きみのたまものと供に『元水神フリーナ様、高身長美形男性とお忍びデート!?』
新聞の見出しには大きくそのような文字が輝いている。
そこにはフリーナ様と超絶美人の男性がにこやかに笑いながらカフェで談笑している写真が写っている。彼は長い髪をみつあみにしており白のフリルのついたブラウスに青色のジャケットを羽織っていた。
『孤高のスターであったフリーナ様。しかしながら彼女にも春が訪れたようだ。その相手とはこの男性。彼女たちはカフェに寄った後、アクセサリーショップにて指輪を見ていたようだ。男性はすでに指輪をしているため、フリーナ様へ送るための指輪を選んでいたのだろう。その後、鍛冶屋に寄り…』
「…公爵様よろしいでしょうか」
若い看守は、申し訳なさそうに声をかけた。
「ああ、すまないな。すぐに気づけなかった」
険しい表情で新聞を読んでいたリオセスリは顔を上げる。
いつもであれば、その気配にすぐ気づいて穏やかに対応してくれるのだが目の前の新聞に夢中になって気もそぞろな姿など初めて見たかもしれない。
しかもその内容が今話題の、それもフリーナ様の内容だなんて。
若い看守は胸の奥に小さな動揺を覚えるが頭を振って冷静さを取り戻そうとした。
「いいえ、大丈夫です、それよりも報告が――」
バン!
扉を開く音と、階段を駆け上がる音が聞こえてくる。
「公爵!!違うのよ!!!これは不倫なんかじゃないわ!!!フリーナ様とはそういう関係じゃないのよ!!!」
いきなり現れた看護師長は息を切らしながらそう叫んだ。
その手にはくしゃくしゃになった新聞が握られている。
看護師長からの衝撃的な発言に看守は思わず「ええ!??」と声をあげてしまう。
不倫?
フリーナ様??
とんでもない言葉が聞こえた気がする。
「…看護師長」
「いい?公爵。ヌヴィレットさんは――」
バン!と
再度扉の開く音が聞こえる。
「リオセスリ殿、違う。これは浮気などではない!!フリーナ殿とはたまたま相談に乗ってもらっていただけで」
看守は突然現れたシスター姿の男性に改めて驚くことになる。
どこかで、いや、つい今朝新聞でその姿を見た。件の美形の男性だ!
なぜメロピデ要塞に??それよりも公爵とはどのような関係なんだ!??
「…お前たち。一度出て行ってくれ。職務中だ」
低い、静かな声が響く。その端々から怒りが滲んでいるようだった。
場の空気が一瞬で凍り付く。
「だが―」
「出て行ってくれ」
二人がなにか言いかける前にぴしゃりとそう言った公爵はどんな弁明も聞き入れない姿勢だった。
看護師長とシスター姿の男はしゅんとしながら退室していった。
「あの、公爵様」
「すまないな。報告の続きを聞かせてくれ」
いつも通りの声色で彼はメロピデ要塞の管理者としての表情を向けていた。
報告をしながら看守の心中は穏やかではなかった。
あの男性とフリーナ様のことが頭を巡る。
(つまり…公爵様とフリーナ様は秘密裏に結婚されていて、あの男性と取り合いになっているということなのか??)
