no titleシャワールームの扉を開けた瞬間湿り気と共に解放されたようにそれはふわっと香った。
「……………」
それを感じながらQは室内を無意識に見回す。
程なくして香りの出どころを見付けた。
カウンターに置かれた備え付けのボトル達の横に見慣れないソープディッシュに乗せられた青みが強い水色の石鹸。
しかし、昨日シャワールームに入った時はこんな物はなかったはずだがとQは首を傾げた。
石鹸を見れば新品だ。
誰かを彷彿とさせるような色合いの石鹸は存在感を強く感じる。
『ちょっといい買い物があったんだ。
いい香りがしてさ』
数日前、少し嬉しそうな馴染み深い声がQの脳裏を過る。
きっとこれを指しているのだろうとすぐにわかった。
しかし何故それがここに?
当然の疑問が浮かび、じっと石鹸を見つめながら考える。
ここは自分の部屋のシャワールームで間違えようもない。意図的にここに置かれたものであることは間違いないようだが。
トレーニングでの疲労に加えて答えのわからない謎かけに考えても仕方ないとQは早々に諦めた。
シャワーハンドルを捻ると冷たい水が勢いよく流れ出し熱がこもった身体をまず冷やす。
徐々に温水に変わり頭からひとしきり浴びた。
不快な汗も受けた風塵も流して排水口が全て飲み込んでいく。
その様をQはぼーっと眺めながら自分が随分疲れているのだと気付いた。
そのまま暫くシャワーの流れる音とタイルに水が弾ける音を聞いていたが、
鬱陶しそうに水を含んで垂れた白い髪を掻き上げて顔を洗う。
それから一度シャワーを止めてひと息ついた。
深呼吸をする。
毎日自分がしっかり呼吸をしていることを意識しなければ、止まってしまうのではないかと思うような息苦しさをQはいつも感じていた。
徐々に強まる苦しさを感じて毎日がむしゃらに身体を動かさなければいけない気がしていた。
まるで休むことを許されないようなそんな影が付きまとう。
狭い空間でこうやって落ち着かせる。無理矢理にでも。
吐いては吸うを繰り返す行為を数度している内にふと気が付いた。
石鹸の香りだ。
カウンターに置いてあるそれをつい手に取る。
先程浴びたシャワーが当たり新品だったものは少しだけ表面がふやけてぬめりを帯びていた。
それを見てしまったとQは思った。
意図的にここに置かれたもののようだがとりあえず返すつもりでいたので、どうしたものかと眉を困らせた。
手に馴染む重たさで水色の石鹸はそこにある。
温まった室内でよりそれは強く香った。
アクアティックな、ゆらゆらと揺れる青の香りと合わせて温かい落ち着いた緑のシダーウッド。
香りが滞留してまるでそこに訪れた人間を包み込むような優しさと癒やしを感じる。
そのまま少しの間、自然に胸を上下させるとQは緊張と疲労した身体が解れるのを感じた。
「……………………」
あぁ、そうか…。
Qはこの石鹸の意図を理解した。
選び主は誰よりも自分を理解している。昔からこんな風にいつもそっと寄り添うのだこの香りのように。
まるで重たくて息苦しい空気よりも強く香る存在がいつもここにあると言いたげに。
Qは石鹸を優しく撫でると、また元の場所に戻して静かに目を閉じた。