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    六田なち

    @rokutanachi

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    六田なち

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    セフレの二人のクリスマスイブの話。
    長くなったので、ここで!頑張れたらこの後のRシーンを書く…かもしれない。
    体の関係から始まる二人は大好物です。

    Let me know ――バチが当たったんだと、思う。
     分不相応なことを望んだから。
     己の立場を弁えなかったから。
    「最悪だ……」
     言葉と共に吐き出された息は白く、夜に溶ける。視界の隅にチカチカと点滅している明かりが入るのは、クリスマスのイルミネーションだろう。
     街は人通りが多かった。小さな子供連れの家族、仕事帰りのビジネスマンたち、そして楽しそうに笑って腕を組むカップル。
     今夜は、特別な夜だ。
     クリスマスイブ。聖夜。
     宗教的な理由なんて必要ともせず、人々が浮かれる夜。
     平日とはいえ、年に一度のこの夜を楽しむ者は多いらしい。あちらこちらの店から流れるクリスマスソングが、寒い夜を彩っている。
     そんな中で新一は一人、コートのポケットに手を入れたまま佇んでいた。
    「……クリスマス、か」
     変なことを言わなければ良かった。いつものように、当たり障りない会話を交わして、熱だけを分け合って、さらりと別れれば良かったのだ。
     なのに街の雰囲気に感化されたのか、欲を出してしまったから。
     少しだけ、今日だけでも特別になれないかと望んでしまったから。
     マフラーを置いてきてしまった首元が冷気に晒され、ぶるっと震えた。
     買ったばかりのお気に入りだった。濃紺のカシミアのやつ。
     大学生の自分が少し背伸びして、大人っぽく見られたくて。
    「もう、無理だろうな……」
     マフラーだけでなく、全て。全部。
     小さな独り言を拾うような者は、誰もいなかった。
     まるで一人、賑やかな街の中に別の世界から紛れ込んだかのようだった。
     
     
     ――好き。好き。好き。嫌い。
     その人のことをそう感じた明確な理由はもう覚えていないけど、きっかけは覚えている。
     可愛いな、と思ったのだ。十二も年上の、同姓の男のことを。
    「――あ、寝癖」
     あの時は多分、徹夜明けだったのだと思う。警視庁の廊下、たまたま出会した降谷は普段のピシッとした隙のない姿が嘘のようにヨレヨレだったから、思わず出会い頭でそれを指摘してしまった。
     降谷は一瞬虚をつかれたような顔をした後、それから困ったように眉を下げた。
    「……そんなに酷いかな」
    「酷くはないけど、珍しいなと思って。降谷さんが寝癖なんて」
    「僕も人間だからね」
     そう言って笑う顔が、本当に疲れているように見えて、でも新一には何も出来なくて。
     気づいたら手を伸ばしていた。本当に無意識だった。
    「え?」
    「あ。……すみません。これぐらいじゃ直んないですよね」
     誤魔化すように跳ねた髪を押さえてみたけど、その行動に驚いているのは自分も同じだ。
     オレ、今、頭撫でようとした……? 
     頭を撫でるという行為は、愛情の行為だ。主に、褒めたり、可愛がったり、優しさを与えるものだ。
     それを降谷にしようとしたことが信じられなかった。身長も年齢も一回りは上で公安の指揮官すら務めるこの男に。
     なのに降谷は新一を咎めることもなく、新一の手に己の手を重ねて、ふっと優しく瞳を緩めたのだ。
    「ありがとう。他の人に見られる前に、直してくるよ」
    「あ、あぁ……」
    「見られたのが、君で良かった」
    「ッ……」
     その台詞は、狡いだろうと思った。
     新一の奇行を流しただけでなく、新一の前ではそんな姿を晒していいと、少しは思ってくれているのだろうか。
     新一は降谷に下ろされる前に、自分で手を下ろした。
     一瞬、心臓がきゅっと縮んだのを誤魔化したかった。
    「……降谷さんって、意外と可愛いんですね」
    「僕が?」
     目を見開いた降谷が、ふっと更に表情を緩める。
    「寝癖程度で可愛いなら、君はずっと可愛いことになるよ」
    「……オレのこれは、寝癖じゃないんですよ」
     ――なんて、そんな会話を交わしてその場は別れたことを覚えている。
     それから、意識をしたらもう駄目だった。
     ふとした仕草に、目が引き寄せられる。
     余裕ぶった大人なのに、時折見せる子供のような顔が、可愛い。
     理性も冷静さも持ち合わせているくせに、たまに覗かせる苛烈な一面が、面白い。
     極め付けは、セックス中の顔だろうか。
     汗を浮かべて、荒い息を吐いて、何かに耐えるような顔が、堪らなく、好きだった。
     ――だけど、そんな気持ちを抱えているのが自分だけなのも分かっていたから、必死に平静を装ってきたのだ。
     体だけの関係に満足しているフリをして、遊び慣れた大人を演じて。
     そんな関係が半年ほど上手くいって油断したからだろうか。それとも、今日がクリスマスイブだから、柄にもなく浮かれてしまったのかもしれない。
     ――降谷が誘ってくれたのに、特別な意味なんてなかったのに。
     
