なぜ、リオセスリはメロピデ要塞の管理者なのかという視点から読み解く彼の本当の罪とヌヴィレットとの関係わからないことがあります。
なぜリオセスリは”メロピデ要塞の管理者”なんでしょうか
リオセスリがなりたくて管理者になったのか、正直わかりません。
でも自分が管理者になれるような立ち回りをあえて行っているようには見えます。
そのために、特別許可券を集め、わざと没収させ、囚人を扇動し前管理者との決闘(未遂)の末に、刑期が終わるその日、管理者の任を賜っている。
じゃあ、なぜ。
メロピデ要塞の管理者を志した際の描写や記載がどこにもないのか。
なぜ、神の目を授かったのが、メロピデ要塞に入ったときなのか。
リオセスリがメロピデ要塞の管理者をしていることの『意味』はなんなのか。
私はこう考えています。
リオセスリが犯した罪は殺人だけではなく、もっと大きなモノだったのではないか。
その罪の責任を負うためにメロピデ要塞の管理者をしているのではないか。
1.リオセスリが犯した本当の罪とは?
リオセスリは殺人を犯しています。
戦闘天賦アイスファング・ラッシュ の説明から抜粋
『過去の懲罰には、もう決着がついている。未来の選択肢はまだこの手中に…』『己の運命を一時の罪に吞まれたくなければ、今この瞬間を大事にしろ。』
つまり、殺人に関しての罪は償い終わっており、なんなら一時の罪によって己の運命をゆがめられたことを他者に教訓として語っているんです。
では、その罪を償い終わったのにメロピデ要塞に残っているのはなぜなのでしょうか。
彼は殺人について伝説任務の中で「怒りに任せて」「ほかに良い方法があると知っていながら」「過激な手段」をとったと語ります。
怒りに任せて、とありますが。
彼の殺人は衝動的ではありません。計画的に殺してますよね。
キャラクターストーリー5より抜粋
『遡れば里親の家から逃げ出した時が始まりだ。当時の彼の年齢と体格では、大人に対抗し続けることは不可能だった。街を彷徨い歩くしかなく、アルバイトや見習いとして働き、解錠と小型装置製作の技術を手探りで身につけた。そしてできる限りの準備を整え、あの劣悪な場所を破壊しに戻った。』
ここまで頭が回る人間がなぜ殺人なんていう不条理である意味遠回りなことをしたのでしょう。普通に警察隊に通報すればいいのに。
ここから考察です。
フォンテーヌには死刑がありませんでした。
彼は幼いながら、この国の警察、司法を全く信用してなかったのではないでしょうか。
どんな刑罰になるかわからない。メロピデ要塞に送られたとしても戻ってくるかもしれない。養父母が罪を悔い改めることはない。
それならば確実に自分の手で殺してやりたい。と
で、あるなら。
リオセスリの本当の罪とは
”裁定者(フォンテーヌにおける法の番人)を差し置いて、己の判断で他者の罪を裁いた”
「法による裁き」を信じず、自らの手で正義を実行したことなのではないでしょうか。
この罪は下手をすると殺人より重い罪でしょう。
なぜなら、この行為は極めて重大な越権行為であり、仮に悪を倒す正義であったとしても彼のやった私刑はフォンテーヌの秩序を破壊する行為です。
とりわけ、フォンテーヌは正義の国であり法治国家です。
「法による統治」が国家の正統性を支えている社会において、この行為は法の否定=国家の否定につながる可能性があります。
最も恐ろしいのはこの行為が”幼い子供によって行われた”という事でしょう。
すなわち、”法に絶望した子どもが自分で正義を執行した”のです。
それはフォンテーヌにおける秩序の破壊であると同時に、”未来を担う世代の法への信仰の喪失”につながっていく可能性があるのです。
自らの信じる正義のために他者を殺すことは正義なのだと。
そんなことが、この正義の国でまかり通ってしまったら…
リオセスリがメロピデ要塞の管理者をしている理由は
自らの越権行為によって秩序を破壊しかけ、悪人(養父母)の更生の余地を摘み取った者がメロピデ要塞の管理者となり、囚人の管理と更生を担う事で秩序を守るため
ではないかと考えます。
2.リオセスリの天賦本が秩序であるのはなぜか
私はリオセスリという人物の根本を正義なのだと捉えています。
悪を憎み、善を貴ぶ。
その姿勢は命の星座によく表れています。
悪を淘汰するためなら、いくらでも時間をかけて、策を練り、自らの手を汚すことも辞しません。
それは、ある意味、英雄の在り方にも似ています。
もし生まれた国が違っていたら彼は革命者となっていたのかもしれません。
しかし、リオセスリの天賦本は正義ではありません。
秩序なのです。
秩序の天賦本の説明にはこうあります。
以下抜粋
『水の国の盾は秩序である。フォンテーヌのすべての法律は、最終的には安定した秩序を守るためにある。秩序の保障がなければ、正義は終わりなき暴力となり、すべての人がすべての人に反対するための武器になってしまう。』
リオセスリがやったことはまさしく”正義による終わりなき暴力”なのです。
神の目を入手したのは養父母を殺した時でも、管理者になった時でもありません。
彼が生まれ変わった日です。
すなわち、「罪を犯したもの」から「本当の罪と向き合い秩序を築く者」として再誕するという、その決意に、神の目が反応した……とかだったらいいなあ!!!
