キスの日イイ雰囲気にしたい。なんて陳腐な言葉で言い表すのを躊躇っても、学のない自分にはそれよりも素晴らしい詩的な言葉は思い浮かばなかった。機転は効いても学者先生方のように巧みな言葉を並べるのは上手くない。ただでさえ気が重たくなる情勢に対して空元気を見せても痛々しさは否めない。
「陳先生」
白楼門から見下ろせる慣れた様子を背景にして、隣で一帯を見やる陳宮に声をかける。現状を思う言葉は互いに似たようなものだ。やれ酷い光景だ、この寒さもいつまで続くのか。減り続ける物資の蓄えはどう解消したものか。それを口にしたって事態が進展するわけでもないので、そういった話題はあの日をキッカケに二人は避けるようになった。
だからこそ多少の明るい話で気を紛らわせたい。モヤモヤと滞った思考には清涼剤でも浴びてクリアにしておきたいだろう。そんなささやかな思いやりだったら口にしてもいいんじゃないか?
「キスの味ってご存知ですか?」「はぁ?」
……思いっきり話題をミスした。いやむしろ自分の感情が最優先で出てしまった。打算もない慣れない好意に対して返したい気持ちはあれども、いささか直接的すぎる。帽子とサングラスに加えて赤い日差しが照れを隠してくれて助かった。
「そりゃあ、クセが無くて淡白だからうまいって所だな。」
「おいしいっすよね!」
「特にサクサクの衣で揚がった天麩羅はいいぞ。」
「想像したら腹減ってきた…。」
意図してなのか天然なのか。きっとまた子供扱いしてはぐらかされたのだ。そう思わないといたたまれない。今年で30になるというのに好いた相手に対して奥手なのは我ながら恥ずかしい。
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笑い合いながら、それ以上の言葉を切り出せずにいた張遼を見て陳宮は背中を軽く叩いた。
「開いてる店、探してみるか」
赤いサングラスの下でしょぼくれていた表情がぱっと明るくなる。陳宮本人としても揶揄っている自覚はある。ただ、喜怒哀楽がはっきりとした彼との話はそれ以上の余計な情勢の事を考えずに済んで、救われた気持ちになる。だからこそ余計な気負いをさせたくない親心のようなものが働いていた。
願わくば、その笑顔が続いて欲しい。
二人の影はスマホの経路が指し示す、寂れた店へ誘った。