     ♢ ♢ ♢
     
     降谷から連絡が入ったのは、数時間前、昼過ぎのことだった。
     新一は今年最後の授業を終えて大学を出たところだった。何となくキャンパス内もカップルが多い気がして、辟易気味に駅へと向かっていたのだ。
    「今日、時間あるかな」と簡潔に書かれたメッセージ。この時間に連絡してくることはあまりなくて、珍しく仕事が早く片付いたのだろうか。
     勿論、と返しそうになって、やめた。少し迷った末に、「夜からなら」と素っ気ない返事を送る。
    「夜からなら、一緒に食事してくれるだろうし……」
     今日はクリスマスイブだ。自分たちには関係なくても、恋人同士が過ごす日。だから、今から会って、夕方に「じゃあ」と別れるのは、あまりにも惨めだと思ったのだ。
     自分たちは気楽なセックスフレンドだ。それ以上でも、それ以下でもない。
     そんなの嫌というほど分かっているけど、今夜くらい、甘い夢を見てもいいのではないか。だって降谷も、今夜がイブだということぐらいは認識しているだろう、と。
     ――だから、バチが当たったのだ。
     さっきまで辟易した気分で街の雰囲気を眺めていたのに、約束が出来ただけで新一も浮かれた。指定された待ち合わせ場所が珍しく繁華街に近いということもあって、降谷もいつもと違う夜を意識してくれているのかなんて期待してしまった。
     だから、約束までの時間潰しにとデパートに寄った新一は、マフラーを買った。降谷へのプレゼントだったけど、自分から貰っても困るだろうと気づいて、折角ラッピングしてもらった包装紙もゴミ箱に捨てさせてもらった。
     降谷さんに似合うと思って選んだけど、まぁいっか……。
     何となく、それをつけているだけで降谷にプレゼントを渡せた気分になったりして。
     そんな気分で歩いていたからだろうか。
     紳士服売り場からフロアを降りて一階のアクセサリー売り場を通りかかった時、ふと、視線をそちらに向けた。見覚えのある髪色を勝手に目が追ったのだ。
     無意識だった。
     見るべきじゃなかったと、次の瞬間には後悔した。
     ――降谷が、そこに居たのだ。
     カップルで賑わう女性もののジュエリーショップ。そこに男がいることに違和感がないのは、今日は、男性がプレゼントを買うのにうってつけの日だから。
    「え……」
     降谷は真剣な眼差しでガラスケースを覗いていたかと思うと、店員に声を掛けられ話し込んでいる。会話は聴こえないけど、その表情が、とても穏やかなことは分かる。
     だって、恋人にプレゼントを選ぶ他の男性らと、同じ顔をしているから。
     呼吸をするのを忘れたように新一はその場に立ち尽くした。だが、次の瞬間には踵を返して出口へ歩き出していた。
     その場に居てはいけないと思ったのだ。
     自分には、誰へのプレゼントなのだと詰め寄る資格はないのだから――。
    「はっ……」
     心臓が痛い。胸が苦しい。
    「本命がいるって、知ってた筈なのにな……」
     言葉の節々から降谷に好きな人がいることは察していたのだ。
     今日はその女性と会えないのだろうか。だから寂しさを紛らわしたくて、新一を誘ったのだろうか。
     ――それなのに、会えて嬉しいと思ってしまう自分は、非道だろうか。
     新一はそのまま外の喧騒に紛れるようにして、約束の時間までを過ごした。何をすることもなく外で突っ立っていたせいか、降谷から連絡が来た頃には、寒さで指先の感覚が麻痺していたくらいだ。
     車で来ているのだろう。駅前から少し離れた路地を指定されて、そこに向かう。
     いつもの顔でいねぇと……。ってオレ、あの人の前でどんな顔してたっけ……?
     路地には見慣れた白いスポーツカーが停まっていて、新一は躊躇いつつも、助手席に乗り込んだ。
    「工藤君、今日は……って、どうかした?」
    「へ?」
     何かを言いかけた降谷の声がすぐに怪訝そうなものに変わった。
    「顔色が……。耳も赤いけど、もしかしてずっと外に居たのかい?」
    「あ……」
     首元はマフラーで覆っていたものの、外気に晒された耳が赤くなっていたのだろう。
