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    hota_kashima

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    hota_kashima

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    きや←れん。原作前オリジナル設定多め。続く。

    砂塵「砂塵」


    1944年11月
    「今から話すことは極秘だ。」
    あまり聞きたくない前置きの言葉に固唾を飲む。
    「神之池で訓練が行われている新型兵器の操縦士を優秀な操縦士の中から探している。」
    普段は遠目からしか見ることのない基地の司令官である大佐から呼び出されたのは突然のことだった。
    11月になり空気は冷たく乾いているもかかわらず、大佐の軍帽の下に見える顳顬にはポツリポツリと汗が浮かびあがっている。
    眉間には皺が深く寄りながらも眉尻が下がっていて、俺を憐れむような顔でこちらに向けられた視線とかち合った。
    「ただし新型兵器は決死攻撃が前提であるため考える時間も必要だろう、2日後まで返事を待つ。だが周りには相談をするな。」
    俺で呼び出されたのは4人目、皆呼び出されては青い顔をして戻ってきたかと思えば口を閉ざしていたのはこういうことだっか。
    「自分は2日いただくまでもありません。そのお話、ここでお受けいたします。」
    大佐の憐れむような表情から目をさらに伏せ「行ってくれるか、前田上飛曹。」と震えた声で俺の名を呼んだ。

    ===
    鹿島海軍航空隊に居れば神之池で何が行われているかは理解できていた。
    太平洋上の哨戒任務のために霞ヶ浦を離水すると霞ヶ浦と北浦を突っ切り鹿島灘に向かい垂直に飛行して行く。鹿島灘の目前に丸い形の神之池がありその北側にあるのが神之池航空基地だ。
    例の機体を目撃した隊の者たちは口を揃えて「親子飛行機」と呼んでいたそれは、まるで小判鮫のようだった。
    一式陸攻の腹に羽の生えた小さな魚雷がぶら下がっているのだ。
    一度、銚子上空で小判鮫の子だけ、羽の生えた魚雷のような機体が級降下していく様を見たことがある。橙色の機体で車輪は付いておらず、底にはソリのような板が付いているように見える。
    どうやって着陸をするのだろう?と横目に追ってみたが、凄まじい速度と小さな機体で着陸まで見ることはできなかった。
    きっとあれに乗れということだろう。

    10月に南洋の特別攻撃にて米空母に体当たり攻撃をし撃沈させた話は基地の中では目下の話題だ。
    俺たちもいずれは征くことになるんだろうかと話していた矢先の声かけである、もう順番が来たのかと予想よりも早すぎたことに驚きながらも特に断る理由がなかった。

    ===
    鹿島海軍航空隊は霞ヶ浦の南、安中村という水田が広がる村の湖畔にある。
    元は飛行練習生や学徒出陣で召集された飛行学生による水上機訓練基地だったが戦況が悪化していくにつれて南方から撤退してきた水上機乗り達が集められ、本土防衛における太平洋上の哨戒任務がこちらの基地で行われるようになって間もない。
    俺も他と違わず、南方から撤退しこの基地に配属となり哨戒任務を勤め3ヶ月が過ぎようとしていた頃だった。