3.リオセスリという人物の精神性
リオセスリは罪を償いました。
ですが、彼は正義を成すために殺人を犯したことを悔いているとはあまり思えないのです。それどころか、彼は必要であれば再度殺人を犯す可能性が高いのです。
キャラクターストーリー2から抜粋
『幸運にも前管理者は決闘直前に逃げ出したため、リオセスリは人殺しを重ねずに済んだ。』
ウィンガレット号についてから抜粋
『彼はどのような状況下でも、人々が恐慌によって支配されることを望まない。恐慌に陥った個人の感情を取り除けば、後には危機意識と呼ばれるものが残る。危機に対応するために、たとえ無駄骨になろうと彼は何かをしなければならない。』
つまり、正義のためなら文字通り、なんでも、できてしまう。やれてしまう。
彼には正義による暴力性が常に内包されています。
ただ、この精神性には訳があります。
それはリオセスリが”自分の命に価値を見出していないから”でしょう。
自己肯定感はない。
自己効力感もない。
したいこと…自己実現も、ない。
この辺はボイスの端々から伝わってきます。
趣味はなく、チームに加入させれば勝利の保証はしないとか言い、違法行為は止めるようにくらいしか特に言いたいこともない。戦闘不能になっても異議なしと言い、胎海に飛び込んで自分がフォンテーヌ人か確認してみようと言ってみたり、自分自身をただの生き延びた命だと呼称する。
それに、どこか、言葉の一つ一つが他人事で地に足をついているとはいいがたい。
この精神性は虐待を受けた子どものものにそっくりです。
もう少し言うと適切なアタッチメント関係が結べておらず、安全基地が存在しない子ども。
いや、きっと正しくはかつて”あった”。
でもその見せかけの基盤は自らの手で壊し、土台が無くなった家だけが残されている…そういう状態でしょうか。
引き留める者もなく、自分がどうなっても構わないから破滅を簡単に選んでしまえる。
正義のための究極の自己犠牲を選択してしまえる。
彼の恐ろしいところは、そこに情がないことでしょう。
ヴォ―トランも、カーレスも自己犠牲を行います。
カーレスは娘を守るために死を選びました。
リオセスリがやった行為に近いのはヴォ―トランです。
ヴォ―トランはカロレが殺され、これ以上の混乱を生ませないためにあえて罪を犯し犯罪者となりました。
しかし、彼らとリオセスリの自己犠牲は根本的に違っている。
カーレスは愛のために、ヴォ―トランはカロレ達メリュジーヌやヌヴィレット、そしてフォンテーヌの未来のためにそれを選んだ。
リオセスリは誰かのためではなく自らの正義のためなのです。だからこそ、時間をかけることができる。
やっぱりリオセスリの精神性はまさしく英雄に近いのです。
でも、フォンテーヌに英雄はいらない。
もうすでにフォンテーヌを滅びから救うためのゲストが存在するのですから。
4.メロピデ要塞の管理者という任が与えられた本当の意味とは何か
リオセスリが犯した重大な越権行為…
それは裁定者を差し置いて自ら悪人を裁いてしまったことでした。
では、
その裁定者とはいったい誰なのでしょうか。
ご存じの通り、水神そして最高審判官ヌヴィレットです。
ヌヴィレットはリオセスリの本当の罪をわかっていたのでしょうか。
私は無論わかっていたと思います。というかそれなら辻褄が合うんです。
実は私はヌヴィレットが全部の裁判に出ないといけないのだと思い込んでいました。
でも、そうじゃなくどの裁判に出るのか選ぶことができるのだとハモワルで知りました。
なぜ、リオセスリの裁判に出廷したのでしょうか?
