汀遊び ついさっき見た一尺玉の花火みたいな顔をして彼が笑う。
「うわ、なんか足元もぞもぞする!」
叫びながら、暗い海の際に立って騒がしくはしゃぐ。歩道から砂浜に降りる階段にライト機能をオンにしたスマートフォンを立てかけて即席の投光器代わりにして、その横に座って波と遊ぶ彼を眺める。ライトの光は海面までは届かずに、砂浜に混じった石英や貝や丸まったガラスをほんのわずかずつきらめかせていた。漏れた光が、彼が脱ぎ捨てていったスニーカーと靴下を照らしている。
ほとんど真下から見上げるようだった花火は今も目の奥でチカチカと瞬いては鼓膜に響き、三半規管を心地よく揺らしている。最後の花火が打ち上がった後、一斉に駅へと向かう人混みを避け、ふらりと道を逸れてこの砂浜へ来たのはきっと正解だった。花火大会の会場となった島の裏手へ、裏手へ。そうやって、民家の明かりさえない夜の奥へ辿り着いた。
「どこが海だかぜんぜんわかんねー」
裸足になった彼の素肌に不規則に触れる波を想像する。ばしゃっ、ぱしゃん。波のリズムと彼の歩幅によって、思わぬタイミングで大きな水音が立ち、あるいは濡れた砂を踏む湿った足音が小さく届く。
その音と一緒になって、波にさらわれる砂を素足で踏む感触を思い起こす。記憶にあるのは日のきらめく真昼の海ばかりで、太陽の熱さのない夜のなかで不意に足元を掬われるのはどんな心地がするのだろう。
いつだって人の輪のなかにいるような彼が本当は一人遊びだって得意なことは知っている。
スマートフォンを置いたスタート地点から幾分か遠くまで歩いていた彼がこちらを振り向く。
「――なんか、灯台みてぇ」
その手が光へ向けて伸ばされていた。掴もうとするように。あるいは、掴めないことを確かめるように。
彼の視界を想像する。
今夜月は昇らず、ここに街灯はなく、天の星光りは花火の残影にかき消されて行方不明だ。確かな灯りはスマートフォンのライトひとつだけ。
そう、確かに灯台のように見えるのかもしれない。船なんてきっと導けない、夜通し光る力もない弱い灯台。それでも、もしかしたら彼ひとりくらいは――。
幻を見るように願ったところで、ふっとライトが消えた。
「わーーーー!」
途端に、彼の絶叫が響く。
「なんで 電池切れた」
慌てふためく声はうるさいほど力強い。なのに、その位置は動かない。突然の暗闇に身動きが取れなくなったみたいだ。
不意に凶暴な気分に襲われて、バカみたいだ、と思ってしまう。
闇のなかでも、彼の細く柔らかい金色の髪は人の目で見つけられない星明かりだってちゃんと拾ってキラキラと輝いているのに。闇に怯える張本人こそが光そのもののような姿をしているのに、自分ではそれに気づかないでいるのが、バカバカしいとしか言いようがなかった。
光が見えないならいっそ、灯台を見失ったならいっそ、
(闇に溶けてしまえばいいのに)
「はー……」と、彼の深いため息が聞こえた。肺を空っぽにするような長い長いため息の後に、「帰るかぁ」と、諦めと共に彼が呟く。
諦めて、どこへ?
街へ?
家へ?
日常へ?
いつ壊してしまうかも知れない日常へ、わざわざ帰ろうとするのは、なぜ?
闇に目のなれた彼の歩んでくる足音がする。明るい金色の陰で表情が見えない。
どうせいつか壊れる世界なら、どうせ溶けてしまう命なら、
(今一緒に、海へ還ればいいのに)
ふたりでなら怖くないのに。それも幸せのかたちのひとつだと、彼だって知っているはずだと思うのに。
どうしても、その言葉は声にできない。
立ち上がって、彼を迎える準備をする。夜の汀から光りある世界へ、ふたりで帰る。