    任務を終え湖面に着水させた二式水戦のフロートから滑走台に降りると同時に飛行学生を乗せた九十五式が射出機から飛び出す音に不意を突かれ空を見上げた。
    辿々しい飛行をなんとなしに目で追っていると後ろから腿を蹴り付けられる。
    「ボーっとしてんじゃねえ!報告行け!」
    振り返ると共に哨戒に出た篠田少尉が眼光鋭く睨みつけている。
    先日、大佐からの呼び出しに篠田も呼び出されていたが、その日以降周りに当たり散らす態度が以前よりも増していた。
    「すみません。今行きます。」
    一歩踏み出すと蹴られた腿がズキリと痛む。
    「ハハッ!『すみません。』だとよ!いつも女みたいな気色の悪い話し方をするな!お前は!」
    大佐から言い渡された2日の期限は今日までだった。今日の篠田は特に気が立っており、洋上の哨戒中も香取からの哨戒機に絡みに行き一触即発な場面もあり、仲間と場を納めたばかりであった。
    「貴様のような女々しい男が帝国海軍にいる事自体が間違いなんだ。この国ももう地に落ちたな!」
    俺を気に入らないものがここで“も“多い。こうやって憂さを晴らす事によく俺は利用されてきた。
    「飛行学生も貴様のような軟弱な男ばかりだ!そんな奴らを飛ばしたってアメリカに勝てるわけが無いだろう!」
    革靴の爪先で蹴られた腿がズキリと痛み、苛立ちが込み上げてくるとつい言葉が溢れてしまう。
    「つまり篠田少尉はこの戦争、日本が負けるとお考えということですか?」
    今までは面倒事から逃げ、馬鹿にされても無視を貫いていたが、もうここは去ることになる。最後に言い返してみたくなった。
    たちまち目を吊り上げ顳顬に青筋を浮かべた篠田が拳を振り上げ
    「貴様ぁ!!」
    拳が左頬に直撃すると奥歯がガリッと砕けた音が頭に響いた。
    「日本男子らしからぬ貴様の軟弱な態度が国を滅ぼすと言っているんだ!!」
    ドクドクと溢れる血に押し流された欠けた奥歯が舌先まで流れてくる。それを波の押し寄せる湖面に吐き捨てた。
    深呼吸をし、篠田の瞳をまっすぐに見つめ口を開く。
    「先日の呼び出し、篠田少尉も呼ばれていましたね。自分は神之池へ行きます。」
    篠田の顔を見やると驚愕した顔で口を開いたまま硬直をしていた。
    「日本男児らしさ、軍人らしさというものは今まで振る舞うことはできませんでしたが、自分の命を少しでも国の為に使えればと考えています。これも軟弱な振る舞いでしょうか?」
    握りしめた拳を緩め右手を下ろした篠田はブルブルと震える視線で俺の足元まで見下ろすと踵を返し足早に去っていった。
    割れた奥歯の破片がザリザリと舌の上を血と共に流れてくるのをまた吐き出すと胸がスッと晴れている事に気がついた。
    「初めてやな、言い返したの。」

    ------

    鹿島基地を出発する日は外出日と重なり外出する人で賑わっていた。
    門扉を抜け、バスに乗ろうとした最中、横に止まった車から「おい」と声をかけられる。
    「篠田少尉…」
    そこにはバツの悪そうな顔をした篠田と他少尉が2人乗っていた。
    「貴様、土浦から汽車だろう?俺たちは桜町に行くから乗せて行ってやるよ。」
    「いえ、バスがありますので…」
    居心地の悪い道程を過ごしたくないので断りを入れたものの、手にしたトランクを奪われ車に積まれてしまう。
    「乗れ」
    こう言われてしまうと「はい」としか言いようがなくなってしまった。

    霞ヶ浦に沿った道をガタガタと車が進んでいく。初めは誰も言葉を発さず風の音だけが聞こえていた車内も予科練が見えてくる頃には今から行く店の話で盛り上がりだしていた。
    面識はあるが初めて口を聞いた内藤少尉に「馴染みのカフェーに良い女が入ったんだ。前田上飛曹、冥土の土産に連れて行ってやろう。」という誘いを汽車の時間を理由に丁寧に断る。
    再度車内が沈黙に包まれたが、間を置き
    「俺らはさ、命惜しくて断ったわけではないんだ。貴様も新型の機体を空で見たことあるかとは思うが、あんな小さな棺桶で死にたくはない。じきに俺らも皆征くことになるだろう。それならせめて今まで乗ってきたもので征きたいんだ。」
    そう言うとそれっきり内藤は口を閉ざす。そこでこの車に乗る皆が大佐に呼び出された者だと気がついた。
    結局、大佐に呼び出された5人のうち引き受けたのは俺1人だけだった。


    駅前で車から降り敬礼をすると基地から黙ったままでいた篠田が車から降り寄ってくる。
    「あの時は殴って悪かった。」
    視線を逸らし煙草をふかしながら言葉を口にした篠田を無言で見つめる。
    「でも俺は貴様のような気色の悪い軟弱者が嫌いだ。」
    そう言い捨てるとそそくさと車に乗り込む。
    「肝に銘じておきます。」
    痛いほど分かっている事を改めて口に出されると傷つくものだなと走り去る車を見つめた。