リオセスリの本当の罪に気づいたからこそ、故に、この子どもが破壊者であり簒奪者であるかどうかを見極める必要があったのではないかと思います。
じゃあ、メロピデ要塞の管理者という役割を与えたのは誰でしょうか。
ヌヴィレットです。
私は彼の認識を改めなければならないかもしれませんね。
ぽやぽや水龍なのではなく、まごうことなく執政者であり恐るべき最高審判官であると。
言わぬが花の意味合いも変わってきます。これは褒美に見せかけた、罰であり、リオセスリの正義に基づく暴力性を抑えるための”首輪”なのですから。
でも、本当にヌヴィレットは恐るべき最高審判官なのでしょうか。
裁判に出て、この子どもを見極めようとしたヌヴィレットは思い違いをしていたことに気づいたでしょう。
秩序の破壊者でも、簒奪者でも、英雄でもない。
ただ絶望の果てに殺人を犯した憐れな子どもだった。
それどころか、この子どもはフォンテーヌが見逃してしまった福祉政策の穴そのものだった。
もしかするとヌヴィレットが何も言えなかったのは、本当に罪があるのは、重大な悪を見逃した国家そのものだとわかってしまったからではないでしょうか。
メリュジーヌからの施しも、一種の罪滅ぼしで、神の目を授かったリオセスリをみて嬉しそうにしたのも、絶望の果てに罪を犯すしかなかった子どもが今度は秩序のために力をふるおうとしてくれていることが分かったからなのではないでしょうか。
ヌヴィレットがリオセスリを特別に気に掛ける理由がこれならある程度説明がつくのです。
ただ、私はもう少し、ヌヴィレットがリオセスリを気にかけている、いや、最高審判官としての公平性を崩してまで近づこうとする理由がまだあるのではないかと考えています。
5.ヌヴィレットがリオセスリに見出しているものはなにか
【以下は過去考察「なぜヌヴィレットは原海リヴァイアサン座と名乗ったのか?」というパワポから内容を引用】
ヌヴィレットは龍です。
そして龍という種族は絶滅寸前です。
なぜ龍が滅びるのか?
そこを考えた時に龍は究極の個であるが故に滅びると仮定しました。龍には親切や自己犠牲がないから滅びるんです。
そういえばオシカ・ナタでもこのような話が出てきてましたね。
弱肉強食である自然界において最強の生物であったなら、生き残れるのか。
答えはNOです。
それどころか、群れを作る生物の方が圧倒的に繁栄している。私たち人間もそうですね。
でも、おかしいですよね。弱肉強食だったら絶対最強であった方がいいのに。
そもそもなぜこの世界では、なぜ親切や自己犠牲が淘汰されないのか?
これはダーウィンの進化論において自然淘汰説もしくは自然選択説に対する反論として投げかけられました。
そしてその答えはリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という書籍の中で語られています。
それは親切である方が”種”として生き延びることができる。優しさにあふれている方が全体として生き残れる確率が上がる。という事でした。
例えば、隣の人間がいつ発砲してくるかわからないので生き残るために引っ越してくる人間をかたっぱしに撃ち抜かないといけない世界と、自分も大変だけど余裕がある時に隣の人間に食べ物を分けたり貰ったりする世界、どちらの方が生き残れそうですか?
私は後者ですね。
龍はどうか?
