にジョッキを持ち出す。俺も釣られてジョッキを持ち、誰かが言うだろう乾杯の音頭を完全に人任せにして待つことにした。
「それじゃ、久々の再会を祝して乾杯〜!」
「「「乾杯!!」」」
周りから一斉に声が上がり、みんなが待ちきれんばかりにジョッキのお酒を飲み干し始める。そんな様子を他人事のように眺めつつ、ちびりと頼んだレモンハイを口に含んだ。「相変わらず飲まねぇな」と揶揄されるのを適当に受け流しながら向かいの席に視線を移す。向かいの席には、♥♥さんが飲み始めたばかりだと言うのに楽しそうに、屈託のない笑顔を周りに振りまいて唐揚げを摘んでいた。
どんちゃん騒ぎをしているうちに、時間はどんどん過ぎていく。円もたけなわかと思われる時間になるとみんなある程度出来上がっていた。酔っ払い達のだる絡みにうんざりしていると二次会の話が始まり、さらに肩を落とす。これ以上めんどくさいことになる前にお暇させて欲しい。
「俺はパス。そろそろ帰るわ」
そう告げ、食べた分の代金を支払おうと鞄に手をかける。すると、
「ついでに♥♥も送ってあげてよ」
と声がかかった。
「は?」
「帰り同じ方向でしょ?♥♥潰れちゃったし、帰るならそのまま送ってって」
「なんで俺に頼むんだよ。普通同性が送るもんじゃね?」
「♥♥だから言ってあげてんじゃん。それとも何?こんな絶好のチャンスを逃しちゃうわけ?」
「お前な....」
ニヤニヤとした表情と楽しげな声色にからかい目的だと分かり苛立ちが募る。声のトーンを落とし、ジトっと睨むと「おー怖」なんて微塵も思ってないだろう返事を返す酔っ払い共。本当にこいつらは...。
「それにしても、ほんっと♥♥も♥♥だよねー。こんなに分かりやすいのに気づかないなんてニブチンにも程がある」
えいっと♥♥さんの隣に座ってたやつが♥♥さんの鼻を指でつつく。「うーん」と唸り声を挙げつつも全く起きる気配がない。久々に会うメンバーも居たから酒が進んだんだろう。そこまで耐性がある訳じゃないのに飲んでしまい、デロデロに溶けている。
「とにかく俺は送っていかないからな」
「えーケチ。むっつり。意気地無し」
「うるせーよ。余計なお世話だわ」
攻防戦は続く一方。全然帰して貰えない。もっと早めに出るべきだったと後悔していると、あるメンバーから声がかかった。
「それじゃあ、ジャンケンして負けたら♥♥が送ってくってことでいいんじゃね?」
おー名案なんて声があがり、俺も折衷案だと賛成する。これなら勝てさえすれば、一人で帰ることが保証されるのだ。話を聞かない酔っ払い共相手だったら現状それが手っ取り早い。
「二次会早く行きたいしとっとと決めよーぜ。いざ尋常に勝負!」
「おー」
「「さいしょーはグー、じゃーんけーん...」」
「はぁ...」
ため息を吐いて部屋の鍵を開ける。
結局のところ勝ったのは向こうだった。しょうがなく♥♥さんを抱えて店を出ると、帰り際に「いい報告期待してる」なんて満面の笑みで言われて思わず頭を抱えた。♥♥さんの部屋の鍵なんて持っているはずがなく、休ませる場所なんて俺の部屋一択となり、ここまで計算済みかと項垂れる。何とか一晩耐えろと自分を奮い立たせ部屋をズンズン進む。この状況をどこか喜んでいる自分もいて気分は最悪。女の子、ましては好きな子を無下にすることも出来ず寝室へ向かう。そこそこいい値段がした俺のベットに♥♥さんを寝かせ、水を取りにキッチンに向かう。
自分も酔いを覚まそうとキンキンに冷えた水を取り出し一気に喉に流し込んだ。
