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    hota_kashima

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    hota_kashima

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    塚橋以前。タロちゃん整ビ兵なりたてくらいを想像して書きました。和さんはタロちゃんの名前くらいしか認識していない時期のお話。和さんが満身創痍なお話。好き勝手に書いただけなので細かな設定とかは目を瞑ってください。

    夜明け前の滑走路は、まだしんと静まり返っている。 

    肩から提げたランプを頼りに、滑走路の端から端までをゆっくりと歩いていた。
    一日の始まりは、決まってこの点検からだった。

    寒さで息が白い。まだ誰も起きていない時間だ。だが、機体が無事に帰ってくるためには、この時間が最も重要だった。
    小石ひとつ、ボルトひとつ、滑走路の罅ひとつが、命取りになるのだ。 

    「…これは、彗星の脚回りの鋲かな?」

    見慣れた鋲を拾い上げ、懐にしまう。後ほど、どの機体のものか照合しなければならない。
    これも自分の仕事であり、自分にできる最前線だった。

    ふと、耳の奥で空気が震える。低く、地を這うような、だが聞き覚えのあるエンジン音。 

    「…え?」 

    この時間に出撃も帰還も予定されていない。思わず空を見上げる。
    東の空がわずかに朱に染まりはじめていた。その空の高みから、一機の零戦がふわりと滑り込むように降りてきた。 

    それは、あまりに静かで、あまりに美しい着陸だった。 

    脚の接地音が、新雪を踏む足音のよう。
    左右の翼は一切揺れず、まっすぐに滑走路中央を滑ってくる。

    この着地に見覚えがある。
    「…橋内中尉だ」 
    そう確信した

    停止の直前、ガチガチと金属のぶつかる音が静寂を切り裂いた。
    思わず息を呑む。あの音は、翼が限界を超えて歪んだ時の、あの音だ…

    機体が停止してからも、橋内中尉は降りてこない。俺はランプを掲げて駆け寄った。
    操縦席は静まり返り、聞こえるのはミシミシという金属のきしむ音だけ。

    中でうずくまるようにして座っている人影を見つけ、ためらいながら翼に足をかけると操縦席の風防を開ける。
    だが、風防が開かない。わずかに歪み引っかかる。
    力を入れて押し込むと、ようやく風防がぎちぎちと音を立ててずれた。
    中では橋内中尉が、飛行帽を脱いで何かをじっと見つめていた。
    呼吸を整えている様子だったが、その顔色は明らかにおかしかった。 

    「橋内中尉、おかえりなさい。ご苦労様でした」 

    中尉は小さく頷く。だが返事はなかった。いや、返事をしようとして、口が動いたように見えた。

    「橋内中尉……?」 

    中尉は、こちらを振り向くと、耳に当てていた左手をそっと離す。
    その手には、血と粘液の混じった濁った液体がべっとりとついていた。
    耳からは、それが止まることなく首筋を伝って流れている。

    「鼓膜が破けたようだ。音が、あまり…聞こえない」 

    その声も、少しかすれていた。

    俺はは慌てて胸元から手拭きを取り出し差し出す。
    「これっ! 綺麗なやつです、まだ一度も使ってません。使ってください!」

    中尉はうっすらと笑い、手拭いを受け取ると、耳のあたりを覆うように丁寧に巻きつけた。
    手の震えが、その消耗の深さを物語っていた。

    「ありがとう。…ああ、塚本整備兵?だったか?急降下と急上昇を何度も繰り返した。…機体が相当、悲鳴を上げていた。バラけなかったのが奇跡なくらいだ。いつも以上に…よく見てやってくれ」 

    中尉は、軽く息を吐いた。言葉の端に、目に見えない疲れが滲んでいる。 

    「他にお怪我は? 衛生兵を呼んできます!」

    「…耳だけだ。歩ける。呼ばなくていい」 

    そう言いながら、中尉は操縦席をよろめくように降りる。そして言葉を続けた。

    「他の奴らとは散り散りになった。このあと…誰か帰ってきたら、俺に知らせてくれ。」

    「はい。わかりました」


    橋内中尉は、こちらに背を向けて歩いて行く。
    朝靄の中に溶けていくように、弱々しく、しかし真っ直ぐな足取りで。
    その背中を、ただじっと見送った。








     
    だが、他の機は帰還しなかった。
    あと少し待てば帰ってくるかもしれない…そんな期待を胸にいつまでも滑走路近くで作業をしていたけれど、昼を過ぎても一機も帰ってこなかった。

    重い足取りで医務室を訪れる。帽子を脱ぎ、ぎこちなく敬礼をして、数秒の沈黙ののち口を開く。

    「…橋内中尉。申し上げます。…他の機体は未だ帰還しておりません。」

    その言葉に対して、中尉はすぐには反応を示さなかった。 

    ゆっくりと目を開け、何かを確かめるように窓の外を見上げる。そのまま数秒、何も言わなかった。

    「…そうか」 

    声の調子は変わらない。ただ、視線の奥にあった光だけが、消えていた。

    それ以上、中尉は何も問わず、語らなかった。

     

    俺は何か言わなければと思った。だが、どう言葉にしても、空虚になると分かっていた。
    口を開いても、喉が鳴るだけで言葉が出てこない。どうしようもなく、ただ立ち尽くすことしかできずにいた。
    すると中尉がぽつりと呟く。
    「貴様…滑走路、いつも点検しているな」 

    俺は反射的に姿勢を正す。

    「はい。ええと、毎朝やってます」

    「いつも、安心して飛べるし、安心して降りてこられる。…ありがとう」

    「とんでもないです。…こちらこそ、帰ってきてくださって、ありがとうございます」 

    その言葉は、中尉に届いたのかどうか分からない。だが、確かにその唇が、わずかに笑みのように動いた。

     

    敬礼し、軍医室をあとにすると、滑走路へと向かう。
    胸中には、何かがぽっかりと穴をあけたような感覚が残っていた。

    動かすことが危険と判断された橋内中尉の機体は滑走路脇に置かれたままだ。
    ふと機体の下を覗き込む。日差しを遮られた影の中に目が慣れる頃、キラリと小さなものが二つ落ちていた。拾い上げると、それは機体の翼から外れた鋲だった。

    上を向き翼の裏を掌でそっとなぞる。手についた液体に鼻を近づけると、燃料の匂いがした。
    小さな亀裂。まだ漏れているほどではないが、これが空中で燃えでもしていたらと思うとぞっとする。
     
    俺はその場にへたり込んだ。

    さっきまで、あの機体の中に橋内中尉が乗っていた。そして、帰ってきた。だけど、それは機体の限界を越えた上での「奇跡」だった。

    力の抜けた膝に静かに力を込め、俺はもう一度立ち上がる。
    そして、滑走路へと歩き出した。

    落ちている石を拾い、ひび割れを埋め、そしてまた歩く。

    誰かが、今日も無事に帰ってこられるように。
    その奇跡を、俺たち整備兵が支えているのかもしれない。
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