龍は究極の個であり、利他的行動なんてしなくていいのです。親切なんて必要ありません。弱肉強食であるがゆえに自己犠牲なんていりません。
だからこそ滅びます。遺伝子のデザインが生き残るデザインをしていないから。
ヌヴィレットは龍です。人の形をした龍です。
ヌヴィレットは人間が自分が生き残りたいという本能に逆らって、自己犠牲を選択することを理解できません。しかしながら、人間を理解したいと考えているのです。自分が人型で生まれた理由を探すために?
そうですが、私はその根本に、自らの種を存続するファクターである自己犠牲というものに無意識に手を伸ばしている可能性があるのではないかと考えました。
【以上過去考察からの引用終了】
ヌヴィレットにとってリオセスリはフォンテーヌの秩序の破壊という破滅を内包した人物でありながら同時に、究極の自己犠牲を行うことができるという龍の進化のための重要なカギを握る福音でもあります。
対してリオセスリにとってヌヴィレットは自由を奪い、正義を執行することを封じるために”首輪”を与えた人物であると同時にリオセスリに役割を与えることで彼を秩序のなかにつなぎとめたという救いを与えた人物なのです。
だから彼らのデザインはお互いを反転させているのではないかと考えます。
〇考察まとめ
◾️1. リオセスリの「本当の罪」とは?
法を越えて暴力を行使した「越権行為」こそが、彼の真の罪。
それは秩序の破壊にほかならず、殺人という結果以上に重い意味を持つ。
◾️2. なぜリオセスリは「秩序」本なのか
天賦本が「正義」ではなく「秩序」なのは、暴力をもって正義を為した彼が、今度は秩序を守る者として生きなければならないから。
「神の目」が反応したのは、秩序を選びなおした=再誕の瞬間。
◾️3. リオセスリの精神構造
幼少期の過酷な出来事に起因する「自身の価値の喪失」があるため、自らの正義のために破滅的な自己犠牲を平然と選んでしまう。
彼の正義は、秩序ある国家では「脅威」となる。
◾️4. ヌヴィレットがメロピデ要塞の管理者という任をリオセスリに与えた意味
ヌヴィレットはリオセスリに「秩序の象徴=メロピデ要塞の管理者」という役割を与える。
それは首輪であり、同時に救いでもある。
→ 暴力を抑える代わりに、役割を与えた。
◾️5. 龍という種の限界とリオセスリを気にかける理由
龍(ヌヴィレット)は「個」で完結する生物であり、自己犠牲も親切も必要ない。
よって、龍は「遺伝子的に滅びる運命にある種」。
ヌヴィレットは人間の持つ利他的行動が龍種を存続させるために必要なファクターであることを本能的に感じ取っており、現在その因子たりえるのがリオセスリである。
◾️6. 共依存の構図
リオセスリにとってヌヴィレットは「自由を奪い、居場所を与えた救いの象徴」。
ヌヴィレットにとってリオセスリは「龍の滅びを回避するための福音でありフォンテーヌの破滅を呼び寄せる者でもある」。
ふたりは互いの「救い」と「破滅」を内包しあう、表裏一体の存在。
〇おまけの疑問
フォンテーヌの福祉制度、なんであんなガバガバなんですか?
確かに、穴のない福祉制度なんてない。でもあんまりにもガバガバすぎて孤児の引き取りを他国の諜報機関(暖炉の家)がやっちゃうとかやばすぎじゃないって思うのですよ。
だってフォンテーヌのモチーフにはイギリスも含まれているんです。
イギリスと言えば、福祉国家ですよ。ベヴァリッジ報告のゆりかごから墓場までは超有名ですね。
社会保障制度を始めて導入したのはドイツですが、その始まりはイギリスの貧救活動に源流があると言われています。歴史的に慈善組織協会(COS)やセツルメント運動だってイギリスで生まれました。
なのに、飢えて死にそうな子どもにメリュジーヌを通してご飯を渡すことしかできない……?
1か所だけ。
衣食住の生活保障がきっちりされていて、無償で医療も提供されてて福祉制度の面から見た時にかなり進んでいる場所があるんですよね。
それが、メロピデ要塞です。
正しくはリオセスリがそういう場所にした。
国家に見逃されてしまった子どもがそれを作り上げて、なんなら犯罪者の方が最低限度の生活を送ることができる。
とんだ皮肉ですよねえ…
そういう皮肉はイギリスっぽいっちゃぽいですけどね。