俺はこのまま水を届けに行ってそのままソファーで寝る。どうせ♥♥さんの事だ。明日になったら「わざわざありがと〜」なんてこっちの心中なんて気づきもせずに起きてくるに決まってんだ。そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。
「よし、行くぞ」
そう声に出しペットボトルを持って勢い良く寝室へ向かう。ドアノブを捻りガチャっと音を立てると、♥♥さんがうーんとモゾモゾ動き始めた。一刻も早く逃げたい気持ちを抑え、そろりそろりと部屋の奥へ進む。遂に到着したベット脇の机にペットボトルを置き一目散に部屋を出ようとする。しかし、
「♥♥....?」
と声がかかり動けなくなる。このまま部屋を出ればいいものを思わず返事を返してしまった。
「.....何?♥♥さん」
「ふふ。♥♥の匂いがする」
そう言ってこちらを向く♥♥さん。酔って顔が赤く、目が潤んでいる上にくふくふと可愛らしく笑う姿はもう目に毒で。
「...それで?」
「囲まれてるみたいでさ。すごく安心する」
「なるほどな」
何もなるほどじゃない。こちらが冷や汗をダラダラとかいているというのに♥♥さんの暴走は止まらない。固まっている俺の手を引っ張り、自分の顔へ持って行く。
「♥♥の手ひんやりしてるね。きもち〜」
脳裏にピシャリという音と共に「据え膳」の言葉がよぎる。俺は十分耐えた。ご褒美くらい強請っても構いはしねぇよな。無言で♥♥さんがいるベットに上がる。そんな俺を見て不思議そうな顔をする如月さんに思わず笑みがこぼれた。♥♥さんの顔の近くに手を付き、顔を至近距離まで近づける。
「♥♥さんさ、それ煽ってんの分かってるわけ?」
「ん〜?何が?」
「やっぱり♥♥さんは俺の気持ち気づいてくれねぇよな。だから俺にそんなことできるんだよな」
自嘲気味に話すと先程俺の手を掴んでいた手が俺の頬に回る。
「どうかしたの?悩んでることあるなら聞く。だって」
「だって?」
「だって♥♥は私の大事な友達だから」
真剣な眼差しでこちらも見上げられ拍子抜けする。あぁ、本当にこの人は。
「...そっか。んじゃ悩み話すわ。今の悩みはどっかの誰かさんが酔っ払って暴走してること。ほら、水持ってきてやったからちゃんと飲んで早く寝なよ」
「もしかして私のこと...?」
「そういうこと」
「わかった。そうさせてもらう」
ちゃんと返事を聞いてから、顔を上げて手を退ける。水を飲んだのを確認してからベットから降りてドアの方へ進む。
「それじゃ、ちゃんと寝ろよ」
「うん、おやすみ」
律儀にこちらを見て挨拶する♥♥さんに笑いかけてドアを閉める。そのままリビングのソファーに向かいズルズルと横たわる。
「はぁ...。ほんとにどうしてくれんの」
頭を抱えて本日何度目か分からないため息を吐きだす。こんなに意識してくれないのも流石に傷つく。そういう所も好きだけどさ。そのうち眠くなるだろと半ば投げやりになりながら目を閉じた。
「ねぇ、♥♥。もしかして私のためベット譲ってくれたの?」
「ずっと寝てたからしょうがなく」
「起こしてくれたっていいのに。わざわざありがと〜!」
想像通りの受け答えに思わず苦笑する。結局寝付けたのは空が明るくなり始めた頃だった。
「というか、なんで私、♥♥の家にいるわけ?起きたら知らない所にいてびっくりした」
「....まぁ、成り行き」
昨日の酔っていた記憶は全くないらしく、ほっとしたんだかムカつくんだかで今日も朝から心は忙しい。ピカピカと光る机の上に置いていたスマホの液晶を覗くと昨日の飲み会メンバーから結局進展があったのかを聞くメッセージだった。そんなもの一つに決まってる。
『これでどうにかなったら苦労してねぇ』