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    六田なち

    @rokutanachi

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    六田なち

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    降新ヤクザパロ。
    「爪痕と咬み痕Ⅱ」の無配ペーパーで配布した小話です。モブキャラ牧田くん視点で、思いっきり本編のネタバレありなのでご注意。

    舎弟は今日も辛い ――若頭が、あの工藤新一を手放した。
     そのニュースは、静かに、だけどすごい速さで櫻坂内を駆け回った。
     本人に確かめようなどという命知らずはさすがにいなかったが、会長がそれを幹部に漏らしたらしいとのことで、信憑性はかなり高い。
    「会長のお嬢と籍入れるんじゃねぇかって話だぜ」
    「マジでか。じゃあ次期頭はもう確実じゃねぇか。こりゃ組長派も若頭に寝返るんじゃねぇの?」
     そんな話を兄貴らがしているのを耳にだけは入れながら、牧田は一人、ただ黙々と事務所の掃除をしていた。
     ザァァ、と外は雨が降っている。土砂降りに近いそれだけど、野太い男らの声は隠してはくれない。
     壁のクロスについた黄色い染みが取れなかった。まぁ、煙草を吸う人間が多いので仕方ないのだが、いつもなら気にならない筈のそれを意味もなく擦ってしまう。
    「でももう一年経ってただろ。そりゃ飽きる頃合いだよなぁ」
    「だよな。むしろあの若頭と一年も保ったんだからすげぇよな。よっぽど身体の具合が良かったのか」
     ゴシゴシゴシ。
     滅多にしない壁拭きのおかげか、白い雑巾はすでに黒く染まっている。
    「ギャハハ、お前それ、若頭に聞いてみろよ。俺は知らねぇけど」
    「んなこと出来るわけねぇだろ。でも、俺は男に興味ねぇけど、あのツラなら一回はヤッてみてえわな」
    「あー、まぁあれなら勃つな」
     ゴシゴシゴシ。
     磨きすぎたせいか、手が痛い。
     あぁ、そういえば俺にもちゃんと痛覚はあったな、とどうでもいいことを思った。
    「でもまぁ若頭が捨てたってことは、もう手ぇ出してもいいんだろ? 落とせたら、それこそ格上がるじゃねぇか」
    「あぁ? それマジで言ってんのかお前」
     ゴシゴシゴシと、ひたすら無心で壁を拭いていた牧田に声が掛かる。
    「なぁ、牧田。お前あのイロに良く付いてただろ。何か情報ねぇのかよ」
    「……俺っすか? 俺は、若頭の命令で足をしてたぐらいなんで」
    「チッ、使えねぇな。つかお前、いつまで壁拭いてんだよ」
    「あはは、血を落とすついでに、つい夢中になっちゃいました」
     牧田は振り返っていつも通りの笑顔を作った。へらっと染み付いたそれは、まるでこの壁の染みのように違和感はなかったらしい。
     ――まさか、こんな会話を事務所で聴く日が来るなんて、思ってもいなくて。
     若頭が捨てた? 飽きた? あの若頭が? ……新一を?
     この数日、疑問符ばかりがずっと回っていた。もとから自分は頭がいい方ではないのだ。そんな牧田がどんなに考えたところで、答えなんて出る筈がない。
     だけど、これだけは分かる。