    土浦の駅から常磐線に乗り込み、石岡で鹿島参宮鉄道に乗り換え鉾田まで基地を出てから計数時間。どこまでも平坦な水田と霞ヶ浦を延々と進んでいった。
    生まれ故郷である山だらけの景色の岐阜とは全く違う景色だ・・・故郷の山を思い出すと鬱屈とした気持ちになる。
    3つ離れた姉の影響か、はたまた華族の血筋という母の気質か、女の子と遊ぶ大人しい幼少期を過ごし、物心着く頃にはなよなよとした子だと言われていた。
    尋常小学校に入学すると女々しい奴だといじめられるようになり、高等小学校までそれは続いた。
    女々しいことは自分でもわかっていた。柔道や剣道を始め男らしい佇まいになろうと自分なりに努力はしたが三つ子の魂百までと言うだけあり、意識しても細かな所作までは治らず、無意識の行動を揶揄われてしまえば、どうしようもない。
    今までの俺を知らない人だけの場所に行きたい一心で予科練をに入り地元を離れたのだった。

    物思いに耽っているといつのまにか目的地である終点の鉾田に汽車は到着していた。水上機に乗れば神之池まで10分もかからないのになと心の中でぼやきながら強張った尻に力を入れて立ち上がった。

    鉾田駅までは海軍の迎えが来てくれるという話だったが、軍人は陸軍の軍服を着た者しか歩いていない。
    そういえば鉾田は陸軍基地の町だったなと独りごち、辺りを見渡すと黒い詰襟の海軍軍服を着た男がこちらへ向かってくるのが見えた。
    「あの」
    大きな張りのある声が上から響く。
    「自分は厚木より参りました、鍵谷征士郎上飛曹であります。721航空隊の迎えの方でありますか?」
    俺よりも頭半分ほど上背のある男は浅黒い肌に吊り上がった眉と男らしい風貌をしているが垂れた目がどこか愛嬌のある雰囲気を醸し出しており、やや緊張した面持ちで敬礼をしながらこちらを見ていた。
    俺も踵を揃え俺も敬礼し応える。
    「自分も721航空隊に本日配属になる前田錬太上飛曹です。鹿島海軍航空隊より参りました。あなたも迎えを待っておられるのですか?」
    「なーんだ!お前もか。同じ階級同士なんだし敬語は止めようぜ。海軍の軍服を着た奴がお前しかいなかったんで迎えかと思ったよ。」
    身を明かした瞬間に破顔し緊張して迫り上がっていた肩を落とした男は想像通り愛嬌のある笑顔で肩をバシバシと叩いてきた。

    「鹿島っていうと水上機乗ってるんだな?」
    流れる様な仕草で煙草をくわえ燐寸を擦ると美味そうに煙草を吸いながら問われる。
    「もう乗ることはないだろうけどな。」
    これから乗るであろうあの小さな小さな謎の機体を思い浮かべて苦い気持ちになりながら答える。
    「すげぇなぁ。飛行訓練生の頃水上機は何度か乗ったけど着水が難しくてなぁ。失敗ばかりでいつもバッターされてたなぁ」
    立ち昇る煙を見上げて何かを思い返しながら鍵谷は饒舌に語り出した。
    「やっぱ乗るの上手い奴は皆水上機行くよな。飛んじまえば俺も結構イケる方だと思うんだけどなー。厚木の前は空母で零に乗ってて・・・あぁ、俺の話はいいや。」
    煙を見上げていた視線を下げ俺の瞳を見返してくる。
    「ここで会ったのも何かの縁だ。これからよろしくな、前田!」
    ニカっと歯を見せて笑う鍵谷の笑顔に何故かドキリと心臓が鳴ったことに眉を寄せる。
    「それにしても迎え遅いな。16時鉾田駅って言われたんだがな。」
    気がつくと日が沈んでいる。
    「こりゃ迎え忘れられてるのかもな」と俺たちは南へと歩き出した。