    「熱でも、」
    「ッ!」
     さりげなく伸ばされた手に、びくついた。こんな反応、セックス中だってしたことないのに。
     降谷の手が新一に触れる前に止まり、まるで車内の空気も一緒に止まったみたい。
     それでも男は空気を戻すのが早かった。そっと、いつものように如才ない笑みを浮かべる。
    「体調悪いなら、このまま送って行こうか?」
    「だ、いじょうぶです。平気。ちょっと寒かっただけで……」
     自分ばかり取り繕うのが下手で、嫌になる。
     視線を逸らして答えた新一にどう思ったのか、降谷はそれ以上追及してこなかった。代わりに「しんどくなったら、いつでも言っていいよ」と優しい言葉を掛けられる。
     ……この人の、こういうところが、好きで、嫌いだ。
     嘘だと分かっているのだから、暴けばいいのに。そうしたら、新一だって……。
     新一は気づかれぬように小さく息を吐いてから、顔を上げた。それから顔に笑みを浮かべる。
    「本当に平気ですって。ちょっと外にいた時間が長かったせいか、温度差にびっくりしちまったみたい」
     もう大丈夫だと示すようにマフラーを外す。狭い車内の中はエアコンで適温だったから、少し暑かったのも本当なのだ。
     こんなことで、せっかくの降谷と過ごす時間を無駄にしたくなかった。今夜はクリスマスイブだ。降谷が誘ってくれただけで充分だろう。たとえ、本命の代わりなのだとしても。
     新一の声音が通常に戻ったからだろう。膝の上に置いたマフラーにチラリと視線をやりながらも、降谷は車を発進させた。
     エンジンと空調の音だけが響く。窓を閉め切っているから、賑やかだったクリスマスソングも聴こえない。
     どこ行くのかな……。いつもなら、ホテルに直行するけど、今日は混んでそうだな……。
     そんなことを考えながら新一が窓の外の景色を眺めていた時だ。
    「……それ、新しいね」
    「へ?」
    「そのマフラー。……貰い物?」
     新一は目を瞬かせる。先ほど買ったばかりなので新品なのには違いないが、これは貰い物ではない。
    「……何で、貰い物だって思ったんです?」
    「君の趣味と少し違うようだから」
     確かに、自分用に選ぶものとは少し違うが、降谷を思い浮かべながらもシンプルなものを選んだつもりだ。やはり新一には大人びていたのだろうか。
    「……相変わらずの洞察力」
     思わず呟きを漏らすと、降谷の眉がきゅっと寄ったので、珍しい不機嫌さを察して、新一は首を傾げる。
    「似合ってなかったですか?」
    「……そうだね」
     きゅっと心臓が竦んだ。これまでに男から服装を否定されたことなどなかったのに、それほど似合ってなかったのだろうか。
     ――まるで、助手席ここにいることが不釣り合いだと言われた気分。
    「そ、っか……」
     新一は無意識のうちに膝の上のマフラーを強く掴む。これ以上この話題を続けたくなくて、何かを言わなければと思うのに、口から言葉が出て来ない。
     沈黙が下りた。
     実際には車の音がしているのだけれど、耳には入っていなかった。
     今夜、降谷に会えて嬉しいと思っていた。恋人と呼べないけれど、聖なる夜に自分と過ごしてくれるだけで、満足だった。
     だけど、そうではなかったのかもしれない。
     浮かれていたのは新一だけで、降谷が、この関係を終わりにしようと言ってきたら?
     わざわざ、……いや、クリスマスだからこそ、こんな不毛な関係を清算したいと思ったのだったら?
     だから早い時間を指定してきて、新一がそれを断ったから、こんなに不機嫌なのか。
     鼓動が早くなる。心臓を握り潰されているみたいに、胸が痛い。
    「……工藤く、」
    「あの!」
     降谷から何かを告げられるのが怖くて、新一は声を張り上げた。
    「ホテル! 今日、すげぇ混んでるんじゃないかと思うんですけど」
     運転席の男の顔は見れなかった。自分が何を言っているのかも理解出来ぬまま、新一は必死で言葉を紡ぐ。