     ……ありえねぇ。
     だって、おそらく櫻坂内で自分が一番良く知っている。
     降谷がどれほど新一を溺愛していたか。執着していたか。それはもう、目を覆うくらいに。
     ――なのに、過去形でそれを言わなければならないのか。
     確かに、工藤さんもあの時は様子がおかしかった。でも……。
    「あ、つか、確か大学生だろ。牧田お前どこの大学かぐらいは知ってんだろうが」
    「え、いや、あの……」
     極道での上下関係は絶対。降谷の舎弟の中でも下っ端の自分に拒否権などないのは百も承知だが、牧田が言い淀んだ時だった。
    「何騒いでるんだ」
     事務所に姿を見せたのは、若頭補佐の風見だった。
     途端に兄貴分らが姿勢を正す。
    「今日の回収は終わったのか」
    「は、はい」
     風見は、降谷同様、あまり表情を崩さない男だ。その眼鏡とも相俟って硬派な堅物とも呼ばれているが、今日の風見はそれよりもピリピリとした空気を纏わせている。
    「じゃあさっさと見回りでも行け。――あと、余計なことはしない方が、身の為だぞ」
     くい、とその眼鏡のブリッジを押し上げた風見に、兄貴らの眉が寄る。
    「余計なって……?」
    「あの、藤峰組三代目に認められるだけの自信があるなら別だが」
     それで先ほどの会話を聞かれていたことを悟ったのだろう。さぁっと血の気が引いたように兄貴分らは事務所から出て行った。
     それから風見は牧田に視線をやった。
    「……何をしてるんだ」
    「あー……、夕方に来てた佐藤組の返済の時に、ちょっと壁に血が飛んだらしくて」
    「……あの人か」
    「そうみたいっす」
     はぁ、と風見は重苦しい息を吐く。今日の午後は別行動をしていたらしいが、その間も補佐の気苦労は絶えないらしい。
     まあ、牧田も現場を見たわけではないのだが、今日の降谷は少し、機嫌が悪いらしくて。
    「……風見さん」
    「何だ」
     新一と降谷のことを聞こうとして、止めた。どう考えても、風見も答えを持っていないだろうから。
     だから代わりに、牧田は「お疲れ様です」と労いの言葉を発す。
    「……お前に言われてもな」
    「はは、すみません、可愛いお姉ちゃんじゃなくて。あ、そう言えば、この間新宿の店に入った嬢が、沖野ヨーコに似てるらしいっすよ」
     せめてもの元気づけのつもりだったのだが、それは何の意味もなさなかったらしくて。
    「……今はそんなものより、ただの安寧が欲しいな」
     同感だな、と牧田は思った。
     牧田のような下っ端には詳しい情報までは入って来ないが、三成会の件はまだ揉めているのだろう。梅雨の湿った空気を増長させるかのように重苦しい雰囲気が、ここずっと組の中には流れている。
     牧田はふと窓の外を見やった。止む気配のない雨。
     安寧や平穏だなんて無縁のような稼業の自分達だけど、それでも、細やかな日常はある。
     平和だと感じる瞬間は、確かにあった。
     新一と大学のカフェテリアで他愛もない話をしながら食べるソフトクリームのような。
     ――もっぱら、この天気では無理だろうけど。
    「……早く雨、止むといいっすねぇ」
     風見は答えを返せなかったが、その渋い顔は同意だろうと、思った。
     