「報告ご苦労。ああ、それと。このことは口外しないように」
「…はっ、もちろんです!」
これはとんでもないスキャンダルだ。
公爵様のためにもフリーナ様のためにも、絶対に世間にばれないようにしなければ。
若き看守はこのことを墓場まで持っていくと誓ったのだ。
・・・
「リオセスリ殿、今帰った」
いつもであれば「おかえり」と柔らかな微笑みで迎えてくれるはずのリオセスリが、今日は見当たらない。
(やはり、まだ怒っているのだろうか)
今朝のリオセスリの鋭く冷たい声を思い出し、余計に落ち込んでしまう。
「…リオセスリ殿?」
おずおずと私室の扉を開けると、そこにはテーブルに突っ伏した伴侶の無防備な姿があった。
周囲には酒の瓶がいくつも転がっており、かなりの量を飲んだと思われる。
頬はほんのり赤く染まり、普段きりっとしている眉は垂れ下がり、ぐずぐずに溶けたアイスブルーの瞳は少し潤んでいた。
ヌヴィレットは呆気にとられながらも、心配そうに問いかけた。
「君は、これを全部飲んだのか…?いったいなぜ」
リオセスリはその言葉にぼんやりと顔をあげた。じっとヌヴィレットを見つめながら子どもが拗ねたような口調でつぶやいた。
「俺に、いうこと、あるんじゃないか」
「だから、あれは誤解であって…」
そう言いかけたヌヴィレットを遮り、リオセスリは頬杖をついたまま唇を尖らせ不満そうに言った。
「私服、俺にみせてほしかった」
「……ん?」
まさかの言葉にヌヴィレットは思わず目を見開いた。
「私服デート、俺も、したかった」
「服のこと…?」
どうやら、この可愛い伴侶は世間が騒ぐような『フリーナとの逢引き』のことなどではなく、もっと些細なことで腹を立てているらしい。拍子抜けしたのと同時に、胸の奥にじわじわとあたたかな感情が広がる。
リオセスリはなおもむすっとしたまま、熱っぽい口調で愚痴をこぼした。
「フリーナさまが、最初なんて、ひどいぞ、しかも新聞に撮られて、多くのフォンテーヌ人が、俺よりもさきに、私服のあんたをみたんだ」
テーブルの上を指でトントンとたたきながら不満を述べる仕草は、”紳士で冷静なメロピデ要塞の管理者である公爵”とは大きくかけ離れていた。
「リオセスリ殿、その、そんなに私の私服がみたかったのか?」
「見たいに決まってるだろ!」
突然立ち上がったリオセスリは、ふらつきながらヌヴィレットにぎゅっと抱きつく。予想外の行動に軽く目を見開くヌヴィレットに、彼は更に強く抱きつき胸元に頭を擦りつけた。
「いつもの服も好きだが、いろいろな服を着たあんたもみたい」
「それは…申し訳なかった」
「いいよ、そのかわり今度は、俺が贈った服着てほしい」
まるで自分の所有権を主張するような仕草と甘え方に、ヌヴィレットは胸の奥がぎゅっと熱く締め付けられる。
どんなに大きくなったとしても、関係が変わったとしても、リオセスリが素直に甘えてくれるという事はヌヴィレットにとって一番うれしいことなのだ。
「わかった。君の望むままに」
「ん」
やわらかな吐息を漏らすその姿はあまりにも無防備で可愛らしく、そんな伴侶をただ受け入れる静かな喜びを噛み締める。
「そのなぜ、フリーナ殿と話をしていたのかというと…」
「いわなくていい」
本題に入ろうと姿勢を正したヌヴィレットは再度リオセスリに向き合おうとしたが、静かに遮ったその言葉は拒絶ではなく、柔らかな信頼が滲んでいた。
「あんたが俺に、なにかしてくれようとしているのは知ってる。こそこそして看護師長とも話をしてるのも、知ってる」
ちゅ、と耳元に口づけを落としながらリオセスリは朗らかに笑った。
「だから、信じて待ってる。サプライズ、たのしみにしてるよ」
自らの企みがすべてばれてしまっていることの気恥ずかしさとまっすぐな愛情を受けて耳までほんのりと赤く染まったヌヴィレットは「そ、のことなのだが…」と言葉を詰まらせながら小さな箱を取り出した。
「早く誤解を解いたほうがいいと思い…急いで仕上げてきた」
小箱の中には、ひときわ美しく輝く蒼のピアスが鎮座していた。