    「平日だけど、クリスマスイブだし、やっぱそういう人たち多いんじゃないかって、あ、でもちゃんとした恋人だったら、いいホテル泊まんのかな? この時期は予約戦争激しいとかいいますよね」
     早口で何を言っているのだろう。だから自分は恋人じゃなくていいと言うつもりか。
    「い、いつものトコ、空いてるか確認しましょうか? 確かアプリで、」
    「――工藤君」
     強い口調で遮られた。降谷の空気が強張っているのが気配でわかる。
     ……嫌だ。
    「その、今日は……」
     その続きを聴きたくなくて、新一は無意識に叫んでいた。
    「停めて下さい!」
    「え……?」
     困惑しながらも、降谷は車を路肩に停めてくれた。
    「……工藤君?」
    「す、すみません。オレ、やっぱり今日具合が悪いみたいで……っ」
     顔を俯けたまま必死に言い募る。男がどういう表情をしているのかなんて見れない。とにかく必死だったのだ。降谷から決定的な言葉を聞きたくなくて。
    「……なら、送っていくよ」
    「いいです! 電車の方が早いだろうし、今日は混んでるしっ……。その、本当にすみません……っ!」
     そうして降谷の返事も待たぬまま、新一はカバンだけを抱えて勝手に車を降りたのだ。
    「工藤君!」と名前を呼んでくる声が聞こえたけれど、乱暴にドアを閉めて新一は夜の街に駆け出す。
     あまりにも勝手な行動だった。
     優しい男が本当に新一の体調を案じてくれることもわかっていた。
     だけど、それでも今は一緒に居たくなかったのだ。その言葉を聴いたら、何もかも、終わってしまう。
     この聖なる夜に。
     それは、あまりにも。
    「……ッ、どっちにしろ、終わりだろ……」
     あんな行動を取ったことでどちらにしろ全て終わったのだと気付いたのは、数分ほど経って、人混みの中に戻ってきてからだ。
    「見て! ツリーすごい綺麗!」
    「本当、写真撮ろ〜」
     どうやら近くの広場にクリスマスツリーが飾られていて、スマホを掲げて写真を撮る人らでにぎわっているようだ。
     なのに新一の目には煌びやかに光るイルミネーションが、色褪せたように映る。
    「はっ……、最悪だ」
     頭が冷えてくると、身体も冷えた。マフラーは放り出してきてしまって、首筋が冷たい風にさらされる。
     だけどそんな寒さも感じないくらいに、心が冷たかった。
     馬鹿なことをした。
     折角、降谷の前では物分かりのいい大人のふりをしてきたのに。せめて、セフレを解消されても「わかりました」と笑顔で頷けていれば、ただの友人に戻れたかもしれないのに。
    「…………いや、無理だな」
     新一が、無理だ。
     平然ともとの関係に戻れる筈がない。
     だって、知ってしまった。
     降谷の手のひらの温度とか、汗の匂いとか、重ねた体の重みとか。
    「何も知らなかった頃には、戻れねぇ……」
     惰性でのみ動いていた足が止まる。
     中途半端な道で止まった新一はさぞ通行の邪魔だろうが、そんなことすら考えられない。
     まるで迷子になって途方に暮れた子供のように、「どうしよ……」と呟いた時だった。
     突然、強い力で腕を掴まれた。
    「!」
     ぐいっと身体を引っ張られて新一が顔を上げた先には、金髪の男の姿が。
    「……ふるや、さ」
     思わず目を見張ったのは、男が、初めて見るくらいに息を荒げて、焦った顔をしていたからだ。
    「はっ……、は、……見、つけた……!」
     その言葉と、額に浮いた汗からも、男が新一を探して走り回っていたことが分かる。あの降谷が息を乱すくらいにだ。
     だけどその理由は分からなくて、新一は呆けてしまう。
     それほど心配を掛けたのだろうか。責任感の強い男のことだから、病人を放っておけないと?
     その優しさが、今は憎かった。
     こんなことをされたら、また己の立場を勘違いしてしまう。
     ぎゅうっと掴む手の強さに圧迫されたかのように、新一は声を絞り出した。
    「なんで……」
    「何でも何もあるか!」
     突然の怒号に、新一は瞠目した。
    「突然車を降りて逃げられたら、追うのは当たり前だろう!」