    歩き慣れない靴と着慣れない軍装、重たいトランクに俺は疲労も溜まってきていたが、鍵谷は相変わらず他愛のない話を続けながら煙草をふかしている。
    厚木からとなると1日がかりで移動をしてきた筈だが足取りは軽くまるで旅行を楽しんでいるような陽気ささえあった。
    「なあ、鍵谷は神之池で何に乗るか聞いてるんか?」
    能天気さにささくれ立つ気持ちを抑えきれず意地の悪い問いかけをしてみる。
    「ああ、見たことはないが知ってるよ。特別攻撃のための機体だろ。」
    鍵谷は短くなった煙草の最後の一口を吸い込むと用水路へ投げ捨てる。
    「死ぬための訓練をする基地に向かうのに陽気なもんやな」
    言い過ぎなことは分かっているが口が止まらない。
    「誰かやらなきゃいけねーんだ。俺が征くことで他の誰かが死なずに済むならそれは悲しいことじゃねーよ。」
    ニコリと破顔し肩を強く抱かれた。
    「それよか俺ぁ人と話するのが好きなんだ。お喋りなことは目を瞑ってくれよ。」
    屈託のない笑顔を至近距離で向けられドキリと心臓が強く爆ぜ他ことに眉間を寄せた。
    「ん?ところでさぁお前腹減ってるんじゃねーか?」
    肩を解くと手に持っていたトランクを開ける。中にあった竹の葉の包みを差し出された。
    「常磐線で向かいに座ってた婆さんからぼた餅貰ったんだよ。何個か俺食っちまったけどあと2個あるから食っとけ。全然甘くないけどな。砂糖は貴重だから文句言えねえけど。」
    早く受け取れと言わんばかりに包みを上下に振られるが、何か食べたい気分ではない。
    「いや、腹は減ってない」
    受け取らずにいると軍帽の上に包みを置かれてしまった。

    「頭いい奴は色々考えてるから腹減って気が立っちまうんだよ。昔腹減ると嫌味言う奴いたなぁ頭いい奴だった。」
    また煙草を咥え火をつけると立ち上る紫炎に視線を向けた。
    落とすわけにもいかず、軍帽が汚れても困るので渋々包みを手に取るとあんこと竹の葉の匂いに腹がなってしまう。
    「ハハハ!ほら!食ってくれよ。結構不味いんだ。俺ぁもういいや。」
    そう言われて渋々と食べたぼた餅は確かに甘くなく、小豆と餅米の味しかしなかったが、腹が膨れるとクサクサとしていた気がいつの間にか萎んでいた。

    俺が食べ終わりまた歩き進めているとプーと後ろからクラクションが鳴らされる。
    「陸軍のトラックだ、同じ方角なら乗せてもらえねーかな。」
    鍵谷がトラックの運転手に話しかけると運良く神栖まで行くようで、途中まで乗せてもらえることとなった。
    神之池基地に到着する頃には夜も更けており基地内も静まり返っている。
    月明かりに照らされた門扉には「海軍神雷部隊」と書かれた看板が下げられていた。



    ===
    神之池に来てからひと月ほど経っただろうか、ここでの訓練や生活に慣れてきて改めて分かったことがある。鍵谷征士郎という男は大層人たらしな男だった。
    人が集まっていればその中心に鍵谷が必ずといっていいほどそこにいる。
    今日も訓練後、煙草をふかしながらゲラゲラと笑う集団の中心には鍵谷がいた。
    鍵谷は話すのも上手いが人の話を聞くのも上手いようで、階級が上となる学徒出身の兵の相談に乗っている所も何度か見かけたことがある。
    年下にも年上にも、階級も関係なく打ち解けられるのはもはや才能だなと思いながら、鍵谷を横目に俺は下宿先の基地近くの農家へと向かう。
    マルダイ、K-1訓練が百里塚基地からこの神之池基地に移転されて3ヶ月、移転当初より大幅に人員が増え、K-1搭乗員の宿舎が用意が足りていない状況のため地元住民のご厚意で地元の家に下宿をさせてもらっていた。
    「おい!前田!ちったぁ話していかねーか?いつもいの一番に下宿に向かうじゃねえか?」
    後ろから突然声と共に鍵谷に肩を組まれる。張りのある声が耳に響き左耳がキーンと鳴った。
    「俺はいい。煙草も飲まんし。」
    鍵谷の腕が触れている右肩がピクリと震える。
    体に力を入れ、触れられたことに反応する身体を強張らせた。
    駅から基地まで共に歩いた時から嫌な予感はしていた。
    鍵谷に触れられた肩が熱く熱を持つ。その熱がじわりと浸食し鼓動がうるさく響く。