見る角度によって、陽光に照らされた湖面にも、深海のような色合いにも見える、不思議な輝きをたたえていた。
「指輪がいいかと思ったのだが、君は拳を使うことが多いからな。なのでこれを」
「すごいな…こんなの、見たことないぞ…」
リオセスリはその美しさに息を飲みながらじっとピアスを見つめている。あまりの衝撃に酔いなど完全に醒めてしまっていた。
「鍛冶屋で作成させてもらった」
「ヌヴィレットさんが、作ったのか?」
「ああ、贈り物であるがゆえにそのほうが良いかと思ってな。フリーナ殿には重すぎると言われたのだが…」
「いや、本当にうれしい。ありがとうヌヴィレットさん」
「もう一つ理由としてはその、青い部分は私の鱗を使っていて…」
「う…ろこ」
その言葉に、一瞬だけモンドでの記憶が脳裏を掠めた。
けれど、おずおずと語るヌヴィレットを見て、リオセスリは何も言わなかった。
今は、ただこの贈り物に込められた真意を、受け取りたかった。
「この身で愛を誓ったので、この身の一部を宝飾品にしようかと…なので他の職人に依頼をするのははばかられたのだ」
「痛くはなかったのか?」
「ああ、予言の日、完全な龍になった際にエピクレシス歌劇場に落ちていたらしくてな。フリーナ殿が拾ってくれていたのだ。それを使用したため痛くはない」
「そうか、それはよかった」
「つけてもよいだろうか?」
「もちろん」
するりと白い指が耳元に触れる。その瞬間くすぐったいのかリオセスリはそっと目を閉じた。
「これは…似合ってる」
耳に鎮座する不思議な光彩は、リオセスリの黒髪にも、アイスブルーの瞳にもよく映えている。
「そうか…あんたの色が耳にあるってのは…来るもんがあるな」
「私の伴侶だという証だ」
その言葉にリオセスリはふっと目を伏せて微笑んだ。そしてこの世でただ一つの誓いの証が耳元で静かに煌く。
あの日モンドで、リオセスリから指輪をもらった時に誓ったように。
例え、生きる時間が違うとしても、一つの未来に向かって歩んでいけるのだと、私は確かに思えるのだ。
歩む先で、君が先に逝くとしても、きみのたまものと供に。
・・・
・・・
スチームバード新聞にてインタビューに答えたフリーナ様はこう語った。
――つまりご結婚をされる予定はないと?
もちろん!そんな予定ないよ。今は自由を謳歌したい気分なんだ。それにスターは誰のものにもならないからスターなのさ!
――ではあの男性は?
ああ、彼は僕の古い友人なんだ。たまたま彼から伴侶に送るためのプレゼントはどのようなものがいいかって相談を受けていただけなんだよ…彼には嫉妬深くて執念深い伴侶がいるからさ。僕は馬に蹴られる趣味はないからね。…あ、えっと、伴侶のところ、これオフレコにしてくれない?後が怖いからさ…【※後日ご本人より許可が出たためそのまま掲載しています】
ただの一般人だからね。だから彼を見かけてもそっとしておいてもらえると嬉しいな。
ーーー
仮原稿を見た女性記者は、元水神フリーナ様への独占インタビューが素晴らしい出来であることに満足するとともに、この記事への小さな、ほんの小さな違和感を覚えた。
この一般人男性の『伴侶』という人物は、いったいどうやって仮原稿を入手し、“掲載の許可”を出したのだろうか。
原稿を管理は徹底されている。
編集長に提出する前の原稿を記者ではない他人に見せるなどあり得ないことだったし、社内にもそのような痕跡は一切なかった。
それならば、いったいなぜ、どうやって?
果たしてその正体は………
ぞわぞわと悪寒が走る、なにか気づいてはいけないことに気づいてしまったかもしれない。
彼女は小さく息を吐き、首を振った。
記者としての勘はいつも自分自身を真実へ導いてくれるが、それが”よいこと”かどうかは別の話だ。
やめよう。
きっと考えすぎだ。
編集長がOKを出したのだから、この小さな違和感は杞憂なのだろう。
たまたま担当した記者の知り合いだったとか、フリーナ様経由で連絡がついただとか理由なんていくらでも考え付く。
小さな違和感を見なかったことにした女性記者は原稿を茶封筒に入れ、鍵のついた金庫に戻した。