     それは降谷が警察の習性が染み付いているからであって、当たり前ではない。
     なのにそう返せないのは、怖いからでも迫力に押されたからでもない。
     新一が、初めて降谷に怒られているから。
     新一の前での降谷は、いつも優しくて、大人で、声を荒げたりなんてしなくて。
     ――こんな、必死な顔なんて、見たことなかった。
    「体調が悪い筈なのに、何考えてるんだ。そんなに、僕の隣に居たくなかったのか」
    「……へ?」
     口調は落ち着いたものの降谷は酷く苦しげだった。息が上がっているのかと思ったけどそうではない。その証拠に、新一の腕を掴む手は、痛いほどに力強い。
    「誰かと会ってたならそう言ってくれたらいい。後回しにされたって文句は言わない。他の人間から君へのプレゼントに苛ついて難癖つけたのは謝るし、もうあんな態度は取らないって約束する」
    「え、あ、あの……」
     理解が追いつかなかった。
     どういう意味だ。降谷は何を言っているのだろう。
     何より、その縋るような表情に、切羽詰まったような声に、新一は固まってしまう。
     え、どーいうこと……? プレゼントに苛ついたって、難癖って、それじゃあまるで――。
     我に返してくれたのは、突然吹いた突風だった。びゅうっとビルの合間を縫った冷たい空気に、周りにいた人らも悲鳴をあげた。
    「ッ!」
     新一も思わず首を竦めると、それが拒絶のように取られたのか、降谷が目を眇めるようにして、手を離されて。
     ――あ、待って欲しい。
     まだ何も分からないけど、今、この手を離して欲しいわけじゃないことだけは、分かるのに。
     新一が男を見上げると同時に、ふわりと首に何かを巻かれた。覚えのある感触は、柔らかい肌触りの、新一が置いて来てしまったマフラーだ。
    「……似合ってるよ、これ。悔しいけれど」
     微笑んでいるけど、とても褒めているような顔じゃない。本当に悔しくて、でも必死で耐えているような、そんな顔。
     あぁ、今日は男の初めての顔ばかり見ている。
     新一もきっと、初めての顔ばかり、見せている。
    「…………こ、れ」
     震える唇を開いた。
     何が正解か分からないけど、男の誤解だけは解かないとと思った。
    「さっき、自分で、買ったやつ……。本当は、降谷さんに、あげたくて……」
     寄せていた目を見開いた降谷が、ふっと表情を緩める。
     それはいつかの時に見た顔に似ていた。
     だけどあの時よりもっと、柔らかくて、どこか泣き出しそうで。
    「……僕に?」
    「そう。でも、オレから、……セフレからクリスマスプレゼント貰っても、困るかなって……。だから、せめて、ッ」
     言葉が詰まる。このままだと、全部溢れてしまいそうで、でも、溢れてもいいのかもしれない。
     だって。
    「工藤君」
     今度は優しく名前を呼ばれた。
     真っ赤になった頬に、そっと指先が当てられる。
     頬から、唇に。新一の言葉を遮るように。
    「……ごめん。話の続きは移動してからにしよう」
    「あ……」
     そこでようやく、新一も気づいたのだ。
     ここが外で、多くの人間が行き交う公共の場所だということに。
    「す、みませ……っ」
     ハッと我に返れば、好奇の視線をチラチラ向けてくる通行人の存在に気づく。クリスマスツリーの目の前で、大抵が喧嘩でもしているのかと思っているのだろうが、これはかなり目立っていたのではないだろうか。
     血の気が引くと同時に、羞恥に頬が染まる。
     それでも、こんな場面でさっさと冷静になれる降谷は、やはり大人で、少し悔しかった。新一はそれどころじゃなかったのに。
     俯いた新一の手を、強引に男が引く。人混みを掻き分けるように足早に歩き出されて、男の背中と頭しか見えない。
    「降谷さん、オレ……」
    「……そんな顔、僕以外に見せないでくれ」
    「あ……」
     そこでようやく、降谷の耳先が新一と同じように赤くなっていることに気づいた。
     ……あぁ、もう。
     