    自分のこの性分に気がついたのは高等小学校の時だ。成績が良かったからか、俺に親しく接してくれる同級生が居た。
    尋常小学校では女々しい野郎と罵られ避けられ過ごしてきた俺は、とても気さくで明るいそいつに心を開き、友になった。
    だがいつしか友と呼ぶにはいささか不純な感情も湧いていることに気づく。
    男が男を好くなどと世に許される事では無いことは分かっている。次第に友とは距離を置くことにした。
    最初は突然避けられ戸惑っていた友も時間が経つにつれ俺に近寄らなくなりホッとしていた矢先、耳にしてしまった。
    「あいつ頭ええから便利やったけど喋り方も動きも女みたいで気持ち悪かったんよな。」
    「勉強のお礼にカマ掘ってやりゃよかったじゃねーか?」
    「やめーや!男やしあの前田だぜ!?」
    わははははと騒ぐ同級生の熱気とは逆に頭から足先まで一気に血が引くのがわかった。
    俺のような奴が人と親しくなるとこうなるんだ。二度と思い上がってはいけない。
    それ以降、口数は今まで以上に減らしていった。

    予科練に入ってからも誰とも馴れ合わず、徹底して無口な男を装った。
    治しきれなかった女々しい所作を揶揄われることや、よくある上下の可愛がりと言う名の暴力はあったが、この性分を知られずに卒業することができた。
    軍に入ってからも同様だった。言葉少なに冷たくあしらえばそれ以上深く関わってくる者は居なかった。

    鍵谷の腕を解き立ち去る俺の背後からどこからか「陰気な奴だよなあいつ」という声が聞こえる。
    「貴様のような阿呆と話す口は持っていないだけだろ!俺はたまに話すけどいい奴だよ」
    鉾田から神之池まで共に歩いた日以降、挨拶や最低限の会話しかしていないにも関わらず親しみを持ってくれているのが不思議でたまらない。
    しかし鍵谷の言葉に胸が温かくなるのを感じながら基地を後にした。

    ===
    「マエ、明日の訓練のことなんだが」
    下宿先の庭先で薪割りを手伝っているところに鳴子飛曹長が尋ねてきた。
    本来ならK-1の隊員と一式の隊員は交流をしてはならず、生活や訓練の場所を分けられているが、この鳴子飛曹長は他のK-1隊員と打ち合わせのために尋ねてくることがあり、何度か顔を合わせるようになってからは時折話すようになってきた。
    初めて会話をした時「前田か。じゃあマエ、よろしくな」と突然つけられたあだ名には大変驚いたものだった。

    「鳴子飛曹長お疲れ様です。明日の俺のK-1の訓練、飛曹長の一式でしたね。」
    それなんだが…と頭をバリバリと掻きむしる。
    背の低い彼のつむじがボサボサと毛羽立つのを眺めながら次の一言を待つ。
    「鍵谷って奴、知ってるか?そいつがマエのK-1の操縦を見てみたいそうだ。切り離しから滑空の軌道に乗る所を一式から見たいと。上は勉強になるからと許可したんだが、お前が嫌だったら断ってやるよ。一回きりのK-1の訓練だしな。」
    俺が周りと打ち解けていないことを察している聡い彼は俺のこともよく気遣ってくれている。
    そんな兄のような優しさに心が温まる。
    「鍵谷とは数回会話をしたことがあるので構いませんよ。でも何で俺なんですか?」
    夕日が隣の納屋に遮られ夜の闇がひと足先に庭先に落ちる。
    サングラスを額に持ち上げた鳴子飛曹長は蜂蜜のような色の瞳を俺に向けた。
    「零での訓練でマエの操縦に感銘を受けたらしい。」
    K-1の訓練は危険が伴うため、普段は零式のエンジンを絞り、低推進力で滑空をしながら着陸をする練習をしていた。
    今まで水上偵察機を操縦していた為かフロートのない零式は風の抵抗も少なく操りやすかったせいか教官には大層褒められた結果となった。

    「そういうことでしたか。」
    飛曹長は割った薪を抱え薪棚に積みだす。
    「じゃあ見学をして良いってことで伝えておくよ。あといつも率先して下宿の手伝いして偉いなマエ。俺も率先して兵舎の薪割りとかやらんとだな。」
    K-1を代わる代わる乗せ投下の訓練をしている一式の部隊長である飛曹長は朝から日没まで大忙しだ。時には夜間の飛行訓練もある。
    自分の忙しさをおくびにも出さず、人のことをよく見て褒める彼は人の上に立つべくなった人なのだと畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