     ♢ ♢ ♢
     
    「――あっちぃな」
     日差しが眩しかった。
     新一はその形良い眉を顰め、白い肌にはうっすらと汗を浮かべている。
     大学のカフェテリアにある外のテーブル席。テラスなんて洒落たものではないが、テーブルにパラソルの屋根も設けられたそこは、新一の定位置でもある。
    「ですねぇ。あ、工藤さんもソフトクリーム食べます? 買ってきましょうか?」
     普段さほど甘いものは食べない新一だが、牧田が頬張っていたソフトクリームのカップをチラリと見て、少し迷ったようだ。
    「……いい。ンな甘いの食べたら、余計喉乾く気がする」
     そう言って、彼はアイスコーヒーのストローを咥えた。さぁっと、見計らってくれたかのように風が吹き、艶やかな黒髪が揺れる。
     今、新一の大学はテスト期間だ。だからか通常よりキャンパスには人が多いらしく、昼を過ぎたこの時間でも中はなかなか混雑している。それなのにこのテーブルの周りに人がいないのは、暑さのせいだけでなく、新一のせいでもあると思う。
     牧田は溶けかけたソフトクリームをスプーンで食べながら、向かいで暑さにうっすらと頬を紅潮させている新一をチラリと見やった。
     オフホワイトのリネンシャツを着た新一は、シャツの裾を肘まで捲し上げて、ボタンは二つ外している。肩の辺りが少しダボついているのは、何もそれがオーバーサイズのデザインだからではないだろう。
     そして、細い首筋から鎖骨にかけて覗く噛み痕と、赤い鬱血。
    「……そんな格好で大学来て、怒られません?」
    「はぁ? 何でだよ」
     牧田が心配するのも、無理はない。どう見ても、彼は「誰か」の手つきであると知らしめるかのような格好なのだ。
     ――あの揉め事から、半月ほど。櫻坂内はすっかり通常を取り戻し、牧田もこうして新一と大学に来ている。以前と変わったことと言えば、最近櫻坂内で囁かれているある噂と、新一のこの格好くらいだろうか。
     なお、今日自分が運転手をしたのは、テスト期間なのにとても電車に乗って大学に行けるような状態ではなかった新一を、送るようにと指示されたからで。
    「つか、これ着ていけって言ったの、あの人だし」
    「……へぇ」
    「意味分かんねぇ。この間はあんなに怒ってたくせに……」
     ぶつぶつと新一は文句らしきものを言っているが、牧田は合点が言った。
    「あー、何かもう、遠慮しない、みたいな?」
     降谷は、新一が自分のものだと、組内だけでなく周知させることにしたのではないだろうか。
     三成会の盃の件の時、牧田は、新一と降谷に何があったのかは知らない。だけど、気づいたら新一は再び櫻坂の若頭を骨抜きにしているイロとして認知されていて、何なら会長にすら気に入られたとして、今や彼の祖父や母親並みに伝説の存在となりつつある。
     そして最近流れているとある噂。
     ――櫻坂の若頭が、近々祝宴を上げるのではないか。
     三成会の件が片付いてピリついた空気が和らいだ櫻坂内で、誰かが面白そうに漏らしたそれだが、それを本人に聞けるような豪胆は会長ぐらいなので誰も真実は知らない。
     だが、牧田は本気で近い将来新一を「姐さん」と呼ぶ日が来るのではと思っている。ただ、それを言うととても新一に嫌な顔をされるだろうから、口にはしていないだけで。
     ――ともあれ、牧田にとっての「平和」が、戻ってきたのだ。
    「……オメー、あの人が遠慮したことあると思ってんのか?」
     新一が憮然とした顔で牧田を睨みつけた。本気か、と言いたげな表情だ。
     だから牧田は、いつも通りへらっと笑って返してやる。
    「え、俺からしたら、すっげぇ大事にされてることしか分からないですけど?」
     それに新一は「どこがだよ」とでも返してくるかと思ったが、彼は何かを言おうと口を開き、だが結局はそれを尖らせるに留めた。
    「……うっせぇ」
     ――今回の件で彼にも、何か心境の変化はあったのだろう。降谷がそうであるように。
     だが、そんな格好でそんな顔をするものだから、新一の護衛は牧田ぐらいにしか務まらないのだとしみじみ思う。
     ふと時計を見ると、次の考査開始時間まで十分を切っていた。そろそろ新一は教室に移動しなければならないだろう。新一もそれを認識したのか、空になったカップを持って立ち上がる。牧田も続いた。
    「次の時間で最後のテストでしたっけ?」
    「あぁ。あ、今日はそれ終わったら、焼き肉食いに行こうぜ。ちゃんと許可取ってるし」
    「え……、体しんどいなら早く帰った方が良くないです?」
    「しんどくねぇよ、いつものことだし」
     さらりと言う新一に、音のしない口笛を吹きそうになった牧田は、どうにか堪える。
     だが。
    「この間、俺の暇つぶしに、色々付き合ってくれた礼だよ」
     ふっと笑ってそんなことを言う新一に。
    「……やっぱ、姐さんっすよね」と、聞こえないような小声で、牧田はぽそりと呟いた。
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