     好きで、好きで、好きで、嫌いで、――好き。
     
     もうそれだけしか考えられなくなって、新一は俯いたまま、降谷の手を握り返した。
     
     ♢ ♢ ♢
     
     無言のまま数分ほど歩いて連れて行かれたのは、コインパーキングだった。新一が降りた場所からほとんど離れていなくて、降谷がすぐに追って来てくれたことが分かる。
    「乗って」と言われて新一は助手席に座ったけれど、男はエンジンは掛けたもののベルトもせず、車を発進させる気は無いようだ。
     新一は数十分前に飛び出してきた場所に戻ってきて、何だか不思議な感覚を覚えた。
     もう、ここに座ることはねぇかもって思ってたのに……。
    「工藤君」
    「……はい」
    「話の続きを、……って、ごめん、ちょっと待ってくれ」「降谷さん?」
     降谷は手で顔を覆うようにして俯いている。いつもリードする側の男としては珍しい態度だ。
     これは、困惑、……いや、怯えている?
     降谷が?
    「ちょっと、信じられなくて……。これが勘違いだったら、もう立ち直れない気がする」
     あぁ、そうか。
     新一と同じだ。
    「……ははっ、降谷さんが可愛い」
     思わず新一が笑い声を漏らすと、男は恨めしそうに睨め付けてきて。
    「……それは僕の台詞だよ」
     新一としては本心なのに、揶揄われたと思ったのだろう。
     だから新一は、素直に言葉を告げた。
    「オレ、降谷さんのそういうところ、すげぇ好き」
     溢れるままに、言葉を綴る。
    「大人で、優しいとこも。なのに融通が利かなくて、仕事人間なとこも。オレの無鉄砲に怒りながらも、信頼してくれてるとこも。それから、……セックスしてる時、ちょっとやらしく、なるとこも」
     最後のは今言わなくても良かったのかもしれない。
     けど、知って欲しかった。
     聞いて欲しかった。
     きっと、今、自分たちに必要なことだから。
    「……だから、それは、僕の台詞だよ」
     降谷の声にも熱が灯る。
     新一と同じように。
    「……僕も、君が好きだ」
     耳から抱かれているような、優しい声だった。
    「聡明で、誰にも負けないくらい、正義感が強いところも。何があっても自分の信念を貫くところも。一途で、真っ直ぐなところも。……それに、慣れてる風を装っているのに、本当は初々しいところかな」
    「バレて……」
    「君は、まだ彼女のことが好きなんだと思ってたんだ。だから、それを忘れる為にただセックスしたいのかと」
     膝の上に置いた手を、そっと重ねられる。お互い指先が悴んでいて、熱を分け与えるように。
    「今、一途なところが好きって言ったくせに……」
    「それぐらい、一途で、哀れだと思ってたんだ。……その情を向けられるのが、僕ならいいのにとも、何度も思った」
     真摯な視線が絡んで身動きが取れなくなるが、これは、もう不安でも緊張のせいでもない。
     エアコンのせいだけでなく、車内の温度が上がっていた。
     新一はごく、と小さく喉を鳴らす。
    「……このマフラー」
    「うん」
    「……降谷さんに、似合うといいなって。でも、渡す勇気は出なくて、それで、自分で付けることで渡した気分になって……」
     馬鹿みたいな自己満足を、降谷は嘲ったりしなかった。代わりに「僕も、君にプレゼントを用意したよ」と教えてくれる。
    「今日は、クリスマスイブだから。君が会うのを了承してくれたのが嬉しくて、買いに行ったんだ」
     じゃあ、あれは、新一へのプレゼントを買っているところだったのだろうか。
    「でも、女性ものの店で……」
     新一が思わず呟くと、それだけで察したらしい男が、苦笑する。
    「あれは、……ペアリングを扱ってる店で、けど、さすがに指輪をあげたら引かれるだろうなと思って、見てただけだよ」
    「そ、れは……」
     確かに、と思いつつも、引くとは言い切れない自分がいた。
     だって、渡せないプレゼントを買った自分と、あまり大差ない気がする。
    「……嬉しかったかも」
    「君が受け取ってくれるなら、もっとちゃんとした時に贈らせてくれ」
     素直な感想を吐くと、約束するかのように、きゅっと左手の薬指を握られて。
    「……うん」
     何だかもう堪らなくなって、顔がくしゃりと歪んでしまった。降谷の前ではもっと綺麗な顔でいたいのに、どうしようもない。
    「降谷さん、もう……っ」
     手を握られたまま、顔を寄せられた。耳元で、男がそっと囁く。
    「……ホテル、取ってるんだ。今夜は君とどうしても過ごしたくて、ちゃんとしたとこを」
    「ふっ……、バーロォ」
     もう、どこでだっていいのに。
     この特別な夜に、一緒に過ごせるのなら。
     ラブホだって、車内だって、外でだって、どこでも、もう。
    「……今日から、恋人ってこと……?」
     そっと見上げると、男は、見たことがないくらい愛おしげな笑みを浮かべて。
    「未来永劫がいいな」
     返事の代わりに、新一は、唇を寄せてやった。
      
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