    ===
    「話には聞いていたけど本当に便器があるんだな!!」
    初めて一式に乗るという鍵谷がはしゃいだ声を上げている。
    「鳴子飛曹長!クソしていいですか?」
    鳴子飛曹長の部隊とは初顔合わせと聞いたが一式に乗りこむ時点で既に全員と打ち解けて軽口を言い合いながらの離陸となった。
    「やめろー!銚子ですぐ引き返すから30分くらい我慢しろ!次のK-1もすぐ詰まにゃいかんから片付ける暇もない!一日中貴様のクソ連れて飛ぶ俺らのことも考えろ!」
    どっと機内が笑いに包まれる。
    「なあマエもせっかくだし使いたいだろ?」
    先程、鳴子飛曹長が俺のことを「マエ」と呼んでいるのを聞いた次の瞬間から鍵谷は俺のことをマエと呼びだした。どこまで行っても人との距離を詰めるのが早い。
    「いや…」
    視線を鍵谷からそらし機銃窓から外を見ると直線の鹿島灘とそれに並行して鹿島砂丘が見える。そこから着陸予定の基地までを何度も視線で追った。
    「結構距離あるなぁ・・・」
    隣に来た鍵谷が俺の覗いていた機銃窓を覗き込む。
    「なあマエ、緊張してるか?」
    ふいに鍵谷に肩を組まれ振り返り鍵谷の顔に視線を向けると普段は生き生きと吊り上がっている眉尻が下がり、口角が引き攣っていた。
    「俺は緊張してるよ。今日は俺乗らないのにな。」
    さっきからのやりとりは緊張を誤魔化すための冗談だったのか。意外な鍵谷の一面を目の当たりにし思わず肩に乗る鍵谷の腕に手を添えた。
    「ま、一式の便器使ってみたいのは本心だがな!」
    神妙な顔は何だったのかと思うくらい瞬時に破顔しイタズラ小僧のような笑顔でこちらを見やる。
    「っ・・ふふ」
    面をくらい思わず笑いが溢れてしまう。
    「あ!笑った!マエの笑った姿見たの初めてだ。いつも笑おうぜ。いつものむっつり黙ってるのよかそっちの方が断然良い男だ。」
    鍵屋の笑顔に虚をつかれた。ああ、駄目だ…また人を好きになってしまう。
    胸にグッと痛みを感じ眉間を寄せる
    「マエ?どうした?」
    それを心配したのか鍵谷が顔を覗き込んだ。

    「お取り込み中申し訳ありませんが投下地点に着きますよ。」
    電信員の紅林上飛曹が電鍵をカタカタと打つ。

    紅林の声に我に帰る。
    「ありがとう。では行きます。」
    鍵谷の肩をほどき向き直ると一度鍵谷の肩を叩く。
    「精一杯乗るから、よく見ててな。」
    そう言い視線を逸らす。触れられていた肩がジワリと熱い。その熱が鳩尾に下り腹の中でカッと燃え上がるのを深呼吸で諌めると床が開けられた。
    ゴォという音と共に冷たい空気が機内に吹き荒れると熱を帯びた体の芯がスッと冷める。
    空中に流されないよう慎重にK-1に乗り込みベルトを締めてから上を見上げると先ほどと同じ緊張した顔の鍵谷がこちらを覗き込んでいた。
    「俺、征く時は1番先に征きたいな。見送るのは肝がもたねーや。」
    そんな声が風防を閉じる時に上方から聞こえた気がした。

    準備完了の合図のボタンを押す。するとしばらくして切り離された。
    バンっと破裂音と共にスッと引力に引かれるように落下の重みを背筋に感じる。浮き上がる体をベルトが抑えるが、頭が風防に当たった。
    しばらく落下すると風に乗ったのか、揚力を得たK-1が前に進み出した。操縦桿を強く握りぐるりと利根川に沿う進路から北へ進路を変える。
    訓練は燃料を使わない為、音のしない機体を風を割きながら進ませていく。今まで乗ったことのない奇妙な乗り心地だ。
    彼方に見える筑波山、その向こうに見える日光の山々には雪がかかっている。今日は冬型の気圧配置、北西から風が吹いており、今切り離された銚子上空から見て着陸予定の神之池基地はまさに北西、風に逆らう形となる。
    「見ててくれと言った手前、失敗はしたくないな。」
    鍵谷のしょげた顔を思い出し口角が上がる。
    向かい風の影響でギリギリの着陸とはなったものの、無事に着陸を成し遂げほっと一息ついた。
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